前回「ゆとり」教育や「総合学習」について、読売新聞の記事に寄せて、コメント書いてみました。
今回はその続き。
「ゆとり」は学力低下をまねいたといわれ否定されてきました。
その真意が必ずしもきちんと理解されなかったからだと、前回書きました。
☆前回の記事はこちらからご覧ください☆
しかし、だからといって、その理念自体が否定されるものではないはずです。
それなのに、最近は脱ゆとりとして、再度「つめ込み」型が求められる空気が強くなっています。
まさに振り子のように、同じところを行ったり来たり。
同じところを行ったり来たりしているだけでは、改善も発展ものぞめません。
それどころか、同じところを行ったり来たりしているだけでは、徐々に低下していくのは当然といえば当然の帰結。
そろそろ目先のことで右往左往し、小手先のテストや成績の数値のことばかりを考えて、妙な不安感を抱くのはやめませんか?
もちろん相も変わらず日本には「高校入試」「大学入試」があって、それ次第では進路が大きく変わる可能性はあります。
とはいえ、過度に「入試」にばかり気を取られると、肝心の日々の学習が、非常に無味乾燥な、知的好奇心をくすぐるようなドキドキもわくわくもない、あったとしてもテストで良い点とれるか、成績が落とされないかのドキドキだけになってしまう。
そんなん学習意欲がわくわけがない。
「何で勉強しないといけないの?」
「これって何の意味があるの?」
「こんなことまで勉強しないといけない理由は?」
誰もが一度や二度もったことがあると思うこの疑問。
これはある部分で当然の疑問だと思います。
そういう疑問がわくような学習があまりにも多い。
もちろん私自身は、「つめ込み」大賛成、学習は超重要なものだと思っていますが、今のような結局は受験のため、テストのためのような学習には、やっぱり賛成できませんね。
だからこそ、私たちラーニング・ラボでは「基礎講座」を開講しているんですね。
「基礎講座」とはまさに総合的学習の時間。
中でも特に「国語」を最重要視して、文章の読み書きの力や会話・対話する力をUPするために日々言語技術的なトレーニングもしています。
もちろんそれだけでなく、基礎的な技術はどうやって使っていくのか、実際の活動のなかで応用する機会もあります。
例えば、あるテーマについて「調べ学習」を行い、新聞形式でまとめたり、あるテーマにそってブックトークをしたり。
最近は、作文(特に意見文や議論文)の書き方をふまえて、対話や議論の話に発展させて、「弁証法」的な思考方法について学んでいます。
簡単なゲーム?演習?を通して、自分の意見の主張や相手の意見を聞くこと、さらに両者の考えをどうやって合意していくのか、などなど、けっこう高度なことを、でも楽しく実践を通して気づきを得てもらえるように授業を進めています。
これについてはまた別の機会でご紹介します。
さて、あなたの学校では、あなたのお子様の学校では、「総合学習」がきちんと機能していますか?
「勉強した方が良い」という思いはみなさん共通して持っている考えだと思いますが、では、じゃあ「何を」「どんな風に」「何に向かって」学習すれば良いか、きちんとビジョンはありますか?
このまま何となく受験のため、何となく学校にされるがままでは、気付いたときには社会で通用しない力ばっか身に付けていたということにもなりかねません。
何か力が身についていればまだ良いのかもしれませんね。
教科書を使って、学校の授業で習ったであろうことはきれいさっぱり忘れてしまう人だって、いっぱいいるのが現実ですから。
不安に思うのであれば、それはどこの高校に入れるかどうかではなく、どんな学習をして、どんな力を身につけていこうとしているのか、もちろんその先のミライをどう切り開きたいかということ、これらにこそ真に悩みましょう。
それでもご不安な方、すでに悩んでいて「でもどうすれば良いのよ!?」という方は、ぜひご一報ください。
単なる学校の成績や受験のためだけ学習を行う塾とは違ったお手伝いが出来ると思います。
●「総合学習」にような探求型学習、自立学習に関しては・・・
☆当塾オリジナル授業「基礎講座」の概要☆をご覧ください。
●作文 小論文 読解力 などに関してご不安のある方
学習塾ラーニング・ラボまでお問い合わせください。
小手先のテクニックに終わらず、じっくり骨太の学習を進めていきましょう。
そういう人材が日本の若者たちの中にもっともっと増えていく・・・
そういう明日こそが「希望あるミライ」。
少子高齢化のいま。
逆に若者たちの学びからの逃避がこれ以上続けば・・・
日本は大丈夫なのか!?
今は良くても、「そのとき」がきたら、誰もが事態の深刻さにやっと気づくのでしょう。
でも「そのとき」が来たときに気づいてももう取り返しがつかないかもしれません。
「そのとき」、あの時こうしていればと思ってももう遅い。
「そのとき」、誰かのせい、時代のせい、社会のせいにしても、どうしようもありません。
いまが最後のチャンスかもしれませんよ。
頑張れ、若者。
頑張る、私たちも。
頑張ろう、一緒に。
だって良いも悪いも、損するのも得するのも、あなただから。
あなたの人生だから。