llllllll-オルガン



星、またたいているけど、あれを君と見たいんだ。

バルコニーに出て、空をみてごらん?東の空の低いところに、白、赤、青の点滅を繰り返す星があるんだ。

オリオン座の、右足だ。オリオンの右足だけが、twinkle twinkle、点滅するんだぜ。すげえ綺麗だ。

考えきれない遠いところで、漫然と運行している星からの光が、いろんなエフェクトを経て、ここまで届いているぜ。

考えきれない遠いところにあるものから、俺は慰められているんだ。

あれを君にも見せたいんだ。




llllllll-モンキーフォレストの夕刻

llllllll-DVC00032.jpg

満タンにして200キロ。
ガソリン減らねえ!
こりゃすごい。





すごいよ、もう、無我夢中で駆け抜け感がすごい!日々フルスロットルのニューヨークステーキ で三京をぶっとばし続けているみたいな感じだ。家庭を持って、それを護りつづけるのは、そんなザップな感覚だ。走り出したら止まらないザッパーだ。
llllllll-1280117443-1278328127-1257601793-246.gif





llllllll-38sai
llllllll-画商時代






llllllll-28歳


llllllll-カフェ楽屋
llllllll-25歳






llllllll-27歳
llllllll-25歳








llllllll-アボリジニスタイル
llllllll-16歳








llllllll-西村英明
llllllll-バリ島にて




llllllll-マデ・シリエと(ゴアガジャ)
llllllll-ボイストレーナー時代








llllllll-店をやっていたころ
llllllll-22歳








llllllll-24歳
llllllll-俺の音楽








llllllll-コイーバ
llllllll-30歳








llllllll-東京駅で我に返る
llllllll-石を削る








llllllll-ageHaにて


llllllll border=
llllllll-バリ島80‘s




llllllll-ひろゆき帽子



           llllllll-キャプチャ

llllllll-DVC00023.jpg





llllllll-スタジオにて(猪瀬紀子撮影)
llllllll-JZトランスと俺








llllllll-白い時代
  llllllll-サーフィン






llllllll-カフェ楽屋
          llllllll-六本木






llllllll-38歳
    llllllll-カフェ楽屋






llllllll-カフェ楽屋
    llllllll-カフェ楽屋






llllllll-ageHaハロウィン
 llllllll-live






llllllll-パーティマン
    llllllll-カフェ楽屋










                          llllllll-俺とゴンザレス号




                 llllllll-熱唱




llllllll-エネルギー塊
      llllllll-ガース・ロバーツ、コミンと俺(バリ)






         llllllll-1986年バリ






llllllll-コイーバ
llllllll-広い世界











いつくしむ。

いつくしむことは、自らを手当てすることにつながる。




          llllllll
  



王子は旅に出て、たたかいや出会いをくりかえし、


王になるための資質を磨くものである。




               llllllll







にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村



      llllllll  



入道雲に成り切れなかったはぐれ雲のひときれが

俺はあんたらとは違う、とばかり強がって

なみいる強敵を前に、
ゆらゆら

ゆらゆら

流れてゆく


       llllllll-1278939424-25410069.jpg


にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村





ああ、雨があがった―――


入道雲だ。




夏が似合う場所をみつけて、それはさびしいさびしい


さびしい。夏が似合う場所はさびしい。


冬になれば、そこに夏があったことを思い出すだろう。


だから、この夏があるうちに、それを惜しむのだ。




この夏は、この夏が終わるまでの夏だから


次の夏は、この夏とは違う。


季節は巡る様に見えるけど、そうじゃない。


この夏は、ただひとつの夏だ。




ああ、入道雲。


あれは、なんだか、胸をしめつける形をするもんだなあ。







にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村

llllllll-100617_204805.jpg



ケニアにホテルを所有する編集者、パリを拠点とする作家、華やかな表舞台で自己の世界を創り発信する二人が、深夜のラジオで対談している。
それを聞きながら俺は、営業車を転がし、転がして、終わりの見えない闇へ続く一本道を、つき進むでもなく進んで行く。
湿度を帯びた、もやっとしたヴェールに包まれた三日月が、西の空の低いところに浮かんで、俺のあとをついてくる。
月には、物心ついたころから、あれやこれやを語りかけてはきたが、はたして今夜、俺には何かしらのことを、語ってくれるか・・・語ってくれるとして、それは俺の内なる声だ、月の意思とは違う・・・そんな類いのセンチメントを、ゴッホも宮沢賢治も、感じたかもわからない。


にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村





こんなにいろんなことが解明されている現代ですら、ジンクスの類は数多くある。

あなたはジンクス、好きか?

ジンクスに縛られてどうするのだろう、と、いつも思う。

だってさ、思わないか、ジンクスの矮小性を。

ジンクスったら、ある種の現象だよ?

なぜわざわざ「現象」に縛られなくちゃならないのだ?

たとえば、俺の先輩営業マンはすばらしく勤勉な人だ。でも、数字を残せないでいる。

売れないのはスーツの色が良くないせいだ、とか、朝、家を出るときに左手でドアノブを回さないからだ、とか、なんだとかかんだとか。そんなことにばかりこだわっているけど、そうじゃないだろう。

すべては因果応報、原因があって結果がある。これはゆるぎない。先輩に関しては、数字が残せない原因があるから、仕事の結果を出せないでいるだけのことだ。

そこに気付かず、ジンクスに頼るのは「逃げ」だと思う。

どうしてもジンクスの類にこだわりたければ、こう考えるのはどうだろうか。


「万物には神が宿り、わたしは神々の機嫌を損ねない」


ってね。

俺はジンクスは持たないが、信仰はあるよ。

誰が何と言おうと、神はある。そこかしこに。

だから、俺は俺の神を思う。俺を助けてくれる「俺の」神を思う。

その神が誰なのか、とか、どの宗教の、どの宗派の神なのか、男なのか女なのか、などは関係ない。

ただ「神がある」それだけのことだ。

一日を過ごせるのは、神があってのことだ、と、俺は思いながら行動している。

だから、毎朝、いの一番に神棚に初水をささげながら祈っているよ、助けてください、助けてください!ってね。

そして、一日が終われば、やっぱり神棚の前に行って

ありがとうございます、ありがとうございます!って感謝の言葉を述べつづけている。

その神は、古来の神かもわからないし、先祖かもわからない。

異国の神かもわからないし、宇宙の神かもわからない。

わからない、と言うか、決めていない。

決めていないから、誰だって何だって神になる。

現世で人として普通の生活を送っている、たとえば俺の父であったり母であったり、いや、祖父、祖母であったり、あるいは弟であったり妹であったり、友人だったり、職場の仲間だったり、いやいや、行き交う人々、不特定多数の人々でも、つまり、みんなだ、みんな俺にとっては神なんだ。

もっと言うと、人じゃなくたって神なんだ。

普段使っている自転車やパソコンや、靴や鞄や、言ったらきりがないから言わないけど、全部が全部、神なんだよ。それら「全部」が自分に味方してくれているというイマジネーション、それが俺の唯一の信仰だ。

だから、俺には万物が味方してくれるから、ジンクスなんて無用なのさ、わかったかベイビー!



にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村