この国、わが国
今日の産経新聞のコラム【from Editor】にて見つけた。「この国」と「わが国」
というタイトルの記事である。なかなか良いことを書いていると思った。詳細は上のリンクの先にある記事を読んでいただければと思うのであるが、要約すると、タイトルの通り、「この国」という言い方と「わが国」という言い方のニュアンスの違いについて書かれている。「この国」というのは、第三者的な視点から見ているかのような言い回しになるが、「わが国」というと当事者としての視点から見ている言い回しになるということだ。
言われてみると、確かにそのようだ。「これ」というのは自分の身近にある何かを指し示すために用いるが、それが誰のものかを示すことはない。この鉛筆、この消しゴム、この千円札……それは自分のものかもしれないし、人のものかもしれない。漠然とそこにある物を示すために用いる。それの所有権を誰が主張するかは重要ではない。誰かが「これは自分のだ」と言ったら、それまでである。後から「いや、やっぱ私のものだ」などという後出しじゃんけん的な発想は通用しない。結局、指し示す物にたいして興味がないからこのような表現になってしまうのだろう。一方「わが」つまり「私の」ということは、明らかにそれが自分の所有物であることを示している。他の誰の物でもない、自分のものである。私の家族、私の家、私のクルマ、私の財布……と言うように、他人には譲れないなにかを示すのではないだろうか。誰かが「自分のだ!」と主張しようが私のものであることに違いはない。
なるほど、日本を示すときに「この国」と表現するか「わが国」と表現するか、あまり意識したことはないし、果たして自分が今までどちらの言い方を用いることが多かったのか思い出すことすらできないが、こう指摘されると、少々気をつけて言葉を使わねばと感じた。
言われてみると、確かにそのようだ。「これ」というのは自分の身近にある何かを指し示すために用いるが、それが誰のものかを示すことはない。この鉛筆、この消しゴム、この千円札……それは自分のものかもしれないし、人のものかもしれない。漠然とそこにある物を示すために用いる。それの所有権を誰が主張するかは重要ではない。誰かが「これは自分のだ」と言ったら、それまでである。後から「いや、やっぱ私のものだ」などという後出しじゃんけん的な発想は通用しない。結局、指し示す物にたいして興味がないからこのような表現になってしまうのだろう。一方「わが」つまり「私の」ということは、明らかにそれが自分の所有物であることを示している。他の誰の物でもない、自分のものである。私の家族、私の家、私のクルマ、私の財布……と言うように、他人には譲れないなにかを示すのではないだろうか。誰かが「自分のだ!」と主張しようが私のものであることに違いはない。
なるほど、日本を示すときに「この国」と表現するか「わが国」と表現するか、あまり意識したことはないし、果たして自分が今までどちらの言い方を用いることが多かったのか思い出すことすらできないが、こう指摘されると、少々気をつけて言葉を使わねばと感じた。