ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
芥川賞受賞作家、
平野啓一郎さんの新書、
を紹介・解説しています。
今回で3回目になります。
この本では、
いわゆる「個人」に対して、
「分人」という概念を提唱しています。
「分人」とは、
その時、その時の対人関係によって生じる、
様々な自分のことです。
「個人」が、
自分だけで完結するものに対して、
「分人」は、
自分と他者との対人関係で生じるので、
いわば、
他者が自分に混じったもの、
ともいえると思います。
「個人」と「分人」について、
本書ではこう述べられています。
個人は、
確かに分けられない。
しかし、
他者とは明確に
分けられる。
区別される。
だからこそ、
義務や責任の「独立した主体」
とされている。
栄光を掴めば、
それは、
他者とは違うあなたが
したことだ。
他者は、
それにまったく
無関係である。
罪を犯せば、
それはやはり
あなたがしたことで、
他の人は無関係である。
金持ちになっても
貧乏になっても、
すべて他者とは「分けられた」
あなたの問題だ。
西洋的な「個人」主義、
いわゆる
「自己責任」の考え方
ともいえますね。
しかし、
「分人」主義で考えると・・・
人間は、
他者との分人の集合体だ。
あなたが何をしようと、
その半分は
他者のお陰であり、
他者のせいだ。
そうですね・・・
肌感覚としても、
たとえば、
仕事において、
うまくいった時というのは、
もちろん、
自分が頑張ったせいではあるのですが、
それよりも、
周囲の人からの影響や、
関係者の協力のおかげ
という面が大きい気がします。
逆にいえば、
うまくいかなかったときは、
自分のせいばかりではなく、
現実問題として、やはり、
周囲の影響は受けているわけです。
個人は、
人間を個々に分断する単位であり、
個人主義はその思想である。
分人は、
人間を個々に分断させない単位であり、
分人主義はその思想である。
人間を個々に分断させない思想が、
分人主義なんですね。
それは、
個人を人種や国籍といった、
より大きな単位によって
粗雑に統合するのとは逆に、
単位を小さくすることによって、
きめ細やかな繋がりを
発見させる思想である。
この小さな単位というのは、
身近な人間関係ということ。
私たちは、
隣人の成功を喜ぶべきである。
なぜなら、
分人を通じて、
私たち自身が
その成功に与(あずか)って
いるからだ。
私たちは
隣人の失敗に優しく手を
差し伸べるべきである。
なぜなら、
分人を通じて、
その失敗は、
私たち自身にも
由来するものだからだ。
このように考えると、
他人の失敗は、
責める気になりませんし、
他人の成功には、
自分も嬉しくなりますね。
そして、
自分が成功した暁には、
感謝の気持ちが、
自然に湧いてくる気がします(^^)
「わたしたちはひとつである」
これを、
「人類皆兄弟」
みたいに考えると、
ちょっとボヤっとしてしまい、
私は、
いまいちピーンとこないのですが(^^;
「分人主義」で考えると、
イメージがしやくすなります。
「分人」という考え方は、
「自分のことが好きになれない」
人にも、とても有効です!
自分に対して
否定的になっている人に、
まず自分を愛しなさい、
自分を大切にしなさい
と言っても、
あまり意味がないのでは
ないか?
嫌いというのは、
不合理な感情だ。
単に好きになれと
言われてみても、
ハイそうですか、
とはならないだろう。
たしかに・・・
それができないから
困っているわけであって(^^;
しかし、
自分という人間の全体を
漠然と考えるのを止めて、
分人単位で考えてみると
どうだろうか。
自分のことが嫌いな人がいれば、
自分の分人を一つずつ、
考えてみよう。
「Aさんと会っているときの
自分は、
快活で、面白い冗談なんかも
自然と口に出来て、
満更でもない。」
「Bさんと一緒にいるときの
自分は、
いつも真剣だ。
それはそれで
充実感がある。」
「Cさんといるときの
自分は、
なんか、肩が凝って、
イマイチだ。」
「Dさんと、・・・」
人は、なかなか、
自分の全部が好きだとは言えない。
しかし、
誰それといる時の自分(分人)は
好きだとは、
意外と言えるのではないだろうか?
逆に、
別の誰それといる時の自分は
嫌いだとも。
そうして、もし、
好きな分人が
一つでも二つでもあれば、
そこを足場に生きていけばいい。
自分の全部が好きでなくとも、
好きな分人が、一つでも二つでもあれば、
いいんですね。
それは、
生きた人間でなくても
かまわない。
私はボードレールの
詩を読んだり、
森鴎外の小説を
読んだりしている時の自分は
嫌いじゃなかった。
人生について、
深く考えられたり、
美しい言葉に導かれて、
自分がより広い世界と
繋がっているように
感じられた。
そこが、
自分を肯定するための
入り口だった。
・・・私も、
思春期のころから、
多くの作家さんによって、
救われてきました。
たとえば、
遠藤周作さんとか・・・
とはいっても、
氏の作品の深さを
味わえるようになったのは、
正確には、
中年になってからなのですが(^^;
分人は、
他者との相互作用で生じる。
ナルシシズムが
気持ち悪いのは、
他者を一切必要とせずに、
自分に酔っているところである。
そうなると、
周囲は、まあ、じゃあ、
好きにすれば、
という気持ちになる。
しかし、
誰かといる時の分人が好き、
という考え方は、
必ず一度、
他者を経由している。
自分を愛するためには、
他者の存在が不可欠だという、
その逆説こそが、
分人主義の自己肯定の
最も重要な点である。
「自分を愛するためには、
他者の存在が不可欠である」
・・・これは、やっぱり、
そうだよな~と思います。
人は、ひとりでは、
いずれ行き詰ってしまいますから。
ただし、他者は大勢でなくてもいい。
人間が抱えきれる
分人の数は
限られている。
学校で孤独だとしても、
何も級友全員から
好かれなければならない
理由はない。
友達が「三人しか」
いないと思うか、
好きな分人が「三つも」
あると思うかは
考え方次第だ。
逆に十人も二十人も
友達がいて、
そのすべてに
最適に分人化するのも、
けっこう大変だろう。
そうして
好きな分人が
一つずつ増えていくなら、
私たちは、その分、
自分に肯定的になれる。
否定したい自己が
あったとしても、
自分の全体を
自殺というかたちで
消滅させることを考えずに
済むからだ。
私は、今、
ささやかながら、
チャット悩み相談の
ボランティアカウンセラーとして、
協力しているのですが、
その中で、実際、
「消えたい・・・」
「死にたい・・・」
という声も寄せられます。
しかし、
たとえ自分のことが好きになれなくても、
その中のひとつの自分、
すなわち、
ひとつの「分人」でも
好きになることが出来れば、
生きていくことはできると思います。
仮に、一期一会だとしても、
その人の「分人」づくりの
きっかけとなれるような、
そんなカウンセラーでありたいと
思っています😊
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以上、
平野啓一郎さんの新書、
で私の印象に残ったところを、
3回に渡って、
紹介・解説してきました。
「個人」から「分人」へという考え方は、
変化が激しく、
また、個々人が分断されがちな
現代世界において、
ウェルビーイング(幸福な状態)
の観点からも、
とても有益な考え方だと思いました。
興味のある方は、
是非、ご一読ください!
ちなみに、
私は、この新書を読んで、
平野啓一郎さんの
「小説」も読んでみたくなりました!
まずは、代表作の、
かなあ・・・?
ということで、
おそらく次回、
紹介・解説させていただくことになると
思います!
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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊
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おまけ(^^;
曹洞宗の大本山、
横浜の總持寺の参禅会に参加しました(^^)
コロナ禍以来、
数年ぶりの開催です!
磨き上げられた廊下、健在!
当日飛び入り(予約不要)、
500円で気軽に参加できます。
久しぶりで、足が痛かったですが(^^;
おかげさまでリフレッシュできました!
有り難うございます😊




















