【八王子市】心源院(2) | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

心源院の境内を探索しています。

 

 

四脚門の向かい側には弁天池があります。

 

 

小さな祠の中を覗いてみると、人頭蛇身の弁天様が祀られていました。深澤辨天と書かれています。足元には白蛇もいますね。これは宇賀神弁天でしょう。弁天様の頭の上に蛇が載っているのを見かけることはありますが、こんなに露骨に蛇身の弁天様は初めて見ます。

 

宇賀神は宇迦之御魂神に由来するとも、サンスクリットで白蛇を意味する宇迦耶(うがや)に由来するとも言われています。その宇賀神が弁天様と習合した姿が宇賀神弁天です。日本の神様あるあるな感じですね。宇賀神は苗字としても残っていますから、信仰は全国に広がっていたものと思われます。

 

 

祠の近くにあった木の根。蛇が大きな口を開けているように見えました。宇賀神弁天を見た後なので、ちょっと背筋がぞくっとします。これも弁天様の化身かもしれませんね。

 

 

境内が広いせいかこんな看板が置いてあります。確か町田のお寺でも見たような気がします。人も車も多くないので、どちらも油断しがちな場所であることには違いありません。子どもへの注意喚起も大事ですが、車への警告もセットで設置して欲しいですね。

 

 

心源院は、以前訪れた由木城址(永林寺)に石像が建っていた大石定久の開基です。甲州征伐で武田氏が滅んだ際に、信玄の四女である松姫が逃れてきたお寺でもあります。松姫は7歳の時に、当時11歳の織田信忠と婚約していました。

 

しかし婚約は三方ヶ原の戦いによって解消。兄の仁科盛信の庇護の下、甲州征伐の際に八王子へと逃げ延びます。武田氏滅亡後に信忠の使者が訪れ、松姫は信忠に会いに行きますが、道中で本能寺の変を知ります。その後、後北条氏の庇護を受けて心源院に入り出家しました。

 

 

松姫は当時22歳。出家後は信松尼(しんしょうに)と称し、信忠と一族の冥福を祈る日々を送りました。なお、北条氏照の正室となっていた大石定久の娘(or孫)である比左の話し相手だったという伝承も残っています。比左は八王子城落城の際に滝に身を投げて自害しており、悲劇の姫として今も弔われています。

 

次回も、松姫が過ごしたお寺をもう少し探索したいと思います。それではまた!