海岸沿いの村の道は珊瑚由来の白い土で、乾いていた。多孔質のカルシウムが、天然の、巨大な乾燥剤として機能しているから、海辺の村は、バリ島山間の村に比べると、あっけらかんとした雰囲気で乾いている。

乾いているので、レンタルしたスズキ・カタナでむやみに激走すると、後塵が白く舞い、さながら煙幕でも張っているかの様だ。

カタナ・・・と聞くと、スズキGSX刀というバイクを想像するがそうではなく、インドネシアでは四駆のジムニーをカタナという名称で販売している。つまりまあ、日本を連想させる様な名称であれば、何でも良かったのだろう。

スズキ・サムライでも良かった。

スズキ・ゲイシャでも良かったし、スズキ・スシでも良かった。

スズキ・スキヤキでも良かったし、スズキ・テンプラでも良かったし、スズキ・シャブシャブでも良かった。

スズキ・タナカでも良かったし、スズキ・カトウでも良かったし、スズキ・ホンダでも良かったし、スズキ・スズキでも良かったに違いない。

良かったかもしれないが、それがたまたまカタナだったのだ。

どうでもいいが、俺は道に迷っていた。道に迷う理由はひとつ。地図を持っていないのだ。

地図を頼りに進むのは効率がいい。だが、地図があるせいで、出逢えたかも知れない素敵な事件に遭遇するチャンスを失うのが嫌だった。

だから地図を持たない。それは、物心ついたころから続く、俺の流儀だ。

椰子の林を抜け、読めない文字の書いてあるゲートをくぐり、俺の一本道はどんどん細くなっていった。

ついに、バイクが一台、ようやく通行できるくらいにまで細くなったころ、これ以上先に進むことが出来ないことを悟り、椰子林の合間に野生のバナナが見えはじめたあたりでイグニションをオフにした。

風が渡り、椰子の葉を揺らすパラパラという音が、いつまでも響いていた。

助手席にほったらかしにしていたグダン・ガラムの赤い箱を掴み、太巻きのタバコを取り出した。

愛用のデュポンで火をつけると、含まれている丁子のパチパチという音と、椰子の葉のパラパラが重なった。

・・・パチパチ、パラパラ。

・・・パチパチ、パラパラ。キイキイ。

・・・パチパチ、パラパラ、キイキイキイ。

キイキイ?

ルームミラーを見ると、筋骨逞しい老人が・・・この筋肉の盛り上がり方を見ると、多分地元の漁師なのだろう、自転車に乗って一目散でこちらに向かってくる。

ハンドルを握る反対側の手には、長い竹ざおを持って。




老人は俺の座っている運転席の横まで来ると、自転車をそこらへうっちゃり、何か言うより先に、その手に持つ竹ざおで、俺のカタナの側面をバンバン打ち始めた。

バンバン!

バンバンバン!

バンバンバンバン!

「アパ?」

意味が解らず声を掛けると、老人は俺の解らない言葉で・・・たぶんバリ語だと思うのだが、怒りに満ちた何事かを、かすれた声でまくし立てた。

彼が怒っている理由が解らず、知る限りのインドネシア語で対応したが、全く聞く耳持たず、彼は俺の車を打ち続けた。

「マアフ!マアフ!サヤ ミンタ トロン!」

その顛末を、遠巻きに見ていたのだろう、地元のお母さんたちがわらわらと集まってきて、その中の英語の出来る人が、親切にもおじいさんの言葉を翻訳して教えてくれた。

おじいさんは、せっかく洗った洗濯物を、あんたの車が巻き上げた埃で台無しにされたのを怒っているみたいよ、と。




畏敬の念を持って相手に接することは、人間の高貴な部分だと思う。

ことわざにある「郷に入れば郷に従え」とは、未知に対する畏敬の念だ。

気持ちがいいから・・・とか、非日常を楽しみたい・・・など、とかく旅先では忘れがちになってしまう。だが、本当はいつもの生活エリアでよりも、見知らぬ旅先でこそ、より紳士であるべきだった。

おじいさんはひとしきり車を打つと、転がしておいた自転車を引き起こし、赤っぽい大量のつばを吐いた。自転車に乗ろうと思ったら、チェーンが外れていたので、無表情のまま、それを直し、自転車油のこびりついた手を、白い乾いた土になすりつけなすりつけ、油っぽさが消えるまでなすりつけて、最後に手をパンパンとはらった。

修理が終わると、無表情にちらと俺を見て、言うべきことは全て言ったとばかり、振り返りもせず来た道を戻っていった。

気が済んだのだろう。

車を降りて打たれたところを見ると、べっこんべっこんにへこんでいた。


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