英語学習法
TOEIC945点という伝説、というか実績があるからなのか、時々英語の学習法、つまりどうしたら英語を身につけることができるかと、私に聞いてくる人たちがいる。そんな人たちの期待を裏切るようで申し訳ないのだが、英語の学習法なんてものは、私に聞かれても困るのである。そんなもん英語の先生じゃないから分かりませんってば。
「どうしたらそんなにTOEICで高得点を取ることができるのか?」と聞かれても、「知らねーよ」としか答えようがない。「どうやって勉強をしてきたのか?」と聞かれても、「勉強なんかしてねーよ」としか答えられない。知らないものは、知らないんだって。普通に受験したら、その点数がとれちゃっただけなんだし。そりゃー、アメリカに6年間住んでいたんだから、それくらいとれなきゃもぐりだろーって思うんだな。「ネイティブでもそんなにとれない」っていう人もたまにいるんだけど、ネイティブだってピンキリだろ。大卒の連中もいれば、高卒の連中だっているわけだ。一方私はまがりなりにも大卒である。大学レベルの英語ができなきゃ、卒業なんかできてるわけがないんだから。そもそもTOEICの英語なんて、大卒レベルってほどでもないし。
ちなみに、私は日本人なんで日本語はネイティブだけど、日本語検定を受けたとしてら、そんなに良い点が取れるとは思ってないぜ。私の日本語なんて、高卒止まりだからさ。大学生が使うような日本語は分からんよ。つーか、大学生がちゃんと日本語使えてるのかどうかは、ちょっと怪しいけどね。だから母国語だからって検定試験で良い点がとれるとか、そうやって考えてる方が間違ってるよな。
それでも英語を身につけたいという人がいるならば、私から言えるのはこれくらいである。英会話なんかに無駄な時間と労力と金を掛けるもんじゃない。子供がやるならいいけど、大人がやるもんじゃない。そんだったら、中高レベルの文法をしっかりアタマにたたき込んでおくことである。読み書きさえできりゃ、会話なんてものは何とかなるもんだ。英文を読んで、英文を書くことに慣れないと、英語は身に付かんぞ。もっとも海外旅行がメインだったら、英会話だけでOKかもしれないがね。
まずまず英語をゴールにするんだったら、英語なんか勉強するだけ無駄さ。英語で何をしたいのかが重要なんだよな。まぁ、私なんかは英語でどうするってわけでもないけどさ。今になって考えてみりゃ、糞の役にもならねーよ。英語なんか憧れるほどのもんじゃないぜ。
「どうしたらそんなにTOEICで高得点を取ることができるのか?」と聞かれても、「知らねーよ」としか答えようがない。「どうやって勉強をしてきたのか?」と聞かれても、「勉強なんかしてねーよ」としか答えられない。知らないものは、知らないんだって。普通に受験したら、その点数がとれちゃっただけなんだし。そりゃー、アメリカに6年間住んでいたんだから、それくらいとれなきゃもぐりだろーって思うんだな。「ネイティブでもそんなにとれない」っていう人もたまにいるんだけど、ネイティブだってピンキリだろ。大卒の連中もいれば、高卒の連中だっているわけだ。一方私はまがりなりにも大卒である。大学レベルの英語ができなきゃ、卒業なんかできてるわけがないんだから。そもそもTOEICの英語なんて、大卒レベルってほどでもないし。
ちなみに、私は日本人なんで日本語はネイティブだけど、日本語検定を受けたとしてら、そんなに良い点が取れるとは思ってないぜ。私の日本語なんて、高卒止まりだからさ。大学生が使うような日本語は分からんよ。つーか、大学生がちゃんと日本語使えてるのかどうかは、ちょっと怪しいけどね。だから母国語だからって検定試験で良い点がとれるとか、そうやって考えてる方が間違ってるよな。
それでも英語を身につけたいという人がいるならば、私から言えるのはこれくらいである。英会話なんかに無駄な時間と労力と金を掛けるもんじゃない。子供がやるならいいけど、大人がやるもんじゃない。そんだったら、中高レベルの文法をしっかりアタマにたたき込んでおくことである。読み書きさえできりゃ、会話なんてものは何とかなるもんだ。英文を読んで、英文を書くことに慣れないと、英語は身に付かんぞ。もっとも海外旅行がメインだったら、英会話だけでOKかもしれないがね。
まずまず英語をゴールにするんだったら、英語なんか勉強するだけ無駄さ。英語で何をしたいのかが重要なんだよな。まぁ、私なんかは英語でどうするってわけでもないけどさ。今になって考えてみりゃ、糞の役にもならねーよ。英語なんか憧れるほどのもんじゃないぜ。
この国、わが国
今日の産経新聞のコラム【from Editor】にて見つけた。「この国」と「わが国」
というタイトルの記事である。なかなか良いことを書いていると思った。詳細は上のリンクの先にある記事を読んでいただければと思うのであるが、要約すると、タイトルの通り、「この国」という言い方と「わが国」という言い方のニュアンスの違いについて書かれている。「この国」というのは、第三者的な視点から見ているかのような言い回しになるが、「わが国」というと当事者としての視点から見ている言い回しになるということだ。
言われてみると、確かにそのようだ。「これ」というのは自分の身近にある何かを指し示すために用いるが、それが誰のものかを示すことはない。この鉛筆、この消しゴム、この千円札……それは自分のものかもしれないし、人のものかもしれない。漠然とそこにある物を示すために用いる。それの所有権を誰が主張するかは重要ではない。誰かが「これは自分のだ」と言ったら、それまでである。後から「いや、やっぱ私のものだ」などという後出しじゃんけん的な発想は通用しない。結局、指し示す物にたいして興味がないからこのような表現になってしまうのだろう。一方「わが」つまり「私の」ということは、明らかにそれが自分の所有物であることを示している。他の誰の物でもない、自分のものである。私の家族、私の家、私のクルマ、私の財布……と言うように、他人には譲れないなにかを示すのではないだろうか。誰かが「自分のだ!」と主張しようが私のものであることに違いはない。
なるほど、日本を示すときに「この国」と表現するか「わが国」と表現するか、あまり意識したことはないし、果たして自分が今までどちらの言い方を用いることが多かったのか思い出すことすらできないが、こう指摘されると、少々気をつけて言葉を使わねばと感じた。
言われてみると、確かにそのようだ。「これ」というのは自分の身近にある何かを指し示すために用いるが、それが誰のものかを示すことはない。この鉛筆、この消しゴム、この千円札……それは自分のものかもしれないし、人のものかもしれない。漠然とそこにある物を示すために用いる。それの所有権を誰が主張するかは重要ではない。誰かが「これは自分のだ」と言ったら、それまでである。後から「いや、やっぱ私のものだ」などという後出しじゃんけん的な発想は通用しない。結局、指し示す物にたいして興味がないからこのような表現になってしまうのだろう。一方「わが」つまり「私の」ということは、明らかにそれが自分の所有物であることを示している。他の誰の物でもない、自分のものである。私の家族、私の家、私のクルマ、私の財布……と言うように、他人には譲れないなにかを示すのではないだろうか。誰かが「自分のだ!」と主張しようが私のものであることに違いはない。
なるほど、日本を示すときに「この国」と表現するか「わが国」と表現するか、あまり意識したことはないし、果たして自分が今までどちらの言い方を用いることが多かったのか思い出すことすらできないが、こう指摘されると、少々気をつけて言葉を使わねばと感じた。
あぢぃ
十月も中旬だと言うのに、この暑さはどうしたことだろう……半袖を着ていても暑いし、歩いているだけで、汗がとどまることなく噴き出してしまうのだ。昨晩などは、Tシャツに短パン、寝室の窓全開で何も被らずに寝たほどである。
かと思えば、今日もダウンのベストを着た人や、ニットの長袖にニットの靴下を履いた人を見掛けたり……。暑くないのだろうか。見てるだけで暑苦しくなってしまうのだが。
果たして季節外れなのは、私の方なのだろうか。それとも、彼女たちの方だろうか。うーむ、悩んでしまう。
かと思えば、今日もダウンのベストを着た人や、ニットの長袖にニットの靴下を履いた人を見掛けたり……。暑くないのだろうか。見てるだけで暑苦しくなってしまうのだが。
果たして季節外れなのは、私の方なのだろうか。それとも、彼女たちの方だろうか。うーむ、悩んでしまう。
葉山ホテル音羽の森へ
何だったのだろうか、今日のこの暑さは……まるで夏に戻ってしまったかのようだった。さすがに日陰は涼しかったが、日向に立っていると、じっとしているだけでも汗がジワジワと出てくるほどだった。
ふぅ、暑いのにはかなわないや。
それでも不思議と今年の夏は風邪をひかなかった。特に健康に気遣っているわけでもないのに。むしろ暑かったにも関わらず、食欲が衰えなかったことと、暑くて体を動かさなかったことで、腹の脂肪がヤバイくらいなのだが、なぜか元気なのである。何はともあれ、健康なことは感謝である。
と言うことで、カロリー制限なんて野暮なこと言わずに、今日は結婚記念日を祝して葉山音羽の森ホテルのレストラン「潮幸」にて昼から贅沢な食事を楽しませ頂きました。食事を楽しめる健康を感謝!である。
食事の前、前菜に前菜として出されたチーズを練り込んだパイ。脇に添えられたサワークリームを付けて頂きました。チーズが香ばしい。
この後も、前菜、パン、メイン、チーズ、デザートとあったのですが、このパイを手で食したがために指が油っぽくなったので写真が撮れませんでした。記念にと思ったのだけれども残念。今度はテラスのカフェに行ってみたいものですね。
敷地内のサンデッキから撮影。
ふぅ、暑いのにはかなわないや。
それでも不思議と今年の夏は風邪をひかなかった。特に健康に気遣っているわけでもないのに。むしろ暑かったにも関わらず、食欲が衰えなかったことと、暑くて体を動かさなかったことで、腹の脂肪がヤバイくらいなのだが、なぜか元気なのである。何はともあれ、健康なことは感謝である。
と言うことで、カロリー制限なんて野暮なこと言わずに、今日は結婚記念日を祝して葉山音羽の森ホテルのレストラン「潮幸」にて昼から贅沢な食事を楽しませ頂きました。食事を楽しめる健康を感謝!である。
食事の前、前菜に前菜として出されたチーズを練り込んだパイ。脇に添えられたサワークリームを付けて頂きました。チーズが香ばしい。
この後も、前菜、パン、メイン、チーズ、デザートとあったのですが、このパイを手で食したがために指が油っぽくなったので写真が撮れませんでした。記念にと思ったのだけれども残念。今度はテラスのカフェに行ってみたいものですね。
敷地内のサンデッキから撮影。
ワールド
例によって例の如く、今日も屁をこいた。今日の屁に対する次女のコメントは「いつもよりくさい!」であった。それを聞いた長女は急いで鼻をつまんでおったが、さすがに知恵がついたのだろう。それに比べて、わざわざニオイを確認する次女も次女であるが。それでもいつもよりクサイってことは、いつもの臭さを憶えているのだろうか?でも、たしかに普段の屁よりもクサイと自分でも思った。
それはそうだろうな。なんたって、昨日今日と2日間、毎年恒例の横浜ワールドフェスタが開催されていたので、昨日は雨が降ったり止んだりのすっきりしない空模様の下、世界の料理を食うという目的を果たすために出掛けたのだ。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南米の料理をこれでもかと食うことができたのは幸いであった。
ということはだ、今日の屁は、世界の屁じゃなかろうか。世界各地の食事を味わった翌日は、世界各地の屁を体験できるというわけで、何だか一度で二度楽しめるといったところか。とは言っても、得した気分にはならないし、周囲にとっちゃ迷惑だろう。
あぁ、そんなことを考えていたら、美味しいタイ料理を食べに行きたくなってしまった!
それはそうだろうな。なんたって、昨日今日と2日間、毎年恒例の横浜ワールドフェスタが開催されていたので、昨日は雨が降ったり止んだりのすっきりしない空模様の下、世界の料理を食うという目的を果たすために出掛けたのだ。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南米の料理をこれでもかと食うことができたのは幸いであった。
ということはだ、今日の屁は、世界の屁じゃなかろうか。世界各地の食事を味わった翌日は、世界各地の屁を体験できるというわけで、何だか一度で二度楽しめるといったところか。とは言っても、得した気分にはならないし、周囲にとっちゃ迷惑だろう。
あぁ、そんなことを考えていたら、美味しいタイ料理を食べに行きたくなってしまった!