先日、祖父の十三回忌を行いました。
身内だけで簡単に執り行おうと、祖母が日課としている般若心経をみんなで読経することになりました。
般若心経の存在はもちろん知っていたし、冒頭部分や、最後の「ギャーテーギャーテー・・・」の部分も幼い頃に祖母が唱えていたのを聞いていたのでそれが何となく耳に残っています。
般若心経といえば、「色即是空 空即是色」も有名なフレーズですね。
かくいう私は、実は大学生のとき、東洋思想、特に中世仏教思想を専門とする先生のゼミにいたことがあり、多少は仏教をかじっています。
何ならよく訳も分からず、小難しいお経なんかも読んでいました。
ただ、かの有名な般若心経はきちんと中身を読んだことがなかったんですね。
はじめてじっくりと読んでみました。
いわゆる大乗仏教の「空」の思想のエッセンスが記されているのは、まぁ確かにそうなんですが、少々違和感もありました。
「色不異空 空不異色」「色即是空 空即是色」
というフレーズはまさに「空」について語られているところです。
また度々、逆説的なフレーズがくり返されているところも、大変「空」的思想です。
ただ、冒頭に登場しますが、「観自在菩薩」が「舎利子」に語るという構造はどうにも「?」ですね。
もちろん「観自在菩薩」とか「文殊菩薩」とか有名な菩薩は信仰の対象にもなっていたりするので、上位の存在であることは間違いないと思います。
が、菩薩は本来、修行者で、未だ悟りを開いていない存在のこと。
だから、仏陀の直接の弟子、しかも智慧第一と言われているのが、「舎利子」。
そんな仏弟子に菩薩が説法するという構造はどうなのか、と思ってしまいます。
私の理解、間違っていますかね!?
・・・と、それは今回の主題ではなくて、実は「空」の思想には、さらに重要な「因縁生起」という考えがあります。
あらゆるものは独立自存のものではなくて、まさに「因」や「縁」によって成り立っているという考えです。
その意味で「色」は「空」であり、「空」は「色」なんですね。
ちなみに「色」は物質的、物理的なものを指しています。
人間でいえば、肉体のことですね。
あらゆるものが独立自存ではないということは、つまり、あらゆるものは「相対的なもの」であると言いかえることもできます。
その意味では、この「空」や「因縁生起」の思想は、アインシュタインの「相対性理論」にもつながるように思います。
「相対性理論」の方が、何となくの概説を見た程度でくわしくは知らないので、全然違うものかもしれませんが、私の理解では、通ずるものがあります。
(間違っていたらぜひご指摘ください)
ゴリゴリの宗教的な思想とゴリゴリの数学、物理が実は相通ずるものがあるというのは素敵ですね。
どういった分野のことであれ、突き詰めていけば、あるいは、原理を丁寧にひも解いていけば、語られる方法やコトバは違えど、大変近しいものになるのかもしれません。
そもそも哲学、宗教などを「文系」、数学、科学を「理系」なんて言っているのは人間が勝手にそう枠組みを作っただけなのですから。
いずれにしろ、どちらもあらゆるものが絶対的、自立的なものではなく、相対的であるということを説いている(はずです)。
こういう見方、考え方は、時に自分の考えを大きく揺さぶってくれます。
それが良く働くこともあれば、大いなる迷いとなる場合もあります。
しかし、そもそも絶対的なものがないという前提に立てるということは、それそのものにやはり重要な意味があると思います。
絶対的なもの、確固たるものがあると思ってしまうからこそ、そうではないナニカを認められず、対立や否定という事態が起こるわけです。
言論の場での対立や否定であればまだ良いのですが、時にそれは武力をもって物理的な行動として現われます。
国同士の戦争もさることながら、本来人間の心の拠り所となり、安寧をもたらすはずのものである宗教においてさえ争いが起こっています。
「因縁生起」や「相対性理論」にある根本的な「相対」という考えを今一度考え直すことが、これまで人間の歴史の中で起こってきた人間同士の争いに一つの解を示し得るようにも思えます。
ちょっと話が飛躍しすぎかもしれませんが、大乗仏教的な「空」や「因縁生起」の発想は、これまで世界を主導してきた西洋・キリスト教的世界観が抱える問題解決に一定の影響を持ち得るのではないかと思います。
特に、日本には土着的に神道という宗教というか信仰というか習俗というか、それもあります。
よく一般的に語られる外国から見た日本の、日本人の美徳の多くにはこの神道の考えが色濃く残っています。
そうした世界的に見ても称賛されやすく、かつ、稀有な存在である日本、日本人。
私たちは、産業的にも『加工』が上手なお国柄ですが、思想においても、多くを取り入れイイトコドリができちゃいます。
しかも、単なるモノマネで終わらず付加価値を与え、よりバージョンアップした形で自分たち流にアレンジする能力も高いわけです。
そんな独特な存在であるところの日本および日本人は、多くの国際的な問題の解決に重要な役割と演じることができるように思います。
ぜひ、そういう人物がたくさん出てくることを願っています。