作業でござる
今夜は徹夜作業でござる。来月にまた一件作業が予定されているが、年内の徹夜はそれで最後の予定。
予定はあくまでも予定。来月予定されている作業が延期されたりとか中止されたりとかは、よほどのこと……例えば東海大地震が起こるとか富士山が噴火するとか本土が攻撃を受けるとかの天変地異、大事変……でも起こらない限りは、まず可能性としては実に低い。むしろ可能性として高いのは、突発的な深夜作業である。幸い、ここしばらくはそんな状況に遭ったことはないが。だからと言って、今後もないと言うわけでもあるまい。
大きなことであれ、小さなことであれ、先のことはまったく分からん。
それが良いのか悪いのか……未来が見えないから不安になるか、はたまた見えないからこそ期待を持つことができるのか。願くば後者でありたいものだ。何事もポジティブに考えることができれば、どんな状況に遭ったとしても、良い方へと物事を考え進めて行くことができるのではないか。生産的建設的に物事は考えたいものだ。
予定はあくまでも予定。来月予定されている作業が延期されたりとか中止されたりとかは、よほどのこと……例えば東海大地震が起こるとか富士山が噴火するとか本土が攻撃を受けるとかの天変地異、大事変……でも起こらない限りは、まず可能性としては実に低い。むしろ可能性として高いのは、突発的な深夜作業である。幸い、ここしばらくはそんな状況に遭ったことはないが。だからと言って、今後もないと言うわけでもあるまい。
大きなことであれ、小さなことであれ、先のことはまったく分からん。
それが良いのか悪いのか……未来が見えないから不安になるか、はたまた見えないからこそ期待を持つことができるのか。願くば後者でありたいものだ。何事もポジティブに考えることができれば、どんな状況に遭ったとしても、良い方へと物事を考え進めて行くことができるのではないか。生産的建設的に物事は考えたいものだ。
赤と白
赤と白、と言ってもワインのことではない。今日は年に一度の健康診断。赤と白は私にとって健康診断を象徴する色である。血液検査で血を抜かれてしまうのが赤、味も舌触りもノドゴシも、どれをとっても「うぇー、マズイ」としか表現のしようのないバリウムが白、である。両方合わせたら鮮やかなピンク色……なんて想像するだけでも気持ち悪い。もっとも血液検査で抜かれるのは静脈血なのか赤というよりは赤黒いのであるが。健康診断のメニューの中で、この二つが大嫌いである。さすがに血液検査には慣れたが、あのバリウムだけはどうしても慣れない。慣れたいとも思わないが。むしろ、あれを飲むこと自体が不健康に思えてならないのである。まさかそんなことはないだろうが、あのバリウムが腸の中で固まって、ウンコになって体外に押し出されなかったら一体どうなってしまうんだろうか……などと考えてしまうとちょっと恐ろしい。まぁ、全部が詰まることはないだろうけど、長年飲み続けることによって、バリウムのカスが蓄積されてしまうということはないのだろうか。むしろ、そちらの方が現実的に思えてしまう。もっとも、健康診断のためにわざわざ不健康なことをするとは思えないので、私の考えすぎなだけかもしれないが。まぁ何はともあれ、何事もなく今年の健康診断も終わったので一安心。健康には自信がある方なので、特に不安もない。なんてことを考えると、健康以外でも何か好成績を残せるものがあればいいんだけれどねぇ。
そんな健康診断、行くときの交通費を払わないで済んでしまった。と言っても、ほんの130円程度なんだけれども、得した気分である。もちろん、インチキをしたわけではない。たまたま偶然なのである。ちゃんと横浜で乗り換える時に改札でパスモを通した。通してから気付いたんだけれども、改札機の液晶に何も表示されなかったし、何の音もしなかったのである。そういえば私の前に通過した人が何やらモタついているなぁと思ったのだが、どうやら改札が無反応だったから不安にでもなったのだろう。まぁ、目的地の妙蓮寺で改札を出るときに何かあれば駅員さんに言えばいいやと思ってそのまま通過。
で、妙蓮寺についても改札を出るときにパスモを通したんだけれども、やはり無反応なのである。はて、一体どうしたのだろうか。実は何も反応がないだけで、ホントは料金を取られていたのか?と思いながら、帰りに改札を通過するときには、ちゃんと改札機が反応したので、残額を見てみた。そしたら、なんと!1円も減っていない!ということはだ、往路は横浜から妙蓮寺までタダで乗ってしまったことになる。
はて、一体あれは何だったんだろうか……改札機の不具合か何かかな……。
そんな健康診断、行くときの交通費を払わないで済んでしまった。と言っても、ほんの130円程度なんだけれども、得した気分である。もちろん、インチキをしたわけではない。たまたま偶然なのである。ちゃんと横浜で乗り換える時に改札でパスモを通した。通してから気付いたんだけれども、改札機の液晶に何も表示されなかったし、何の音もしなかったのである。そういえば私の前に通過した人が何やらモタついているなぁと思ったのだが、どうやら改札が無反応だったから不安にでもなったのだろう。まぁ、目的地の妙蓮寺で改札を出るときに何かあれば駅員さんに言えばいいやと思ってそのまま通過。
で、妙蓮寺についても改札を出るときにパスモを通したんだけれども、やはり無反応なのである。はて、一体どうしたのだろうか。実は何も反応がないだけで、ホントは料金を取られていたのか?と思いながら、帰りに改札を通過するときには、ちゃんと改札機が反応したので、残額を見てみた。そしたら、なんと!1円も減っていない!ということはだ、往路は横浜から妙蓮寺までタダで乗ってしまったことになる。
はて、一体あれは何だったんだろうか……改札機の不具合か何かかな……。
サカマキガイ
メダカの住んでいる睡蓮鉢に同居しているタニシだが、これは実はタニシではなくて、サカマキガイという生き物であることが判明した。だから、何かが変わるというわけではないのだが。水草を食べてしまうということはあるらしいが、水草を育てているというのでなければ、メダカに害を及ぼすということはないので気にすることはなさそうだ。むしろ、睡蓮鉢の内側にこびりつく緑色の藻を食べてくれて、サカマキガイたちがいるおかげで、心なしか鉢がきれいな気がする。さて、私がどうしてタニシとサカマキガイを区別ができたかというと、これのおかげである。
写真じゃ見えにくいかもしれないけど、睡蓮鉢(水を入れ替えるために水をポンプで吸い上げたあとだけどね)の内側の写真であるが、よーくみると水滴というかゼリーのようなものが三つほど見えるだろう。先週、これを発見したのだけれども、一体なんじゃこりゃ?と思ったので調べてみた。万が一にもメダカの卵だったら、大事にしなければ、と思ったのである。が、メダカの卵ではないらしい。では、タニシの卵であるのかと思って、調べてみたらタニシでもないらしい。なんでも、タニシは卵を産まないとか。でさらに調べて分かったのだけれども、コレ、サカマキガイの卵だそうな。
さらに調べてみると、このゼリーひとつのなかに、ちっちゃな卵が20~80個はいってるそうな。だから、上の写真だけで少なく見積もっても60匹のサカマキガイになるというわけだ。ちなみにゼリーは他にもいくつかあったので、合計すると200匹はくだらない計算になる。
害はなくとも、さすがに増えすぎたらメダカを飼ってるのか、サカマキガイを飼っているのか分からなくなるので、卵は目に付いたものについては駆除しておいた。ついでに目立って大きいサカマキガイが2匹いたので、うち1匹も駆除。卵はまだ気付かないところに残っているだろうし、残ったサカマキガイがまた卵を産むだろうから、完全にいなくなることはないだろう。
成長したサカマキガイが1匹だけ。はたして、これで産卵できるのだろうか?などと疑問に思うかもしれないが、サカマキガイは雌雄同体。オスでもありメスでもあるのだ。何というか……便利な生物である。昨日のゴキブリ同様、どんな環境でも生きていけそうである。但し、外敵から身を守るすべは持ち合わせていない。

写真じゃ見えにくいかもしれないけど、睡蓮鉢(水を入れ替えるために水をポンプで吸い上げたあとだけどね)の内側の写真であるが、よーくみると水滴というかゼリーのようなものが三つほど見えるだろう。先週、これを発見したのだけれども、一体なんじゃこりゃ?と思ったので調べてみた。万が一にもメダカの卵だったら、大事にしなければ、と思ったのである。が、メダカの卵ではないらしい。では、タニシの卵であるのかと思って、調べてみたらタニシでもないらしい。なんでも、タニシは卵を産まないとか。でさらに調べて分かったのだけれども、コレ、サカマキガイの卵だそうな。
さらに調べてみると、このゼリーひとつのなかに、ちっちゃな卵が20~80個はいってるそうな。だから、上の写真だけで少なく見積もっても60匹のサカマキガイになるというわけだ。ちなみにゼリーは他にもいくつかあったので、合計すると200匹はくだらない計算になる。
害はなくとも、さすがに増えすぎたらメダカを飼ってるのか、サカマキガイを飼っているのか分からなくなるので、卵は目に付いたものについては駆除しておいた。ついでに目立って大きいサカマキガイが2匹いたので、うち1匹も駆除。卵はまだ気付かないところに残っているだろうし、残ったサカマキガイがまた卵を産むだろうから、完全にいなくなることはないだろう。
成長したサカマキガイが1匹だけ。はたして、これで産卵できるのだろうか?などと疑問に思うかもしれないが、サカマキガイは雌雄同体。オスでもありメスでもあるのだ。何というか……便利な生物である。昨日のゴキブリ同様、どんな環境でも生きていけそうである。但し、外敵から身を守るすべは持ち合わせていない。
ゴキブリについて
先ほどシャワーを浴びようと思って浴室に向かったら、廊下とリビングを隔てている空間でちょっと大きめのゴキブリが仰向けにひっくり返ってジタバタともがいていた。元気に走り回っているのならまだしも、なんでこんなところでゴキブリがひっくり返っているのだろうかと、不思議に思ったのだが、そのまま放っておくのもイヤなので殺虫剤を浴びさせてやった。ゴキブリ用の殺虫剤は我が家にないので、ハエ・蚊用のあまり強力ではない殺虫剤なのでゴキブリが逃げ回るかと思いきや、ひっくり返ったまま足をバタバタさせるだけで逃げる様子が見えない。ひとまずどこにも行きそうにないので放置。シャワーから戻ってみると、まだ同じ場所で同じ格好で足を弱々しく動かしていたので、これ以上殺虫剤を消費するのもちょっと勿体ないと思い、広告でつまんでゴミ箱に捨てた。
元気のない死に損ないのゴキブリというのは、どうも迫力に欠けるというか何というか……。あぁなった姿を見てしまうと、ちょっとばかり哀れなものである。
しかし不思議なものである。なんで人はゴキブリを嫌うのであろうか。ゴキブリというと不衛生と連想してしまうからだろうか。でも、蜂のように毒針で人間を指すわけでもないし、蟻のように噛みつくわけでもない。チャドクガのように幼虫でも成虫でも、近づいたり触ったりする人間をかぶれさせてしまうこともない。ましてやムカデのように攻撃的な虫でもない。ゲジゲジのように長い足がたくさんあって、色彩鮮やかな不気味な姿でもない。ただの六本足の昆虫である。同じ昆虫でもカブトムシやクワガタは人気だし、バッタは我が家の娘たちでも捕まえることができる。
にも関わらず、ゴキブリの不人気さとは一体どうしたことだろうか。油っぽく黒光りするあの姿だろうか。ゴキブリという名称だろうか。不衛生さを連想させるからだろうか。理由は何であれ、ゴキブリが飛んで逃げ回りながら、こちらに向かってくる姿はちょっと恐怖でもある。
ちなみに石鹸さえも餌にするほど生命力旺盛と言われているゴキブリではあるが、寒いところでは生活できないらしい。嘘か本当か分からないけど、なんでも北海道ではゴキブリを見かけることがないとか。言われてみると、私もシアトルに住んでいたころはゴキブリなんて見たことがなかったので、あながち嘘でもないのだろう。でも、一箇所だけゴキブリが見ることのできる場所がある。それは動物園のケースの中。なぜかゴキブリの大群が丁寧に飼育されていたのだ。日本の本州出身者の私から見たら、衝撃だった。十数年以上前のことなのに、今でも憶えてるくらいだ。
元気のない死に損ないのゴキブリというのは、どうも迫力に欠けるというか何というか……。あぁなった姿を見てしまうと、ちょっとばかり哀れなものである。
しかし不思議なものである。なんで人はゴキブリを嫌うのであろうか。ゴキブリというと不衛生と連想してしまうからだろうか。でも、蜂のように毒針で人間を指すわけでもないし、蟻のように噛みつくわけでもない。チャドクガのように幼虫でも成虫でも、近づいたり触ったりする人間をかぶれさせてしまうこともない。ましてやムカデのように攻撃的な虫でもない。ゲジゲジのように長い足がたくさんあって、色彩鮮やかな不気味な姿でもない。ただの六本足の昆虫である。同じ昆虫でもカブトムシやクワガタは人気だし、バッタは我が家の娘たちでも捕まえることができる。
にも関わらず、ゴキブリの不人気さとは一体どうしたことだろうか。油っぽく黒光りするあの姿だろうか。ゴキブリという名称だろうか。不衛生さを連想させるからだろうか。理由は何であれ、ゴキブリが飛んで逃げ回りながら、こちらに向かってくる姿はちょっと恐怖でもある。
ちなみに石鹸さえも餌にするほど生命力旺盛と言われているゴキブリではあるが、寒いところでは生活できないらしい。嘘か本当か分からないけど、なんでも北海道ではゴキブリを見かけることがないとか。言われてみると、私もシアトルに住んでいたころはゴキブリなんて見たことがなかったので、あながち嘘でもないのだろう。でも、一箇所だけゴキブリが見ることのできる場所がある。それは動物園のケースの中。なぜかゴキブリの大群が丁寧に飼育されていたのだ。日本の本州出身者の私から見たら、衝撃だった。十数年以上前のことなのに、今でも憶えてるくらいだ。
新聞週間
今日から新聞週間が始まる。新聞週間が何なのかは分からないのだが、少なくとも今日の朝刊にはそう書いてあった。さて、今朝読んだ読売新聞の記事に、読売新聞社が実施した世論調査の結果が記載されていた。記事のタイトルはずばり「『新聞は必要』92%…読売世論調査」である。なるほど、新聞が必要だと考えている人はまだまだ大勢いるようなので、ちょっと安心である。私も新聞が必要だと思う一人であるから。もっとも新聞が紙媒体である必要があるかどうかというのは、これはまた別のことになるだろうけどね。
さて、92%の人が新聞は必要と答えた一方で、新聞の報道を信頼できると答えた人は87%であったという。なんだなんだ……単純に考えると5%の人は新聞は信頼できないけど必要だと思っているのか?それはそれで妙なことである。信頼できないメディアをなぜ必要だと思うのだろうか。それってもしや、フィクションとして新聞を見ているということになるのか?などと勝手に想像を巡らしてみるわけだが、真相は謎に包まれたままである。もっとも5%なんて誤差の範囲と言えばそれまでなのかもしれないが。
それ以外では「必要とする情報や日常生活に役立つ情報を提供している」という意見が88%であった。うーむ、生活面について言えば、そうかもしれない。そして「事実やいろいろな立場の意見などを公平に伝えている」については70%だった。えー、どうなんだろうなぁ。産経新聞と朝日新聞ではまるで主張が違っているような気がするんだけれども……。もっとも「いろいろな立場の意見」ということについては、ある意味真実かもしれないが。但しこれについては、一紙だけを読んでいては、あまり意味がないだろう。
まぁ、とにもかくにも最近は新聞は、あまり流行っていないようであるが、それでも一般かの支持はまだまだあるようなので、一安心である。今振り返ってみれば、ジャーナリズムでも少しは勉強しておけばよかったか……。
さて、92%の人が新聞は必要と答えた一方で、新聞の報道を信頼できると答えた人は87%であったという。なんだなんだ……単純に考えると5%の人は新聞は信頼できないけど必要だと思っているのか?それはそれで妙なことである。信頼できないメディアをなぜ必要だと思うのだろうか。それってもしや、フィクションとして新聞を見ているということになるのか?などと勝手に想像を巡らしてみるわけだが、真相は謎に包まれたままである。もっとも5%なんて誤差の範囲と言えばそれまでなのかもしれないが。
それ以外では「必要とする情報や日常生活に役立つ情報を提供している」という意見が88%であった。うーむ、生活面について言えば、そうかもしれない。そして「事実やいろいろな立場の意見などを公平に伝えている」については70%だった。えー、どうなんだろうなぁ。産経新聞と朝日新聞ではまるで主張が違っているような気がするんだけれども……。もっとも「いろいろな立場の意見」ということについては、ある意味真実かもしれないが。但しこれについては、一紙だけを読んでいては、あまり意味がないだろう。
まぁ、とにもかくにも最近は新聞は、あまり流行っていないようであるが、それでも一般かの支持はまだまだあるようなので、一安心である。今振り返ってみれば、ジャーナリズムでも少しは勉強しておけばよかったか……。