やる気スイッチ!?③ | 作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ!

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以前「やる気スイッチ」というタイトルで2つの記事を書きました。

「ほめる」という行為が、
教育の場面でよく用いられますが、
この一見良さそうな行いが、
ちょっとした悲劇を生んだ事例を1つ紹介します。

ちなみに以前の記事は
↓こちら↓です。
やる気スイッチ!?①
やる気スイッチ!?②



傍から見れば一見何の問題もないような優秀な生徒。

某有名私立の女子校を受験し、見事合格。
小中高と12年間その学校で学びました。

小学校受験のときから、母親が教育熱心で、
日々厳しく学習管理をしていたようです。

もちろん、テストで良い点数が取れたときは大いに褒め、
受験での合格の際には、我が事のように涙を流して喜んでいたというのです。

本人は、それが当たり前で、5歳の頃から、
いや物心付いた時から、

『母に褒められるため』
『母が笑顔になるから』


勉強をして、良い結果を出すことが「ふつう」になっていたようです。

そうすることが「親孝行」なのだと幼心に思っていたようです。


中高でも成績は優秀で、普段は厳しい母親も、
何か成果を出した際には、大いに喜び大いに褒めてくれ、
そうするたびに、自分は「良いこと」をしているのだと信じて疑わなかったようです。


そして、大学受験。
エスカレートで進学せず、他大学を受験することに。

大学はより偏差値の高い学校へ、という母親の意向で。

彼女は何の疑いもなく受験勉強をして、こちらも見事合格。

母親の導くままに大学にも進学したそうです。


入学後、大学の授業を受けた彼女は、
それまでの勉強とは違う何かに戸惑いを隠せずにいたようです。

これまでのように明確な教科の枠組みがあるわけではなく、
これまでのように確実に正解がある問題を解くだけではなく、
「自分はどう考え」「何を感じるのか」を求められる学習。

自分にはこれまで真面目に記憶してきた知識がある。
受験の世界では難問と呼ばれるような問題も解く自信がある。

でも、

「一体私って何なんだろう!?」
「私の考えって何なんだろう!?」


という思いが芽生え、それは日に日に膨らんでいったそうです。

彼女にとって、初めて自分から発せられた問に気付いたのです。


考えてみればこれまで母のために、
母が望むことを自分はやってきた。
全力で。

いままではそれで良かったし、それが全てだった。

でも、今はもう違う。

違う何かを求められ、自分がナニモノなのかを強烈に意識せざるを得ない。



今までやってきたことは何だったのか・・・。



あぁ、全ては小学校受験の合格発表の日。

あの時、母に苦しいくらいに強く抱きしめられ、
全力で褒めてもらったあの瞬間。

母の熱い涙が自分の首筋を伝うのを感じたあの瞬間。

あの時から「大いなる錯覚」をしていたんだ。



・・・そう感じたようです。



それから彼女は「自分は何者か」「自分は何がしたいのか」、
必至に考えたようです。

幸い大学での授業は様々な刺激があり、
いくつかのものに惹かれる自分を発見できたようです。


そのまま大学に居続けては、それを叶えることができない。


彼女は初めて自分の意志で、母親の言うことに逆らいました。


「私、大学をやめようと思います!」


その時、彼女は20歳になったばかりでした。



もちろん多少のいざこざはあったようですが、
無事に大学を辞め、新しい学校の入学し、
希望の仕事に就くため懸命に学んだそうです。


その後どうなったかはわかりませんが、
彼女のことだから、きっと希望の職に就き、
今は大いに活躍していることでしょう。




さて、程度の差はあれ、もしかしたら多くの家庭でもこうしたことはあるのかもしれません。

もちろん母親の行いだって、
単に自分自身のエゴだけかと言えば、
決してそうではないのでしょう。

しかし、あまりにも周囲のオトナの「ほめ」や「アメとムチ」が強力にくり返される過ぎると、それ以外の物差しで上手く動けなくなってしまうこともあり得るわけです。

彼女の場合、大学に入って様々な価値に触れたことで、これまでの自分を振り返り、これからの自分を想像しました。

そして、真に自分が学ぶべきこと、向かうべき道を見つけました。

だからこそそれまでの歩みも大いに意味のあるものになったとも言えます。

彼女は、大学時代も、特に何も感じず、母親に導かれるまま、良い成績を納め、良い会社に就職し・・・
とそれまで通りに歩んでいたら、もしかしたら、社会人になってからナニカに気付くことになったかもしれません。
もうその時には「遅い」ということもあるかもしれません。

もちろん、そういう歩みの方がむしろ幸せだったのかもしれません。


そう、答えはやはり分からないのです。


しかし、彼女は自分で選んだ道を進むことができ、
たとえ、それが上手く行かなかったとしても、
これまでのように良い結果が出せなかったとしても、
きっと後悔はしないでしょう。

いえ、後悔するかもしれないけど、
自分で考え、自分で選び、自分で行動したんだから、
その先がきっとあるはずです。


そこにこそ『生きる』って営みの大切なナニカがあるように思います。

そうした諸々の営みを自分の意志で行える『力』こそが、
本当の『生きる力』なのでしょう。

細かなスキルやテクニックも大事だけど、
それらは時々で身に付ければ良いだけのもの。

もっと根本的で、普遍的な力をこそ求める意志の力のようなもの。

それをきちんと磨き、蓄えていなかければ、
「ホントの瞬間」に自分を奮い立たせられない。


それはやっぱり最終的に「自分が」「自分で」「自分のために」
『やる気スイッチを押す』ってことなのでしょう。

たとえ、結果的に、母親の望むような人生を歩んだとしても、そこに自分の「想い」がきちんとあるかないかでは大きく違うはずです。

世の中には、自分の意志だけで人生をどうのこうのできる環境にない人も大勢います。

少なくとも私たちにそれが許されているのであれば、その幸運を自分の責任できちんと享受して、最大限生かす努力をしなければいけないようにも思います。




誰かに押してもらう『やる気スイッチ』はきっかけとしては良い。
でも、それはあくまで短期的、表面的なきっかけに過ぎない。




私は彼女にそんなことを教えてもらったように思います。






みなさまはどう思われますか、「やる気スイッチ」?