相対比較論と絶対論 ヘルバーラ | 天国への鍵 全真理に浸透する法

天国への鍵 全真理に浸透する法

旧「ラヴァエルのブログ」です。
地球人は個の本質である魂を否定し、個を縛り付ける規則を神と崇めてきました。
これが地球上の全ての不幸の元凶です。
地球の秩序の歪みを克服し我々が真に幸福になる方法を、ここで述べていきます。

何か色々と最近は疲れる記事を書いて煮詰まってきましたので、肩の力を抜きながら書いていきたいと思います


そんな事を言いながら、お前はいつもまた肩に力が入って、話が重い方向に行く


師匠、いきなり出て来ないで下さい


後から出てくれば、出てくるのが遅いと文句を言うくせに

いいから、黙って話せ

お前に任せていると、話が面倒になるから、出てきてやったのだ


私を信用して下さい


お前より信用のならない奴はこの大宇宙には存在しない


何ですか、それ


お前はコズミックサイコパスだろう


それがどうしたというのですか


宇宙一のサイコパスのどこを信用しろと言うのだ


心外ですね

まあ良いです

馬鹿は放っておいて話を先に進めましょう


誰が馬鹿だ

処刑するぞ


地球人に余りに多いのが、誰かと比較して幸福だとか不幸だとか、悪いという判断です

これが悪いとは言い切れないのですが、この傾向に片寄り過ぎる事が、数多くの不幸を生んでいます

前回の記事の一部です

地球の秩序の歪みの骨格部です

闇の共鳴感染暴走https://ameblo.jp/lazerc/entry-12575045891.html の一部を、改定して抜粋します

①人は誰しもが自由に生きる権利があるのに、自由に生きている人に対する僻みや嫉妬と歪んだ支配欲から自由を理不尽に縛り付ける身勝手がけじめとか躾とか教育という名で猛威を振るい、人の個性を減殺して機械化する事で人の目から光を奪い、どうでも良い事まで次々と指摘したり叩いて潰し、出る杭は正当な善悪の判断無く打ち、凸凹の人格を全てフラットに整地して、人の自由を個性と革新性と有機的判断力共々破壊してい

②万物を流動系として捉える流転一元論ではなく、全ての個性に善悪優劣勝敗をつける安直な二元論で万物を分断し、善が悪を潰し、優が劣を屈服させ、勝者が敗者を嘲笑する事を教える排他性崇拝教育が、調和を完全に粉砕し、ありとあらゆる不調和と争いと軋轢と不幸を生んでいる。

③感受性の高い人に対する僻みと嫉妬と依存、そして特に自分の心の闇に対する逃避意識から、作業効率を引き合いに出して貶めたり、罪を擦り付けたり刃向かったり八つ当たりをしたりして、感受性の高い人の足を引っ張り、社会の上に立てなくしたり潰したりする

自分の心の闇に対する逃避意識から、固定観念に満ち満ちた悪習の前には理論は糞以下、理論の前には感覚や直感は無意味、感覚や直感と理論の連動は有り得ない、宇宙の摂理は屁とも思わないという、圧倒的大多数が全く順位を間違えた判断しかしない

⑤学校教育の場から性交を完全排除する歯止め規定の存在や、エロにはモザイクをかけ子供の目から引き離すのに残虐な殺人シーンは平気で見せたり、アンチエロを神格化してエロを貶めたり、女性の異性拒絶症の崇拝普遍正当化に代表される様に、性欲の汚物視を教育する事で性欲を歪め、性犯罪の発生のみならず、「生命力<死導力」の構図を創造強化し、性交により創造される全細胞に対し波動的損傷を与え、性欲から生み出される家庭へ歪みを持ち込む

⑥上記の教育を、あなたの為に教えてあげているんだと諭し、理由ははぐらかし、従属しなければ汚物視異物視無視暴力で攻撃し、従属すれば金や食べ物や愛情を与えるという飴と鞭を使い分け、矛盾意識毒を生み出す矛盾産生教育という方法で洗脳する。

意識レベルの問題として、https://ameblo.jp/lazerc/entry-12586567288.htmlhttps://ameblo.jp/lazerc/entry-12587040902.html に繰り返し形を変えて書きました

品性を持つとか、https://ameblo.jp/lazerc/entry-12593473152.htmlhttps://ameblo.jp/lazerc/entry-12594569490.html の記事等で色々書きました

直近では、https://ameblo.jp/lazerc/entry-12603874692.html やその前後の記事も参考になります

大体これらを復習すれば、地球の闇の骨格部を把握する事ができるでしょう


地球の問題は、「①自由の破壊」~「⑥矛盾産生教育」を改めれば殆ど解決するものばかりです

これらの問題は、かなりの面で相対比較論固執の傾向が生み出したものです

絶対論で見れば、かなり違う事になります

常に何かと比較してしか、判断ができない、これもまた、魂の依存者の性質です


「①自由の破壊」

自由に生きている人に対する僻みや嫉妬や歪んだ支配欲は明らかに、相対比較論の最たるものです

自分が自由に生きられなかったから自由に生きている人の足を引っ張って不自由にする、自由に生きている人を不当に拘束して歪んだ支配欲を満足させ下卑た快感を味わう、これてそれが正しいか間違っているか絶対論で判断せず、周りと安易な比較をしないと出てこない発想です

周りと違うから潰すというのもそう、善悪ではなく、只安易に周りと比べてどうだというだけの攻撃です

変だと思われない為だとかどうのと言っても、画一化は常に、状況に対して柔軟性を失わせるだけではなく、進化を歪んだ形で阻止し、正しい判断のできない機械に人を貶めるだけです


ふむ…

どう脱却していったら良いと思う


皆同じにしたいという意識でしょう

その方が安心だと

凡人は、皆同じにする事で、軋轢や争いを無くし、纏めた気になる

しかし、人の心を消したのなら、それはその存在を消した事と同じでしょう

https://www.youtube.com/watch?v=LeOh8rvWqfk

しかも、決して人の心を同じに等できはしない

同じにしたら、魂は崩壊してしまうから

個性があるのは、我々が争い合う為ではなく、助け合う為にあるんだから

その為に、神が個性を創っているから

宇宙の法則に反しているから、必ず歪みを生む

https://www.youtube.com/watch?v=ZQ0U6oJBSmY

何の為の人生なのか、凡人は考えない

気付かせねばならない

自分の個性を発揮できない人生程、空虚なものはないが、自分の個性を発揮できなかったものに限って、余計に虐待の連鎖の様に個性を発揮しようとするものを叩く

愛とかけじめとか世の中を教えていると正当化して


…次に行くか


「②排他性崇拝二元論」

善悪優劣勝敗をつける事は、社会の秩序を保つ為や競争の中で自分を高める為に必要なものですが、不必要なものにまでそれを当てはめるから、ありとあらゆる争いと不調和を生むのです

特に個性においてそれを当てはめるのはいけませんが、普通に当てはめています

「明るい」と「うるさい」、「臆病」と「慎重」の様に、長所と短所が紙一重の事もありますし、嗜好や癖も人に強要して迷惑をかけているのでない限り断じて責められるべきものではありません

これも比較論ですね

常に何かと何かを比較してどうこう攻撃するのではなく、絶対論で、悪いものだけを正しい方向に導く、改める、それが無理なら最悪駆除する事が必要になります

全てにどうのこうのと攻撃をする理由の一つは、攻撃的で拒絶的で排他的なものが怖いから、若しくは面倒臭いから、仕方なくそれに従っている内に、そんな自分の情けなさを正当化して、それが正しい事にしてしまうという事があります

ここにも、どちらの方が怖いか若しくは面倒か、誰かと比べて自分は情けないかどうか、どう考えた方が楽かと言う常に比較しているという事があります

従わざるを得ないとしても、やはり絶対論で、何が善で何が悪か、即ち世の中を良い方向に導くのにプラスになるのかマイナスになるのかを常に考えるという事が欠かせません


凡人はそれができないからきちんとせいと…また、それがお前の言う事か


何か、師匠の言い方、ムカつきますね


ムカつくのはお前だ


いちいち茶々入れて、どこがムカつくというんですか


顔と性格


何ですかそれ


良いから話を次に進めろ、トンマ


自分から絡んできたくせに…

次行きますよ


「③感受性封殺」

感受性が高いと色々なものを強く感じ取ります

それだけでも、鈍い人よりは精神的消耗が激しくなります

また、闇に対する感受性が高いと、闇を強く感じ取ってしまい、更に消耗が激しくなります

精神的に疲れていると、判断が遅れたり鈍くなったり、物忘れをしたり、集中力が低下したり、凡ミスが多くなります

その為、感受性が高い人の場合、特に歪みや闇の大きい状況であればある程、消耗してしまう事になります

それでは、鈍ければ良いのでしょうか

馬鹿はどこまでもめでたいと言いますが、自分の鈍さを気にしなければ楽です

鈍ければ社会では通用しないのではないかと考える人がいますが、それは目に見えるものや人の感情等表層上の事に対して鈍い場合です

人の心の奥、例えば意識の持ち方について鈍くても、この社会の構造上十分に通用します

宇宙の摂理から見ると、各要素は以下の様になります

細分化←意識(前波動) 活動理念(波動) 情緒(前素粒子) 感情(素粒子) 肉体(物質)→高分子化

地球は物質社会ですから、金や権力や名誉等肉体的物質的な目に見えるもの、心でもせいぜい感情や情緒までは重視しますが、どの様な理念や意識を持っているかという事は全くと言って良い程重視されていません

ですから、地球社会では心の奥のそれらの事まで広範にとらえ、心理学的にものを見る必要はありません

しかし、犯罪を無くすなら犯罪心理学を発達させねばなりません

健全な次代を創るなら健全な家庭を創らねばならないので、恋愛から家庭ができるのですから恋愛心理学、更には皆が調和していく為に調和心理学を発達させねばなりません

その時に、あの人は今イラついているとか、情緒不安定になっている等と言う、浅い段階の分析ではなく、理念や意識の動きも広範にとらえる事が重要です

そういう風に言うと難しそうですが、実用的には上述の「意識レベルの問題として…」のジャンプ先の記事程度の理論が導き出せれば十分過ぎる位です

ただし、この段階に達する為には、意識に対して、つまり心の内奥に対して敏感でなければ駄目です

敏感であるという事は、それだけ多くの情報を吸収し、処理しなければなりませんから、それだけ神経を使い、消耗します

また、その為には感覚の右脳と理論の左脳を強く連動しなければなりませんから、特に脳梁の細い男性は消耗が激しいのです

また、意識の中でも邪悪なものも見れば、失望したり影響されて、情緒も揺れますし、それが強く続けば情緒不安定にもなります

その為に、これまでの宇宙では、そういう人が鈍い人の様に物理的な事を精度良く正確に早くできなくても、「他に別の仕事を同時進行しているんだから、やむを得ない」と大目に見ます

地球ではどうでしょう

大目に見る事は全くありません

寧ろ、「その様な余計なものを見ているから無駄なエネルギーを使うんだ」と私の様に心の奥底を捉える人に、より強く当たります

なぜか

これまでの宇宙の傾向を不満に思っていた鈍い輩が、チンケな復讐の為にそうしているというのがまず一つです

復讐と言っても、「自分が感受性を上げてみろよ」と言う話なので、只の汚い僻みや嫉妬からくる足引っ張りですが

結局、目に見える作業効率が大して良くないのに、感受性が高いから宇宙社会で評価されているのが気に食わないから、その汚い腹いせの為に地球で足を引っ張ってくるという事です

しかし、感受性の高い人が心理学的に世を纏めないから、争いと病ばかりのこの様です

また、自分の心にやましいものが潜んでいる場合、感受性が高い人に自分の心の闇を見透かされるのが怖いから、攻撃して排除するという心が不潔な奴が非常に多い

ただ単に、世の中にはイラつく事が多いから、感受性が高い方がより受け止めてくれる感じがする為に、当たるという事もあります

大多数は凡人ですから、感受性が高い人が怒られていたり攻撃されていたり喧嘩していると、善悪の判断なく安直に「あの人は人とうまくやっていけない人だ」というレッテルを張り、排除にかかります

全部、作業効率や作業精度と感受性の高低による相対比較論に固執し過ぎている事、そして社会全体を良くする上で正しいものを絶対的に見る絶対論が欠落しています

競争社会とは足の引っ張り合いではなく、協調の世界の創造を妨げるものであってはいけません

競争原理は、互いに凌ぎ合い高める共進化の為のものでなければなりません

そしてまた、目に見えるもの同様に、目に見えないものについても、間違いは真摯に反省し改める謙虚な姿勢を忘れてはいけません

これが欠落しているから、凡人は全く駄目なのです


いちいち正論を上から目線で言ってくるとはムカつく奴だ、物忘れが激しい糞餓鬼が


師匠、さっきからいい加減にして下さい

人が真面目に話しているのに、不潔な茶々を次から次へと、しかもどんどん酷くなる


凡人とは圧倒的大多数を見下す言葉だ

見下されて嬉しい奴はいない

前にも言った筈だ

面白くないから軋轢が生じる

闇はお前と宇宙の差を徹底して突いてくる  

永久に繰り返しになるぞ


どうすれば良いというのですか


自分で考えろ

自我律・意無の始動に欠かせない、客観視と中庸と言うものを  

いくら他の星がどうのと言われてみても、地球人の心には響きはしない

レムロレインが記憶を封じる事で、人の心の芯部が明らかになった  

正直、お前はどう思っている


遅々として進まないというか、焦っても仕方が無い事は分かりますが、余りにも進歩がないな、と


お前はもう十分叩き尽した

同じ事の繰り返しだ

人は夢を見て生きている


現実逃避、真実から目を背けて生きているという事です


自我律・意無

人の心に浸透してこそ、神の力は発揮される

全てを客観的に中庸で見る事

お前の言う事は正論だから悪いんだ

グウの音も出ないから、面白くない

だから叩かれる


だったら何が正しいというんですか

悪い面を叱らないと、先に進まない

自分で気付かないですからね、こいつ等は

しかも、その悪い面が多過ぎる


リラックスせよ、力を抜け、悪い面を理論で叩き過ぎと前回の記事で言ったが、対等な立場で相手を庇う言い方を混ぜてみろ

大分変ってくる筈だ


頑張ってみます


「④判断順位制の間違い」

多忙な世の中で、人はいつしか、経験則、目に見えるもの、目先のものばかり重視してしまいます

しかし、経験ばかり重視していては、進歩はありませんし、間違っている場所も改まりません

経験ももちろん大事です

しかし、この世の中は数多くの不幸に満ち満ちているのですから、自分達で判断してこれまでの常識を覆して良くしていく努力が欠かせません

年上の言う事は参考になりますし、自分の体験も参考になります

経験により、社会的に成長する事が出来ますし、例え理論的に正しい事でも、現実離れしていたり、リスクが大きいから回避する為には、経験を正確な記憶力で活用する事が欠かせません

しかし、戦争や犯罪やいじめや無益な衝突等を無くす為、即ち世界平和の為に、これまでの人々が成し得なかった域まで、我々が踏み込んで行く事も、必要になってきます

これまでは、周りと同じであれば良いという様に、只周りに同化する事が一番重視される時代でした

しかし、世の改善の為に、自分で考えながら、世を改善して行く事が、これからの時代は求められます

自分で考えるというと、正当な理屈で考える、直感的判断を下す、心理学的に考えるという3つの考え方があります

左脳、右脳、右脳と左脳の連動、という考え方ですね

世の中がこうだからこうせねばならないというのでは、何の進歩も改善もありません

正しい理屈で話し合った結果、進歩と改善を積み重ね、世の中を平和にする事、進歩させていく事が基本です

しかし、世の中には直感で判断した方が良い事、そうせざるを得ない事もあります

ですから、常に理屈に対し直感が劣っていると決めつけるのではなく、感受性を上げて直感を磨く事で、対応の幅を広げる事が不可欠です

この際に重要なのは、誰かを陥れる事で自分が優位に立とうという意識を常に強く持っている人は直感的に行動するとそういう道を選びますし、逆に皆で共に幸福になろうという意識を持っている人は自分も他人も共に幸福にします

ですから、直感を磨く前にどういう意識を持っているかという事が重要になります

一番重要なのは、人の考えを理論的に整理して世の改善に役立てる心理学的考え方です

これが、今の地球に一番欠けているものです

「恋愛は理屈ではない」「犯罪者は元から頭がおかしかったんだ」という様な偏見が恋愛心理学や犯罪心理学の進歩を妨げ、最高の結婚をして理想的な家庭を築く事や犯罪を無くす事を妨害していますが、皆が調和して先に進む調和の心理学を打ち出して行く事が欠かせません

直感と理論は連動するという考え方です

最後に、どの判断をする時にも、根底部に相対比較論で全てに上下をつけ、自分を超えようとするもの、上の者を貶めて優位に立とうとしたり、歪んだ支配欲で誰かを屈服させて下卑た快を得ようとする様な邪気を孕んでいる人は、必ず歪んだ判断に達してしまいますから、皆で共に幸福に到達しようとする宇宙の摂理に最も叶った意識で生きて行く事が欠かせません

経験則、常識、正当な理論、直感、心理学的判断、これら全てを相対比較論で上下付けをするのではなく、このケースでは皆の幸福の為にどの判断を使うのが最適か常にみんなが考えていく姿勢がこれから先重要になります


まあ、少しマシにはなったか


何ですか、その言い方

人が一生懸命に書いているというのに


お前は上から目線な上、物事の悪い所を改善して欲しいという思いが強過ぎるから非難が先行する事と、サイコパス故に世の中の悪い所を完膚なきまでに正当な理論で叩き過ぎだ

そう言う事も必要だが、最近そちらに傾倒し過ぎ、自分も疲れてしまっているし、そのエネルギーがチャネリングネットワークで世に飛散し、世も疲れさせてしまっている

厳しくし過ぎても、これまで長い間かけて歪んできたのだから、元に戻すには相当の年月を必要とするし、改善する過程で邪魔をするものや新たな問題も発生するし、お互いに疲れさせる要素を創り出しても仕方が無い

叱るなと言っているのではない

ねぎらいも必要、対等な立場で話す事も必要、客観的に見て中庸的に冷静に考える事も重要

良い所もいっぱいあるし、歪んでいる人でも良い事もして頑張っている面も沢山あるのに、悪い所を見て正義感故に腹を立てる事にばかり集中し、そこを相手をぐうの音も出ないまで理論でコテンパンに攻撃してばかりでは、余計な軋轢や消耗を生んでしまう

最近大分コテンパンに叩いたんだ

後は少し、様子を見て良い

バランスを見て、お互い無理のない形で進んで行け

お前はコロナでコロナいじめや色々人間の醜い所が露呈したとまた余計に腹を立てているが、膿出しも必要、悪い事の方が目に付くだけで良い事も沢山ある

もう少し、離れた所から客観的に淡々と全てを俯瞰する意識を持て


はい


最後に、「⑥矛盾産生教育」に裏打ちされた「⑤性欲の汚物視」です

人を教育する時、正しいやり方で教育しているでしょうか

けじめだとか愛の鞭だとか言ってみても、自分の思い通りに行動する事を強要して支配欲を満たしたり、相手の自由を奪って自分の力を誇示してみても、世の為、つまり皆で調和して共に幸福にする為に役に立っていない様では、教育は邪悪なものになってしまいます

ここで正当な教育なのか、支配欲や自分の力の誇示、若しくは社会の固定観念に満ちた悪習を押し付けているだけかどうかは、どう見分けたらいいでしょう

まず、状況的に余程余裕がない時でない限り、必ずそうしなければいけない理由を正当な理由で説明できなければいけません

聞かれた時にはぐらかしたり怒り出す様な人は、世の中の正常な進化を望んでいないという事になります

望んでいるつもりでも、実際に正常な進化に導けるかと言うと、導ける訳がありません

なぜ必要なのかが分からないと、不要な時にも適合したり、状況が変わると全く応用が利かなかったり、時代遅れでもいつまでも適用し続ける事になり、世の正常な進化の妨げになります

大体はぐらかすのは、人を拘束又は支配する事で自分が大きくなった気がしているという自己満足だから理由に対して不誠実か、あるいは理由が分からないから誤魔化しているかのどちらかです

家庭でも学校でも会社でも、全ての規則に必要な理由を明示する癖をつけておかないと、只無駄な縛りがはびこるだけの奴隷空間になってしまいます

また、自分の意図に沿わないというだけで、汚物視や異物視や無視や暴力で攻撃をする事をけじめだとか世の中を教えているだけだと言う人が非常に多いですが、これも愛情でも正義でもありません

自分がこうしなければならないというのは絶対に正しい訳ではないし、やはり叱責は正当な理論で相手にしっかり分かるまで話して成されるべきであり、意図が伝わらない攻撃は不当な攻撃です


これらのものは、不当である為に、けじめでも愛でもありません

「あなたの為よ」と示す事で、愛情だから受け入れなければならないという意識が芽生えますが、受け入れているものは愛情ではないし、それにもかかわらず言う事を聞いた等愛情を受け取るのですから、矛盾ばかりです

女性の方が色々な要素を調和しようという意識が強い為に、矛盾の悪影響を強く受けます

次に、はぐらかすという事は「(自分にとって都合の)良い面だけを見て(主張して)、(自分にとって都合の)悪い面から目を背ける(はぐらかす)」と言う事であり、不当な攻撃は「(相手の)悪い面だけを見て(攻撃して)、(相手の正当な言い分等の相手の)良い面から目を背ける(向き合おうとしない)」と言う事です

女性の方がより「あなたの為だよ」と示されたら、相手と自分を同一視しますから、逆の作用が同一化され、矛盾を抱えます

またはぐらかしは不当な理論なので左脳、不当な攻撃は感情的でヒステリックである為に右脳の作用になりますから、その双方に矛盾を与え、左脳が男性的理論の脳で右脳は女性的感覚の脳ですから、結果意識的に異性を受け入れ辛くなります

他、この方法で洗脳にかけているものは「①自由の破壊」~「⑤性欲の汚物視」であり、これらは全て歪んでいるもので愛ではありませんから、愛だと示している時点で矛盾します

意識的に異性を受け入れられなくなった所に矛盾がなし崩しに襲い掛かり、更に自分にゆとりがなくなって異性を受け入れられなくなります

そうすると、男性に対し病的に拒絶的になり、他意なく近づいただけでもセクハラだと騒ぎ立てたり変な拒絶的雰囲気を発したり、親交の意味で手を握っただけで警察に訴えたり、他男性に対し不自然な拒絶を放つ様になります

男性は女性より異性に受け入れられたいという自己承認欲求が強く、裏を返すと拒絶に弱い為に、異性に不自然に拒絶されると女性より更に深く傷付き、その傷を長く引きずります

しかし、特に男性は女性の依存性に左右され女性の前で強がりますから、傷付けられているんだとは口が裂けても言えず、その代わり女性に対し潜在意識的に憎しみを持つ事になります

そうすると、男性は女性を大事にしなくなり、家庭が乱れてそこで育つ子供が歪む等問題が無数に起こり、社会が悪くなります

また女性は男性を求める性であるのに、男性に対し汚物意識を持つという事は、更に強い矛盾を自己内に持つ事になり、その内に防御本能から性欲の存在すら汚物になってしまいます

しかし、性欲から家庭を創り、セックスをして子供が生まれ、次代に解き放つ宿命の人間が、根源の性欲を汚物視している時点で、社会が正しく回る訳がありません

この社会は、土台がすでに曲がっているのです

性欲の汚物視の弊害については生命力と死導力https://ameblo.jp/lazerc/entry-12590016861.html に提示しています

家庭が歪むのですから、歪んだ子供が大人になって犯罪やいじめ他ありとあらゆる人間関係の問題を起こしますし、そのストレスから色々な病気を併発します

他、セックスは遺伝子を残す行為ですが、それを汚物視する事で遺伝子を傷付け、癌を爆発的に増やし、癌の死者数を100倍以上に増やしています

また女性は産む性ですから、性欲は女性が主体です

その女性が性欲を汚物視する事で、ありとあらゆる婦人科系疾患になるだけではなく、更に矛盾が大きくなり、自虐性も上がり、自分を自虐的に攻撃するという矛盾の典型であるありとあらゆる自己免疫系疾患も巻き起こします

更に、女性はそうやって自分が拒絶する事で男性を振り回して支配し偉くなった様に錯覚して更に拒絶性や排他性を高め、男性は理論の性であるが故に女性が理論力で自分を超える事を恐れて妨害し、結果より拒絶的排他的女性が理論欠落状態でヒステリックに世を振り回す無益な争いばかりの世界を招来させます

競争が行き過ぎて争いばかりの世の中になった古代日本を卑弥呼が調和させた様に、本来調和に導くべき女性が逆に社会を理論欠落状態で排他性を最大限に発揮し乱したのでは社会が平和になる訳がありません

現に女性は調和性を発揮してグループを作り、派閥争いやいじめ等で会社や社会を乱している傾向が男性より強いです

胎教等子供に対する影響は無論、異性に対する影響でもより感情波を強く放つ女性の方が大きいですから、女性の意識の在り方は良くも悪くも社会全体に非常に強く影響するのです


ここまで見てくると、まず男女の比較二元論が良くありません

「男だから」「女だから」と言う傾倒意識傾向が強いだけで、依存や差別や軋轢やありとあらゆる衝突の下になります

男だとか女だとかそういう問題ではなく、「一人の人間として」社会全体を良くしていく為に、どうしたらいいのかを自分で考えて行動して行く事が重要です

全てにおいてそうですが、性別がこうだからこうしなければならない、こうであるべきだという考え方は、ゼロにしろとは言いませんが、必要最小限度にしなければ、余計な不幸を量産するだけです

また、この流れは、どちらかと言うと男性の歪んだ支配欲が起点になっているとはいえ、女性が矛盾に押されている所から端を発して問題が大きくなっています

矛盾産生教育を行う事や女性の理論力を貶める様な男性の歪んだ支配欲は社会全体の事を考えれば起こらないとして、矛盾にも、社会全体の事を本当に考えていれば押されません

上記の女性の動き方は、全て依存が大きいから流されるのです

相手が愛情だと言おうがどうしようが、言っている事が全部正しい完璧な人も、全部邪悪な絶対悪も存在しません

この世界は矛盾が大きいですから、生きていると良い事よりも悪い事の方が多いし、理不尽な事もいっぱい起こります

でも、そこで自分の感情を害されたり、消耗する事が有っても、品性を売る事も無ければ、間違いに流されて自分も同種、若しくは別種の間違いに到達する必要もありません

確かに、この世の中は非常に間違いが多く、間違いを強く有する者が目上だったり名誉や権力を持っている事も多いので、全てにおいて正しい事を正しいと言い、間違っている事を間違っていると主張しては生きて行けません

しかし、できる範囲で改めて行けば良いだけであって、その為には何より自分が歪まない事です

やはり不愉快な事や怖い相手や面倒臭い事に対しても、離れた所から淡々と客観視して、自己責任で社会全体の幸福の為に善悪を決めて、正当な話し合いの下進んで行く事が欠かせません

すぐに改める事はできない程に社会の歪みは大きいです

ですから、一歩一歩、なるべく多くの人が道を踏み外さずに、着実に進んで行く事が重要です


ふむ、まあまあだな

世の中の歪みについては、最近ずっと書いていたので、もう十分だろう

次回の題名は、私が決めさせてもらう


今悩んでいた所だったので、助かりました


お前はそろそろ、自我律・意無の一応の完成を成し遂げねばならない

最後にゼロ・テラとサシで話すが、その前に私とレムロレインから伝えておきたい事がある

まずは私だ

「虚構への指導」という題目が私だ

次に、「自己と神」と言う題目でレムロレインと話せ

その後が自我律・意無についてゼロ・テラと対談し、自我律・意無を一段階完成に近づけろ

肉体に力をみなぎらせろ

意味は大体分かるな

何を話すか、次回までに考えておけ


やはり多くの人が、まだ真実から逃げている状態なので、物質的にうまく行かない事が多いんですね

私が突出しているから、周りとうまくなじまない
どうしたものか

周りと比較してどうのと騒ぐんじゃなくて、社会全体の為に皆で自力で考え、正当な話し合いの下肩を組んで調和し合って前に進めば良いだけなのに

それってそんなに、難しい事でしょうか