ぶろぐ私的解釈
思い切ってテンプレートを変えてみた。見てごらん、このピンクを基調として花の絵がでかでかと描いてあるの。いかにも女性っぽいというか、何というか…。きらきら花咲く乙女心をそのまま絵に描いたような雰囲気である。まったくどう考えてもこのブログの扱っている内容と相容れない。しかし、それが面白くてまた良いような気がする。そう思うのは私だけかな?今まで青を基調とした自作の画像を使ったデザインにしていたんだけど、あの爽やかさというか(自分で言うのも気が引けるけど)スマートさっていうかクールさは、いかにも自分らし過ぎて、はっきり言ってつまらなかった。自分運営しているサイトなら自分の好きなように格好良くデザインして然るべきだが、これはブログである。ちゃんとアメーバさんがそれなりのテンプレートを用意してくれているんだから、それを利用しない手はない。
それに考えてみると、そもそもブログで肝心なのは、デザインではなくそこに描かれている内容であろう。本を買うときに何を重要視するだろうか?本の装丁だろうか?確かにそれもあるだろうが、それ以上にそこにどのようなことが書かれているかを気にするのではないだろうか。ブログも同じことではないだろうか。これからはデザインよりも、まずは内容を充実させていきたい。
それに考えてみると、そもそもブログで肝心なのは、デザインではなくそこに描かれている内容であろう。本を買うときに何を重要視するだろうか?本の装丁だろうか?確かにそれもあるだろうが、それ以上にそこにどのようなことが書かれているかを気にするのではないだろうか。ブログも同じことではないだろうか。これからはデザインよりも、まずは内容を充実させていきたい。
読むには読んだが…
今夜もちゃーんと使徒の働きの続きを読みました。今夜の箇所は6章…
が、特に感じるところも思うところも考えるところもなく、読み終わってしまった。
あんまり考えてもしょうがないので、今夜はこれにて。
神に従う
ペテロやヨハネ、他の使徒たちが懲りずにイエスの名で人々を癒やしているのをみて、またまた指導者たちは彼らを捕らえたのである。今度は前回のような「イエスを例にして死者の復活を教えているからだ」というようなもっともらしい言い訳を持ち出すこともなく、単純に彼らを妬んだからである。邪魔者は消してしまえということだろう。が、大勢が見ていちゃ、彼らも怖くて使徒たちに軽々しく手を出すことができない。そんなわけでひとまず、牢屋にぶち込んだのだが、あら不思議、天使が夜中にやってきて、彼らを逃がしたっていうじゃないですか。やはり、神の忠実な僕のことを神は見捨てるようなことはしないのであるなぁ、とちょっと感心。
しかし、またまた彼らは捕まってしまうのでした。二度あることは三度あるっていうけど、本当なんだなぁ。指導者達の面前に彼らは引き出され糾弾されたのだけれど、彼らはそんな指導者たちにこう答えたのである。「人に従うより、神に従うべきです。」
そう、クリスチャンとして生きることは、このことなんだよなぁと思い出すのであった。救われているのはまず基本。その次は神に従うということなのだろうか。でも、神に従うって一体どういうことなんだろうか、などと考えてしまうんだなぁ。クリスチャン生活に終わりはないんだよね。
しかし、またまた彼らは捕まってしまうのでした。二度あることは三度あるっていうけど、本当なんだなぁ。指導者達の面前に彼らは引き出され糾弾されたのだけれど、彼らはそんな指導者たちにこう答えたのである。「人に従うより、神に従うべきです。」
そう、クリスチャンとして生きることは、このことなんだよなぁと思い出すのであった。救われているのはまず基本。その次は神に従うということなのだろうか。でも、神に従うって一体どういうことなんだろうか、などと考えてしまうんだなぁ。クリスチャン生活に終わりはないんだよね。
藤沢周平「海鳴り(上・下)」
いつも読むたびに感じるのだが、藤沢作品は情景描写が頭抜けて美しい。なにか美しい風景画や写真を眺めているような気分になり、そこに描かれている世界に吸い込まれていくような気持ちになる。心地よく、何時間でもその場にとどまっていたいと感じさせるのだ。今回読んだ「海鳴り」も私を虜にした。今まで私が読んだ時代小説と言えば、必ずや剣の技に長けていたり、なんらかの武術や策略に長けている主人公が登場するものであったが、今回はそのような主人公は登場しなかった。そもそも人情話であるから、格好良い武家は出てこないのである。
さて「海鳴り」の裏表紙に書かれているあらすじを読んだときに、果たしてこのような人情話が私を引きつけるかどうか怪しく思ったのであるが、藤沢作品であるから読むことにしたのである。そして期待は裏切られなかった。いや、期待以上のモノを得たと言っても言い過ぎにはならないだろう。物語は、家庭の問題や仕事の問題を抱えた紙問屋新兵衛と、同業の人妻であるおこうの恋物語であり、(作中で新兵衛も認めているように)モラル的に考えるとあまりよろしくないが、どこか優しさに満たされているのである。
最後の方で、しあわせとは何かと考える新兵衛であるが、おこうと二人だけの将来にその結論を見いだしたようだ。
さて「海鳴り」の裏表紙に書かれているあらすじを読んだときに、果たしてこのような人情話が私を引きつけるかどうか怪しく思ったのであるが、藤沢作品であるから読むことにしたのである。そして期待は裏切られなかった。いや、期待以上のモノを得たと言っても言い過ぎにはならないだろう。物語は、家庭の問題や仕事の問題を抱えた紙問屋新兵衛と、同業の人妻であるおこうの恋物語であり、(作中で新兵衛も認めているように)モラル的に考えるとあまりよろしくないが、どこか優しさに満たされているのである。
最後の方で、しあわせとは何かと考える新兵衛であるが、おこうと二人だけの将来にその結論を見いだしたようだ。
サイクロン掃除機の悩み
サイクロン掃除機。今でこそ、家電量販店に行くと、旧来の紙パック掃除よりも目にするが、私が買った当初は、とても珍しいもであったような気がする。その謳い文句が何とも魅力的であった。「紙パックがいらないので経済的」「ごみの処理が楽」「排気が臭くなく衛生的」等々。うーん、エコフレンドリーって感じ。でも何より、空気の流れでゴミと吸気を分けてしまうという新しい技術に惹かれてしまった。定期的にフィルタの掃除が必要であるのは、まぁ仕方がないとしても、当時はそれ以上の価値があるように思ったのである。
最初は良かった。排気がにおわないし、透明の容器に綿埃がどんどん溜まって、くるくる回転している様子を見ては「おぉ、部屋がきれいになっていくのだ」と感激し、なんと画期的な掃除機であろうと感心したのである。そして、働いてくれたお礼にと、フィルタもちゃんときれいにしたのであった。
ところが、しばらくすると、すぐにフィルタが汚れるようになってくる。すぐに吸い込みが悪くなるのである。すると、またフィルタの掃除をしないといけない。そうそう頻繁にやらなければいけなくなると、さすがにフィルタの掃除も面倒になってくるのでおろそかになってしまう。当然の結果だが、掃除機はますます吸い込みが悪くなるのである。はっきり言って、ほうき&ちりとりの組み合わせが全然マシに思えてくるくらいだ。それがいけないのか、排気もだんだん臭くなってくる。まるで昔の掃除機並だ。
はたして、サイクロン掃除機のありがたみというのが分からなくなってくる。もっとマメにフィルタを掃除すればいいのだろうが、これが、パーツをばらさないといけないので面倒くさい。しかもスポンジ状のフィルタを水洗いするので、天気が優れないと乾くのに二日くらいかかる。次に掃除機を買うときはやっぱ紙パック式にしようかと悩む今日この頃。最近の掃除機は多少マシになったのだろうか。しかし、掃除機の掃除は、できることなら避けたいものだ。
最初は良かった。排気がにおわないし、透明の容器に綿埃がどんどん溜まって、くるくる回転している様子を見ては「おぉ、部屋がきれいになっていくのだ」と感激し、なんと画期的な掃除機であろうと感心したのである。そして、働いてくれたお礼にと、フィルタもちゃんときれいにしたのであった。
ところが、しばらくすると、すぐにフィルタが汚れるようになってくる。すぐに吸い込みが悪くなるのである。すると、またフィルタの掃除をしないといけない。そうそう頻繁にやらなければいけなくなると、さすがにフィルタの掃除も面倒になってくるのでおろそかになってしまう。当然の結果だが、掃除機はますます吸い込みが悪くなるのである。はっきり言って、ほうき&ちりとりの組み合わせが全然マシに思えてくるくらいだ。それがいけないのか、排気もだんだん臭くなってくる。まるで昔の掃除機並だ。
はたして、サイクロン掃除機のありがたみというのが分からなくなってくる。もっとマメにフィルタを掃除すればいいのだろうが、これが、パーツをばらさないといけないので面倒くさい。しかもスポンジ状のフィルタを水洗いするので、天気が優れないと乾くのに二日くらいかかる。次に掃除機を買うときはやっぱ紙パック式にしようかと悩む今日この頃。最近の掃除機は多少マシになったのだろうか。しかし、掃除機の掃除は、できることなら避けたいものだ。