作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ! -18ページ目

作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ!

作文・小論文・読解力など国語力UPのための塾。横浜市保土ヶ谷区にある学習塾ラーニング・ラボのスタッフブログです。教室での出来事、教育ニュース・新聞記事・書籍についてのコメント、当塾オリジナルの「基礎講座」で作成した生徒の作品なども発表します。

今年も夏期特別講座を前に、体験授業・親子説明会を開催し、みなさまに有益な情報を提供したいと思います。

近隣にお住いの方はぜひご参加ください。

今回は、1日2回、3日間、合計6回行います。
ただし、参加者のみなさまとしっかりお話をさせて頂きたいので、
各回とも6名様限定でのご案内となります。

ご興味・ご関心のある方はぜひお早めのご予約をお願いします。

↓日時や内容等の詳細はこちらをご確認ください↓

2014夏期体験授業・親子説明会|横浜天王町の個別指導・グループ指導横浜天王町の個別指導・グループ指導学習塾・作文教室 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室

今年もやります!

夏期特別講座2014

昨年もご好評頂きました本講座。

今年も

「作文・読書感想文書き方講座」
「文章題特訓講座」


の2本立て。

もちろん、教科毎の個別指導講座もあります!


学習指導要領が改訂され、学校ではすべての教科で「言語活動」が重視されています。
さらに、神奈川県では公立高校入試が新しくなり、学力検査は全教科で記述問題が増加し、面接試験が全員必須となりました。

OECD-PISAや全国学力・学習状況調査などの影響もあり、「言語活動」が重視される流れはここ数年大きくなっています。
それもこれも「国際化」「情報化」「知識基盤社会」といわれる昨今の社会情勢を受けて、そこで「生きる力」として不可欠なものとして「思考力」「判断力」「表現力」が打ち出されているわけです。

まぁどんな世の中であれ「思考力」「判断力」「表現力」は大変重要なものであり、その根幹として「ことばの力」はまずもって磨くべき力であることは間違いないでしょう。


私自身、何となく教育の世界に足を踏み入れて、様々な教科を指導するなかで、それら教科の枠組みを超えて、『学ぶ』ということにおいて、根本的に重要なものは何かと考えたときに、やはり「ことば」というものにいきつきました。

だからこそ、ラーニング・ラボでは「ことばの力」を磨くための授業「基礎講座」を開講しています。


単なる受験のためのテクニック的な学習だけでなく、地に足着いた確かな学力を伸ばしたい方。

●文章や問題の意味が自分できちんとわかるようになりたい人
●自分で文章が書ける/言いたいことが説明できるようになりたい人
●いくつかある選択肢の中から一番良いものを選び取ることができる
 ようになりたい人
●自分の考えが持てるようになりたい人
●学習のやり方がわかり、自分で学習を進めることができるように
 なりたい人


大歓迎です。

ただし、
当塾では、夏休みの間も通常の授業がございますので、
授業の質を落とさないようにするため、
特別講座は人数を限定してのご案内とさせていただいております。
ご興味・ご関心のある方はお早めにお問い合わせください。

↓詳細はこちらでご確認ください↓

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昨日、正確には17(土)と18(日)で、とある学会に参加してきました。

大学院に入学した当初からもうかれこれ数年、毎年2回参加しています。

大学の先生や大学院生、学校現場の先生方の個人研究発表も、いくつか興味深いものがありましたが、今回は全体のシンポジウムに「教育」の「未来」を感じました。


今回のシンポジウムでは「外国につながる児童に対する国語教育」というテーマのもと、4人のパネラーの先生方がそれぞれの立場からの提案をしていました。

わたしたちのいる神奈川県横浜市にも、在校生の中に外国人児童が多数在籍する学校がありますし、少数でも、外国につながる生徒、つまり、言語的なハンディを持っていて通常の「国語」の授業を受けられない状態の児童生徒がいます。

彼、彼女に対して「国語教育」は、何をどのように「教育」するべきか。

そんな話です。



実際に在籍児童の半数以上が外国人児童だという学校の校長先生が、どのような取り組みをしているのかというお話を皮切りに、日本語教育の専門家、国語教育の専門家がそれぞれお話をされました。

これまで、日本の教育界では、

「国語教育」=日本語を母語(第一言語)とする生徒に対する日本語教育
「日本語教育」=日本語を母語ではない(第二言語)生徒に対する日本語教育


と、区別されてきました。

そこで扱われる内容はけっこう違うもので、たとえば「国語教育」で扱われる文法は「学校文法」などと呼ばれるものです。

実際には同じ「日本語」というものを扱う学習ですが、しかし、日本語話者(母語が日本語)と日本語が第2言語の人が、同じ授業を受けられないという事態。

当然のような気もするが、しかし問題なのは、両者が必ずしも地続きになっていないという状況があるということ。

さらには、現在のような、いわゆる「国際社会」という世の中では、そうした現状は変化が求められるわけなんです。



僕は、塾の講師として働いている中で、教科の枠組みを超えて、「学ぶ」ということ、「考える」ということをもう少し考えてみたくて大学院に進学しました。

その際に注目したのが、さまざまな教科や「学び」「思考」などには、やはり「ことば」というものが深く関わっているだろう、ということです。

ですから、「日本語」の「学習」をより良いものに変えることで、多くの教科の「学習」や「思考」をより良いものに変化させられる、さらにも、当然ですが、日常的なコミュニケーションや学校を卒業したあと、つまり「社会人」として活動することなども視野に入れて「学習」ということを考えられると思ったのです。

だから、「日本語」の「教育」について学べるところに進学したいと思いました。

が、いわゆる「日本語教育」の先生にお話を聞くと、「日本語教育」の対象の多くがやはり外国の人であり、僕が考えるようなことであれば、それは「国語教育」に進んだ方が良いということでした。


何で同じ「日本語」を扱うのに、それほどまでの区分けが必要なのか。


その当時は「まぁそんなものか」と「国語教育」の門をたたくことにしました。
が、僕の進学の大きな動機は、さっき書いた通り、単に教科としての「国語」=「国語科」の先生になること、「国語科」の勉強をすることではなく、教科の枠組みを超えて、「学び」の根本となる「国語」=「日本語」を見つめ直すことです。
だから、「国語教育」を専門とする研究科では、当然「国語科」のことを知る必要があるのですが、しかし、それはある意味で「国語科」を解体するためでもあります。

とはいえ、そう易々と解体できるものではありません。

いや正確には僕だけが喚いてもどうしようもないことです。

ただ、幸いなことに、僕が師事した先生方は、非常に真摯な研究者であり、そうした視点の重要性を認識されている方ばかり。


やはり専門家や学会組織などは、自分の領域というもの、他との境を明確にします。

ある意味それは、そうしなければそもそも学問研究が成り立たないということもあります。

ただし、何らかの現実の問題にぶつかったとき、その問題を解決しようとするとき、それは必ずしもある一つの、ある特定の領域の考えだけで解決できるわけではありません。

様々な専門領域がある一方で、学際的なスタンスで向き合わなければ解決が難しい問題が世の中にはたくさんあります。(たとえば環境の問題、国際社会の問題など)

さらに言えば、そもそも、さまざまな学問領域というものは、時代を経て細分化されてきたもので、その根源をたどっていけば、すなわちそこには「考える」ということ、つまり「哲学」というのがあるわけです。

「哲学」が「諸学の母」「諸学の根源」と言われるように、さまざまな学問領域で、そこで扱われる内容がどのようなものであっても、「考える」ということが全くないというものはないといっても過言ではないでしょう。
(宗教などは「信じる」ということがメインなのかもしれませんが…)

で、しかも、「考える」というのは、一つの言語行為ですから、当然「ことば」を知らなければ考えられないし、その考えを議論したりすることが出来ないわけですね。



だから、僕は「ことば」を、「考える」ということを学ぶために「国語教育」の世界に入ったんですね。

でも、専門領域の中では、やはりマクロの視点がだんだんと持てなくなる人もいるようで、「誰某さんの学説」については非常に多くの知識を持っているけど、「…で、結局それを突き詰めることにどんな意味があるのか?」、「じゃあなんで/どういう経緯でそういう考えが生まれてきたのか」といったことにあまり関心が示されていないこともあるんですね。

だから、僕は亜流の人間として、たとえ自分の考えや研究活動が多くの賛同を得るものではなくても、一歩外に出ればきっと世のため人のためになるはずと「信」じこんで、やってきたつもりです。




さぁ、そんなある意味で凝り固まってしまった「国語科」が大きく変化を求められています。


もちろん以前から「国語教育」研究者の中にも、「国語科」の解体を構想する人がいらっしゃいますが、そうした考えが、大きな会で、はっきりと打ち出されているのを実際に体感することができて、大変心躍るひと時を過ごしました。


「自分の思っていること/やっていることはやっぱり間違っていなかったんだ」



多くの業界人が、そうした意識を持って、これまでを見直し、これからを考えることで、子どもたちの未来は明るくなる気がします。

いや、僕的には、そうしないともう「教育」というものが完全に死んでしまうとさえ思うのです。
かなりの極論ですが。


もちろん問題は山積みだし、一朝一夕で変えられるものではありません。

中には、僕が「問題」だと思っていることでも、別の人にとっては「不可欠なもの」であることもあります。

だから、多くの議論が必要なのですが、しかし、議論のテーマになることそれ自体が大きな前進でしょう。



とはいえ、そうした状況が「外国人児童」を契機としてよりはっきりと認識されるようになるというのは皮肉ですね。

いやいや、我が身をふり返るのは、他者が存在するからこそですね。

そうしたきっかけを、強い強い危機感を与えてくれることに感謝、感謝。


少しでも日本の教育の「あかるい」未来を創るお手伝いができるように、まずは自分自身がいろいろなことに気づき、学ばねばなりません。


そんな当然といえば当然の思いを新たにした週末でした。


痛み止め服用の注意点 痛みは治まるが免疫力は著しく下がる
 体調が優れなければ、まずは薬を飲んで体を休めるのが鉄則──こんな当たり前の常識に一石を投じる説が登..........≪続きを読む≫



昔から頭痛持ちだった私。
いつもカバンにはバファ○ンが入っていました。

でも、ある時知り合いの薬剤師の方から

「痛み止めは飲みすぎない方が良いよ」
「バファ○ン飲んでも頭痛が治るわけじゃないからね」

と。

半分が優しさで出来ていると言ってたけど、
全然そんなことないらしいですね。

それ以来、ほとんど頭痛薬というのは服用していません。

きちんと頭痛の原因を探って、
もっと根本的な改善策を考えました。
(もちろん医師の診察等を経て)

そのおかげで今では日常的にはほとんど頭痛を感じることはなくなりましたね。


まぁどうしても今この痛みを何とかしたい、という時はありますから、何とも言えませんが、経験上、やっぱり手軽に薬で解決しようとせず、根本的な原因をつきとめる努力をしてみた方が、結果良いことだらけですからね。



ひどく納得な内容です。

ぜひ読んでみたいと思います。

薬が病気をつくる ~薬に頼らずに健康で長生きする方法 
薬剤師は薬を飲まない (廣済堂新書)
薬剤師の私が実践する 薬に頼らず健康に暮らす27の習慣



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今日、通塾してきた塾生が教室に入ってくるなり、こんなことを言ってくれました。

「先生、今ちょうど学校で「比較する」作文書いてるよ」

「比較する」とは、当塾の「基礎講座」の中でレクチャーしている「作文の書き方」や「考えの深め方」の手法の一つ。

何かを考える時、考えを広げ、深める時、また、その考えたことを文章で表現するとき、何かと何かを「比べる」というのは大変有効な方法です。


塾生が学校で取り組んでいる作文はどうやら「自動車」と「自転車」を「比べる」作文のようです。

こうした2つのことを比べて、議論する文章(意見文・議論文など)は「基礎講座」の授業内でも頻繁に書いている文章ですが、どうやら塾生は順調に考えを広げ(深め)、書き進められているようです。

授業を受けて、日々トレーニングしている成果が自分で実感できる機会にさっそく恵まれたようです。

善きかな、善きかな。


あまり作文が得意ではないという状態だった生徒ですが、短期間で書くことへの抵抗はなくなり、こうした学校の作文課題にも前向きに取り組めるようになったのは本当に喜ばしいことです。

さて、書くことに抵抗がなくなったのなら、次は書く内容に目を向けていこう。



その時大事なことは・・・


続きは授業の中でお話ししましょう。

気になる方はぜひコメントに「あなたの考え」を書いて送信してください。
答えをお教えします。



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国語力読解力作文力思考力)が不安な方、もっと伸ばしていきたい方
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 当塾「基礎講座」がおススメできるかもしれません。
 万人に対して唯一万能な手法なんて存在しませんから、断言はできませんが、
 おそらく一般的な学校で学んできた多くの人のお力にはなれるでしょう。
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前回「ゆとり」教育や「総合学習」について、読売新聞の記事に寄せて、コメント書いてみました。

今回はその続き。


「ゆとり」は学力低下をまねいたといわれ否定されてきました。

その真意が必ずしもきちんと理解されなかったからだと、前回書きました。

 ☆前回の記事はこちらからご覧ください


しかし、だからといって、その理念自体が否定されるものではないはずです。


それなのに、最近は脱ゆとりとして、再度「つめ込み」型が求められる空気が強くなっています。

まさに振り子のように、同じところを行ったり来たり。

同じところを行ったり来たりしているだけでは、改善も発展ものぞめません。

それどころか、同じところを行ったり来たりしているだけでは、徐々に低下していくのは当然といえば当然の帰結。


そろそろ目先のことで右往左往し、小手先のテストや成績の数値のことばかりを考えて、妙な不安感を抱くのはやめませんか?

もちろん相も変わらず日本には「高校入試」「大学入試」があって、それ次第では進路が大きく変わる可能性はあります。

とはいえ、過度に「入試」にばかり気を取られると、肝心の日々の学習が、非常に無味乾燥な、知的好奇心をくすぐるようなドキドキもわくわくもない、あったとしてもテストで良い点とれるか、成績が落とされないかのドキドキだけになってしまう。

そんなん学習意欲がわくわけがない。


「何で勉強しないといけないの?」
「これって何の意味があるの?」
「こんなことまで勉強しないといけない理由は?」


誰もが一度や二度もったことがあると思うこの疑問。

これはある部分で当然の疑問だと思います。

そういう疑問がわくような学習があまりにも多い。


もちろん私自身は、「つめ込み」大賛成、学習は超重要なものだと思っていますが、今のような結局は受験のため、テストのためのような学習には、やっぱり賛成できませんね。



だからこそ、私たちラーニング・ラボでは「基礎講座」を開講しているんですね。


基礎講座」とはまさに総合的学習の時間。

中でも特に「国語」を最重要視して、文章の読み書きの力や会話・対話する力をUPするために日々言語技術的なトレーニングもしています。

もちろんそれだけでなく、基礎的な技術はどうやって使っていくのか、実際の活動のなかで応用する機会もあります。

例えば、あるテーマについて「調べ学習」を行い、新聞形式でまとめたり、あるテーマにそってブックトークをしたり。

最近は、作文(特に意見文や議論文)の書き方をふまえて、対話や議論の話に発展させて、「弁証法」的な思考方法について学んでいます。

簡単なゲーム?演習?を通して、自分の意見の主張や相手の意見を聞くこと、さらに両者の考えをどうやって合意していくのか、などなど、けっこう高度なことを、でも楽しく実践を通して気づきを得てもらえるように授業を進めています。

これについてはまた別の機会でご紹介します。



さて、あなたの学校では、あなたのお子様の学校では、「総合学習」がきちんと機能していますか?

「勉強した方が良い」という思いはみなさん共通して持っている考えだと思いますが、では、じゃあ「何を」「どんな風に」「何に向かって」学習すれば良いか、きちんとビジョンはありますか?


このまま何となく受験のため、何となく学校にされるがままでは、気付いたときには社会で通用しない力ばっか身に付けていたということにもなりかねません。

何か力が身についていればまだ良いのかもしれませんね。

教科書を使って、学校の授業で習ったであろうことはきれいさっぱり忘れてしまう人だって、いっぱいいるのが現実ですから。


不安に思うのであれば、それはどこの高校に入れるかどうかではなく、どんな学習をして、どんな力を身につけていこうとしているのか、もちろんその先のミライをどう切り開きたいかということ、これらにこそ真に悩みましょう。


それでもご不安な方、すでに悩んでいて「でもどうすれば良いのよ!?」という方は、ぜひご一報ください。


単なる学校の成績や受験のためだけ学習を行う塾とは違ったお手伝いが出来ると思います。


●「総合学習」にような探求型学習、自立学習に関しては・・・
当塾オリジナル授業基礎講座」の概要☆をご覧ください。

作文 小論文 読解力 などに関してご不安のある方
 学習塾ラーニング・ラボまでお問い合わせください。


小手先のテクニックに終わらず、じっくり骨太の学習を進めていきましょう。

そういう人材が日本の若者たちの中にもっともっと増えていく・・・
そういう明日こそが「希望あるミライ」。

少子高齢化のいま。

逆に若者たちの学びからの逃避がこれ以上続けば・・・
日本は大丈夫なのか!?

今は良くても、「そのとき」がきたら、誰もが事態の深刻さにやっと気づくのでしょう。
でも「そのとき」が来たときに気づいてももう取り返しがつかないかもしれません。
「そのとき」、あの時こうしていればと思ってももう遅い。
「そのとき」、誰かのせい、時代のせい、社会のせいにしても、どうしようもありません。


いまが最後のチャンスかもしれませんよ。



頑張れ、若者。
頑張る、私たちも。
頑張ろう、一緒に。




だって良いも悪いも、損するのも得するのも、あなただから。
あなたの人生だから。


本日2014年5月8日(木)、読売新聞朝刊15面に注目。

「探究活動 学力に好影響」

という見出しで「総合学習の再評価」というタイトルで解説記事が載っていました。

みなさんご覧になりましたか?



最近の教育の流れは、かつてのいわゆる「ゆとり」を脱して、教科書内容や学習時間を増やそうという路線です。

さらにいえば、現行(平成20年版)の学習指導要領では、前(平成10年版)の指導要領から引き継いだ「生きる力」が大きなテーマとなり、「思考力」「判断力」「表現力」が基幹となる学力とされています。


「ゆとり」と聞けば、非常にネガティブな印象を持たれる人も多いと思います。


「ゆとり」政策は学力低下を引き起こしたものとしてのイメージが強いように思います。

そうした「ゆとり」政策下での学力低下原因として「総合学習」が挙げられることもあるようです。


「総合学習」は、教科書やカリキュラムが明確にあるわけではなく、様々な活動はするが、実際にはあまり実りがないような印象に受け取られてきたきらいもあります。


そうした活動よりも教科の学習をした方が良いのではないかという気持ちが依然として強くあるわけですね。
だって、学力テストなどは教科毎に行われますから、そうしたテストで結果が出ないと、真面目な日本人はやっぱりその結果を改善しようとするわけです。

一番手っ取り早り対策は、やっぱり教科の、しかもテストに出そうなことを学習する「テスト対策」「テストのための学習」です。


それ自体は、ある意味で仕方がないとも言えます。


だってそうした評価(テスト)がある以上、そこでの結果が注目されてしまうのは当然と言えば当然です。




ただし、この記事では、その学力低下の槍玉に挙げられることもある「総合学習」が、実は学力向上に効果があるということがわかってきたということが解説されているんですね。


ちょっと前までこうした「ゆとり」下で行われてきたことを否定的に見てきた人にとっては意外かもしれませんが、これもある意味当然と言えば当然のことなんですね。

何で当然なのか、それはあとで述べるとして、この一連の流れは、日本の教育・教育問題を考える、ひいては日本人の思考について考える上でも大変特徴的な様相をしているように思います。


そこでちょっと遠回り。



そもそも「ゆとり」はなぜ導入されたのか、「ゆとり」が本当に目指したことを理解している人はどれだけいるのでしょうか。

「ゆとり」とは、もちろん、単に物理的な「ゆとり」を与えて、楽をさせようという意図で実施されたことではありません。

「総合学習」の目的にも表れているように、「変化の激しい社会に対応して、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てることなどをねらいとする」学習を推進するためにこそ、かつての「受験競争」的な「詰め込み」教育を脱していこうという意図のもとに取られた文教政策です。


しかし、そうした意図をもった学習の時間をどれだけの教師が有効に使えたのでしょうか。

答えはNOですね。

だからこそ「ゆとり」の見直しが行われ、「ゆとり」=「悪」のような空気が生まれたのでしょう。


しかし、よく考えてみて下さい。


現在の社会は「国際化社会」「情報化社会」「知識基盤社会」などと呼ばれ、急速な変化をする社会です。

そうした社会で生きるためには、もはや「受験学力」が高いだけではどうしようもないんですね。
もうそんなことはだいぶ前から分かり切っていることなんです。

だからこそ、かつて「ゆとり」を導入し、じっくりものを考えられる人間を育成しようとしたんです。

単に受験偏差値的に優秀な人材ではない、真にエリートと呼ばれる人材を育成する方向にかじ取りをしようとしたんです。


もっと簡単に言えば、答えのある問題に、素早く正確に答えを出せる人間ではなく、自ら課題を設定し考えることができる人間、答えのない問題に自分の/自分たちの答えを出せるような人間、そうした人材育成を図ろうとしたわけなんです。


ただし、「ゆとり」政策の大きな問題は、教科内容を削減したと同時に授業時間まで削減したから、実際にはそれほど「ゆとり」は生れていないんですね。

このあたりのことは、岡本薫さんの日本を滅ぼす教育論議」などが分かりやすいかも。


だから結局学習時間が少なくなり、学習内容も少なくなり、じっくり考える時間もそれほど増えず、「総合学習」の時間だって、中には教科の遅れを取り戻す補習時間にされたということもあり、形ばっかりの「ゆとり」になってしまったんですね。


ただ、その「総合学習」が近年その成果がきちんと見直されているということです。

記事でグラフが提示されていますが、2013年度の全国学力・学習状況調査で活用力を問うB問題の平均正答率と総合学習の時間の取り組み方の違いをクロスマッチさせると、総合学習で探究的活動に取り組んでいる人の方が、正答率が高いという結果が出ているとのことです。




わたしたちに言わせれば、
「だからずっと言ってるじゃん」という感じです。


「総合学習」のような学習では、自ら課題を設定し、考え、表現し、ときに他者と議論をして、何らかの答えを導き出していくトレーニングをしているのです。

そういう人が、単なる受験勉強的な学習ができないはずがない。

いやむしろ単純な知識の暗記などはおろそかになったとしても、必要な知識は学習の中で自然に身についていくでしょうし、受験勉強のような学習をしなければいけなかったとしても、自ら考えられる人間であれば、どのような方法が効果的か、なぜこうした法則が答えを導き出せるのか、そうしたことを考えることができます。

つまり、単なる教科のテストのための学習であったとしても、自ら考えられる人間は、本質的な理解をし、そうすることが大変有効であることが改めて分かった・・・というただそれだけのことなんですね。



これまで「ゆとり」を含めて、「総合学習」などの本当の意味を理解してないで、表面的なことにばかり目を向けてしまうとこういう事態になってしまうんですね。

「ゆとり」はまさに「探究的学習」の必要性を感じて導入されたはずだったのに、いつのまにか、楽をするだけの、でも実質的には決して楽ができるようなものでもなく、だから、中途半端になり、基礎的な「受験学力」さえもままならないような事態になってしまった。



続きはまた次回…

昨日の読売新聞一面で、

「日本発の新教育モデル、OECDと開発へ」

という見出しの記事が掲載されていました。

ご覧になられた方はいらっしゃいますか?

見ていない方、そもそも新聞購読していない方はこちらで内容を確認できます。
☆読売オンライン☆
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20140507-OYT8T50076.html


記事に内容は、文科省がこれからの日本や世界で必要な新しい学力を育成する教育モデルを
OECD(経済協力開発機構)と共同で開発するというもの。



この記事の内容やそれについてのコメントを公式ホームページで書きました。
ご興味ご関心のある方はぜひご覧ください。

記事についてのコメントはこちらからご覧いただけます

学習塾ラーニング・ラボ公式HP☆


本日2014年4月24日(木)午前
日本の内閣総理大臣安倍晋三氏とアメリカ合衆国大統領バラク・オバマ氏が日本で日米首脳会談を行いました。

いま国際的にも多くな問題となっている環太平洋戦略的経済連携協定いわゆる「TPP」の交渉、およびアジア太平洋地域での日米同盟の役割について話し合われたようです。

TPPについては合意には至らず共同声明を発表するのは見送られたようですが、オバマ氏が尖閣諸島が日米安全保障条約の適用対象であることを明言したことを受け、安倍氏は日米同盟が力強く復活したと語ったとのことです。

いま我が国はお隣の国々と領土問題でピリピリしています。

尖閣諸島は中国、竹島は韓国と、それぞれ領有権を主張されていますが、特に近年軍備拡張が目覚ましい中国は潜水艦の保有も発表しているほどで、尖閣諸島への軍事的な行動も懸念事項となっています。

悲しいかな日本の現行法では、憲法も含めて、自衛隊が保有する能力を十分に発揮できないようになってしまっています。
だから、日米同盟を担保に、先の大戦以降アメリカ軍は東アジア、特に中国、北朝鮮、ロシアをにらむ形で日本に基地を配置しています。
まぁつまり日本はアメリカに守ってもらっているといっても過言ではないんですね。


自称平和主義者の方や、憲法9条を過度に信奉している方に言わせれば「それでいいじゃないか」といったり、米軍基地さえも国内から失くしてしまおうということらしいのですが、これってかなり異常な事態ですよね。

日本に米軍基地がたくさんあるのも変ですが、日本の自衛隊はかなり優秀な能力を持っているにも関わらず、同盟国が攻撃された場合でも助太刀することさえできない存在というのも、これまた不思議な話。

味方には守ってもらうのに、味方がやられていても守れない。

なんか不健全。
いや、随分都合の良い、虫の良い話である。


そういうと決まって返ってくるのが、

「きみは軍国主義者か?」

という紋切り型の反論。

いや反論にすらなっていない。

自衛のためのこと、国防ということを考えているのに、
「日本に戦争をさせたいのか」って筋違いな論理。

戦争なんて反対に決まっている。
誰が好き好んで命を投げ出すものか。

そんなの当たり前で、当たり前すぎて言うまでもない。

そんなの大前提で話をしているのに、
そこに戻っちゃうなんて、
しかも、その手の方は決まって大きな声で、同じことをくり返す。

だから論理的に説明しても、説得できない。


きっとそういう勢力の相手をするのがもう面倒くさいというか、
そんなことに気も時間も費やしていられないと結論をだして、
安倍総理は「集団的自衛権」の行使を認める憲法解釈を明示したのだろう。


多くの戦後教育を受けてきた人々にとって、安倍総理の行っている政治は「右傾化」などと映って、ややもするとかつて日本を大東亜戦争へと導いた軍国主義のかほりを感じ取っているようです。
もちろんそうしたことには敏感にならなければいけませんが、しかし、一方でこれまでの戦後の在り方がそもそもおかしいことだらけなんだったことも知らないといけない。
そこもきちんと自覚的にならないと、意味のない対立や意味のないところでの小競り合いが増え、結果、国を良い方向へ、国を真に主権国家として独立させる方向へを向かわせることなど到底できない事態となってしまいます。
日本が国内でわちゃわちゃやっている間にお隣で何がされるのか、きちんと考えなければいけませんね。



だいぶ教育とはそれている話題のようで、実はかなり密接につながる問題です。

教育というものもまた、戦後GHQによってだいぶ変な手入れをされていますし、そのせいで社会の中にさまざまな弊害が誕生したことも事実です。

歴史教育の問題もしかり、古典教育の問題もしかり。

正しい認識なんてのは究極なかったとしても、しかし、なるべく事実に即して、なるべく多くの人が「正しい」と感じられることをベースに世の中を創造していくしかない。

事実を著しく歪曲し、自分勝手に大声を張り上げて、同じことをくり返し叫び続けるのは、傍で見ていて決して気持ちの良いものではない。
むしろ痛々しい。

しかも、歴史や戦争については外国に言われるだけでなく、国内の同じ日本人同士でさえも、それぞれきちんとした検証もせずに、何となくの印象批評で議論してしまったりすることもある。

これは大変危険な状態です。

そういう根っこの部分をきちんと直視できないで、あるいはさせないで来たからこそ、「我関せず」のような多くの日本人らしからぬ日本人が誕生してしまったのでしょう。
あと何十年かこの状態が続けば、そんな考えをする人ばかりになって、もしかすると日本は今のように日本を保てなくなる日がくるのではないかとさえ思います。


とりあえずは目の前にあることをちょっと疑ってみることからはじめてみましょうよ。

とりあえず日本ってどんな国なのか、神話や歴史をもう一度学び直しましょうよ。


何か訳も分からずにやっていたこと(やらされていたこと)が実はたいして重要なことではなかったということもあるでしょうし、逆にもの凄い大切なことに気が付くかもしれない。
あるいはウソまみれだったということもあるかもしれない。


単にテストができるできないみたいなところで学びが語られてしまうと、大変危険です。

危険なことが危険だと分からないとどうなるか、きっとみなさんにはお分かりいたただけると思います。



というわけで、私たちラーニング・ラボとしても、歴史にふれ、古文・古典にふれ、神話に触れる機会をもっともっと作っていきたいと思います。

日本の小中高生は存在は知っていても中身まではほとんど目にする機会がない『古事記』や世界的にも価値ある『源氏物語』などを一緒に読んだり、歴史資料を集めて、教科書や一般的な通説となっている知識に一度ゆさぶりをかけてみる機会を増やしたいと思います。

古事記や源氏物語は小中高生はもちろんですが、その親世代でもすでに触れずに来た内容かもしれません。もしかしたら、その上の世代もそうなのかもしれません。

自国の神話に触れ、自国の歴史や文化に触れ直すことは、実は国際化社会で生きる者にとっても大きな意味を持ったこととなります。


ですから、わたしたちとしては、年齢を問わず、性別問わずあらゆる方と一緒に日本神話としての『古事記』や日本が世界に誇る長編小説『源氏物語』を購読する機会を設けたいと考えています。

ご興味ご関心のある方、またはすでにご自身でそれら文献を読まれていて、他の方を議論をしたい方、あるいは、こうした話題で話をされたい(講師をつとめてくださる)方、一緒に講座と立ち上げて頂ける方、ぜひぜひご連絡ください。




さて、昨日2014年4月22日(火)、全国学力・学習状況調査が実施されました。

昨年同様小学校6学年と中学校3学年の国語と算数/数学が調査対象で、
国立・公立の学校は悉皆調査となり、私立も半数近い学校が参加したようです。

↓調査問題等はこちらで確認できます↓
国立教育政策研究所HP
http://www.nier.go.jp/14chousa/14chousa.htm



この調査は、平成19年度から毎年実施され、一時期抽出調査(一部の人のみの調査)でしたが、全員参加の悉皆調査に戻り、今年も実施されました。

平成19年から行われていますが、実はそれ以前にも全国的な学力調査は実施されていて、昭和30年代に毎年ではありませんでしたが、理科や社会なども含めて行われていました。
昭和41年を最後に一旦は調査が終了していて、昭和50年代には「教育課程実施状況調査」という名前に変わって、一部の生徒のみの抽出調査で実施されました。
ごく少数なので、そのテストを受けたことがあるという人の方が少ないので一般にはあまり知られていないでしょう。

平成期に入ると小中学生は13年、15年、高校生は14年、15年、17年に実施されています。

このあたりになると、徐々に新聞の一面を飾るほどの皆さんにとっても関心の高いニュースになってきます。

この時期は、今話題(教育界では)のPISAというOECDが実施している国際的な学力調査がスタートした頃(2000年から3年毎に実施)で、特に、2003年のいわゆる「PISAショック」を皮切りに教育界は慌ただしさを増していきます。

文科省も「これからの時代に求められる国語力」や「読解力向上プログラム」などを発表して、現在の学習指導要領の基本理念にもなっている「生きる力」や「思考力・判断力・表現力」などをさらに強調していきます。

そんな流れの中ではじまったのが、この「全国学力・学習状況調査」なんですね。

まぁ全国的なものでなければ、地域ごとには以前からこうした性格の調査が実施されてきています。

横浜市でも独自の学力調査が行われていますし、僕が小中学生だったころは「診断テスト」などと呼ばれるテストがありました。



生徒たちはテストと聞くとやっぱり身構えて、「嫌だな」「成績に入るのかな」など憂鬱になってしまうようです。

もちろん「調査」ですから、児童生徒がどのような部分の学習がどのように進められているのか、あるいは足りていないのかを文字通り「調査」するテストです。

が、一方でそれは指導者側の指導の在り方の「調査」でもあるはずです。

多くのテストはやっぱり「成績」という評価をされるものというイメージを持たれると思いますが、世の中のほとんどのテスト、少なくとも児童生徒が受けるようなテストのほとんどは、生徒の評価だけでなく、指導者側に対するフィードバックという性質もあります。

そのあたりあまり意識されないですねよ。

本来教育評価というのにはそういう性質もあるのですが、実際に運用されるときには、特に中学校、高校での定期試験などだと、あまりそういう感覚でテストを捉えていないことの方が多い印象です。

でも、とっても大事なことなんですよ、これ。

テストを受けて、あまり良くない結果が出ると、オトナたち(多くの場合先生)が「もっと勉強しなさい」と言ったり、言葉にはしなくてもそういう態度を取ったりします。

もちろん一生懸命に勉強をすることは貴いものだと思いますので、それは別に悪いことではないと思うには思います。

ただ、それと同時に自分の教え方に問題はなかったか、なぜこの子はあまり良くない結果だったのか、その問題を生徒の頑張りのなさ以外の部分にも求める姿勢がないのは大きな問題です。

わかりやすい事例でいえば、よく聞くのは作文ですね。

夏休みの宿題や行事のふりかえりなど、時折り作文の課題が出されるが、
そもそも「書き方」とかを教えられていないという人がたくさんいます。

教えられたり、勉強する機会が十分にないのにもかかわらず、半強制的に書かされる。

しかも、書いたら書きっぱなしでふりかえりがないということもある。

たとえ振り返りのコメントや赤で添削が入ったとしても、なぜそれが良いのか、そう書くとどう良くなるのか、訳も分からず直されることもしばしばのようです。

つまり、作文を書く前の事前指導がほとんどないだけでなく、添削等の事後指導もほとんどない状態なのです。
もちろん、指導がある場合は先生なりの考えのもと行っているのでしょうが、少なくとも生徒には伝わっていない、先生の主観でとまっているレベルの指導だと言えちゃいそうです。


願わくば、生徒たちが受けているテストが本当に意味のある、価値があると当人たちが自覚的に感じられるような存在とならんことを。


まぁとはいえ、必要な知識や技術を身に付けていないと、困ってしまうのは児童生徒本人なのですから、「テストが嫌だ」「先生が嫌だ」「学校が嫌だ」というもの気持ちは分かりますが、必要なことについては自らも積極的に学ぼうとしてもらいたいとは思います。


さてさて、実際に学力調査を受けた小6、中3のみなさん、どうでしたか?

成績に入る入らないは別として、復習してみてください。


テストを受けたというそのことが、きちんと意味のあるものになるように。




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