作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ! -10ページ目

作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ!

作文・小論文・読解力など国語力UPのための塾。横浜市保土ヶ谷区にある学習塾ラーニング・ラボのスタッフブログです。教室での出来事、教育ニュース・新聞記事・書籍についてのコメント、当塾オリジナルの「基礎講座」で作成した生徒の作品なども発表します。


以前「やる気スイッチ」というタイトルで2つの記事を書きました。

「ほめる」という行為が、
教育の場面でよく用いられますが、
この一見良さそうな行いが、
ちょっとした悲劇を生んだ事例を1つ紹介します。

ちなみに以前の記事は
↓こちら↓です。
やる気スイッチ!?①
やる気スイッチ!?②



傍から見れば一見何の問題もないような優秀な生徒。

某有名私立の女子校を受験し、見事合格。
小中高と12年間その学校で学びました。

小学校受験のときから、母親が教育熱心で、
日々厳しく学習管理をしていたようです。

もちろん、テストで良い点数が取れたときは大いに褒め、
受験での合格の際には、我が事のように涙を流して喜んでいたというのです。

本人は、それが当たり前で、5歳の頃から、
いや物心付いた時から、

『母に褒められるため』
『母が笑顔になるから』


勉強をして、良い結果を出すことが「ふつう」になっていたようです。

そうすることが「親孝行」なのだと幼心に思っていたようです。


中高でも成績は優秀で、普段は厳しい母親も、
何か成果を出した際には、大いに喜び大いに褒めてくれ、
そうするたびに、自分は「良いこと」をしているのだと信じて疑わなかったようです。


そして、大学受験。
エスカレートで進学せず、他大学を受験することに。

大学はより偏差値の高い学校へ、という母親の意向で。

彼女は何の疑いもなく受験勉強をして、こちらも見事合格。

母親の導くままに大学にも進学したそうです。


入学後、大学の授業を受けた彼女は、
それまでの勉強とは違う何かに戸惑いを隠せずにいたようです。

これまでのように明確な教科の枠組みがあるわけではなく、
これまでのように確実に正解がある問題を解くだけではなく、
「自分はどう考え」「何を感じるのか」を求められる学習。

自分にはこれまで真面目に記憶してきた知識がある。
受験の世界では難問と呼ばれるような問題も解く自信がある。

でも、

「一体私って何なんだろう!?」
「私の考えって何なんだろう!?」


という思いが芽生え、それは日に日に膨らんでいったそうです。

彼女にとって、初めて自分から発せられた問に気付いたのです。


考えてみればこれまで母のために、
母が望むことを自分はやってきた。
全力で。

いままではそれで良かったし、それが全てだった。

でも、今はもう違う。

違う何かを求められ、自分がナニモノなのかを強烈に意識せざるを得ない。



今までやってきたことは何だったのか・・・。



あぁ、全ては小学校受験の合格発表の日。

あの時、母に苦しいくらいに強く抱きしめられ、
全力で褒めてもらったあの瞬間。

母の熱い涙が自分の首筋を伝うのを感じたあの瞬間。

あの時から「大いなる錯覚」をしていたんだ。



・・・そう感じたようです。



それから彼女は「自分は何者か」「自分は何がしたいのか」、
必至に考えたようです。

幸い大学での授業は様々な刺激があり、
いくつかのものに惹かれる自分を発見できたようです。


そのまま大学に居続けては、それを叶えることができない。


彼女は初めて自分の意志で、母親の言うことに逆らいました。


「私、大学をやめようと思います!」


その時、彼女は20歳になったばかりでした。



もちろん多少のいざこざはあったようですが、
無事に大学を辞め、新しい学校の入学し、
希望の仕事に就くため懸命に学んだそうです。


その後どうなったかはわかりませんが、
彼女のことだから、きっと希望の職に就き、
今は大いに活躍していることでしょう。




さて、程度の差はあれ、もしかしたら多くの家庭でもこうしたことはあるのかもしれません。

もちろん母親の行いだって、
単に自分自身のエゴだけかと言えば、
決してそうではないのでしょう。

しかし、あまりにも周囲のオトナの「ほめ」や「アメとムチ」が強力にくり返される過ぎると、それ以外の物差しで上手く動けなくなってしまうこともあり得るわけです。

彼女の場合、大学に入って様々な価値に触れたことで、これまでの自分を振り返り、これからの自分を想像しました。

そして、真に自分が学ぶべきこと、向かうべき道を見つけました。

だからこそそれまでの歩みも大いに意味のあるものになったとも言えます。

彼女は、大学時代も、特に何も感じず、母親に導かれるまま、良い成績を納め、良い会社に就職し・・・
とそれまで通りに歩んでいたら、もしかしたら、社会人になってからナニカに気付くことになったかもしれません。
もうその時には「遅い」ということもあるかもしれません。

もちろん、そういう歩みの方がむしろ幸せだったのかもしれません。


そう、答えはやはり分からないのです。


しかし、彼女は自分で選んだ道を進むことができ、
たとえ、それが上手く行かなかったとしても、
これまでのように良い結果が出せなかったとしても、
きっと後悔はしないでしょう。

いえ、後悔するかもしれないけど、
自分で考え、自分で選び、自分で行動したんだから、
その先がきっとあるはずです。


そこにこそ『生きる』って営みの大切なナニカがあるように思います。

そうした諸々の営みを自分の意志で行える『力』こそが、
本当の『生きる力』なのでしょう。

細かなスキルやテクニックも大事だけど、
それらは時々で身に付ければ良いだけのもの。

もっと根本的で、普遍的な力をこそ求める意志の力のようなもの。

それをきちんと磨き、蓄えていなかければ、
「ホントの瞬間」に自分を奮い立たせられない。


それはやっぱり最終的に「自分が」「自分で」「自分のために」
『やる気スイッチを押す』ってことなのでしょう。

たとえ、結果的に、母親の望むような人生を歩んだとしても、そこに自分の「想い」がきちんとあるかないかでは大きく違うはずです。

世の中には、自分の意志だけで人生をどうのこうのできる環境にない人も大勢います。

少なくとも私たちにそれが許されているのであれば、その幸運を自分の責任できちんと享受して、最大限生かす努力をしなければいけないようにも思います。




誰かに押してもらう『やる気スイッチ』はきっかけとしては良い。
でも、それはあくまで短期的、表面的なきっかけに過ぎない。




私は彼女にそんなことを教えてもらったように思います。






みなさまはどう思われますか、「やる気スイッチ」?





さて、今日の「基礎講座」では、

ウミガメのスープ』

を話題にしました。


ご存知ですか?


【↓参考資料↓】
http://matome.naver.jp/odai/2137162834660855501

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%BA%E3%83%AB


以前「基礎講座」の受講生の一人が紹介してくれて、
授業内で一度実演してもらったことがあります。

学校で「メディアリテラシー」などの一環としてやったことがあるということでした。


一種の推理ゲームのようなものです。

一見よく分からない状況に対して、
出題者に対していくつかの質問をすることで情報を集め、
理由を推論していくというもの。


もちろん情報を吟味したり、論理的な思考をするという意味で、
「メディアリテラシー」にも有効なゲームだと思います。


「基礎講座」のテーマにも合致するものですし、
何より受講生の間で好評でしたので、
今度は「グループワーク」の中で取り組んでもらうことにしました。


今回はチーム戦とはいえ、全員が出題者であり、解答者です。

解答する分には楽しんで取り組めた人も、
出題者になると途端に印象が変わり、
なかなか上手く問題を創り出せずに苦しむ姿も見られました。


一人で何題も作れた人もいれば、
ギリギリ一つという人も。

とはいえ、一人一つは作れたので、
次回はグループ内で吟味をして、
戦略をたててもらおうと思います。


なかなか生徒同士での話し合いは課題がたくさんあります。

生徒たちは何かあるとつい私の方に伺いを立てることが多くなってしまいます。


グループ内で解決すべきことと、ジャッジマンとしての私に質問すること、その当たりを区別し、自分たちで答えを出すべきことは、自然と自分たちの話し合いに持ち込めるようになるのが理想ですね。

この辺りは工夫が必要そうです。


とはいえ、生徒対講師の一対一のやり取りが減り、全体としての雰囲気も出来上がってきているように思います。

ぼちぼち最終的な「グループワーク」の課題を絞っていきましょうかね。


さてさて、「みんな」でどんな「こたえ」を出してもらいましょうか。


考えるだけでワクワクします。






今年度ラーニング・ラボの「基礎講座」では、
前半の大きなテーマを「グループワーク」にしています。

学習というと、どうも「個」で進めていく印象が強いように感じます。

もちろん学校や塾などの授業では一斉形式で行われることもありますが、それらはどちらかといえば、同じ情報を一斉に伝達するという目的のためにとられる形態だといえるでしょう。

学習者、一個人からすれば、周りに人がいようがいまいが、やることは変わらないですね。
最終的には個人が個人の力で受けるテストなどによってその成果が測られるわけですから。

その意味では、学校や塾などで行われるいわゆる「学習」というものの多くは、「個」の作業なのですね。


しかし、一方で、「個」と「個」が集まって、つまり、知恵や手数を合わせてともに「問題」の解決を図るという場面が、日常的な生活や社会での経済活動などでは多くあります。

学校などでは「集団生活」ということでそうしたチームプレーの素地を養おうとしているわけです。

さらには、そうしたチームプレーに関しては、最近は教科の学習面でも重要性が盛んに叫ばれています。
実際に、様々な実践が行われているのを見聞きすることもあります。

まぁただそれも意識ある一部の人が行っている研究、開発段階のものという印象で、数量的にはまだまだ一般的なものではないかもしれません。

もちろん授業の一場面で班活動などを取り入れているという場合もあるのでしょうが、社会生活におけるチームプレー、グループワークとは質的に異なるものも多いような気がします。


というわけで、最終的な答えの出どころが「個」ではなく、最終的なゴールが「個」の成長というだけでなく、チームとして、グループとしてある一つの「答え」に共同でたどり着いていく体験をもっともっと増やすべく、「基礎講座」で「グループワーク」を実践しています。


くじ引きで偶然に任せて組んだチームなので、コミュニケーションを図るため、まずはゲームのような実践をくり返している最中です。


最初は、ことばの意味を答えるクイズ。

意味が分かりそうでわからないコトバを選び、その意味と似たような(あり得そうな)ダミーの意味を3つ用意し、4択のクイズを作り、相手チームが答えられるかどうかを競いました。

辞書などを活用しコトバを選ぶ作業で、しかも、なかなか言葉の意味がわからないようなことばですから、いつも以上に言葉に対して敏感に反応することが求められる状況です。

当然グループでいくつかの問題を作成しますから、その際にコミュニケーション(交渉・説得・妥協などなど)を図り、グループとしての意志を統一していきます。
こうした実際に意見交換をしながらある一つの「答え」に向かう作業はその過程で実に多くの気づきを与えてくれます。

もちんろんそれははっきりと「これ」と明言できるものもあれば、何となく皮膚感覚的に「つかんだ」というような気付きもあります。

その点が「短期的」な「数量的」な「成果」として見えにくい部分で、なかなか難しい所でもありますね。

塾などの教育機関では、やはり「成績」とか「テストの点数」というハッキリわかる数値を求められることが多いですから、

「ハッキリと短期的に成果が現われない、でも大事なこと」

に、あるいは、数値的ではない部分での成果にきちんと目を下り、価値を認め、子ども達を評価して下さる姿勢がないとなかなか難しい実践ではあります。

でも、そういう皮膚感覚的なつかみの連続的体験が、実は学習においても大変重要なものであります。




さらに、次の時間には、「漢字の熟語しりとり」を行いました。

2文字以上の熟語の最後の漢字を使って、新たな熟語を見つけていくという単純ですが、意外に奥深い作業です。

解答を調べる時間やグループ内で意見調整する時間として1分を用意しましたが、そうした制限のある中で的確に問題を解いていく、しかも複数人で協力して・・・

やはり、実際に他者とこうした行動をすることで、自分の様々な特性が浮き彫りになったりもしますから、他者を経由して、自分をふりかえることにもつながります。


この実践では、比較的無難な漢字で進み、それほど差は出てこないかと思っていましたが、意外に、短時間で難しい漢字を探しあてる人もいて、すぐに答えが出せず決着してしまう場面もしばしばみられました。

なかなかに盛り上がりました。


もう少しチーム内の意思疎通を図ってから、本題の「グループワーク」へとつなげていきたいです。



さてさて、今日の「基礎講座」ではどんな「ゲーム」をしますかな。。









先日、知り合いのママさんとお話をしている際に、相談というわけではありませんが、世間話の流れでこんなお話を聞きました。

お子さんが学校の先生に、学習面で少々気になる部分があるから「取り出し」の授業をやった方が良いのではないかと提案されたのだそうです。

大変心配になって、家庭教師とか個別指導の塾などにお願いした方が良いのかとご主人ともお話をされたようですが、どうしたものかと不安に思われていたようです。


ただ、よくよくお話を聞いてみると、学習面で何か重大な問題があるというわけではなく、また、遅れが出ているのかというとそういうわけでもないということらしい。

また友人関係や生活面などで何か問題があるのかと言えば、そうでもないらしい。



(え?じゃあなんで「取り出し」授業するの?)


どうやら少々集中力に欠ける部分があるようで、授業中に次の作業に移る際に少々スタートが遅れるとか、「心ここにあらず」的な瞬間が多々あるようらしいのです。


んー。


(それだけで「取り出し」授業やるのか?)


もちろん、注意力欠如とか集中力欠如などは問題といえば問題です。

ただ、「○○さん、次これねー」と一声かければ済んでいることであれば、わざわざ「取り出し」までする必要があるのでしょうか?

最終的には場の空気とか流れを感じ取って自ら行動を取れるようにならなければ社会生活上支障が出て来る場面の多々あるでしょう。

それであれば、逆に「取り出し」て個で何か指導をするよりも、集団の中でそうした空気を肌で感じさせる体験があった方が良いと思うのですが。


先生としては、そうした行動が続き学習面で他の子たちに遅れを取ることを心配しているということらしいのですが、やっぱり私の中ではずっと「?」が飛んでいます。


なので、私はそのママさんに、少々学年配当の学習事項の習得が遅れるくらいは気にしないで、何が一番大事なことか、何を大切にして学習を進めるのかという芯の部分をブラさずに持つことが大事なのでは!?とお話しました。

もちろん学年が学習が遅れれば、次学年で苦労するとか、いずれ入試などが控えていれば、それまでにここまでは終わっていないと、などなど学習に期限が切られることが多いのも事実。

でも、そうしたものへの対応はその時が来れば、気持ちが入っていれば、いくらでも取り戻せます。


それよりも、今ちょっと気になるからといって殊更に特別視して、「取り出し」などをしてしまうことの弊害の方が気になります。

授業中に一人だけ別の場所で勉強していたら、当然クラスメートは「なに?」と気になります。

そうした周りの空気は当人にも当然伝わり何となく気まずい雰囲気ができてしまうかもしれません。

もちろん本人がみんなとの授業ではなく、一人で学習をすることを望んでいる、あるいは、何か別に問題があって「取り出し」た方が当人にとっても周囲にとっても良いという場合は別です。



こんなこと言うと塾の講師としてどうなの!?と言われてしまうかもしれませんが、
学習において、短期的な成果やテストの点数などに過度にしばられてはいないでしょうか。

それらが大事なことは十二分に分かっているつもりです。

でも、それを追うがあまり、例えば深夜まで机に向かったり早朝からドリルをやったり、それが原因で健康を害したとしたら・・・
それって本末転倒のように思うのですが、いかがでしょう。

また、成績やテストの点数を追うばかりで、きちんと学習の積み重ねが出来ていなかったとしたら、何となく成績やテストの点数はとってきたけど、そして、それなりの学校に進学したけど、でも、実力が伴っていないなんてのはある意味で悲劇です。

だからもう少し、特に小学生とか中学生の段階では、コアの部分、ここは絶対はずさないようにという部分を保護者も児童、生徒も認識して学習を進めていければ良いのにと思わずにはいられません。

その方がきっと得るものが多いはずです。


単に、周囲の人や、テストの合計点にだけ目を配るのではなく、何を大事にし、どんなことができるようになったのか、以前よりどんな成長をしているのか、これからどんなことに挑戦していくのか、そんなことが教科の学習を通じても、定期テストを通じても考えられるようになれば、少々の「遅れ」なんて誤差みたいなものではないでしょうか。


もちろん、これはそれぞれのご家庭や個人の価値観とでもいうべきものですから、ここに記したことはあくまでも私個人の見解です。


ですが、教育というものに向き合い、色んな方と共に学んできた人間の考えではあります。



あなたはどうお感じになられましたか?






本日、平成27年度神奈川県公立高校入試の結果報告会に参加してきました。

すでに様々な業者さんが学力検査問題の分析など勉強会を開催して下さっています。

テスト問題の分析は自分たちでもできるけど、
今日の会では、主に統計資料の分析が主題でしたので、
大変ありがたかった。


すでにご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが、
特に中学生やその保護者さまはぜひぜひ知っておいて、
しかるべき準備をして頂きたいので簡単に記しておきます。


まず、全体的に神奈川県の公立高校入試では、
中上位層の学校に志願者が集中しています。
(目安としては偏差値50以上)


そのため不合格者も中上位層の学校で半数以上となっていて、
地域によっては不合格者の90%は中上位校志願者とのことです。

昨今の教育界の状況をみれば、うなずける部分も多いです。

たとえば、古いところから言えば、

「全県学区」
「絶対評価」

などによって、以前の「学区」「相対評価」時代の入試とは
かなり様相が異なっています。

もちろん「少子化」というのも重要なファクターのひとつです。


さらに直近の状況では、私学で「書類選考」を実施する学校が増加してきていることや授業料の助成の問題などで、私学へのハードルが下がり、私立への進学も視野に、難関公立高校へチャレンジするという志向が強まってきているとのことです。

入試という話題は、上位校への進学という純粋に学習面の問題ではありますが、多分に経済的要因によって大きく左右される問題でもあるんですね。

これまでの日本のいわゆる「学歴主義」や「学歴社会」というものも、「学力」という純粋な学習面の欲求だけでなく、むしろそれと同等かそれ以上に経済的要因によって展開されてきたという側面があります。

以前、大学院で受験や学力について研究しているときに、ついつい学習面からのアプローチばかりをしてしまっていた時期がありましたが、受験とはすなわち経済活動だということを教育社会学の知見かた改めて気づかされたという経験があります。

明治の学制以後ある時期までは受験とは「立身出世」のツールであり、
「立身出世」とは社会の中での成り上がりなわけです。

もちろんお金だけの問題ではありませんが。


少々話がそれてしまいましたが、
これから神奈川県公立高校入試を受験される方は、
十分に情報をあつめ、
志望校の状況等をきちんと把握しておく必要がありそうです。

県全体の平均倍率は1.2倍程度ですから、
以前からすれば「超ラッキーじゃん」というレベルです。
(ちなみに私は7.75倍でした(゜д゜;))

しかし、毎年不合格者は確実にいて、
その多くが中上位層の学校から出ています。

もちろんチャレンジすることは悪いことではありません。
むしろ私は個人的にはどんどんチャレンジしてほしいと思います。

ただし、進学は単に自分だけの問題ではありませんから、
最前の選択ができるように、早い段階から情報収集をして、
家族との意見交換も忘れずにしていきましょう。


そして、何よりも、どんな制度で、どんな試験で、
他の人がどんな状況であろうと、
自分自身がきちんと内申を持って、
学力検査もきちんとスコアが取れるようにしておくことが重要です。

というか、それ以外に自分の希望する進路に進むための方法はありません。

どんな制度であっても、どんな試験であっても、
きちんと自分が学習を積み重ね、
合格基準の成果を示せれば、
ほぼ間違いなく「合格」できるでしょう。

もちろん受験は他の受験生との戦いという側面もありますが、とはいえ、自分が著しく力がおとっていれば、どれだけ倍率が低くても不合格の可能性はあります。

逆にいえば、自分がこれまでの学習をある一定レベル以上で理解していれば、物理的には内申点がきちんとあって、本番の学力検査で一定以上のスコアを出せれば、「合格」なんです。

だからやっぱり比べるべきは他の人ではなく、自分自身。
昨日よりも今日、今日よりも明日、確実に自分を更新させていければ良いのです。
だって、他の人のレベルを上げることも下げることも自分にはできないんですから。


志望校の選択については多少戦略が必要ですが、
とはいえ、受験生がやるべきことは、
それほど変わっていませんし、それほど多くもない。


神奈川県では新制度において、面接試験が全員必須となりました。

今のところ結果を見るかぎり、面接で差がつくという事態にはなっていないようです。

であれば、やはりやるべきことは絞られますね。


今日の会の中で、受験生へ直接取材した中で、
多くの受験生が口々に言っていることがあったという話題がありました。

受験生たちは受験を終え、何を強く感じていたかというと・・・


「もっと早くから勉強しておけば良かった」


おそらく学校や塾などで、
早め早めの準備を促されてきたはずです。

その受験生本人が受験を終えたとき、
率直に、でも、強く感じたのがこれなんですね。

特に、近年の新制度下での学力検査等への対応は、
やはりこれまでのような受験対策では不十分です。

確実に合格を勝ち取るにも、
その後の学習を効果的に進めるためにも。

こうした体験者の生の声は大変参考になります。


受験生諸君、今後数年のうちに高校受験を受験するであろう諸君。

早め早めに準備しましょうね。

先輩たちは、その幾人かは後悔とともに「もっと早く・・・」という思いを持ったようです。

君はそうならないように、できることを、できるうちに、できるだけ、やってしまいましょう。

入試は中学校3年間の学習内容が出題範囲ですから、
1~2年生の方だって、今学習している内容を確実なものにしておけば、
3年生になって改めて一からやり直す必要はないわけです。

その意味では、3年生になってはじめて受験勉強するのではなく、
日々の着実な学習がそのまま入試につながっていると思う方が自然なんです。



出来ない理由なんて考えればいくらでも出てくる。
そもそもがチャレンジなわけで、
何もしなければ何もできないんだから、
ネガティブなことを考えてもしょうがない。

どうすればできるのか、自分は何ができるのか、
と考えるようにしよう。

そして、やるべきことが明確になったら、
やっぱりそれを「今」「すぐに」やり始めよう。

その積み重ねの先にあるミライは、おそらく明るい。








前回茂木健一郎さんの講演動画の中に、人工知能について触れている箇所がありました。

知識量ではもはや人間は人工知能には勝てない。

それはもう明白な事実です。

では、人間が学習して知識を獲得していく意味って何なのか?


その一つに、

「つなぐちから」

を挙げられるでしょう。


知識と知識、断片と断片をつなぎ、新たな価値を生み出すこと。


そこで参考になるのが、
スティーブ・ジョブス氏の演説。

有名なので知っている人も多いと思いますが、
ぜひ改めて聞いてみてほしい。

特に冒頭部分。

大きく3つの話をしていますが、その最初。

「The first story is about connecting the dots.」

というフレーズで始まる箇所はまさに「つなぐちから」についての話です。


小中高生には英語のスピーチを聞くのは難しい作業かもしれませんが、
字幕付きですから、大丈夫。

これをきっかけに英語で読んでみようという人は、
テキストもあるので、英文でも読んでみて下さい。




【↓テキスト版はこちらでご覧になれます↓】
http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html


Stay hungry , stay foolish !


※これからの時代を生きる力について真剣に考えるサイトを作りました。
  ご興味・ご関心のある方はぜひご覧ください。
 偏差値が高いだけの受験学力バカにならない学習方法
グローバル化というのは昨今の社会の大きなテーマ。

もちろん教育という場でも重要なテーマ。

こういう流れの中で一つの大きなトピックが「英語教育」。

「英語の授業を英語で」という流れも本格化していきます。

英語はもちろん大事。
でも、単に「英語ができる」ってだけでどうなるの!?
という考えも一方であります。

「これからの時代を「生きる力」って何だ!?」シリーズ第1回目は、
まずはそうした基本的な部分を整理しておくことからはじめましょう。

その意味でこの動画は大変示唆的です。

小中学生にはちょっと難しいかもしれませんが、
ぜひご覧ください。




別の場でも、茂木さんは同様の主旨の話をされています。
こちらもぜひご覧ください。







さて、いかがでしたでしょうか。

ぜひあなたの感想をお聞かせください。



※これからの時代を生きる力について真剣に考えるサイトを作りました。
  ご興味・ご関心のある方はぜひご覧ください。
   http://manaviva.st-community.jp
伸びるどころかダメになる!? 将来を潰しかねない「幼児教育」の落とし穴3つ

小学校受験を考えていなくても、「頭の良い子になってほしい」「子どもの才能を開発したい」という思いか..........
≪続きを読む≫



至極納得ですね。

早いうちから能力開発ということで、
右脳トレーニングとか、英語教育とか、
幼児教育に勤しむ方も大勢いらっしゃるでしょう。

それ自体は大変意識の高い行動の1つだと思います。

ですが、記事にあるように、
周りに流されて…
となった瞬間に途端に無意味とは言わないまでも、
本当に「わが子」のためになるのか疑問です。

それって親のエゴ、自己満なのでは!?

と思えなくもない。

本当に「わが子」を思うのなら、
もちろん親は必ずしも能力開発や教育のプロではありませんから、
誰かに頼る部分があるのは良いと思います。

しかし、根本にはまず育児というか、
親子関係の中でコミュニケーションをきちんと取り、
その中で様々な知性や感性の素地を育成していくことが大前提としてあります。

そういう大事な部分を度外視して
教育、教育、勉強、勉強・・・
なんて言っても、子どもがそれをきちんと受け入れられるはずがない。

最近は「親が叶えれなかった夢を我が子に託す」なんて流行ではないのでしょうか。

別に託すこと自体は良いのですが、
やり方ですよね。

自分は「何もせず」、
子どもにばかり「あれやれこれやれ」と言ったって、
説得力のカケラもありませんからね。


わが子を思うのなら、自らを顧みることから。


そして、もっと大事なのは何か特別なことをせずとも、
当たり前のことを当たり前に行い、
生活の中でのちょっとした行動に気をつけるだけで、
十分に子ども達はその能力を開き、進化していきます。

まわりのオトナ、私たち次第で、子どもは大きく花開きます。

要は、子どもたちに何かをさせるという発想ではなく、
私たちの側が意識して、行動するってことが大事なんですね。


私のまわりには比較的意識の高い、
単に形式的なだけの「幼児教育」ではなく、
きちんと自ら考えを持って育児をしているママさんたちが大勢います。

大変勉強になります。

単に、そうした価値ある営みが「お受験ブーム」のようなものに
つながって、それだけで終わらないでほしいものです。




現行の学習指導要領でもメインテーマとなっている

「生きる力」

いろいろな捉えがある言葉ですが、
学校教育現場ではこれらを支える力として、
「思考力」「判断力」「表現力」を挙げています。

【参考:文部科学省ホームページ】
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/idea/1304378.htm


この「生きる力」という文言は、
前の学習指導要領でもうたわれていて、
最近の日本の教育界の重要なワードです。


日常的には、学校のテストとか入試とか、
そういう「テストのための学習」というものを、
「学習」とか「勉強」と捉えている人が多いと思います。

仕事柄そうした支援をすることが多いですし。

一方で、「受験学力は使えない」とか、
「受験エリートというだけでは社会に出て活躍できない」などと
受験やそのための学習というものが否定的に捉えられることもしばしばあります。

私自身、「受験のためだけ」「テストのためだけ」の学習には、
不健全さのようなものを感じます。

だからそれに対するアンチテーゼとして、
ラーニング・ラボという場で、
「基礎講座」とはじめとした授業を行っているわけです。


ただし、もちろんこうした「テストのための学習」が
完全に否定されるべきものであるわけではありません。

義務教育段階までに学習する事項は、
基本的な知性を磨く土壌をつくり、
知識自体も世界や社会の理解の基礎となります。

要は、その単純な知識量とか、
答えが明確に存在するテストのような、
試行訓練の場だけで学習が閉ざされてしまうことに
「モッタイナサ」を感じているだけなのです。


現在、神奈川県では高校入試が大きく変わり始め、
その動きは、大学入試改革などとも連動するものであります。

教育界が大きく動き始めています。

それはもちろんいわゆる「国際化社会」とか「情報化社会」とか、
「知識基盤社会」などと呼ばれるような現代において、
これまでのような学習で培った能力だけでは、
必ずしも通用しない場面が増えてきているということによるわけです。


でも、じゃあどうすればいいのってなったとき、
実はそれほど情報があるわけでもなく、
だからやっぱり何となく学校とか入試というものを
拠り所として学習を進めざるを得ないというのが多くの人の現状でしょう。

その意味では入試が「良い」方向に変化していくことで、
入試への学習を進めながらも、その先の人生を「生きる力」が
身に付けられるのであれば、それは大変喜ばしいことだと思います。


ただ、やっぱり最終的には各々がきちんと情報にアクセスし、
吟味し、選択し、行動していかなければなりません。

そのためにこそ現在の学習を進めていくという視点も持たないといけません。


そんな時、何だかんだで今はインターネットがあるわけですから、
様々な情報に気軽にアクセスし、何かを学ぶことも比較的容易にできるわけです。

私自身も、新聞、雑誌、書籍、テレビなどから情報を得ますが、
それと同等かそれ以上に日々インターネットから情報を得ています。

テレビは見ない日があっても、インターネットにアクセスしない日はないかもしれないですね。

教育の現場にもインターネットやITなどはどんどん入り込んではいますが、
とはいえ、そこで扱われる学習事項がこれまでと比べて何か目新しいものがあるかと言えば、実はそんなにない。

現状は単にネットが使えないと、ITが使えないと社会生活上お話にならないから、という類の話で、それによって斬新な教育内容が提示されているかと言えば、残念ながらまだまだというところなんですね。


だから、何だかんんだ学校では相も変わらず教科の学習を進めているんですね。
しかも教科書という何ともアナログでレトロなメディアで。


もちろんそれが悪いわけではないのですが、
これだけ社会は変化、進化?しているのに、
教科の枠に必要以上にこだわったり、
きちんと価値づけもされないままに、
単に慣例としてテストをやっているだけだったり…。

教科書だって活用の仕方次第では大変有益なメディアなのに、
単に教科書「を」教えるだけの先生もいるでしょ。


もうホントにそろそろいい加減にしないと、
数年後に社会に出ていき、社会を担う子ども達がかわいそう。



…と、前置きが非常に長くなってしまいましたが、
私自身が見聞きした、非常に刺激的なものを、
特に、

「これからの時代を生きる人たちに見てほしい・感じてほしい・学んでほしい」

という切り口で紹介していきたいと思います。


ブログタイトルの

『これからの時代を「生きる力」って何だ!?』

というシリーズで今後気になる記事や動画、書籍情報などを記していきたいと思います。

これはそのまま私自身の学習のポートフォリオでもありますね。

参考にして頂ければ幸いです。








学校の授業の復習や、定期テスト対策にご利用頂けるWeb講座をUPしました。
随時更新していきますので、ぜひご覧ください。

まずは中学1年生『正負の数』から「符号のついた数」に関する問題です。

問題のプリントはラーニング・ラボ公式ホームページから
ダウンロード可能です!

 【↓ダウンロードはこちらから↓】
  http://learning-labo.st-community.jp/?p=3088



質問等はコメント欄やメール等をご活用ください。
出来る限りお答えしていきます。


更新予定は以下の通りです。
要Check it out!!


【更新スケジュール】
毎週月・木曜日 中学1年生用問題
毎週火・金曜日 中学2年生用問題
毎週水・土曜日 中学3年生用問題


乞うご期待!


【中学1年生 第1回 (正負の数 符号のついた数)】