ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

世界的に有名な

スピリチュアルマスター、

エックハルト・トールさんの、

 

全米580万部突破のベストセラー、

ニュー・アース

 

 

から、私の印象に残ったところを、

紹介しています。

 

この本では、

過去や未来にとらわれずに、

「いま・ここ」にあるためには、

 

「呼吸」を観察すること

 

が効果的だと述べられています。

 

私も同感です(^^)

 

 

思考の流れを中断して、

内なる空間を発見しよう。

 

この中断がないと、

思考は創造の火花のない

平凡な繰り返しになるが、

 

いまでも

地球上のほとんどの人は

そんな状態にいる。

 

 

無意識の信念から生じる

(自動)思考を繰り返すと、

創造性はなかなか

生まれないということですね(^^;

 

 

中断の長さは

気にしなくてもいい。

数秒でも充分だ。

 

努力しなくても、

中断時間はだんだん

長くなっていく。

 

大事なのは長さよりも頻度で、

日々の活動や思考の流れを

この空間で頻繁に

さえぎることである。

 

 

長さよりも頻度が大切。

 

 

呼吸を観察してみよう。

 

呼吸を感じてみる。

 

空気が動いて

身体のなかに入っていくのを

感じる。

 

息を吸ったり吐いたり

するたびに、

 

胸と腹が

わずかに広がったり

収縮したりするのを

感じる。

 

一つの呼吸を

観察するだけでも、

 

それまでは途切れない

思考が続いていたところに

空間ができる。

 

 

たしかに、そうですね。

 

集中して、呼吸に意識を向けると、

思考は止まります!

 

ちなみに、

サーチ・インサイド・ユアセルフ

 

 

という、

グーグル社のマインドフルネス実践法

が書かれた本には、

 

 

「命がかかっているかのように

呼吸をする」

 

 

という印象的な言葉があります。

 

皆さんもよかったら、

今、この瞬間、

 

「命がかかっているかのように」

 

集中して

呼吸をしてみてください・・・

 

・・・思考が止まりますよ!

 

 

本書に戻ります(^^;

 

 

呼吸は意図しなくても

起こっている。

 

身体のなかの知性が

起こしている。

 

あなたはそれを

観察するだけ。

 

緊張も努力もいらない。

 

 

そうですね。

 

あたりまえですが、

生きている以上、

呼吸は常にしているわけで(^^;

 

ただ、そこに意識を向ければいい。

 

 

それから

呼吸の短い中断に

注目してみる。

 

とくに息を

吐き終わったあとに、

再び吸うまでの

わずかな中断を

観察しよう。

 

多くの人は

呼吸が不自然に浅い。

 

呼吸に気づけば

気づくほど、

 

呼吸は自然な深さを

取り戻す。

 

 

無意識ですが、

たしかに、

私たちの日頃の呼吸は、

かなり浅いと思います。

 

ちなみに、

私は、人前で発表する際に、

緊張すると、

息が切れることがあります(^^;

 

つまり、

呼吸が浅くなっているのですね。

 

「とくに息を

吐き終わったあとに、

再び吸うまでの

わずかな中断を観察する」

 

これをやると、

結果的に呼吸が深くなるので、

おすすめです!

 

 

呼吸を観察すると、

いやおうなしに

いまこの瞬間に「在る」

ことになる―

 

これがすべての

内なる変容の鍵なのだ。

 

呼吸を観察するとき、

あなたは絶対的に

「いまに在る」

 

それに、

考えながら

呼吸を観察することは

できないことにも

気づくだろう。

 

 

そうなんです。

 

呼吸を観察すると、

否応なしに、思考は止まる。

 

不思議ですが、

呼吸に集中することと、

考えることは、

同時には、できないんですね。

 

そして、

必然的に、

過去でも、未来でもなく、

「いまに在る」

ことになる・・・

 

 

・・・そうはいっても

 

そのうち

呼吸への意識が薄れてきて、

どうしても、

思考(雑念)が生じてしまいますが(^^;

 

・・・そうしたら、

また、呼吸に意識を向ける・・・

 

意識が薄れたら、

また・・・

 

・・・を繰り返せば

いいのだと思います(^^)

 

思考(雑念)が浮かんでも、

再び、呼吸に意識を戻せばいい。

 

これがいわゆる、

坐禅や瞑想の

基本的な考え方だと思います。

 

呼吸するたびに、

1から10まで数を数えたりするのも、

集中力を高めるのに有効ですよ!

 

私の場合は、

それに、感謝の言葉を添える。

(古宮昇先生に教わったやり方です)

 

たとえば、

息を吐くときに、

 

「い~ち、ありがとうございま~す」

「に~い、愛してま~す」

「さ~ん、ありがとうございま~す」

「よ~ん、愛していま~す・・・」

「・・・」

 

と交互にささやきます。

 

あたたかい気持ちになりますので、

おすすめです(^^)

 

ただし、くれぐれも一人の時に!

 

人前でささやくと、

かなりアヤシイ人になりますので(笑)

その場合は、心の中で(^^;

 

 

意識的に呼吸すると

心が停止する。

 

それは

茫然自失とか

半睡状態とは大違いで、

 

完全に目覚め、

意識が研ぎ澄まされている。

 

思考より下に落ちる

のではなく、

思考の上に上るのである。

 

そしてさらによく

観察すると、

 

この二つは

 

―完全にいまこの瞬間に

在ることと、

 

意識を失わずに

思考を停止することは―

 

実は同じだと

気づくだろう。

 

空間の意識の

現れである。

 

 

意識を失わずに、

思考を停止することとは、

すなわち、

「いま・ここ」にあること。

 

もちろん、

思考は必要な時もあります。

 

特に、

(意識的に)

「自分の頭で考える」

ということは、

大切だと思います。

 

私が好きな著作家の

山口周さんは、

ツイッターで、

 

「考えて生きる」は、

「地図を持って生きる」

 

「感じて生きる」は、

「コンパスを持って生きる」

 

だから、

「どっちも大事」

 

と、つぶやいていましたが、

私も同感です(^^)

 

たとえば、

計画を立てる時などは、

意識的な「思考」は

必要不可欠です。

 

しかし、

いわゆる、

「○○○すべき」

に代表されるような、

無意識の信念、

 

自動思考という名の

「エゴ」に乗っ取られると、

 

苦しいし、

主体的に生きづらくなります。

 

そういう時は、

呼吸に意識を向けて、

呼吸を観察する。

 

すなわち、

マインドフルネス瞑想や、

坐禅に取り組むと、

 

頭がクリアになり、

気持ちも軽くなります😊

 

 

ちなみに、

マインドフルネス瞑想は、

 

吉田昌生さんの、

1日10分で自分を浄化する方法 マインドフルネス瞑想入門

 

 

が、本格的なCDもついていて、

実践的でオススメです(^^)

 

この内容で税込1,690円は安すぎます!

 

 

坐禅は、

何度か紹介していますが、

臨済宗青年僧の会さんの

オンライン坐禅会

 

 

 

ZOOMで気軽に参加できて、

しかも無料!

 

登録も必要なく、

入退室も自由という、

 

オープンマインドで

とても有り難い座禅会です(^^)

 

ほぼ毎日、全国の臨済宗のお寺が、

順番に開催しています。

 

私もたまに参加しています。

興味のある方は是非!

 

 

 

**********************************

 

 

次回に続きます(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

**********************************

 

 

 

 

 

近所の鶴見川、

緑がイキイキしてきました!

 

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

世界的に有名な

スピリチュアルマスター、

エックハルト・トールさんの

ベストセラー

 

ニュー・アース

 

 

の内容から、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

この本では、

「エゴ」

(この本では、無意識の、

思考、妄想、欲望など

のことを指します)

 

に乗っ取られないために、

 

過去や未来ではなく、

「いまに在る」

ことが大切だと

述べられているのですが、

 

抽象的で、

ちょっと難解なところもあります(^^;

 

ただ、

具体的なエピソードとして、

わかりやすく述べられているところも

ありますので、

 

今回は、

その箇所を引用させていただきますね。

 

たしか、田坂広志さんの著作でも、

引用されていたお話です。

 

 

担山という禅僧が、

友人の僧と一緒に

豪雨のあとで

ひどくぬかるんだ田舎道を

歩いていた。

 

村の近くまで来ると、

道を渡ろうとしている

若い娘に出会ったが、

 

水たまりが深くて

着ている着物が

汚れそうだった。

 

担山はすぐに

娘を抱き上げて

水たまりを

渡してやった。

 

 

そのあと

二人の僧は

黙々と歩き続けた。

 

五時間ほどして、

その夜の宿になる

寺が見えてきたとき、

 

友人がとうとう

黙っていられなくなって

口を切った。

 

「あなたはどうして

あの娘を抱き上げて、

道を渡してやったのか?」

 

彼はそう言った。

 

「僧というものは、

ああいうことを

すべきではないと思うが」。

 

 

「私はもうとうに

娘を下したのに」

 

と担山は答えた。

 

「きみはまだ、

抱いていたのかね?」。

 

 

・・・いかがですか。

 

このお話は、

いろいろな示唆を与えてくれると

思います。

 

たとえば、

僧としての形式や役割に

縛られすぎることの愚も

感じますが、

 

過去にとらわれ、

それに執着しているところに

見苦しさを感じます。

 

ただ、

これって、けっこう

やってしまいがちですよね(^^;

 

 

この友人のように暮らし、

状況を手放せず、

また手放す意志をもたずに、

心のなかにどんどん溜め込み

積み重ねていたら、

 

どんな人生になるか

想像していただきたい。

 

それがおおかたの

人々の人生なのだ。

 

彼らがこだわって

心のなかに溜め込んでいる

過去という荷物の

なんと重いことか。

 

 

そうですね・・・

 

わたしたちは、つい、

ほんらい溜め込む必要のない

過去という荷物を、

無意識に

ため込んでしまいがちです(^^;

 

 

過去の人生は

記憶として

あなたのなかに生き続けるが、

その記憶自体は問題ではない。

 

それどころか

記憶のおかげで過去から、

そして

過去の過ちから

学ぶことができる。

 

記憶、

つまり過去に関する思考に

あなたが完全に支配され、

それが重荷に変わったときに

初めて記憶が問題となる。

 

そして

あなたの自己認識の一部になる。

 

 

記憶自体が問題なのではなく、

 

過去に関する

「(自動)思考」に支配され、

それが重荷になることが

問題なんですね。

 

 

あなたの物語は

頭のなかの記憶だけでなく

感情的な記憶、

 

すなわち

ありありと甦る

古い感情によっても

構成されている。

 

思考によって

恨みをふくらませつつ、

五時間もこの恨みという

重荷を抱えていた禅僧のように、

 

ほとんどの人は

不必要に大量の

精神的感情的荷物を

一生抱えていく。

 

彼らは

不満や後悔や罪悪感で

自分に小さな枠を

はめてしまう。

 

感情的な思考が

自己になっているから、

 

そのアイデンティティを

強化するために

古い感情にしがみつく。

 

 

感情的な思考が

自己とイコールになっている・・・

 

この自己が、まさに

「エゴ」のことですね。

 

そのエゴという名の自己を

強化するために、

古い感情にしがみついてしまう。

 

不必要な荷物を背負いこんで、

気持ちが重くなる・・・

 

 

人間には

古い記憶を長々とひきずる

傾向があるから、

 

ほとんどの人は

エネルギーの場に

古い感情的な苦痛の集積を

抱えている。

 

私はこれを

「ペインボディ」

と呼んでいる。

 

 

「ペインボディ」

 

この言葉は、

エックハルト・トールさんの著作に

よく出てくる言葉ですが、

 

いわゆる、

過去に負った、

「未解決の心の傷つき」

のことですね。

 

幼少期に、身近で大切な人から、

「ありのままの自分(の気持ち)」

を受け入れてもらえなかったことから、

生じるケースが比較的多いのですが、

(その癒されていない傷が、

今の出来事に反応するわけです)

 

ただ、これは、

程度の差こそあれ、

誰にでも生じる経験であり、

 

それをバネに成長できることもあるので、

いいとも、悪いとも

言い切れないものなのですが、

 

しかし、

日常生活で、それが原因で、

つらかったり、しんどいときには、

どうにかしたいですよね。

 

その場合は、

すなわち、

「ペインボディ」を軽くするには、

 

やはり、

カウンセリングが効果的だと思います。

 

人は人との関係でこそ癒される・・・

 

「ありのままの自分の気持ち」

をわかってもらえる体験は、

とても貴重で、

代えがたいものがあると思います。

 

 

では、

カウンセリング以外の方法は?

 

心の傷つきを解消するのは、

ちょっと難しいかもしれませんが、

 

少なくとも、

過去にとらわれずに、

「いま・ここ」にあるためには、

 

「呼吸」を観察すること

 

が効果的だといいます・・・

 

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

**************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

 

**************************************

 

 

 

おまけ(^^;

 

 

 

伊勢神宮の別宮

伊雑宮(いざわのみや)に立ち寄りました。

 

 

 

 

 

森の中で雨模様、

空はどんよりしていたのですが、

 

何故か、この周辺は、

光が差している感じがしました。

 

 

 

 

おおっ・・・

 

 

楠のようですが、

これは、何か、

宿っている感じがしますね・・・

 

 

 

 

この二本杉も・・・

 

 

 

周囲はもっと暗かったはずですが、

写真で改めて見ると、

明るくて、くっきり浮き上がっている・・・

 

まるで生きている感じです!

 

私は、普段、

霊感はほとんど感じないのですが、

 

ここは、

何か感じるものがありました😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

世界的に有名な、

スピリチュアルマスター

エックハルト・トールさんのベストセラー

 

ニュー・アース

 

 

を紹介しています。

 

この本、

多くの示唆を与えてくれる

素晴らしい内容なのですが、

 

ただ、

読み解くのに少々骨が折れます(^^;

 

私なりにかみ砕いて、

有益だと思ったところを、

紹介・解説していきますね。

 

 

 

人は、

「エゴ」を本当の自分だと

誤解しているといいます。

 

この本では、

「エゴ」とは、

単純に「自我」という意味ではなく、

 

無意識の、

(自動)思考、妄想、欲望・・・

などのことを指しますが、

 

この「エゴ」というものは、

それ自体では存在できないんですね。

 

何かに自分を

「同一化」するといいます。

 

それによって、

「機能不全」が生じるのですが、

 

その何かとは、モノだけでなく、

地位や名誉といった

「役割」も含まれるのです(^^;

 

 

この世界では

人々はそれぞれ

さまざまな機能を果たしている。

 

それが当然だ。

 

知的、肉体的な能力

 

― 知識、技能、才能、

エネルギーレベル ―

 

は人によって

大きく違う。

 

ほんとうに大事なのは

この世界でどのような機能を

果たすかではなく、

 

その機能への

自分の同一化がゆき過ぎて

機能や仕事が役割になり、

その役割に

なりきってはいないか、

 

ということだ。

 

 

役割になり切るのは、

悪いことではないような

気もしますが・・・

 

何か問題があるのでしょうか。

 

 

役割になりきってしまうと、

無意識になる。

 

あ、役割を演じているな

と意識をすると、

自分と役割に

距離が生まれる。

 

それが役割からの

解放の始まりだ。

 

 

「役割を、演じている」

と「意識」をする、

 

いわば、

眺めるのですね。

 

 

完全に自分を

役割に同一化していると、

 

行動パターンと

自分自身を混同し、

自分を深刻に

受けとめてしまう。

 

さらに他人にも

自分の役割に見合った役割を

自動的に振り当てる。

 

たとえばあなたが

医者にかかったとして、

 

相手が医師という役割に

完全に自分を同一化していれば、

 

彼らにとって

あなたは人間ではなくて患者、

症状の一つでしかない。

 

 

なるほど・・・

 

過去ブログにも

書いたことがありますが、

「役割の同一化」とは、

 

たとえば、

会社などの組織で役割的に

ちょっと偉くなったりすると、

 

お店や家庭内といった、

会社以外の場所でも、

偉そうに振る舞ってしまう

ことですね(^^;

(自戒)

 

 

現代の社会構造は

昔ほど硬直していない

といっても、

 

人々が簡単に

自分を同一化し、

エゴの一部として

取り込んでしまう

 

さまざまな既成の

機能や役割がある。

 

そのために

人間関係は真正なもので

なくなり、

 

人間味を失い、

疎外感を伴う。

 

この既成の役割は

ある種の心地よい

アイデンティティを

与えてくれるかもしれないが、

 

結局は

自分を失う結果になる。

 

軍隊や教会、

役所、大企業などの

階級組織における機能は、

 

簡単に役割としての

アイデンティティと化す。

 

役割になりきって

自分を失うと、

 

ほんとうに人間らしい

つきあいはできない。

 

 

「役割」という名のエゴに、

自分が乗っ取られないように、

 

「役割」にどっぷりつかることなく、

時と場所によって、

意識して距離を置くことも必要ですね。

 

 

実際、

すぐれた仕事をしている人たちは、

仕事をしている時に、

エゴから解放されているといいます。

 

そういう人は、

仕事をしているときには、

完全に「いまに在る」のです。

 

 

私は教師や芸術家、

看護師、医師、科学者、

ソーシャルワーカー、

ウェイター、ヘアドレッサー、

会社のオーナー、

セールスマンなど、

 

自分探しなどしないで、

その瞬間瞬間に

求められることに充分に応え、

賞賛すべき仕事を

成し遂げている人たちに

会ってきた。

 

彼らは仕事とひとつになり、

「いま」とひとつになり、

 

ともにいる人たちや

遂行している業務と

ひとつになっている。

 

(中略)

 

エゴに邪魔されずに

仕事をする人が

大成功するのも

不思議ではない。

 

自分がしていることと

ひとつになれる人は、

新しい地を築く。

 

 

この本では、

エゴに乗っ取られないためには、

 

「いま」とひとつになる

 

ことが重要だと、

繰り返し述べられていますが、

 

仕事でもそうなんですね。

 

「役割」や「名誉」

「地位」や「立場」ではなく、

 

「いま・ここ」の瞬間に集中して、

「ともにいる人たち」や、

「遂行している業務」と、

ひとつになる。

 

それが優れた仕事をために

必要なんですね(^^)

 

 

技術的には優秀なのに、

いつもエゴが

仕事を邪魔している人たちも

大勢知っている。

 

この人たちは

関心の一部だけが

仕事に向かっている。

 

他の部分は

自分自身に

向けられているからだ。

 

彼らのエゴは

認められたがり、

充分な承認が得られないと

恨みがましくなって、

エネルギーを無駄遣いする。

 

しかも

充分認められることなど

あり得ない。

 

「誰かが私より

認められているのではないか?」

 

 

どきっ・・・

これ私の中にもある?

 

 

あるいは利益や権力に

関心が集中して、

 

仕事が目的のための

手段になっている。

 

目的のための

手段と化した仕事には、

質の高さは望めない。

 

こういう人たちは

仕事で障害や困難にぶつかり、

ものごとが予想どおりに

ならないと、

 

または

他人や状況が不利に働いて

協力的ではなくなると、

 

新しい状況とひとつになって

現在の要請に応えるのではなく、

 

状況と対立し、

自分をそこから引き離す。

 

 

利益や権力が目的になると、

 

仕事で障害や困難が生じると、

それに抵抗してしまうんですね・・・

 

 

個人的にむかついたり

恨みがましくなった

「私」に、

 

無駄な抵抗や怒りに

多大のエネルギーが

費やされる。

 

ほんとうはそのエネルギーを

問題解決に注げばいいのに、

エゴが乱用してしまう。

 

しかもこの「抵抗」的な

エネルギーは、

 

新たな障害、

新たな対立を生み出す。

 

実は多くの人にとって

最大の敵は

自分自身なのだ。

 

 

つまり、

この「抵抗」的なエネルギーとは、

 

エゴが、

いわゆる保身に走ること、

そのために、

自己正当化するということでしょうか。

 

または、

エゴが、

プライドを傷つけられたと思いこみ、

「私を認めろ!」

と主張することでしょうか。

 

せっかっくのエネルギーを

問題解決に使うのではなく、

自己正当化や

承認欲求に使ってしまう・・・

 

「組織あるある」ですね(^^;

 

最大の敵は、

他人ではなく、自分自身、

すなわち、

自分の中にある「エゴ」。

 

耳が痛いですが、

その通りだと思います(^^;

 

 

「エゴ」に自分が

乗っ取らないようにするためにも、

 

「いま・ここ」の仕事に集中する。

 

そして、

「ともにいる人たち」や、

「目の前のプロセス」とひとつになる。

 

忘れずにいたいです😊

 

 

 

 

***********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます(^^;

 

 

 

***********************************

 

 

 

おまけ

 

 

久しぶりに伊勢神宮(内宮)に参拝しました!

 

 

 

 

宇治橋より、五十鈴川(いすずがわ)。

 

 

 

御手洗場、清らかな流れでした。

 

 

 

あまり時間がなく、

しかも、

あいにくの雨模様でしたが、

 

やはり、内宮の森は、

空気感が違いました!

 

有り難うございました🍀

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

新年度がスタートしましたね!

 

街では、フレッシュマンっぽい人を、

多く見かけるようになりました(^^)

 

今回から、

エックハルト・トールさんの、

 

ニュー・アース

 

 

という本を紹介・解説します。

 

エックハルト・トールさんは、

世界的なスピリチュアル・マスターとして

有名ですが、

 

この本、なんと全米で580万部以上、

売れているんですね!

 

他にも、

飯田史彦さんが監修した、

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

 

という代表作もあります。

 

過去ブログで紹介しましたので、

よかったらご覧ください。

 

 

 

私、スピリチュアルの世界観は

とても好きなのですが、

 

少々理屈っぽいところがあるせいか、

あまりにもフワフワとした、

スピリチュアルというのは、

ちょっと苦手です(^^;

 

しかし、

エックハルト・トールさんの本は、

骨太で、かつ、

地に足がついた感じがするので、

とても納得感があります。

(少し難解な部分もありますが(^^;)

 

アプローチこそ違えども、

結論は、

臨床心理学の理論に通ずるところも、

あるような気がします。

 

本書のいちばんの目的は、

 

「意識を変化させること、

つまり、目覚めさせること」

 

たと述べられています。

 

 

目覚めに不可欠なのは、

目覚めていない自分を

自覚すること、

 

エゴイスティックに考え、

話し、行動する自分と、

そういう目覚めていない状態を

持続させている、

人類に刷り込まれた

思考プロセスを

認識することである。

 

 

まずは、

目覚めていない自分を

「自覚」する・・・

 

 

エゴと戦っても

勝ち目はない。

 

闇と戦えないのと、

同じである。

 

必要なのは

意識という光のみである。

 

そして、

その光は

あなたなのだ。

 

 

エゴとは、闇のようなもの、

「無意識」の世界の一部

ともいえます。

 

戦うのではなく、

そこに、

「意識」(自覚)という光をあてる。

 

そして、

その光は、あなたである・・・

 

この表現、素敵ですね(^^)

 

 

人間の歴史は、

おおまかに言えば

狂喜の歴史であると、

述べられています。

 

二十世紀に、

同じ人類の手で

暴力的な死を遂げた人々の数は、

 

なんと1億人を

上回るそうです・・・

 

それは、

恐怖と貪欲さと、

権力欲から生まれるという・・・

 

 

多くの

スピリチュアルな教えは、

恐怖と欲望を捨てなさいと言う。

 

だがこの試みは

たいていはうまくいかない。

 

機能不全の根源に

取り組んでいないからだ。

 

 

ここでいう

機能不全とは、

「エゴ」のことなんです。

 

で、エゴの根源とは?

 

 

もっと良い人間になろうと

努力するのは

確かに立派で

ほめられるべきことの

ようだが、

 

当人の意識に

変化が起こらない限り、

結局は成功しない。

 

 

どういうことでしょうか・・・

 

 

良い人間に

なろうとするもの

また同じ機能不全の一部で、

 

微妙にわかりにくい

形ながら、

やはりエゴイスティックな

高揚感、自意識や

自己イメージの強化を

求める欲であることに

変わりはない。

 

 

たしかに、

良い人間になろうとするのも、

エゴの一部かもしれません・・・

 

 

良い人間、

それは、

なろうとしてなれる

ものではない。

 

すでに

自分のなかにある善を発見し、

その善を引き出すことでしか、

良い人間にはなれない。

 

だがその善を

引き出すためには、

意識に根本的な変化が

起こる必要がある。

 

 

良い人間になるためには、

「自分のなかにある善」を発見し、

その善を引き出すしかない・・・

 

なるほど・・・

 

しかし、そのためには、

「意識」の根本的な変化が

必要だといいます。

 

いくら、

外的要因、制度をいじくっても、

上手くいかない。

 

もともと高潔な理想から始まった

共産主義がうまくいかなかったのも、

そのせいだと、

エックハルト・トールさんはいいます。

 

では、

「意識」の根本的な変化とは?

 

 

新しい意識の核心は

思考の枠を超えることにある。

 

思考よりも高い場所に上り、

思考よりもはるかに広い次元が

自分自身のなかにあることに

気づく新たな能力だ。

 

そのとき人は

自分のアイデンティティを、

自分が何者であるのかの根拠を、

 

いままで自分自身と

同一視していた

絶え間ない思考の流れには

求めなくなる。

 

 

「思考」は

「自分そのもの」ではないと

自覚する・・・

 

ここでいう、

「絶え間ない思考の流れ」

というのは、

心理学でいうところの、

「自動思考」のことでしょうか。

 

無意識の信念から生じる思考に、

反応的になってしまったり、

ぐるぐると悲観的になってしまう

ことですね。

 

 

「自分の頭のなかの声」

が実は自分ではないと気づくと、

すばらしい開放感を味わう。

 

では自分とは何なのか?

 

自分とは、

思考する自分を見ている者だ。

 

思考よりも前にある

気づきであり、

 

思考が

―あるいは感情や知覚が―

展開する場である。

 

 

「ほんとうの自分」とは、

「思考そのもの」ではなく、

思考する自分を「見ている者」。

 

すなわち、

「気づく自分」

 

心理学でいうところの

「観察自我」

に近いイメージでしょうか。

 

 

エゴとは、

形への自分の同一化にすぎない。

 

その形とは

何よりも思考の形である。

 

 

つまり、エゴとは、

無意識の(自動)思考から

「形」として生じる、

ということでしょうか。

 

・・・まとめると、

 

「気づく」自分が、

「意識」という「光」を当てれば、

 

「無意識」の自動思考、

すなわち、

「エゴ」という「闇」は小さくなる。

 

そうすれば、

そこに「善」を発見して、

引き出すことができる。

 

ということですね。

 

 

「悪」についても、

述べられています。

 

 

悪に現実性が

あるとしたら

 

―絶対的な現実性ではなく

相対的な現実性だが—

 

それもまた形

(物質的な形、

思考の形、感情の形)

との全的な同一化と

定義できる。

 

そのために、

自分が全体と

つながっていること、

 

すべての

「他者」及び

「生命の源」と

本質的に

結びついていることを

まったく認識できない。

 

この結びつきを

忘れること、

 

それが原罪であり、

苦しみであり、

妄想なのだ。

 

 

「悪」とは、

 

私たちが、

他者や生命の源と結びついていることを、

忘れること。

 

つまり、

バラバラだという意識。

 

それが、

苦しみや妄想につながる・・・

 

 

この分離、分裂が

すべての考え、言葉、

行動の底流にあり、

それらを律しているとしたら、

 

人はどんな世界を生み出すか?

 

その答えを知るには

人間同士の関わりを眺めれば、

歴史書をひもとけば、

 

あるいは

今夜のテレビニュースを

見ればいい。

 

人間の心の構造が

変化しなければ、

 

私たちはいつまでも

基本的に同じ世界を、

同じ悪を、同じ機能不全を

 

繰り返し

創造し続けるだろう。

 

 

狂喜の歴史・・・

今夜のテレビニュース・・・

 

同じ悪を、同じ機能不全を、

繰りかえす・・・

 

考えさせられます。

 

たしかに、

わたしたちはバラバラだという

分離、分裂の意識が、

世界中の不幸の

根本原因なのかもしれません。

 

 

スピリチュアルの世界では、

よく、

「世界はひとつ」

「わたしたちはひとつ」

だといいます。

 

もちろん、

「個」は尊重すべきですし、

それがあまりにも行き過ぎると、

多様性の否定にもなりかねないのですが、

 

やはり、

私たちは、つながっていて、

本来は、ひとつの存在であると捉えた方が、

 

世界は平和になるような気がします(^^)

 

「世界はひとつ」

「わたしたちはひとつ」

 

 

・・・う~ん、

 

何だか抽象的で、

正直、ぴーんとこない感じもします。

 

なかなか実感として湧かない

自分がいるのも事実(^^;

 

では、

「ひとつ」だと

納得できるようになるには、

どうすればよいのでしょうか。

 

具体的に、何か私たちにできることは、

あるのでしょうか?

 

 

・・・参考までに、

 

私が、対人関係で、

人を見る時に、

心がけていることがあります。

 

 

この人も

私と同じだ。

 

幸せでありたいと

願っているんだ。

 

この人も

私と同じだ。

 

苦痛を避けたいと

願っているんだ。

 

この人も

私と同じだ。

 

人生を通じて

学んでいるんだ・・・

 

 

 

カウンセリングの学びで、

野口嘉則先生から教わった言葉です。

 

まずは、目の前の人、

私と縁のある人に対して、

 

どんなに、腹が立っても、

ムカッとしても、

おかしいと思っても、

理解できなくても、

 

「この人も私と同じだ・・・」

 

「幸せでありたいと願っているんだ」

「苦痛を避けたいと願っているんだ」

「人生を通じて学んでいるんだ・・・」

 

という見方をする。

(事実そうですよね)

 

もちろん、

いつも出来るわけではありませんが(^^;

 

なるべく、私は、

このような捉え方をしようと

意識をしています。

 

ささやかですが、

それを積み重さねていくことで、

 

「わたしたちはひとつである」

 

という言葉が腑に落ちるように

なりたいと思っています😊

 

 

 

*********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます!

 

 

*********************************

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

東丹沢の仏果山に登りました!

 

この山、暖かくなると、

ヤマビルが出始めるので、

今のうちに(^^;

(幸いにも、まだいませんでした💦)

 

 

 

併せて高取山も!

 

 

 

山頂より

 

 

 

宮ケ瀬湖

 

 

 

雄大です!

 

 

 

東京方面?

 

 

 

 

踊り念仏で有名な、

時宗の一遍上人ゆかりのお寺、

無量光寺

 

 

 

一遍上人の銅像が建っていました。

 

 

 

水面に桜の花びら🌸

これも趣がありますね。

 

 

 

 

誰もいない境内を、

一人で散策しました。

 

静かで広々として緑豊か、

素敵なお寺です😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

遠藤周作ファン垂涎の的、

新刊です!

 

文豪ナビ 遠藤周作

 

 

前回、

この本で紹介されている、

 

「人生に効く!遠藤周作の名言」

 

をいくつか

紹介させていただきましたが、

 

今回は、その続きになります。

 

なお、名言に関しては、

本書に素晴らしい解説が

なされていますので、

 

今回は引用だけにして、

私の解説は、やめようと思ったのですが、

 

やっぱり、ちょっとだけ、

触れさせていただきますね(^^;

 

まずは、

「侍」の続きから、

 

 

(侍「長谷倉」の言葉)

 

人間の心の

どこかには、

 

生涯、

共にいてくれるもの、

裏切らぬもの、

離れぬものを

 

―たとえ、

それが病みほうけた

犬でもいい―

 

求める願いが

あるのだな。

 

あの男は

人間にとって

そのような

あわれな犬に

なってくれたのだ。

 

 

長い旅路の果ての、

主人公の侍の述懐。

 

そうですね・・・

 

私の中にも、

その願いはあります・・・

 

 

(与蔵の言葉)

 

「ここからは・・・

あの方がお供なされます」

 

突然、背後で与蔵の

引きしぼるような

声が聞こえた。

 

「ここからは・・・

あの方が、

お仕えなされます」

 

侍はたちどまり、

ふりかえって

大きくうなずいた。

 

そして黒光りする

つめたい廊下を、

 

彼の旅の終わりに向かって

進んでいった。

 

 

与蔵とは、

主人公の侍の長い旅路に、

ずっと同行していた

従者なのですが、

 

あの方とは・・・

 

同伴者のこと。

 

時に、

犬になったり、

ネコになったり、

従者になったりも、

される方・・・

 

 

ちなみに、この作品は、

過去ブログで、

私なりに詳しく解説しています。

 

よかったらご参照ください(^^;

 

 

 

 

続きまして、

「女の一生

 二部・サチ子の場合」

 

この作品は、

けっこうマイナーだと思いますが、

(まだ一部のほうがメジャー?)

 

私は、多大なる影響を受けました。

 

特に、アウシュビッツの

コルベ神父を描いた場面・・・

 

 

(コルベ神父の言葉)

 

ここに愛がないのなら・・・

 

(中略)

 

我々が愛をつくらねば・・・

 

 

・・・実際、

コルベ神父は、究極の愛を、

身をもって示すことになるのですが、

 

その愛は、伝播していきます・・・

 

 

この本も、過去に解説しました。

よかったらご参照ください。

 

 

 

 

続きまして、

代表作「深い河」より、

 

 

(美津子の祈りの言葉)

 

信じられるのは、

それぞれの人が、

それぞれの辛さを背負って、

深い河で祈っている

この光景です

 

(中略)

 

その人たちを包んで、

河が流れていることです。

 

人間の河。

 

人間の深い河の悲しみ。

 

そのなかに

わたくしもまじっています。

 

 

美津子は、

主人公ともいえる女性ですが、

 

人生の紆余曲折を経て、

このような境地に達するのです・・・

 

 

 

(大津の言葉)

 

これで・・・いい。

 

ぼくの人生は・・・

これでいい

 

 

大津は、

落ちこぼれの神父であり、

この作品の主人公ですが、

 

物語の最後のこの場面、

 

「あの人」とも重なる

感動的な場面です・・・

 

 

 

(大津の手紙の言葉)

 

神とは

あなたたちのように

人間の外にあって、

仰ぎみるものではない

と思います。

 

それは人間の中にあって、

しかも人間を包み、

樹を包み、

草花をも包む、

 

あの大きな命です。

 

 

大津が、

リヨンの修道院の先輩に

述べた言葉です。

 

ちなみに、

私も、神の存在を、

このように捉えています。

 

 

「深い河」は、

人生経験を重ねれば重ねるほど、

沁みる小説だと思います。

 

過去ブログでも取り上げました。

 

よかったらご覧ください(^^;

 

 

 

 

続きまして、

講演録「人生の踏絵」より、

 

 

(「人生の踏絵」の言葉)

 

人生が

魅力あるもの、

美しいもの、

キラキラしたものでは

ないからこそ、

 

われわれは

捨ててはいけないと

思うんだ。

 

捨てるというのは、

自殺したり

自暴自棄になったり、

いろんな形がありますよ。

 

そんなふうに

人生を放棄しちゃいけない。

 

 

・・・同感です。

 

醜いものだからこそ、

それを最後まで抱きしめれば、

やがてそれは光り輝く・・・

 

別の本になりますが、

フローベルの短編を通じても

遠藤周作さんは述べています。

 

そう信じたい。

 

 

(「人生の踏絵」の言葉)

 

抑え込まれている自分、

外面でない自分、

道徳や世間や社会から

否定される自分こそが、

 

神や仏が

語りかけよう、

助けよう、

愛そう、

抱きしめようとする

対象ではないか。

 

 

そうですね・・・

 

まさにこれが、

「自己受容」の世界

ではないかと感じます。

 

カウンセリングの世界にも、

通ずるものが

あるような気がします・・・

 

 

 

以上、

「人生に効く!遠藤周作の名言」

から、

特に、私の心に響いた名言を

紹介させていただきましたが、

 

本書には、

他にも、素晴らしい名言が

掲載されていますし、

 

何より、

解説がとても分かりやすいです(^^)

 

遠藤周作さんのファンの方も、

昔読んだけど、遠ざかっている方も、

まだ読んだことのない方も、

 

本書をきっかけにして、

遠藤周作さんの世界を堪能してみては

いかがでしょうか。

 

 

文豪ナビ 遠藤周作

 

他にも、本書には、

 

スコセッシ監督の映画

「沈黙」についてのコーナーや、

 

「私が狐狸庵につかれたウソの数々」

(笑)

といったコーナーもあり、

楽しめます(^^)

 

氏の息子さん(龍之介さん)の

コラムなんかもあります。

 

コラム名は、

「お父さん、

あなたは大変おかしな人でした」

(笑)

 

ちなみに、

息子さんは、少し前まで

フジテレビの社長だった方です😲

 

やはり大物!

 

 

 

*************************************

 

 

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は、別の本を紹介します(^^;

 

 

*************************************

 

 

おまけ

 

 

神奈川県秦野市に、

出雲大社がありました!

 

出雲大社相模分祠

 

 

 

 

立派な大社でした!

 

 

 

 

愛猫の宮音くんは、

島根県出雲市出身なので、

ペットお守り(足あと型)を

お土産で買いました😸

 

 

 

 

寄り添う同伴者・・・