作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ! -11ページ目

作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ!

作文・小論文・読解力など国語力UPのための塾。横浜市保土ヶ谷区にある学習塾ラーニング・ラボのスタッフブログです。教室での出来事、教育ニュース・新聞記事・書籍についてのコメント、当塾オリジナルの「基礎講座」で作成した生徒の作品なども発表します。


さて、長かった(!?)GWも終わりました。

休みの期間が長ければ長いほど、
日常に戻るのが大変にもなります。

ついついダラダラとして5月病なんてことにならないように、
徐々にでも着実にエンジン全開にしましょう。


中3生の方は早いところではそろそろ修学旅行というシーズンにもなろうかとしています。

中学校生活において大きな大きなイベントです。

まぁ本来は「修学」ですから、
何かを「学び修めて」来てほしいところですが、
中学時代の級友達とこの時期に何日かを共に過ごす、
という機会もなかなかないでしょうから、
そういう面でも楽しいひと時を過ごしてきてください。


だって、
だって、

帰ってきたら・・・


そう、今年度最初の定期試験が待っています。


だからこそGW明けのいまこそ、
修学旅行前に気合いを入れて準備をしておくのが良い。


「まだ先だし」

なんて考えていると、あっという間にソノトキを迎えることになりますよ。

「こんなはずじゃなかった」

なんてソノトキに泣いてももう遅い。

そういう考えをしていると、
気付いたらもう高校入試なんてことにもなってしまいますよ。


「アノトキもっと頑張っていたら…」


なんてことにならないように、
楽しいことは存分に楽しんで、
でもきちんとやるべきこともやれるように。

やるべきことをきちんとやっているからこそ、
楽しいことも何の気がかりもなく存分に楽しめるはず。

その先にこそ、アカルイミライが待っています。



他の学年の方も、ぼちぼち準備しましょうね。

最初の定期試験は、それほど内容も濃くなく、
範囲もそれほど広くならないことが多いです。

今やっていること、その時その時できちんと復習していくこと。

余裕があれば難しい問題にチャレンジしたり、
学習が済んだ(と思われる)部分を誰かに「教えて」みましょう。

学習のゴールは単に用語が暗記できることでも、
問題集の問題が解けることでもありません。

その部分に関しては誰かに教えられるくらいにまでなること。

そうなったときはじめて本当に学習内容を「理解」したといえます。

ほんとうに「理解」していると、それを「活用」することができます。

「活用」というのも、単に問題集の難問が解けるというだけでなく、
その他の知識を関連付けて、よりナニカを深く理解したり、
現実的な問題の解答を探りだすツールとして使えるようになります。

まぁそこまではなかなか難しいかもしれませんので、
少なくとも学習した部分に関しては、
「誰かに教えられる」というレベルまでやりこみましょう。
というか、そういう視点をもって学習を進めていきましょう。

「できた気になっているけど、これ『教えられるかな?』」

と自分に問いかけながら仕上げていくと、
思わぬところに落とし穴が発見できたりします。



さぁ何はともあれ、今年度が本格的に始動します。

初夏のようにさわやかで温かい陽気が続ていますから、
寒さで縮こまっていた身体を存分に動かすのもいいですね。


ラーニング・ラボも今日から通常通りの開校です。

みなさんの連休中のあれやこれを聞くのを楽しみにしながら、
「連休なまり」に喝を入れる準備をして待っていますよ。

また今日から一緒に励んでいきましょう!


先日、祖父の十三回忌を行いました。

身内だけで簡単に執り行おうと、祖母が日課としている般若心経をみんなで読経することになりました。

般若心経の存在はもちろん知っていたし、冒頭部分や、最後の「ギャーテーギャーテー・・・」の部分も幼い頃に祖母が唱えていたのを聞いていたのでそれが何となく耳に残っています。

般若心経といえば、「色即是空 空即是色」も有名なフレーズですね。


かくいう私は、実は大学生のとき、東洋思想、特に中世仏教思想を専門とする先生のゼミにいたことがあり、多少は仏教をかじっています。

何ならよく訳も分からず、小難しいお経なんかも読んでいました。

ただ、かの有名な般若心経はきちんと中身を読んだことがなかったんですね。

はじめてじっくりと読んでみました。


いわゆる大乗仏教の「空」の思想のエッセンスが記されているのは、まぁ確かにそうなんですが、少々違和感もありました。


「色不異空 空不異色」「色即是空 空即是色」
というフレーズはまさに「空」について語られているところです。

また度々、逆説的なフレーズがくり返されているところも、大変「空」的思想です。

ただ、冒頭に登場しますが、「観自在菩薩」が「舎利子」に語るという構造はどうにも「?」ですね。

もちろん「観自在菩薩」とか「文殊菩薩」とか有名な菩薩は信仰の対象にもなっていたりするので、上位の存在であることは間違いないと思います。
が、菩薩は本来、修行者で、未だ悟りを開いていない存在のこと。

だから、仏陀の直接の弟子、しかも智慧第一と言われているのが、「舎利子」。

そんな仏弟子に菩薩が説法するという構造はどうなのか、と思ってしまいます。

私の理解、間違っていますかね!?


・・・と、それは今回の主題ではなくて、実は「空」の思想には、さらに重要な「因縁生起」という考えがあります。

あらゆるものは独立自存のものではなくて、まさに「因」や「縁」によって成り立っているという考えです。

その意味で「色」は「空」であり、「空」は「色」なんですね。
ちなみに「色」は物質的、物理的なものを指しています。
人間でいえば、肉体のことですね。

あらゆるものが独立自存ではないということは、つまり、あらゆるものは「相対的なもの」であると言いかえることもできます。


その意味では、この「空」や「因縁生起」の思想は、アインシュタインの「相対性理論」にもつながるように思います。

「相対性理論」の方が、何となくの概説を見た程度でくわしくは知らないので、全然違うものかもしれませんが、私の理解では、通ずるものがあります。

(間違っていたらぜひご指摘ください)


ゴリゴリの宗教的な思想とゴリゴリの数学、物理が実は相通ずるものがあるというのは素敵ですね。

どういった分野のことであれ、突き詰めていけば、あるいは、原理を丁寧にひも解いていけば、語られる方法やコトバは違えど、大変近しいものになるのかもしれません。
そもそも哲学、宗教などを「文系」、数学、科学を「理系」なんて言っているのは人間が勝手にそう枠組みを作っただけなのですから。



いずれにしろ、どちらもあらゆるものが絶対的、自立的なものではなく、相対的であるということを説いている(はずです)。

こういう見方、考え方は、時に自分の考えを大きく揺さぶってくれます。

それが良く働くこともあれば、大いなる迷いとなる場合もあります。

しかし、そもそも絶対的なものがないという前提に立てるということは、それそのものにやはり重要な意味があると思います。

絶対的なもの、確固たるものがあると思ってしまうからこそ、そうではないナニカを認められず、対立や否定という事態が起こるわけです。

言論の場での対立や否定であればまだ良いのですが、時にそれは武力をもって物理的な行動として現われます。

国同士の戦争もさることながら、本来人間の心の拠り所となり、安寧をもたらすはずのものである宗教においてさえ争いが起こっています。

「因縁生起」や「相対性理論」にある根本的な「相対」という考えを今一度考え直すことが、これまで人間の歴史の中で起こってきた人間同士の争いに一つの解を示し得るようにも思えます。

ちょっと話が飛躍しすぎかもしれませんが、大乗仏教的な「空」や「因縁生起」の発想は、これまで世界を主導してきた西洋・キリスト教的世界観が抱える問題解決に一定の影響を持ち得るのではないかと思います。

特に、日本には土着的に神道という宗教というか信仰というか習俗というか、それもあります。

よく一般的に語られる外国から見た日本の、日本人の美徳の多くにはこの神道の考えが色濃く残っています。

そうした世界的に見ても称賛されやすく、かつ、稀有な存在である日本、日本人。

私たちは、産業的にも『加工』が上手なお国柄ですが、思想においても、多くを取り入れイイトコドリができちゃいます。
しかも、単なるモノマネで終わらず付加価値を与え、よりバージョンアップした形で自分たち流にアレンジする能力も高いわけです。

そんな独特な存在であるところの日本および日本人は、多くの国際的な問題の解決に重要な役割と演じることができるように思います。

ぜひ、そういう人物がたくさん出てくることを願っています。








新年度・新学期がスタートし早3週間。
(このフレーズ使い過ぎ!?)

今月も残すところあとわずか。

季節柄か何となく体調がすぐれない状態で、今週の授業の無事終了。

重たい体を引きずって帰宅し、あれやこれやと雑事をこなしていたら、やっぱり気付けば午前2時。

何となくでTVのスイッチを入れたら、やっていました「朝まで生テレビ」。

あぁ月末か、と改めて実感。


今日のテーマは「集団的自衛権」。


少し前から、憲法改正や集団的自衛権、領土問題、いわゆる従軍慰安婦問題、靖国神社、東京裁判などなどの問題が表だって議論され始めてきたように思います。

外交や国防などについて、私は恥ずかしながら、つい最近まで自分の関心事ではありませんでした。

が、いわゆる「平和憲法」がある「平和国家」であるところの日本、その「平和」というものがどのように担保され、私たちが日常的にはある意味での「平和」を保って生活できている根拠はどこにあるのか、これは実は国民一人ひとりが「我が事」として関心を持っているべきことなのでしょう。

そんなこんなで最近は様々な政治家や学者など言論人の発言やメディアに関心を持つようにしています。

外交や国防の問題は、国家として、民主主義、国民主権を唱える国としては非常に根本的で、かつデリケートな問題ですから、簡単に「答え」が出せるようなものではありません。
ただ、一方で、それは一部の政治家や学者だけが議論して「答え」を出すような問題でもないはずです。

その意味で、「朝生」で誰かが言っていた、「国民に覚悟をもってもらう」という言葉は大変重いものであると思うのです。

現在の日本のルールは、議会制民主主義、代議士制ですから、政治家は私たち国民の代表です。
でも、あくまでも主権者は国民一人ひとりなわけです。

だから、

「だれかがどうにかしてくれればいいや」

という態度は頂けませんよね。

自分に不利益がなければ無関心で、いざ自分にとって不利な事態が起こった場合にだけ猛然と抵抗するという態度はいささかアンフェアではないでしょうか。
それならそもそも自分が善と思える政治を行う人物を代表者として推したのか、と問いたくなってしまいます。

昨今の国際情勢やそもそも国内情勢でさえも、そうそう全国民がvividに反応し、あらゆる政策テーマについて議論できるかといえば、現実的にはかなり難しいでしょう。

かくいう私だって教育とか自分が関心を持ってそれなりに情報を入手したりしているテーマであればいざ知らず、なかなか普段アクセスしていない分野のことであれば、やっぱり専門家と同レベルでの議論は難しいです。

じゃあやっぱり「だれかに丸投げ」なのか、といえばやっぱりそれは違うと思う。

そういう話題であっても、必要に応じてきちんと情報を得て、それについて自分の意見を持つように心がけること、それは誰でもできるし、誰もがやるべきことなのだろう。
主権者としての国民であれば。

だから、こういった機会に、少なくとも私たち一人ひとりが「覚悟」を持つようにシフトチェンジしていくことが、「ズブの素人」の私たちにもできる、かつ、すべき最も重要なことの1つではないでしょうか。

先に挙げたような、憲法改正、いわゆる従軍慰安婦問題、東京裁判史観(自虐史観)などなどについては、私のような立場の人間からすれば、やはり教育という側面から眺めてしまいます。

そこには戦後教育の問題が大きく関わっています。


先日、といっても2か月くらい前の話ですが、自民党の稲田政調会長が東京裁判について、法的に疑問がある(罪刑法定主義)として、事実関係の検証の必要性を示したという報道がありました。

こうした発言があると、「歴史修正主義だ!」と強く非難される方がおられますが、事実関係を検証し直し、その事実を受け入れようとする姿勢が果たして「修正」主義なのでしょうか。

また、集団的自衛権とか憲法改正(特に9条の問題)を議論すると、それだけ「軍国主義」やら「右傾化」やら、「日本を戦争する国にする気か!」「自分の子どもを戦争に行かせる気か!」と声高に発言する声も聞こえてきます。

そうならないために、あるいは、ロクデモナイ侵略者たちに有耶無耶のうちに戦争に巻き込まれないためにこそ国防、外交について、そもそもの国家のグランドデザインについて語ることのどこが「軍国主義」なのでしょうか。

自衛隊の存在を憲法的にもはっきりさせることで、より国防のための活動に支障が出ないようにしようと試みることが、すなわち戦争をすることと直接むすびつくのでしょうか。
可能性としてつながらないものではありませんが、現状で、自衛隊が国防軍になって、戦力と呼ばれるものを正面切って装備できた瞬間、日本国民は、その代表者は戦争をしかけるのでしょうか。

少々論理が飛躍してしまっているようにも思います。
それこそ主権者としてそうしたことが危ぶまれる事態となれば、それを阻止すべく、その権利を正当に行使すれば良いはずですが。

だから、そういう点ではやっぱり国民の側、もちろん一部のなんちゃって政治家に、そもそも国家観が、主権者、あるいは権力を付託された代表者としての「覚悟」が足りないのかもしれないですね、私を含めて。


私は教育という世界の片隅で生きている人間ですから、こうした問題には「社会科」の学習の場面で生徒たちとともに直接触れる機会があります。

単純に、国家の基本的ルール、その最たるものとして法律が制定されるまでのしくみとか、そういう勉強は中学校3年生で「公民」分野で学習します。

ただ、印象としては、やはり何となくよく分からないというか実感も持てないまま、テストに出させるから何となく暗記しました、という人が多いのが実態。

なるべくそうはならないようにと様々な投げかけを工夫していても、結局は「テスト範囲がここだから・・・」「入試ではここがこう出るから・・・」などの問題で、より意義深い、現実的な議論にまで発展させられることは少ないのではないかと思うのです。
中3=受験期に「公民」を学習しているというのもそういう状況に拍車をかける要因かもしれませんね。

まぁ、しかし一応は義務教育段階で、特別の事情がない限り、すべての人が基本的な「公民」を学習しているのですから、そうしたことに関心を持てない、どこか他人事であるのは、教育の在り方の問題でもあるわけです。

だからこそ自戒の念を込めて、やはりきちんと自分で情報を集め、吟味し、その上で自分の意見を醸成する力を子ども達には身に付けてほしいと思う。

そのための機会や場の提供をやはり続ける必要性を強く感じます。

私の周りには、自分で情報の吟味をせずに、何となく声高にくり返される発言に傾いてしまう人が多いようです。
それは、子どもというよりは、大人に多いように感じます。

特に、声高にくり返される発言が大変耳障り良く、理想的で、ピースフルな内容であれば、やはりもっともらしく聞こえるし、正論というか正義のようでさえあります。

そもそも色んな立場があり得る、だからこそ「答え」の在りかを多くの人間が探っている問題に、そんな理想的な答えが示せる方がおかしいのかもしれない。

もちろんその理想は目指すべきものであったとしても、そうであれば、ひとまず現実的に何をどうすることからはじめようか、そんな議論をしていくべきでしょう。

「あれはダメ」「これもダメ」と批判のための批判ばかりでは意味がありませんし、もちろん一気に「理想郷」が創れるわけでもありません。


だから、そうした様々な立場や意見の存在を認め、なおかつより良い「答え」をまずは自分の中で、次に自分たちの中で見出していける、そんな人材が増えていくこと、私たち教育に携わる者が出来る仕事、するべき仕事って、究極はこれだと思うのです。



日本の周辺では現在進行形で何やら良からぬ事態がワラワラと進行しているようです。

悠長に身構えていることは、もはやできない事態なのかもしれません。



それでもやはり私たちが、いえ少なくとも私ができること。

すぐに、現実的にできること。

それは、目の前のことを「我が事」として学んでいくこと、そして、それらを子ども達とともにが学び直す場と機会を提供すること。



改めてそんな思いを持った週末でした。




先日、神奈川県公立高校入試の勉強会に参加してきました。

それほど目新しい内容というのはありませんでしたが、講師の方の話を聞きながら、いろいろと考えさせられました。
そのいくつかを簡単に記しておきたいと思います。

神奈川県公立高校入試を受験予定の方はもちろん、その他の地域の方にも、ぜひお読みいただき、それぞれのご家庭ないし学習の場において、子どもたちの学びというものを改めて考えるきっかけにして頂ければ幸いです。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

新しい入試になって早3年。

昨年度の学力検査では、理科の難易度が上がり、
今年度はやや易化するかと予想されていましたが、
ふたを開けてみれば、平均点は低いまま。

神奈川県としては、この路線で突き進むという意志を示しているのでしょうか。

理科もさることながら、今年度入試では、数学の出題でこれまでの典型的なパターンがくずされたものがあり、ビックリした受験生も多かったとか。

英語でも、記述解答の仕方の変更など、なかなか歯ごたえのある問題となりました。

こうした状況から、やはり神奈川県としては、入試を新しい制度に変更する際に打ち出した理念を、変にヒヨラズに、突き進めているとみることもできます。


また、勉強会で指摘され、確かにそうだと思ったことに、大学入試の改革があります。

現在の中学1年生の代から新しい大学入試になるとのことですが、
その大学入試の改革というのも、神奈川県の新しい高校入試と基本的路線は同様のものです。

つまり、これまでのようないわゆる知識量偏重の「受験学力」ではなく、習得した知識をきちんと活用できるかどうかについて、その力を測るテストを実施していこうというのが現在の教育界の大きな流れのひとつです。

少し違った角度で具体的にみれば、その根本には、学習指導要領にも記されている「生きる力」、その習得のために重要なポイントとなる「思考力」「判断力」「表現力」をテストという場でもきちんと測っていこうという意図があるのです。

ですから、指導要領では、各教科の学習において、「言語活動の重視」が示されています。

どんな教科であれ、どんな種の学習であれ、そもそもコミュニケーションや思考は、言語によるところが大きいわけですから、当然といえば当然です。

神奈川県公立高校入試では、もちろん国語においても、記述解答の問題が増加するなどの変化がありましたが、それ以上に、英語や数学、理科などにおいて問題を読み取る力、情報を整理する力、適確に答えを表現する力が求められています。


こうした流れは、これまでの神奈川県公立高校入試からすれば、かなり大きな変化です。

これまでであれば、中3の夏頃からちょこちょこっと知識面の補強をして、後半にはパターン演習をしてしまえば、なんとか乗り切れていた入試が、そうではなくなってしまったわけです。

これからの受験生からすれば、なんともまぁ大変な状況になって、さぞ恨めしく思っていることでしょう。

ですが、単に知識だけあって、パターン化された問題だけ効率よく解ける程度の力しか磨いていなければ、いずれどこかでその代償を払うときが来ることになるわけです。

そんな調子の学習だけで、たとえば大学に進学し、その後就職をするとなっても、社会に出て「使える」力は身に付けられていないかもしれない。

その時になってはじめて、「もっと勉強しておけばよかった」と思うことになったとしたら、それはもう悔やんでも悔やみきれないことなのかもしれない。


もちろん、そうした学習をくり返す中であっても、そこから、単にテストに解答できるだけではない「なにか」を得る人もいます。
直接的な知識だけでなく、情報を吟味する力や、論理的な思考力など、あるいは、副産物として集中力とか計画力とか、まぁ一連の受験勉強から、学ぼうと思えば実にたくさんのことを学ぶこともできます。

でも、やはりそうしたことができるのは、一部の人と言わざるを得ないのが現実でしょう。
一部の優秀な人、一部の良い指導者に出会えた人、そうした人からすれば、入試がどんなものであっても、きっとさして変わりはないのでしょう。
だって学ぶってことが何たるかときっと理解しているのだから。



であれば、小中高と学習をする中で、きちんと大切な視点を持って学習を積み重ねていった方が、たとえ以前の人に比べて少々大変であっても、テストの点数に即つながらず少々遠回りをするようであっても、そうした学習の方がどれほど有意義なことでしょうか。

そして、そういうものが社会的にも正当に認められ始めているのだから、そうしないというのは、やはりナンセンスだと思うのです。


わたしたちも微力ながら、そうした意味ある学習の場を、機会を提供するためにこそ、ラーニング・ラボという場を設けて、「基礎講座」を中心とした、「テストや入試でおわらない学力の育成」のための授業を行っているつもりです。

なにも、わたしたちは入試がそうなったから、というのではなく、教育界がそうなってきたから、というのでもなく、「そもそも大事な学習って何なの!?」「時代や社会が変化しても変わらずに大切にすべき学びって何なの!?」っていう問いから歩みを始めています。

だから、あえて偉そうに言い放つと、やっと時代が、社会が、神奈川県の入試でさえも、わたしたちに追いついてきた、というのが本音です。


現在の中学生以下の生徒、児童の皆さんは、今後、単にテスト的に優秀なだけの力では必ずしも評価されないということになるでしょう。
まぁもちろんそのテスト自体がどんどん変わっていくので、もしかしたらテスト的な優秀さというのは残っていくのかもしれません。
それはそれで実は怖いことなのですが、しかし、教育をとりまく現状の不健全さに風穴を開けるという意味では、こうしたテストによる改革というのは、1つの解になり得ると思います。

それに対応しなければいけない側はもちろん大変ですし、不幸なことかもしれません。

しかし、それはある意味でラッキーなことでもあります。

今までの人は、その後どこかで帳尻合わせをしなければいけなかったものが、これからの人は、日々の学習が、「生きる力」に直結するようになるのですから(たぶん)。


神奈川県公立高校入試を近い将来受験する予定の人は、今目の前の学習をきちんと積み重ねてくださいね。

知識があるだけでは解けない問題になってきていますが、しかし、知識がなければそもそもお話になりません。

必要な用語、学習事項の暗記は必須です。


あとでやればいいや、テスト前にまとめて復習しよう、などというのは、これまで以上に通用しなくなってきます。

だって、知識を入れた上でやるべきことがあるのですから、ひとまずは知識をすぐに暗記するというのは勉強の大前提です。


「鉄は熱いうちに打て」

記憶も同じ。

学習したての時こそ、間髪入れずに何度も復習するんです。

ちょっとした意識の変化と、やり方の変化で、実はこれまでよりも、簡単に知識を習得することができるはずです。

後回しにしているからツラくて、大変な作業になるんです。

めんどうくさいって思うから、嫌なだけの作業になるんです。


この辺りの学習の方法というのもとても大切なことですので、
単に大量の宿題があって、それを何とかこなすというだけの学習をくり返している人は、もしかしたら、なかなか伸びないかもしれませんよ。

もちろん復習や、大量の問題演習は大事。

でも、大事なことを抜きに、ただ大量の宿題をノルマのごとくやりこなしても、身につくものも身につきません。

心当たりのある方は、ぜひ改めて学習の方法について考え直してみて下さい。

どう出たらよいか分からないという方はぜひご一報ください。


日々意味のある学習をしていれば、たとえ入試がどう変わろうと、たいした問題とはならないはずです。

もちろん一定の対策は必要になるでしょうが、前提となる学習がきちんとできていれば、それは苦痛なだけの作業ではなく、むしろ、知的好奇心とガンガン刺激されるような意義深い学習となるはずです。

――――――――――――――――――――――――――――――――――



新年度、新学期がスタートし早3週間。

授業を本格的に始動していると思います。


ただ、来週からはGWでお休みが続きます。


休みの間、勉強だけをしろというつもりは毛頭ありません。

学校が休みだからこそできることもあります。


部活動に取り組んだり、体を動かしたり、家族と旅行に行ったり、友だちと遊んだり・・・


そのすべてが価値あることですから、そうしたことにも全力で取り組んでみて下さい。

ただし、うまく学習がスタート出来ていないという人や、連休明けぼちぼち定期試験が見えてきますから、受験学年の人は、教科の勉強も忘れずに取り組んで下さい。

1日何時間もやらなくてもいいんです。

20分、30分の時間でも、全然違います。


ぜひ充実したGWを過ごしてください。





ラーニング・ラボがお送りする無料Web講座

今回は「国文法」の解説動画を作成してみました。
まだ導入部分となる「ことばの単位」や「文の成分」などの
解説動画しかUPしていませんが、随時UPしていくので、
ぜひご活用ください。

【第1回】
 「ことばの単位」「文の成分」



【第2回】は「補助の関係」「並立の関係」について解説する予定です。
お楽しみに~

【第2回】以降は、ラーニング・ラボ公式ホームページ「無料Web講座一覧ページ」をご確認ください。




新年度、新学期がスタートして早3週間。

新しい生活には慣れてきたころでしょうか。

そうこうしているうちに、ぼちぼち見えてきました。

GWクラッカー


すでに受講生にはお伝えしていますが、

ラーニング・ラボでは、来週の木曜日からGW休校日になります。

再開は5月7日(木)からです。


授業の回数等の兼ね合いで、29日は通常通り授業を実施します。


上記休校期間中は、日によっては全日休校となりますので、
自習などに来たい、体験授業を受けたいという方は、事前にお知らせください。

また、お問合せ等につきましても、通常通りの対応はできかねますので、
ご了承ください。
メールやホームページ等からのご連絡ですと比較的スムーズに対応できるかと思います。

よろしくお願いします。



学習塾ラーニング・ラボでは、国語や算数、数学などの
ふつうの教科の枠をとっぱらった、「基礎講座」という授業を行っています。

教科の学習はもちろんですが、
そういう枠組みではない様々な学習においても、
あるいは、単純に隣の人とコミュニケーションをとる場合にも、
必ずと言って良いほど、私たちは言語を使います。

「考える」という作業において、コトバは大変重要なものです。

だからこそ、コトバというものにより注目し、
学習の方法、思考の方法、情報の吟味、その上で自分がどう意見を持つか。

そんなことを課題とした授業を行っています。

授業の中では、作文や論文の作成をはじめ、
新聞などのメディアの比較とか、
スピーチやディベートなどの言語活動を行っています。

そうした活動を進めていくためには、
もちろん技術的な訓練も必要です。

受講生のみなさんは、当然、さまざまな状況、背景を持って集まってきます。

だから「せーの」でいきなりディベートをやっても、
作文を書き始めても、なかなかうまくはいきません。

でも、個人個人の技術訓練をやりながら、
しかし、他者と交わりながら意見、価値観をぶつけ合うことは、
時に、単なる個別の技術訓練の積み重ねだけでは得られない
素晴らしい成果を得られる。

だから、この「基礎講座」は小グループ授業にしているんです。

学校の授業とか、一斉講義形式の授業とは、
別の意義をもったグループ授業なんです。


だから、「やっぱりそうだよね」と、
子ども達の反応から、自分たちの取り組んでいることが、
価値あることであろうことを再認識させてもらえる。

その一歩は、その一つ一つは、決して大きなナニカではないかもしれない。

でも、5年後、10年後、ここでともに学んだ誰かが、
これらの体験を糧とし、ナニカ大きな実りを得ることになるのであれば、
それで良いと思う。

しかも、「ここで学んだこれがここで役立った」なんて、
はっきりと言ってもらえなくても、
いや逆にそうはっきりと認識できないレベルで、
彼、彼女の中に落とし込まれていけば、
これ以上のことはない。

そうした小さなカケラたちが、いつか巡り巡って、
この国を、社会を・・・

いやいやそんな大げさなものでなくても、
この子の周りをよりハッピーでスリリングで、
ファンタスティックなものにしてくれること、
それを願って今日も私は汗をかこう。


私がちょいちょい見ているYouTubeチャンネルのひとつ。
「CGS」
最近少々ご無沙汰気味でしたが、
ちょっと覗いてみたら面白い動画発見。

以前は「デリカット」さんと並んで語られるほど、
よくメディアでも見ていた「ギルバート」さん。
久々にお顔を拝見。


日本の教育について語られています。


外国の人から見た「自分」というのは、
自分たちのことを内省する上で、
大変貴重な視点を得られます。


教育について、過度な平等主義と、ディベートの重要性について、
特に興味深いものを張り付けておきます。

ぜひご覧ください。


ちなみに、先に書いた通り、意見文の作成、スピーチ、ディベートなどを
正面切って授業として取り組んでいる人間の一人として、
共感できる部分がとても多いです。

さらには、私たちがそうした授業に取り組むのは、
「学校の成績やテスト、入試のためだけの学習」に対する
アンチテーゼでもあります。

戦後日本の教育、特に、入試や学歴というものによって形成されてきた
いわゆる「学歴社会」というものは、この異常な「平等主義」によって、
力強く、ある種の正義として語られ続けたという側面があります。

 ※ちなみに、このあたりについて詳しく知りたい方は、
  ひとまず苅谷剛彦氏の『大衆教育社会のゆくえ』をご覧ください。
  教育社会学の専門的な著書ではありますが、
  新書ですので、たいへん読みやすいと思います。
  その他おすすめの本がいくつかありますので、
  ご興味ある方は、ご一報ください。


こうした話を聞くと、
自分たちの行いに背中を押してもらえたようで、
より自信を持って取り組めます。

よし、今日もいっぱい汗をかこう。


【CGS】
 『日本の行き過ぎた「平等主義教育」を指摘する』



 『グローバル化に必須のスキル!ディベートとは?」




いかがでしたか?

なかなか興味深くないですか!?


ちなみに、私たちもYouTubeチャンネルで、
動画をUPしているので、ぜひ遊びに来てください。
アカウントをお持ちの方は、ぜひぜひ「チャンネル登録」お願いします。。

【ラーニング・ラボチャンネル】
https://www.youtube.com/user/LlaboJP





先週は肌寒い陽気でしたが体調崩されていませんか?

そんな横浜は、今日もパッとしない陽気です。



先日、生徒が善光寺に行ってきたと、
お土産をもってきてくれました。


善光寺。


言わずと知れた長野県長野市にある、由緒ある寺院です。

現在、7年に1度の御開帳が行われているようです。



私自身、善光寺にはすでに2度程お参りしておりますが、
この話を聞いて、ぜひこの機にもう一度詣でてみたいと思っています。

善光寺。
何とも不思議なお寺さんで、
境内には、大勧進と大本願という二つの宗派の寺があります。

大勧進は天台宗、大本願は、浄土宗。

それらの住職(貫主、上人)が善光寺の住職を兼ねているんですね。


随分古い歴史を持つお寺で、民衆の浄土信仰の重要な拠点でもあります。

御本尊は、一光三尊阿弥陀如来ですが、
秘仏であり、普段は直接拝むことができません。

そのご本尊の代わりとして、今回「前立本尊御開帳」があるんですね。

普段は、ご本尊の鎮座する瑠璃壇下の真っ暗な回廊を巡る『戒壇巡り』があります。

瑠璃壇の柱伝いに暗闇を巡っていると、途中に「極楽の錠前」というのがあり、
それに触れることで、錠前の真上の御本尊と結縁するというものです。

この暗闇が何とも不思議な感覚を覚える妙な体験です。

善光寺にお参りの際はぜひお巡り下さい。




さて、生徒からは、今回の御開帳の記念プリントがされているリンゴジュースと、名物の七味唐辛子を頂きました。



寒い日が続き、温かい汁物でもと思ってうどんを作ったのですが、
七味を入れようと思ったところ、ちょうどというかなんというか、
家の七味が切れていたんですね。



さっそく使わせて頂きました。

これも何かのご縁ですな。



【善光寺公式ホームページ】
 http://www.zenkoji.jp/


新年度・新学期がスタートしましました!

・・・といっても、小中学校は月曜日、高校も火曜日には入学式が行われ、
始業式もすでに済んでいますねショック!

月曜日は先週末の天気予報では雨が予想されていましたが、
カラッと晴れて汗ばむくらいの陽気でした晴れ

新入生の皆さんにとっては、晴れやかな門出となりましたね。


改めまして、新入生の皆さん、
ご入学おめでとうございます。

新しい生活は順調にスタートできていますか?

入学式の日の温かい陽気がウソのように、
今日(4/8)は寒い一日でした。

急激な気温の変化で体調崩したりしていませんか?


やはり何よりも体が資本。

一見頭を使っているように思われる「勉強」だって、
身体がしっかりとしていないときちんとした成果がでませんよ。

いや、出せないこともないでしょうが、

「寝ずに勉強」「好きなことを我慢して勉強」
「内申で評価されないことより勉強」

・・・なーんてことして得た成績って本当に価値あるものなのでしょうか。

大変不健全だと僕は思います。


『健全な精神は健全な身体に宿る』


だって、そもそも「頭」だって「身体」の一部ですもんね。

ですから、勉強はもちろん大事ですが、
それと同じように部活とか、趣味とか、その他の習い事など、
一生懸命に取り組んで自分を磨いていって下さい。

中には本当に気持ちも身体も向かないってことがあるかもしれません。

あるいは、気持ちがあっても技術が付いてこないとか、
技術はあるけど気持ちがない、なんてものにも出会うかもしれません。

でも、そういう出会いをしておかないと、
そもそも自分がどう生きていくかなんて決められっこない。


「まだ中学生だから」
「まだ高校生だから」


もちろんそう。

生れて10数年で何かを「決める」なんてことできっこない。

それでも、じゃあいざって時に、
答えを求められた時に、
どうするのかっていったら、
それまでに自分が「体験」したことを頼りに決めるしかない。

だったら、今、目の前にあることにとにかく懸命に取り組んでみるしかない。

もしかしたら、目の前のことは本当に自分にとっては価値のないものなのかもしれない。

逆に、今、目の前にあることが自分が生涯に渡って「よすが」とするものかもしれない。

そんなことは「今」はわからない。

でも、だから「懸命」になったり、「信じ」たりするのでしょう。

それは、良い意味で「勘違い」をするってこと、
自分を「騙す」ってことなのかもしれない。

ただ、実はこの「勘違い」とか「自分をだます」ってとっても大事なこと。


それは学習の場面でも同じ。


あんまり好きではない「勉強」という行為を、
何とかこうとか続けていくには、「だます」ってことが鍵になる。

自分にとって価値ある知識なのか分からず、
「教科書に書いてある」ってことだけで、
有無を言わさず覚えさせられる知識。

そんなもの、本来は記憶に残りにくいもの。

だってきちんと記憶しておかないと生存に関わるとか、
そういうレベルの知識ではないから。

でも、それを記憶して、しかも、意味ある知識に、
価値づけをきちんとしていくとなると、
もう、そこにはまず「自分をだます」というステップが必要になる。

もちろん全員が全員ではありません。

そもそも人間には本来的に知的好奇心というものがありますから、
小学生や幼稚園生の頃から「学習」ということをポジティブに、
価値あるものと認識出来ている人もいます。

そういう人はまた別。


まぁとにかく、自分の持って生まれた何かを生かすも殺すも自分次第。

もちろんそこに「オトナ」多くの場合は「親」とか「教師」なる者が大きく関わりますが。

だから、どうか安易に「面倒くさい」とか「何か嫌だ」みたいな感覚で、
目の前のハードルから逃げないでみてください。

上手く飛び越えられなくてもいい。

もしかしたら、正面からでなく、横っちょからすり抜けるのが「正解」ってこともある。

でも、決して背を向けて逃げることだけはしないでください。

いや、むしろ逃げたって良いとさえ言おう。
でも、ちゃんとした考えとそれなりの覚悟を持って正々堂々と逃げよう。
「めんどう」とか「なんか嫌」ってことを逃げる理由にしたらいけないはずだ。
少なくとも君たちが普段の生活で、ごくごく普通に目の当たりにする物事では。


『自分にとって大切なことはたいてい面倒くさい』


「面倒くさいことを面倒くさがらず」というのは無理でも、
「面倒くさいと思いながらも、淡々とこなせる」ようにはなりましょう。


それが出来るようになったら、君は人として、一段も二段も大きく成長できるでしょう。


そんな体験を身近に出来るのが「勉強」です。

これから、コヤツらとの長きに渡る共同生活がはじまります。


ある人にとってはそれはとても幸せなひと時かも知れない。

でも、またある人にとっては苦痛以外の何ものでもないかもしれない。


そんな生活で自分をいろいろ試してみて下さい。

自分をいろいろ開放してみて下さい。


自分のことって案外自分が一番分かっていないし、
コントロール出来ているつもりが、されているってこと多々あります。


そんなことも頭の片隅に置いて普段の学習を進めていけば、
君は、単に「テストのため」に学習を進める以上に、
多くのことを吸収できるでしょう。

だって「テスト」や「成績」なんて、コツさえつかめばいくらでもできてしまう。

でも、テストはクリアできるけど、他では何の意味もない知識ってどうですか?


せっかく学習したことをそんな風にしてしまってはモッタイナイですよね!?


で、そうするかしないかは、やっぱり自分次第なんだってことはぜひ知っておいてください。

くり返しになりますが、もちろん周りの「オトナ」にも責任はありますが、
自分の意志を持って、発言もできるような年頃になっているんですから、
自分の頭で考えて、自分で何かを選んで行動しようとしないとダメですよ。

だって、自分の人生ですから。

周りの「オトナ」たちには、苦行を強いる憎き相手ではなく、
良き理解者、支援者になってもらわないと。

そのためには自分がどうあるか、どうするかってことが大事です。

それは、オトナもコドモも関係ありません。



君が今スタートを切ったこの新生活が、
希望にあふれ、何か良い物事をもたらすものへと続いていますように・・・



ぜひそうなるように日々を歩んで下さい!!


Life indeed can be fun , if you really want to.
Always it's up to you !







先月実施された、平成27年度神奈川県公立高校入試の英語の解説動画を作成してみました。

今回は、新制度になってから3回目の入試。
昨年は理科の難化が話題となりましたが、
今年も理科は難しかったようです。

英語も、解答方法が変わったり、読解系の問題では、見慣れない単語が使われ、注がたくさんついていたことで、少々取り組みにくさがあったようです。
平均点も下がっているようです。

ただし、そうした解答方法の変更などはあったとしても、
問われている中身については、中学校3年間の学習事項です。
それで十分に対応できないというのであれば、
それは学校のカリキュラムか、自分の復習か、
いずれにしろ何か不足していた部分があるのでしょう。

もちろん「入試」は「入学者」の「選抜」のための「試験」ですから、
誰もが満点をとれるような試験ではありません。
差を付けなければ「選抜」「試験」としては意味がありませんから。

しかしながら、上位校を志望する生徒にとっては、
やはり9割以上は確実にとっておきたいという内容です。

今年この入試を受けた人は特に、
高校入学を前に、どの点の学習が成功しているか、
どの点の学習が不足しているのか、
ぜひ問題を解き直して自分の弱点を把握してみてください。

高校生になれば、これまで以上に英語は重要な教科の一つになります。

例えば、大学入試などを考えている方は、
どういった分野の学部に進むにしろ、
英語は試験教科となるでしょう。

もちろん「国際化」などと言われて久しい昨今では、
テストのための英語だけでなく、
日常的に活用できるレベルでの英語はやはり重要なものです。

ぜひこの時期にきちんと振り返りとしておき、
今後の新生活に備えましょう。


他の都道府県の方や他の学年の方でも、
実際の問題があれば、ご覧いただける内容となっています。

ただし、入試問題の解答・解説が主目的ですので、
まだ十分の学習が進んでいない方には解説が不十分なところもあります。


★神奈川県公立高校入試 H27(2015)年度入試 英語
【問2】




問3以降はラーニング・ラボ公式ホームページにて随時UPします。
神奈川県公立高校入試(H27年)解答・解説講座(公式ホームページ

国語力読解力作文力思考力)が不安な方、もっと伸ばしていきたい方
 横浜保土ヶ谷天王町周辺で作文の書き方を教えてくれる場所をお探しの方、
 当塾「基礎講座」がおススメできるかもしれません。
 万人に対して唯一万能な手法なんて存在しませんから、断言はできませんが、
 おそらく一般的な学校で学んできた多くの人のお力にはなれるでしょう。
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