江ヶ崎八幡神社(横浜市鶴見区江ヶ崎町13-31)
(主祭神)
応神天皇
(社格等)
旧村社(旧江ヶ崎村の鎮守)
(沿革等)
天正19年(1591年)、家康の江戸入府に際し、当地を知行地とされた荒川重世(長兵衛)が、当神社の社領を定めて社殿を修理したと伝わる。これを実質的な創建とみてよいか。当地は江戸時代を通じて旗本荒川氏の知行地であり、当神社は同氏を中心として維持されてきた。明治42年に、無格社大六天社(面足尊・惶根尊)を合祀。昭和3年に境内が新鶴見操車場に敷地として買収され当地に遷座した。
*社伝は天文元年(1532年)に上杉謙信家臣「荒川伊豆守景親(重世はその嫡男)」が創建とする。しかし、謙信の家督相続時期と辻褄があわず、また景親が特定できない。
*荒川重世(長兵衛)(1566-1620)
・織田信雄・徳川家康・秀忠に仕えた旗本。家康江戸入府にあたり、武蔵国都筑郡小山村(緑区小山町)と橘樹郡江ケ崎村(鶴見区江ケ崎町)を知行地として与えられた。
*新編武蔵風土記稿「江ヶ崎村」
【八幡社】
小名東通りにあり、本社に覆屋あり、本地正観音坐像五寸許村の鎮守なり、右の方に伊勢稲荷を合祀せり、社前に石の鳥居を建、入口の左右に老松二株あり、其外古松多し、村内壽徳寺持
【第六天社】
東の方矢向村の境にあり、南向の小祠、是も壽徳寺持
(立地等)
江ヶ崎は多摩川と鶴見川に挟まれた氾濫平野にある。元々は矢向から分村。江戸期の中心部は村の東の微高地にあった。寿徳寺・江ヶ崎八幡神社(旧社地)は微高地上。現社地は平坦部にある。なお、江戸時代の当地は二ヶ領用水を利用していた。鶴見川は河床が低く且つ海水が混ざるため利用ができなかったようだ。
国土地理院地図(薄緑:氾濫平野、黄色:微高地(自然堤防))
明治末頃の測量図
・左から「寿徳寺」、中央「江ヶ崎八幡神社」、右下「大六天社」

社殿
・天明八年に荒川数馬が社殿を改築したとの話は残るが、昭和3年の移転に伴い移築したの新築したかは不明(見た目からはそんなに古くない)。
ここは石造物が面白い
狛犬(天明八年(1788)・20120年修復)
・鶴見村出身で横浜の名工と呼ばれた飯嶋吉六(江戸時代から続く石工集団の親方の名称)が制作。吉六の作品(150ほど存在)のうち現存最古の狛犬とされる。
左大臣右大臣の石像(天明八年(1788年)
・奉納者荒川数馬。社殿改築に合わせて狛犬と共に奉納さえれたとみられる。
・石工は飯島吉六。
手洗鉢(天明四年(1784)奉納)
第六天社の石宮(寛政九年(1797))
・石工は飯嶋吉六。
八幡石(左:天保六年(1835) 右:延宝二年(1674)
庚申塔(1784年又は1799年)
・右側に反対向きの庚申塔がある(撮影し忘れ)。


















