カウンターサイコパス鋭鈍反転結合 後篇Ⅰ‐基盤 | 天国への鍵 全真理に浸透する法

天国への鍵 全真理に浸透する法

旧「ラヴァエルのブログ」です。
地球人は個の本質である魂を否定し、個を縛り付ける規則を神と崇めてきました。
これが地球上の全ての不幸の元凶です。
地球の秩序の歪みを克服し我々が真に幸福になる方法を、ここで述べていきます。

地球の闇は、宇宙の闇の縮図です。

ありとあらゆる宇宙の不幸が、地球で起きます。

戦争、犯罪、いじめ、虐待、暴力、差別、病気、老化、環境破壊、天災…キリがありません。

宇宙中の闇の全てが揃っている星と言っても過言ではありません。


宇宙中には、600兆個以上の生物の住む星があります。

星の平均生物数は地球の約10倍ですから、地球の6000兆倍の生物が宇宙に住んでいるという事です。

宇宙にはその600兆個の星の中でも、特に問題がある問題五大星があります。

アース(地球)、ルキ、イノーバ、ゼナー、ゾーイスです。

アースとルキは他の星に攻め込む位の文明は持ち合わせていませんから、他星への侵略清掃を行う等直接の被害はイノーバとゼナーとゾーイスが起こしています。

後者三星に攻められている星を合わせても、地球は宇宙中で不幸な星ワースト8に入る事でしょう。

あたしはチャネリングで全ての星について読めますし、状態を聞く事も出来ますが、それはあまりに長くなるので割愛し、アースと他の星の相違点の概要を必要最小限述べます。

先に述べた全ての不幸の要素の内、病気と老化は地球の方が酷いですが、それ以外特に戦争と犯罪は他星の方が多いです。

地球人の病気と老化が酷い理由は、https://ameblo.jp/lazerc/entry-12576260710.html の前半に生命力と死導力という言い方で表記していますが、生命を生み出す行為である性交を家庭と次代創造の場である家庭を創る性欲ごと汚物視し、生きる事の尊さも教えず、教師が教師を苛めたり教師が生徒を苛める事件も発生し、平気で生徒に「死ね」「殺す」と言う教師もいる等、生命力向上意識を下げ死に向かう力を上げる事ばかりしているからそうなるのです。

他の要素は地球の方がましな理由は、地球人の方がまだ皆が平等に幸福に生きていこうという意識が残っている事と、地球人が一番闇に対する感受性が低い事です。

人が自分の話により真摯に向き合ってくれる人の下に行く様に、闇の意識もより自分に気付きより自分を受け止めてくれる人の下に生きます

そういう人がその闇を十分に処理し、その闇を克服する社会を導けるのであれば何も問題はありません。

しかし、問題五大星の様に、闇が余りに深かったり重症な場合、余程闇の処理能力が高い人でない限りそうそう処理する事はできません。

処理できないと本人が病気になったり排他的攻撃的になり歪んだりして戦争や犯罪や虐待を起こす等、各種不幸をまき散らします。

ルキの場合は感受性が低くありませんから、ルキが生み出した闇はわざわざ遠い他星に行かずに星内で人を歪めて荒らし、宗教戦争を筆頭に略奪等の犯罪等の不幸の巣の星になっています。

イノーバやゼナーやゾーイスはルキと似ていますが自分達が優れているという思想があり、他星に行ける位まで文明も発達し戦力もありますから、他星に侵略戦争を仕掛け直接的に他星に不幸をもたらしています。

地球の場合は、闇を創り出してはいても闇に対する感受性が低いですから、地球が創り出した闇の大半は遠くてもしっかり受け止めてくれる人がいる他星に行きます

例えば、突龍は闇の矯正を最前線で指導していたので、私の部下の中では最高峰に闇に対する感受性が高かった為、イオ・カナールの誘導があったとはいえ、容易に突龍に地球の闇は入っていき、結果大宇宙教育系抹消を成功させました。

大宇宙教育系殲滅https://ameblo.jp/lazerc/entry-12572672974.htmlhttps://ameblo.jp/lazerc/entry-12573375139.htmlhttps://ameblo.jp/lazerc/entry-12583475391.html

これは地球が大宇宙に対して被害では最大のものですが、他にも地球の排他性意識毒が拡散して宇宙戦争や犯罪や病気が増える等、地球の闇が宇宙全体に害をもたらしています


地球の闇は「闇の共鳴感染暴走https://ameblo.jp/lazerc/entry-12575045891.html 」に纏めてあります。

そのうちの一部、即ち中核部を抜粋します。

①人は誰しもが自由に生きる権利があるのに、自由に生きている人に対する僻みや嫉妬と歪んだ支配欲から自由を理不尽に縛り付ける身勝手がけじめとか躾とか教育という名で猛威を振るい、人の個性を減殺して機械化する事で人の目から光を奪い、どうでも良い事まで次々と指摘したり叩いて潰し、出る杭は正当な善悪の判断無く打ち、凸凹の人格を全てフラットに整地して、人の自由を個性共々破壊している

②万物を流動系として捉える流転一元論ではなく、全ての個性に善悪優劣勝敗をつける安直な二元論で万物を分断し、善が悪を潰し、優が劣を屈服させ、勝者が敗者を嘲笑する事を教える排他性崇拝教育が、調和を完全に粉砕し、ありとあらゆる不調和と争いと軋轢と不幸を生んでいる。

③感受性の高い人に対する僻みと嫉妬と依存から、作業効率を引き合いに出して貶めたり、罪を擦り付けたり刃向かったり八つ当たりをしたりして、感受性の高い人の足を引っ張り、社会の上に立てなくしたり潰したりする

④固定観念に満ち満ちた悪習の前には理論は糞以下、理論の前には感覚や直感は無意味、感覚や直感と理論の連動は有り得ない、宇宙の摂理は屁とも思わないという、圧倒的大多数が全く順位を間違えた判断しかしない

⑤学校教育の場から性交を完全排除する歯止め規定の存在に代表される様に、性欲の汚物視を教育する事で性欲を歪め、性犯罪の発生のみならず、性交により創造される全細胞に対する波動的損傷、性欲から生み出される家庭へ歪みを持ち込む。

⑥上記の教育を、あなたの為に教えてあげているんだと諭し、理由ははぐらかし、従属しなければ汚物視異物視無視暴力で攻撃し、従属すれば金や食べ物や愛情を与えるという飴と鞭を使い分け、矛盾意識毒を生み出す矛盾産生教育という方法で洗脳する。


これら①~⑥が転じて、以下の帰結を招来し、アンゴルモアに有利な状況を作り上げています。

➊未だに男であれば、年が上であれば、経験年数が長ければ、そして感受性が低く攻撃的であれば、数が多ければ、その内容は無視して意見が通る事が非常に多い。

➋肌の温かさを伝える、育て直す、全てを愛する人に壁無く抱いてもらうという様な性医学が殆ど無効化される。

➌誰にでも徳もあり業もあるが、業に対する徳の比率が大きければ大きい程報われる人生を歩み、その逆である程報われない人生を歩むのが宇宙法則なのに、そうはならない。

➍誰しもが闇に流される傾向が非常に強く、それを教育や話し合いで正してもいつも間にかその内容が闇に有利な様に書き換えられる

➎信じている人、尊敬している人、恐れている人、自分と似ている面がある人が歪んだ場合、仮にその性質を持った人が一回も会った事がない人だったとしても関係なく、反面教師もこれまでの学びも正当な理屈も無視して、只歪み続ける

宇宙史上、⑤と⑥の両方をここまで高いレベルで兼ね備えた星で、存続しきった星はありません

これは、実に面白い事かもしれません。

これを乗り切った時、地球人はこれまで誰も回復できなかった域からの脱出をする事ができるのです。

それができた時、地球人はこれまでにない愛の自立と進化を遂げ、宇宙自律改革への先駆をつける事ができるでしょう。

さあ、ついてきて下さい。


上述の①~⑥の歪みはどういう意識から生じるのでしょう。

更に言えば、どうして私は瞬時に歪みと判定するのに、凡人は歪みだと判定すらできなかったのか

それがどうやって❶~❺の歪みに変化するのか。

自分がどういう意識を持っているか、他がどういう意識を持っているか、それが世の中にとってプラスになるのかマイナスになるのかを冷静に理論で考える意識を持って紐解き直します


①自由と個性の破壊について

「子供の目がキラキラしている」と皆が言う時点で、皆の目が大人になるにつれ死んでいくという不文律を意識できねばなりません。

これだけではありませんが、凡人は常に、言葉の裏にどんな意識上の問題が潜んでいるか読み取る意識が低過ぎます


地球はやけに制限が多過ぎますが、確かにけじめや社会維持の為に必要なものは必要ですが、不要な制限や有害な制限や行き過ぎた制限まで全て神格化して持ち上げる事はありません

捨てるべきものは本来ゴミも制限も同じ筈なのに、家でも職場でもどこでも、要らないものを捨てられずゴミの山にしてしまう人は注意できるのに、排除するべき制限を野放しにして新たな制限を次々と作り人の自由と独創性を破壊して個性すら減殺する事を注意できないのはなぜか。

ゴミには感情がなければ言葉も発さないのに、制限してくる人はそうではないからです。

人が使っているものや人も使っているものを勝手に捨てれば、「なぜ使う予定のものを勝手に捨てた」「まだ使えたのに」と責められる事はありますが、それは必要かどうか聞けば簡単に解決できます。

「これはやっちゃダメ」「こうでなければならない」「ああでもねえこうでもねえ」と威圧的に何でも制限をかけてくる人の場合、怖いとか面倒臭い人だと思われつつも逆らったり改めさせるのが面倒なタイプですから、恐怖を自分の為であるとか威厳と置き換えたり、面倒さを世の中とはこういうものだと置き換える事で、自分を納得させて自分の疲労や苛立ちを減らそうという防衛行動に出るのです。

しかし、威圧的感情的要素がより多く入ってくるとそれだけ通るというのではなく、それらから完全に切り離された世界に常時自分の本質を置いて、正しいものが正しく、間違っているものが間違っていると常に中庸に判断できるようでない限り、自立者ではありません

どんなに怒られようがどんなに感情的になられようが、上司にも部下にも間違っている事を全部話した場合、関係が悪化して、上司に首にされたり、部下が辞めてパワハラで辞めさせられたと責められる事になりますから、無論何でもかんでも言えばいいというものではありません。

言うか言わないかはその場においての適正な判断で行えばいいのですが、恐怖や面倒臭さにすぐに屈服して、常に中庸にして公正な判断ができないのでは、魂の子供であり、魂自立次代に必要とされる存在にはなりません


自由に生きている人に対する嫉妬や歪んだ支配欲…自分は自由に生きたかったのに親や教師や上司や先輩に制限されてできなかったから、自分もそうしてやる…虐待の連鎖と同じですよね。

この手の歪みは誰かの為に厳しくして挙げているんだ等とこれまでは相当に正当化されてきましたが、真実が明らかになる次代ではそうはいきませんよ。

正義意識を強く持ちなさい

あの人を尊敬している、あの人のおかげでここまで来れた…誰にでも尊敬できる所はあるし、誰にだってお世話になった人がいるのが普通ですが、だからと言って不当な制限等、間違った所まで真似したり継承するな

優れた所は継承すればいいし、感謝するべき所は感謝してあなたもそうしてあげればいい、だからと言っておかしい所まで同じ様にすることはないでしょう。

常に何が善で何が悪であるか中庸にして正当に判断する意識が欠落している証です。

年上や先輩を尊敬するとか、伝統とか、そういうものは、正義の前には無意味でしょう…一番意識を向けなければいけないのは、世の中を良くする事です。


なぜ全部フラットにしたがるか…全部同じにしてしまえば確かに楽かもしれないが、つまらない世界だ

しかし、実際は全然楽ではないのです、苦痛なだけ。

おかしい事、できもしない事を強行するから、無理や矛盾やひずみが生じて、苦痛になるのです。

異質であれば危険が伴うと、なぜ安直に考えるのか。

判断できる自信がないから…向上心はどこに行った。

判断力の高低は、磨けばいい

自分と同じなら、危険が無いと思うのか。

周囲と同じなら、安全だとどうして言えるのか。

制限をきつくして、無理やり脅迫的に全員に同じ行動を取らせたから、全員を同じ思考に統一できたと本当に思っているのですか。

そう本当に信じ込み改める気がないのなら、もういい、そんな馬鹿は諦めます、消えなさい。

制限をきつくした方が良い所ではそうすればいいし、制限しなくても良い所では制限しなくても良い、只制限は人の心を同じにはできない

人には個性があるから、人の心が同じになる訳がない

皆が調和できずに、つまり変な歪みを無くして正当な話し合いの下に正しい事を教育して正しい心を育てようとせずして、制限を加えるだけしか思いつかない奴は、馬鹿だ

何でもかんでも厳罰化すればいいというのなら、例えば死を恐れない人や死にたいから犯罪を犯す人には、無駄なばかりか促進要素になる事もある。


言い過ぎると際限なく長くなるので止めますが、恐怖や面倒等と言う俗物に振り回されるのではなく、何が世にいい結果をもたらし何が世に悪い結果をもたらすかという事を常に意識なさい

問題要素ばかり意識していると疲れたり気分が沈んだり苛立ちますから、楽しい事や感謝すべき事も対等に意識する事は必要ですが、問題要素から目を背ける意識は確実に世を駄目にし、滅ぼします


②流転一元論ではなく、全個性を善悪優劣勝敗二元論で分断し、排他性を推進する。

人より正しくいたい、人より優れていたい、人に勝ちたい、結構です。

自己向上につながりますから、そう言う意識を持つ事は良いのです。

僻みも嫉妬も構いません、それが自己研鑽のエネルギーになる事もありますから。

問題は、比較論で、他の足を引っ張ったり、他を貶めたり、攻撃して潰したり、社会から排除する事です。

攻撃意識が主で、逃避意識が従です。

誰かを攻撃する事で、日頃のストレスを解消したり、自分の攻撃欲求を解消したり、自分の歪んだ支配欲を満たしたり、自分の優越感を満たす事で自分の居場所を作ろうとするから、人を不幸にする事で自分が高まった気がするのです。

その裏には、自分で自分のストレスを解消できない、自分に自信が持てない、自分を高めようとしてもできる訳がない、だから逃避の為にそうしているという逃避意識が必ずあります

どうすればいいのか。


自分のストレスを解消できないのは、夢中になれる趣味を持つ事も重要ですが、それはどちらかというと問題点をそらしているに過ぎませんから、家族でも先生でも友人でも恋人でも上司でも誰でも良いので自分の為に自己犠牲をしてくれる人が傍にいると良いです。

この場合、自分の気持ちを受け止めて共感し癒してくれる人と、耳が痛い事を言ってくれる人の両方を持っておくと良いです。

これは両方を兼ね備えている人であれば一人でも構いません。

自分の努力ではどうにもならない事、愚痴をこぼさなければやっていられない事もありますから、何でもかんでも厳しいばかりでは駄目です。

しかし、うまく行かないのは、自分の怠慢や考えのなさや工夫の不足、向いている方向がずれているなどという事もありますから、そういう所をしっかり指摘し正してくれる人がいないと、どんどんずれていって駄目になってしまいます。

あまり上司に愚痴をこぼすと表層上は受け止めてくれているふりをして内では仕事のできない人だと評価される事もありますし、いい顔をして人を陥れる人もいれば、八つ当たりで厳しくしている人もいますから、人を見る事は重要ですが、基本人に悪くせずに適度に自己犠牲して誠実に生きていればそういう人は現れる筈です


自分に自信が持てないというのは、上記の相談できる人を見つけるという事も重要ですが、人には誰にでも得手不得手があるので、自分が得意な所、努力で伸ばせそうな所、伸ばしたい所を伸ばしたらどうでしょう

一つの事ができないだけでその人全部が駄目だという狭い意識の持ち主がいますが、例えばある部署で致命的な欠陥を持っていたとしても、他に行けば才能を発揮するという事は多々あります。

適材適所と言いますが、苦手で苦痛で努力でもどうしようもない所より、伸ばせる所があるのであればそちらに目を向けた方が賢明です

自分を高めようとしてもできる訳がないというのも、只の怠慢や逃げ口実の場合もありますが、自分に自信が持てない所の項目で書いた全ての事が当てはまります。

悪いものを攻撃するとか、命にかかわる事から逃げるのは、正義や安全の為に必要ですが、そこに歪みがある事で生じる不当な差別は、皆が歪みから脱却しながら壁のない話し合い、助け合い、自己犠牲の中で共鳴改善されるべきものです


③感受性の高い人を社会の上に立てなくしたり潰す。

感受性が高いから芸術等の面で才能を発揮したり、繊細だから厳しい事を要求してはいけない等という向きに対しての反発というのがまずあります。

芸術には感性や豊かな表現力を高める為の感受性の高さが必ず伴いますが、これは得手不得手があり、またある特定の分野に対して感受性が高いとその分野にだけ意識が偏り、他の分野がおろそかになる傾向が強いです。

その為、ある特定の領域で優れている場合、そこに嫉妬して劣っている所を攻撃する人がいます

また、人の心に繊細な場合、それだけで色々な人の心に振り回されますから、基本は庇うのが当然ですが、それに反発し逆にきつくする人が多いです。

無論、自分が繊細だから弱い事をアピールして仕事をさぼったり責任逃れをする甘えには、厳しく注意する方が本人や会社の為になる事はあります。

ただし、鈍い人が気付かない心の流れまで感じ取り、うまく処理して人間関係が壊れる事を防いだり、繊細さを仕事に生かし結果を出したり、成果を出さなくても闇やひずんだ意識を本人が受け取って他の人が助かっているという事がありますから、感受性が高く闇やひずみに繊細だから精神的に疲れ易いというのは目に見えない形で他の奉仕もしているという事なので、そこを察知してサポートする姿勢は常に必要です。


感受性が高いからより受け止めてくれる気がして、歪みまで受け止めさせるというのは甘えです

作業効率は大事ですが、人の気持ちや人間関係の調和等どうでも良いから作業効率だけ厳しく追及する様な、血の通わない現場が多く、結果人の心が離れて行ったりそこで働く人の心が歪んでいくという事はあります。

そう言う場所は確実に潰れます。

作業効率は目に見えるもの、人の心は目に見えないものですが、本来は後ろに重きを置いたほうが良いのですが、少なくともどちらも均等に重視しなければいけないという事です。

人の心も理解しようとせず効率だけ厳しく押し付けられるとストレスが溜まったりトラウマになりますが、それを感受性の高い人に叩き付けるのでは、只でさえ人の心の闇や矛盾で負担が多い所に二重苦で苦しみが来ますから、潰す為に追い打ちをかけている様なものです。

更に、上司があいつなら自分の怒りも受け止めてくれると依存して八つ当たりをする、部下があいつなら自分の甘えを受け止めてくれると依存して言う事を聞かない、更に誰がやらかしたかよく分からない不始末あるいは自分の罪をあいつのせいにしたり擦り付けてもあいつなら受け止めて許してくれるんじゃないかと舐めてかかる。

これでは潰されます。

人間関係や仕事がうまく行かずストレスがたまる、しかもあらぬ罪を擦り付けられて更に評価が落ちる、我慢していては苦しみが蓄積して潰されます。

「八つ当たりは辞めて下さい!」「言う事を聞け!」「罪を擦り付けるな!」と強く反発したり攻撃すると、「全ての気持ちや罪を背負ってくれる人だと思っていたのに、裏切られた」という依存意識が働き、「生意気だ!」「いつもは媚びているくせに気分で怒りやがって!」「自己正当化だ!」という不当な軋轢を生み、それがストレスになって本人が辞めたり、「あいつは人と仲良くやっていけない奴だ」と不当な評価を上司から受け会社から排除される事があります。

感受性が高いと人の心を受け止める性質が強く、周囲は何でも受け止めてくれる印象を受けますが、そこに変な依存が含まれる事で、感受性が高い人を追い込んでしまうのです。

しかし、当然ですが、そういう会社は、如何に作業効率等目に見えるものに対する敏感性はあっても、気配りや思いやりや空気を読む事、増してやその場に合わせた愛情の注ぎ方や自己犠牲の仕方が衰退しますから、社会でも他社に対しても心の調和がうまく行かずに、潰れます。

これまでは人とかかわらなくても機械の様に物事をこなす技術屋は重宝されましたが、これからはその仕事は機械にとってかわられますから、需要は少なくなり、遠い未来にはなくなるかもしれません。

これまでは只威圧的であれば威厳があると高評価を受けるという様な事がありましたが、皆の感受性が否が応でも高まっていくこれからは、そこに正常な愛や思いやりや情熱や向上心が無いとみなされた場合潰されますから、生き延びる事はできません

ここまでの対策は、感受性が高い人にもっと思いやりを持つという事と、②と同じ事で自分のひずみを修正するという事です。


感受性が高いというだけで危険だと判定し排除するという傾向も根強いです。

これには二つの要素があり、一つは感受性が高いと人の心の悪い面にも敏感ですから、それを敏感に感じ取ってネガティブになったり、吸収してダメージを受ける事で、鬱等の精神病になったり、社会を憎んだり他を傷付ける人になる等歪んでしまう事を恐れるが為です。

しかし、それが社会の悪い所を根底から改革する原動力ですから、そういう人の事を排除して更に追い込め潰したり歪める事は自分達のいる場だけはリスクが減るかもしれませんが、社会全体でみると確実に悪い事です。

そういう人をサポートする意識が無いと駄目です。

次に、自分の心の闇や歪みややましい所や卑しさが潜んでいることを自覚しているか、意識の奥で感じ取っているから、それがばれるのを恐れて排除にかかるという事があります。

これは更に駄目ですね。

自分の間違いは自分で改めればよく、ばれそうになったから排除するというのは、泥棒に入ったら目撃されたからナイフで刺し殺して口封じをするのと同じ事です。

ただし、一人の権力者や、その場の多くの人が同じ闇を持っている場合で、意識の奥底に潜んでいる場合は本人達は無自覚ですから、「あいつは何となく嫌だ」から始まり、正当化する為に色々その人の駄目な所を正当な理屈でも理不尽な難癖でも良いので色々強引に理由をつけ、排除します。

排除した方もされた方も無自覚の場合が多いですが、これはいずれ、心の内奥部が見えてくる様になれば、その様な不当な事は消えていくでしょう。

それまで変にじたばたせずに、達観した方がよさそうです。


④「固定観念と悪習>正当な理論>健全な直感>理論と直感の正しき連動>宇宙摂理」の判断構図

地球の法則全てが正しければ、この地球はもっと健全な星になっているとは思いませんか。

地球の法則というと、自然界の法則であるとか、動物界の法則であるとか、色々と話が複雑になってきます。

従って今回は対象を人間界に絞りますが、人間が万物の霊長に立ったのにはそれ相当の理由があり、人間界の歪みと地球の歪みはつながった流動系であるという事は頭に入れておいて欲しいです。

さて、言い換えましょう。

人間界の常識全てが正しければ、人間界はもっと幸福になっていると思いませんか。

人間界の常識に不備があるから、これほどまでに人間界には問題が生じるのです。

何も、常識を全部捨てろとか、規則を無くせと言っているのではありません。

そんな事をしたら人間界は無法地帯になります。

不要な固定観念を手放し、歪みを無くせと言っているのです。

目上の者から教わったものを継承するかどうかを区別する意識が低く、結果時代遅れで不要になってしまったものまで継承したり、歪みや闇まで継承する習慣が、これまで世を悪くしてきた事は間違いありません。

この世の中に対する無責任意識を改め、一人の自立した世の構成員として、世を良くしていくという意識を持たなければいけないのは言うまでもありません。


何が善で何が悪か、何が必要で何が不要か、その判別が正しくなかった事も問題です。

なぜ人は判断を間違えるのか。

「なぜそうしたんだ」「こうでなければならない」と言われた時、「こういう訳でこうしました」と即座に答えると、それが正当な理由であるにもかかわらず、「言い訳するな」「反抗するな」「良いから黙って受け入れろ」と答える馬鹿が地球に如何に多いか。

固定観念や悪習の押し付けに対しての正当な理論的検証を拒む馬鹿は、世を良くする事を妨害する悪の因子ですから、次代では消します

それでは、なぜこのような受け答えになるのか。

これまでの善悪等どうでもよく、只押し付けられてきた歪んだ縦割り教育を只そのまま何も考える事なく継承しているか、その時の自己内や自他内の矛盾や不満を虐待の連鎖の様に繰り返しているかのどちらかです。

しかし、悪意の有無にかかわらず、間違ったものを改め世を改善していくという意識を全員が持つ社会でない限り、社会は潰えます


次に、全ての決め事において、「この様な理論的根拠があってこうします」「こうするとうまく行く気がするのでこうします」と二人の人が言ってきた場合、社会はどちらを取るでしょう。

粗100%前者を取り、後者は無視されるばかりか馬鹿扱いされ非難されるでしょう。

ただし、その理論が正当ならうまく行く場合が多いでしょうが、あまり正当とは言えない場合や認められたくて無理につけた根拠の場合は精度は相当に落ちますし、感覚の鋭い人の場合直感や感覚に従った方がうまく行く事は実際多いです。

理論的根拠が明示できるケースにおいてはそれに従った方が良い場合が多いのですが、明示できない状況では強引に理論を作り上げるよりも、直感や感覚に従った方が自然でスムーズに成功できる事の方が多いです。

特に初対面の人の人間心理を速やかに読む場合、いちいち理論を難解にぐるぐる考えて後手後手に回っていては話になりませんから、雰囲気を鋭敏に感じ取り臨機応変に素早く行動する事が求められ、それには感覚の鋭さを磨き直勘や感覚をフル起動させる必要があります。

理論も感覚も長くその物事に携わる事で成長する事もありますが、努力では埋めきれない天性の優劣もありますから、適材適所則は重要です。

ただし、男は理論、女は感覚等と変に線引きする事は、双方の壁のない成長や強調した成長を妨げ、健全な社会成長の障壁になるのでいけません。

だからどちらかというと理論が優れた人と感覚が優れた人だと前者を持ち上げ後者を貶めがちですが、理論も感覚も各々平等にその価値を認め、臨機応変にそれを使い分ける、若しくは人を使い分ける事が欠かせません


私が思うに、地球人で一番脳の活動の中で足りないのは、脳梁です。

心理学は、どちらかというと女性向きですから、女性が開発し指導した方が良いのです。

女性に拘り過ぎると、男性の心理学の開発と理解の障壁になるのでいけませんが、脳梁の太い女性の方が右脳でスムーズに直感や感覚で感じ取ったものを理論分析を担う左脳にもってきて理論的に説明できますから、心理学は女性主導で進めるべき分野です

女性がヒステリックになり易い、感情的になり易い、パニックを起こし易い、だから女性主導は良くない、男尊女卑というか、重要な事は男性に判断させるべきだという向きはあります。

女性のパニックが多い理由は三つあり、他の二つは矛盾産生教育が女性に与えたトラウマと女性の男性に対する異物意識にあるので後に回しますが、一つは理論と直感や感覚は連動しえないもの、全くの別物であるという馬鹿げた偏見があります。

例を挙げると、人を好きになる恋愛は理屈ではないから理論で説明できない、犯罪者は元から性根が腐っているのだから只罰すれば満足して理論で真摯に分析しないという様な、愚かな考えが恋愛心理学と犯罪心理学の発達を妨げています。

恋愛心理学の発達が遅れているから結婚を失敗したり健全な家庭を築く事を失敗するのであり、犯罪心理学が発達しないから犯罪はいつまでもなくなりもしないばかりか減りもしないのです。

心理学がいつまでも正常な進歩を遂げないからこの地球の全不幸がある

理論が直感や感覚と連動し得ない等と誰が決めた、馬鹿か、脳梁は何の為にあるんだ


さて、宇宙の摂理です。

これまで宇宙の摂理について色々な記事を書いてきましたし、これからも書いていくでしょう。

でも、現世に限らず、宇宙の摂理についての私の話を血肉とした者が一人もいないと言っても過言ではない位、宇宙は私についてきてくれはしなかった。

難しい話はいくらでもできます。

でも、自立して自分で切り開いて欲しい

そうでないと意味が無いと私は悟りました。

難しい事はありません。

この記事でこれまで話してきたでしょう。

自分も他も含め、全事象を、意識から見た中で、社会が皆で共に幸福になるものが全て宇宙の摂理です


後篇を一回の記事で仕留めるつもりでしたが、重要な事項で話す事がいっぱいあり、一つの記事にまとめきれなかったのは私の未熟さなのでしょう。

でも、返って良かったかもしれない。

次回、矛盾産生教育により固められた性欲の汚物視の脅威の重要さをじっくりと仕留める事ができるから。


エゴや恐怖や惰性や無思考や怠慢や依存や不正義からくる、逃避意識、自他への矛盾した理不尽な攻撃、感覚麻痺があらゆる闇を生んでいる事を上記の事柄全てから感じ取って欲しい。

人が善意を失っていない以上、意識に視野を向けるだけで、全ての不幸は消失し、調和に満ちた世界が到来します


今回の記事を基盤として、矛盾産生教育に固められた性欲の汚物視の弊害を斬ります。

良ければ、自分でも、自力でこの記事を参考にして、考えてみて下さい。

文章化するのを奨めますが、しなくても構いません。

共に次代への礎を、切り開きましょう

礎無き世界は、滅ぶのですから。