少しまじめになります
どうも最近聖書を真面目に読んでいない。ブログに聖書日記を立てれば、少しは読む気が起きるだろうかと、ちょっと自分に期待してみる。具体的な目標がある方がいいもんね。
というわけで、今夜から「使徒の働き」を読むことにした。理由は今「ヨハネの福音」からエッセイを書いているので、その次の書である「使徒の働き」を読むのが自然と思われたからだ。ちなみに「使徒の働き」の作者は福音を書いたヨハネである。
まず今夜は第1章…いきなり難しいので困ってしまう。ただ一つ読み取れたのは、8節にも書かれているように「聖霊」の力と助けを受けることで、地の果てまでもキリストの証人となるということであろうか。そうなぁ、考えてみると、私はどれほどキリストの証人となっているのだろうか。なんとも心許ない。
というわけで、今夜から「使徒の働き」を読むことにした。理由は今「ヨハネの福音」からエッセイを書いているので、その次の書である「使徒の働き」を読むのが自然と思われたからだ。ちなみに「使徒の働き」の作者は福音を書いたヨハネである。
まず今夜は第1章…いきなり難しいので困ってしまう。ただ一つ読み取れたのは、8節にも書かれているように「聖霊」の力と助けを受けることで、地の果てまでもキリストの証人となるということであろうか。そうなぁ、考えてみると、私はどれほどキリストの証人となっているのだろうか。なんとも心許ない。
幻のオレンジチーズ
誰に影響されたのか定かでないが、最近うちの奥さんがオレンジ風味のチーズを食べたいと言っている。オレンジ風味のチーズとはあまり聞かないかもしれないが、実際にあるのだ。私も昔々に食べたことがあるので知っているが、平べったくて丸いグレーの容器に入って、パッケージにオレンジの絵が描いてあったように記憶している。中身はクリームチーズに甘みの強いマーマレードが混ぜ込んであるような感じで、フランスパンに塗って食べたと思う。これがなかなかうまい!しかし、モノがモノだけに近所のヨーカドーで売っているような代物ではないのだ。舶来モノの食料品を扱っているような店か、もしくはチーズの専門店にでも行かなければ手に入らないようなものである。
さて今日は仕事がそれほど遅くならなかったので、横浜駅にある"成城石井"に寄ることにした。"成城石井"なら輸入品が豊富にそろっているからだ。ところがどうだろう、肝心のオレンジチーズが売っていなかったのだ。うーん、残念。
何が残念ってチーズがなかったからか…?いや、そうではない。奥さんが望んでいるものを手に入れられなかったことが残念なのだ。毎日、不器用なりにも頑張っているのに、オレンジチーズすら食べさせてあげられなくて、申し訳ない。手ぶらで買えるのもなんなので、ハーブティーを買って帰ることにした。
必ずやオレンジチーズを買うから待っててね。
さて今日は仕事がそれほど遅くならなかったので、横浜駅にある"成城石井"に寄ることにした。"成城石井"なら輸入品が豊富にそろっているからだ。ところがどうだろう、肝心のオレンジチーズが売っていなかったのだ。うーん、残念。
何が残念ってチーズがなかったからか…?いや、そうではない。奥さんが望んでいるものを手に入れられなかったことが残念なのだ。毎日、不器用なりにも頑張っているのに、オレンジチーズすら食べさせてあげられなくて、申し訳ない。手ぶらで買えるのもなんなので、ハーブティーを買って帰ることにした。
必ずやオレンジチーズを買うから待っててね。
今日は冷えるな
今日は冷える。いや、そう思うのはそもそもヘンなのかも知れない。今はまだ2月だ。冷えて当然である。さて何がヘンかというと、昨日が異様に暖かかったということだろう。何でも20度を超したところがあるというではないか。さすがに日が暮れて私が会社を出て家に帰る頃には、気温もだいぶ下がったようだが、それでも駅から自宅に向かってあるくと体が汗ばんでくるくらいだった。寒さにはなんとか耐えられるけど、暑さにはどうにも弱くて困る。
人は冬には夏が恋しくなり、夏には冬が恋しくなると言うが、私はどう考えても年中冬が恋しいのである。いや、秋も「これから寒くなるのだ!」という前段階の季節だから構わないし、春も「まだまだ過ごし易いなぁ」と思えるので構わないが、梅雨が始まる頃になると、どうにも…。
そのくせ、どこか南の島でのんびり過ごすことに憧れているんだから、ホント私はわがままな人間である。
人は冬には夏が恋しくなり、夏には冬が恋しくなると言うが、私はどう考えても年中冬が恋しいのである。いや、秋も「これから寒くなるのだ!」という前段階の季節だから構わないし、春も「まだまだ過ごし易いなぁ」と思えるので構わないが、梅雨が始まる頃になると、どうにも…。
そのくせ、どこか南の島でのんびり過ごすことに憧れているんだから、ホント私はわがままな人間である。
人の価値とは
ふと思うだけれど、人の「価値」ってどれくらいのモノなんだろう。はっきり言って分からない。人身売買に携わっているようなプロフェッショナルなら具体的な価格を弾き出すこともできるだろうが、そんなヤバイ世界のことなど私のような凡人には分からない。しかし、本当のところ人の価値ってどの程度のもんだろうか。価値をつけられないとしたら、それは人が「よほど高価」なものだから価値をつけられないのだろうか…それとも反対に「どうしようもない存在」だから価値のつけようがないのだろうか。二者択一であれば、どちらかというと後者のような気がしてならない。「人の命は地球より重い」とかよく言うけど、あれはウソだ。エセ人道主義者の戯言に過ぎないのではないか。人の命なんて吹けば飛ぶようなもんだ。今この瞬間に世界のどこかで人が生まれ、人が死んでいく。まさしく時間の中でどんどんと押し流されてしまうだけの存在でしかない。そう考えてみると、私も含めて人っていうものは、何の価値もありがたみも持ち合わせていない。それだけ考えると一体何のために生きているのかと考えてしまう。しかし、人というのは互いに価値を与えるものなのではないだろうか。互いに信頼し合い、互いに励まし合い、互いに認め合い、互いに愛し合い…常に相手を自分より高く見ることでお互いに価値を与え合っているのではないだろうか。そうすることで、人は初めて「価値」を持つようになるのだろう。それこそ、その価値は筆舌に尽くしがたい。
うーむ、想うままに書いたら支離滅裂っ。
うーむ、想うままに書いたら支離滅裂っ。