蛇窪神社(品川区二葉4-4-12) *正式名称は「天祖神社」
(主祭神)
天照大御神、応神天皇、天児屋根命
(社格等)
旧村社(旧上蛇窪村の鎮守)
(沿革等)
江戸時代初期、蛇窪村の分割時に上・下神社に分立したという。ところが、当社(上神明天祖神社・蛇窪神社)と下神明天祖神社との由緒が異なる(経緯不明)。
鎌倉時代初期、北条重時が五男の時千代(後の法円上人で厳正寺開山)に家臣を与えて当地(蛇窪村)の開拓を薦めた。1321年当地が旱魃となったため、村民が厳正寺当主法密上人(法円の甥)に雨乞を要請。この成就に感謝し、元享2年(1322)に蛇窪村鎮守として当社が創建されたという。明治時代になり「天祖神社」に改称。
昭和20年空襲により社殿等焼失。再建。昭和29年に白蛇弁財天を祀る。2019年、通称を「上神明天祖神社」から「蛇窪神社」に変更(正式名「天祖神社」は変わらず)。
*北条重時(1198-1261)
・鎌倉幕府2代執権・北条義時の3男。母は比企氏。孫は北条時宗。
・六波羅探題北方・鎌倉幕府連署など幕府の要職を歴任。
*法円上人(1228-1301)
・幼名時千代。北条時重の五男(六男)というが北条家系図には非掲載(風土記稿)
・1243年比叡山に登り浄土教を奉ずる。1272年大森に厳正寺を開山。
*新編武蔵風土記稿「上蛇窪村」
【神明社】
除地2段2畝、村西の方にあり。社2間に2間半。村の鎮守なり。勧請の年暦を詳かにせず。馬込村長遠寺の持。
【末社稲荷社】本社の側にあり
(立地等)
上蛇窪村は、武蔵野台地末端の丘陵地と立会川の低地(湿地)で構成される。当神社は、立会川左岸に立地。往古は湧水池があったという(現在の弁天池は人工)。
国土地理院地図
(東)蛇窪神社(上神明天祖神社) (西)下神明天祖神社

迅速測量図(明治初中期)
・品川用水が、北が流れてきて当地で立会川を渡り、東に流れていく。
・立会川の上流が「上蛇窪村」、下流が「下蛇窪村」。両村は谷戸で分かれている。
立会川緑道
檜製の大鳥居(2019年建立)
社号碑「村社天祖神社」(昭和15年建立)
狛犬(大正5年建立)
社殿(昭和36年(1961)再建)
白蛇弁財天(昭和29年建立)
・かつて近くに清水が湧き出る洗い場があり白蛇が住んでいたが、この洗い場がなくなり、白蛇は現在の戸越公園の池に移った。後に旧家森谷家の主の夢枕に白蛇が現れ「もとの住みかに帰してほしい」というので、弁天社と建立し弁天池を造成した。











