津本陽の「天翔る倭寇」を読みました
津本陽の「天翔る倭寇」(上・下)を読みました。時代物というか、むしろ冒険物に近いと思います。時代は中世。まだ徳川が天下を取る前で、日本はまだ鎖国をしておらず、海外から様々な物資が流入していた時代。明の海賊の親分と親しくなった日本人たちがやがては中国奥地の金山を目指すという内容です。残忍さと優しさの両面を持ち合わせた倭寇の姿が、とても人間らしく映るのです。一方では敵対する海賊や、明の官軍を執拗なまでに追い詰め、逃げる敵をも殺し、村を攻めては略奪を行うという「悪」の面がある一方で、戦う力を持たぬ婦女子が犯されそうになったら助け、官軍に拷問されている村人がいれば助け出すという「善」の面も持っているのです。人は善と悪の入り交じった実に不思議で複雑な生き物なのです。本能のままに営む動物たちとは違うのです。それが、人が人である所以なのでしょうか。そんなことがよく分かる物語でした。
届けられた通帳
家に帰ると銀行から手紙が届いていた。こないだキャッシュカードを昔の第一勧銀のものから、みずほ銀行のカードに変更したので、それが届いたのかと思って、封を開けたら、なんと出てきたのは通帳…なんで通帳が送られてくるのだろうか不審に思って、同封された手紙というかメモ書きをよーく見ると、拾得物うんぬんと書いてあるではないか。そっか!こないだ銀行に行ったときに落としたのか!すっかり気付かずに今まで過ごしていたしかし、よくもまぁ、無事に届いたものである。不正に使われてもおかしくないところを、ちゃんと届けてくれた人に感謝してしまう。
が、残金がわずかにしかはいってないもんで、盗むだけの値打ちもないってことだろうかちなみに通帳はもう最後のページまで記帳されている古いやつなのでゴミ箱に直行。新しいのはちゃんと手元にありました通帳なんて滅多に持ち歩かないけど、いやいや、普段から持ち歩かないものだからこそ、気をつけようっと。うっかりするとその存在すら忘れてしまう。
池波正太郎「幕末遊撃隊」
池波正太郎の「幕末遊撃隊」を読みました。病に冒されながらも、いや、病に冒されたからこそ剣の道を極めた伊庭八郎。やがて幕末の動乱の渦中に飲まれ、負けると分かっていながらも、最後まで幕軍の隊長として新政府軍と戦うその姿勢に人としての正しい生き方を見ることができた。
勝つことに意義があるのではなく、信念を持って信じるもののために戦うことの大切さ…今の人間が忘れていることではないだろうか。古い考え方かもしれないが、大事なことであろう。
勝つことに意義があるのではなく、信念を持って信じるもののために戦うことの大切さ…今の人間が忘れていることではないだろうか。古い考え方かもしれないが、大事なことであろう。