鳥山八幡宮(横浜市港北区鳥山町281)
(主祭神)
誉田別尊
(社格等)
旧村社(旧鳥山村の鎮守社)
(沿革等)
創建年代不詳。鎌倉時代初期に佐々木高綱が八幡宮を当地の鎮守として勧請したものという。付近に佐々木高綱館(鳥山城)があったとも伝わるが場所・規模とも不明。
*佐々木高綱(1160?~1214年)は源頼朝の家臣。名馬生唼を頼朝から拝領。嫡男がこれに乗り宇治川の合戦(1184年)で梶原景時と先陣争いをしたことで有名。頼朝より馬飼料として烏山の土地与えられたという(風土記稿)。
*新編武蔵風土記稿「鳥山村」
【八幡社】
村の北によりてあり、この社あり故に字をも八幡と呼べり村の鎮守なり、社四間に二間半東向なり、勧請の年代を傳へず、神體は長一尺五寸許、稲荷天神の二座を相殿とす毎座其前に石を置、その石は雷槌などの如きものなり、いかなる故と云ことを知らず、祭禮は年々八月十五日なり、社前に石の鳥居ありてその前に石橋あり、大門前一町餘にして石階二十八級あり、西蔵院持。
(立地等)
鳥山は、南北を鶴見川と東海道新幹線(新横浜駅あたりの西側)に挟まれた氾濫平野と南部の丘陵部で形成される地域。南東部に鳥山川が流れる。かつて水田が広がる中に陸地が島のように見える地形だったため「嶋」を鳥と山に分解して村名になったという説がある。「吾妻鏡の」暦仁2年(1239)の記事に佐々木泰綱(高綱の兄の孫)が「小机郷鳥山等」の開発を命じられたとある。当神社は鶴見川の低地を展望する丘陵の中腹に立地する。
明治末頃の測量図
・丘陵部ぎりぎりの南に鳥山川、字貝戸は農業用水路まで水田が広がる

昭和初期の三千部の1の地図(横浜市HP)
風土記稿「社前に石の鳥居ありてその前に石橋あり、大門前一町餘にして石階二十八級あり」の「石橋」は現在の参道席標あたりで、石階28段は2か所合計か。

参道を示す石標
・この手前に暗渠があり、橋があったと思われる。
庚申塔4基(18世紀前半のもの)
地神塔 (1870年建立)
「村内安全 明治三庚午二月吉日 鳥山村」
鳥居
手水盤(文化二年(1805)奉納)
御神木のイチョウ
丘陵地の中腹に鎮座する社殿
狛犬(昭和二年(1927)奉納)
社殿横の階段。ついつい行ってみたくなる
丘の頂上部に出た(特に何もなかった)
次の住吉神社に向けて西に向けて尾根道を下る
谷筋に下ると「鳥山池公園」
・今は「池」はない
昭和初期の地図
・農業用ため池だと思う(このあたり「菊名池」と有名)




















