一人ぼっちになっても、別れてよかったと思う。


正直、別れ話を切り出されたとき、ああ、助かった・・・って思ったもん。


これで自由だ、やったあ!ってね。


別に、愛していなかったわけじゃないけど。








未来を描けなかったのよ、この関係が続いたら、あたしがあたしじゃなくなるみたいに感じたのね。


あたしの思う未来は、あの人の思う未来じゃなかった、きっと。


子供が欲しかったけど、作ってくれなかったし、だって変じゃない?中に出すのは生理の後よ?それ以外のときは絶対におなかに出してたし。


それから、この人はあたしが思う未来とは別の事を考えてる、って思うようになった。








誰かと一緒にいなきゃいけないとかは感じないけど、子供が出来るうちに欲しいなぁ、とか思うよね。


お父さんはいらないから、子供だけでも作っちゃおうかな、みたいな。








中に出す出さないで関係が壊れちゃうんだよ?


どうせもろい関係なら、なんで猫に生まれてこなかったんだろう、って、たまに思うんだ。


次に生まれるんだったら、猫のメスになりたいなあ。


犬より猫でしょ。


猫って、さみしい、って感情も無さそうだし。


犬はたまに切ない顔するじゃない、それ、嫌なんだ。







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生きていれば悪いことなんてそうそう無いさ。


生きてさえいれば、未来は必ずやってくる。


死んだらそれで仕舞いだからさ。




生きていれば、何かを基準に


善し悪しを判断してしまう。


悪いことなんて、とらえ方考え方次第じゃん?




太宰治じゃないけどさ、


俺たちは、ただ生きていればいいんだ。




あのね、夜中におしっこに行くわけね。
それがとても申し訳ないことだ、ってことを、今から書きます。




宵っ張りな俺は、夜になればなるほど楽しいんだ。
それは、若い頃から今までの習性に拠るところが大きい。
ご存知のとおり、夜には様々な享楽があってね、自由自在、夢見たいな時間を過ごせる、まさに黄金(エルドラド)の時間帯なのだ。ラメ入りの透明なスーパーボールが、妖しげな光を帯びているのに似た、性的な魅力があるのだ。
マンジャーレ・カンターレ・アモーレ!
だから、いい歳になるまで派手な車で夜な夜な出かけては、出かけるたびに事件を引き起こしたものだ。ハプニングは自分の享楽のためだった。
夜の生活に慣れた体では、たとえ結婚したって夜更けまで好き勝手、本を読んだり音楽を聞いたり、書き物をしたりするのだ。
そして気が付けば3時過ぎだったりする。
夢中で色んな事をしているから、たまりにたまったもンが、気の抜けた瞬間、怒涛の尿意となって股間をまさぐるのだ。
でも、夜の3時。
俺の3時と妻の3時は180度違うのだ。
妻の様に、夜遊びの「よ」の字もしなかった女には、夜の3時にガサゴソされるのは苦痛だろう。
妻は悪阻の意地悪でろくに飲み食いも出来ず、重たい腹を引き擦りながら、日中の俺の我侭に付き合い右往左往して、さぞかし疲れている筈なのだ。
だから、俺の道楽で妻の睡眠を邪魔してはいけないのではないか。いけないのだ。
でも、おしっこに行かなきゃいけないのは、人類共通のことだから、俺だってやっぱり行かなきゃならん。
だから、換気扇のブぉーッという音や、立ってするおしっこのジョボジョボいう音を立てないように、俺は真っ暗な中、手探りで便器のふたを開けて、女みたいに便座に座り、こっそりと小便をする。
でもね、毎回やっちまったな、と思うのは、ウォシュレットの便座は、座ると脱臭のファンが「ぐぉぉぉぉ!」ってもの凄い音をたてて回るんだよなあ。換気扇の音を出さないよう真っ暗な中でおしっこしてるのに、これじゃあ意味が無い。
それでも、せめてもの罪滅ぼしと、レバーを微妙にコントロールして、音が出るか出ないかのレベルで、ちょぼちょぼと水を流すのだ。




妻よ、宵っ張りでごめんね。
たぶん、キミは起きている。
寝たふりをしてくれているんだ。
俺のために。
なのに、朝は早くから起きだして、俺の朝飯を作ってくれている。
そんなキミの事を、夜の3時にキーボードをかちゃかちゃ言わせてブログに書いていたり、おしっこのたびに脱臭ファンをブンブン回しちゃって、睡眠不足にしている俺って、どうよ?








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常夏のバリ島から凍てつく冬の日本にやってきて、コミンにはあまり面白い旅行じゃなかったかも知れない。
だって、夏しか知らない男に、冬の凛とした空気が云々など言ったところで何が分かるだろう。毎朝10時になっても布団から起きだせない状態のどこが楽しいだろう。
一日の殆どを布団の中で過ごしたあのとき以来、コミンは冬の日本に来なくなった。
ただ唯一、会うごと、電話で話すごと、嬉々として語る思い出は、古銭屋のおじいさんのことだ。
バリ島の人々は、古銭には願いを叶えるパワーが宿っていると信じており、こぞってコレクションしている。いや、コレクションじゃないな、もはや信仰の対象だ。その事情を知っていた俺は、せっかく高い旅費を払って日本まで来たコミンに、少しでも楽しい思い出を作ってほしくて、西川口のヨーカドー前にあった古銭屋「川口コインズ」に誘ったのだ。



凍てつく北風が吹きすさぼうとも、古銭と聞いては黙ってられない。店に着き、おじいさんの差し出すコレクションボックスを食い入る様に見るコミン。そのうち、探検家が宝の山でも発見したみたいな驚きの声で
「これはバリのお金だよ!」
と叫んだ。
「・・・いや、バリ島じゃないんだな、これは天命年間の皇帝が云々・・・」
おじいさんもかなりのマニアで、もっともマニアだから専門店をしている訳だが、すっかりバリ島からの珍客と意気投合して、あれだのこれだのを語りあった。

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あの冬から10年の月日が流れた。
いまだにコミンは古銭屋のおじいさんの話をする。
また会いたいと言う。
おじいさんの店はすげいね、あのコインの中には、見たこともないすげえパワーの古銭があるよ、と。
連絡がとりたいから、電話番号教えて、と言われたが、残念ながら川口コインズは、もう無い。
おじいさんの消息も、とうにわからなくなっている。
どなたか、古銭趣味の方がこれをお読みなら、川口コインズのおじいさんの消息を教えていただきたい。
わが友、コミンは、もしおじいさんに会えるなら、たとえそれが冬の日本だとしても、ガルーダに乗って一目散に飛んでくるだろう。

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仕事をするのはなぜか。

生活を成り立たせるためだ、という答えでは60点。

正解は


生活を成り立たせること及び、毎日の目標を定めることができること。


仕事一所懸命やったら、お金が余ってしょうがないよね?

そんなに稼いだって、欲しいものなんか、そうそう無いでしょ?

欲しいものも買えないくらい、あなたの仕事は薄給なのか?



仕事ってのはね、人生の目標をしっかり定められない人にとっては、日々の目標設定がたやすくなるというメリットを内蔵しているのだ。

裏を返せば、大きな目標のある人は仕事なんかせずに、その目標を達成するための何をかすればいいのだ。

下手な仕事を選ぶなら、死ぬ気で自分の目標達成しろよ。


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たかだか400円のワインを、ちびりちびりと飲む贅沢よ。

理解とは、困難な道のりだ。

身の回りの事象にのみ、判断材料がない場合、その「身の回り」だけが、その人の正義となる。

でもそれは、狭い考え方なのだ。

近しい環境の中で考えうる結論だけで物事を判断するのは浅はかなことなのだ。

井の中の蛙が、空の青さを知る、でも海の青さを知らない、ということだ。


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子供のころからヒーローもののテレビ番組を見て、大人になった今ですら、ヒーローものの番組の必然を感じるが、ちょっとへそ曲がりな、大人的な考え方をすると、ヒーローの目指す正義とは、「絶対的な正義」ではないということが分かる。

ヒーローとは、自分にとって最適な正義を提供してくれる人を指すのだ。

最適な正義・・・・とは、自分のかかげる理想により近い、ということだ。

正義なんて、一方的なものの見方でしかない。

もし、自分とは違う考え方の人がいたら、ひょっとしたら自分のかかげる理想を悪ととらえるかも分からないではないか。

自分にとって不都合なことを提供する人は、ヒーローではない。

仮面ライダーはショッカーを裏切って、ショッカー以外の人々の味方になったが、理想の世界を目指す秘密結社ショッカーにだって、ショッカーなりの正義があったに違いない。

もし、世の中の人の9割9分がショッカーの手先だったとしたら、仮面ライダーは巨悪ということになる。

そんな風に考えると、何が最善のヒーローなのか、わからなくなる。



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小さいおぢさん?

さんざん見てきたよ。蕨に住んでいたころ、寝しなによく現れた。

一人で現れるより、複数で現れた。

俺の見てきたおぢさんたちは、縄文時代風の衣装を身にまとっていた。

よくわからない言葉で会話していた。

時折、大量発生して、何十人ものおぢさんたちが俺の上に乗っかってきたりもした。

この現象が何か分からなかった俺は、バリ島の先生(僧侶)に相談した。

「小さいおぢさんが出るんですけれど、正体は何か分かりますか?」

すると先生は、何の不思議もないかのように答えた。

「それはね、君の中の過剰なエネルギーが体外に放出された、そのエネルギーが可視化されたものだよ」

つまり、エネルギーが高まると、許容量を超えた分が、体外に放出される、その放出された分が、小人として視覚化されるのだ、と。

「おぢさんが見える、ということは、君の基本的なエネルギーが過剰に充填されたということだ。だから、もしそんな現象に出会ったら、思いどおりにするがいい。きっとうまくいくよ」

おぢさんが大量発生する晩は、なかなか寝付けないことが多かったので、それも相談した。

「エネルギーが充填されているので、おぢさんに消えてもらうにもそのエネルギーを使えばたやすいことだ。おぢさんたちに向けて、たなごころをかざすんだ。手からはエネルギーが放出される。サーチライトの光みたいにね。それをおぢさんに当てるんだ。綺麗に破砕されて、おぢさんたちは消えてしまうよ」

ある晩、機会は訪れた。おぢさんの大量発生したときに、手からの照射を試してみたのだ。

何十人と現れたおぢさんたちは一瞬で消えていなくなった。



最近、おぢさんたちを目撃しない。

これは、俺の肉体的に考えれば、いけないことだ。

おぢさん、カムバック!

エネルギー、充填するよ!


中島美嘉さんも見た!?「小さいおじさん」の衝撃映像
先日、日本テレビ系列のトーク番組『おしゃれイズム』にゲスト出演した中島美嘉さんが、トーク中に 「私..........≪続きを読む≫





中国の若者諸君には、もっと反日デモをやってもらいたい。
日系企業や和食店に対し、打ち壊しや投石、また、便乗強奪などもやってほしい。
もっと自由に、愛国心を表現してもらいたい。
報道に頼らなくても、誰かさんがネット経由で世界中にレポートを配信するだろうし、通行人がyoutube越しに、携帯動画をアップするだろう。
そのとき世界は、中国をどう評価するか、火を見るよりもあきらかだ。
そして何より、自己崩壊のネタになる。
さらに、中国自由化の始まりとなる。
中国の若者は、70年前の虐殺も、今行われている虐殺も、虐殺は虐殺であること、国の乗っ取りであることに変わりないことを知るだろう。
そのことで、自らのアイデンティティだったはずの何かを、恥じるときが来るはずなのだ。