本当は謝っている欧米人?
なかなか「ごめんなさい」が出ないとよく聞くのだが、私の知る英国人は、日本人はなかなか「ありがとう」を言わないと言っていた。
両方の言い分はよくわかるのだが、実は私はそんな風には思っていない。
確かに英語は自己主張が強いし、何かしら根拠のない自信を持って会話をしていると感じることも少なくない。
だけどそりゃ向こうが悪いと思うとちゃんと謝ってくれる。
同じように日本人だって感謝の気持ちはある。
一つの言葉に含まれる意味やニュアンスが英語と日本語で微妙に違うことから使われる場面がじゃっかん違うのだ。
「ごめんなさい」というのを英語で"I'm sorry"というのは誰でも知っているが、この"I'm sorry"が根本的に「ごめんなさい」と全く同じ意味ではない。
英語の"I'm sorry"には大きく3つの意味があって、
1自分が悪かったと表現する言葉
2同情や相手をかわいそうに思う気持ちを伝える言葉
3悲しみ、喪失感を伝える言葉
ところが日本語の「ごめんなさい」には、悲しみを伝えるという意味はないし、謝罪の言葉のほかに「許しを請う」という意味が含まれている。
いわゆる「ごめんなさい」を言うときに、相手に対して「許してくれる?」というニュアンスを含んでいるわけだ。
ところが英語にそれと同じニュアンスはない。謝罪をするときに使われるときは、「自分が悪かった」という意味のみのような気がする。
さらに上記の意味も多く含まれることから、日本語と違う場面で使われることも多い。
たとえば悲報を聞いた場合。
"My uncle has passed away from cancer"
「叔父ががんで亡くなったの」
"I'm sorry"
こういうときの返事によく"I'm sorry"が使われる。
もちろん「ごめんなさい」と日本語にすると、意味がおかしい。
悲しみを表現する言葉として使われている。
逆の別の例として、日本での場面。
日本で転んでしまった。
誰かが手を貸してくれて、起こしてくれた。
こんなとき日本人は「すみません」だとか「ごめんなさい」と言う人がかなり多い。
だけど英語ではそこで"I'm sorry"や"Excuse me"を言う人は皆無に等しい。
必ず、
"Thank you"「ありがとう」と言う。
まず日本語の「すみません」や「ごめんなさい」には私が思うに、微妙に「ありがとう」が含まれているように思う。
欧米人が"Thank you"を言う場面で、ことごとく「すみません」や「ごめんなさい」が連発される。
人にモノをもらった。
「どうもすみません」
人にドアをあけてもらった。
「わざわざすみません」
モノを落として拾ってもらった。
「ごめんなさい」
「ありがとう」だけ覚えてきた外国人が聞くと、感謝の言葉を述べない国民だ。
と思われてもしかたがない。
同様に欧米人の"I'm sorry"の言う場面もちがう。
欧米人の"Thank you"の数と、日本人の「すみません・ごめんなさい」の数はほぼいっしょだと私は思っている。
なので、欧米人には、日本人の言う「すみません・ごめんなさい」の半分を「ありがとう」と訳し、片や日本人には、欧米人の言う"Thank you"を"I'm sorry"と訳すと、
おおっ、「ごめんなさい」を言う欧米人でいっぱい。
おおっ、「ありがとう」という日本人でいっぱい。
と、こうなるのである。(汗
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自然なあいさつ
その当時私は会社勤めだったのだが、お客様の電話を直接受ける仕事をしていた。
ある日、私に用事があって、その中の一人が会社に電話をしてきた。
「○○会社でございます。」
当時のうちの会社はかかってくるお客様の6割は外国人のお客様、4割は日本人という色彩豊かなお客層で、電話をとるときは日本語だが、相手の第一声が外国人だとわかると、とたんに英語に変えるという方法であった。
電話越しに彼女は日本語で「もしもし」と言った。
すぐ彼女だとわかったので、英語に切り替え、
"Hello, ○○"「もしもし、○○(彼女の名前)」
そうすると彼女は、こう言った。
"How did you know it was me?"
「私だとどうやってわかったの?」
どうやってわかったって、そりゃ発音でわかるわよ。
明らかに普通に外国人が話すときの特有の発音の癖があるのだもの。
私でなくても気づくわよ。
しかし、それを言うまえに彼女は、
"I was confindent that I could deceive you."
「あなたをだませる自信があったのに」
と自分の日本語に自信満々のようであった。
あんまり自信満々なので、どの日本人が聞いても、すぐに気付くよと、言いそびれた。
こんな風にネイティブの真似をしているつもりでも、実は全然ちがう音であるということは多い。
だから、たった「もしもし」だけでもすぐわかってしまう。
同様に、簡単な一言である"Hello"だけでも、ネイティブ並の発音は非常に難しい。
これは関西人が標準語をしゃべるとか、都会の人が地域の方言を覚えるというような簡単なものではなく、ほとんど体にしみついた一生の癖というようなものである。
だから同じ英語でも、アメリカ人でイギリス英語を話せる人や、その逆は、女優や俳優でも本当に限られる。
第一声でネイティブ並の発音をしたいなら、"Hi"「ハイ」が一番ばれにくいと思う。
その要領で、彼女には「もしもし」は難しすぎるので、ネイティブの日本人並に発音できる日本語を教えておいた。
「おっはぁ」
ああ、私って悪ふざけがすぎる(汗)
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ハイスクールは日本の電車並
日本の電車は時刻どおりに来る。
実際にその通りだし、欧米ではそのことに感心したり、皮肉を言ったりだ。
では欧米では時間にルーズかというと、電車は日本並ではないが、それなりに時間は守られている。
私が思うに一番時間厳守されているのが、学校だ。
あるいみ学校は日本より時間割りが細かいと思われる。
少なくとも私が通っていたアメリカの高校はそうだった。
普通の州立なので、多分よその学校もそう変わりはないと思う。
どんな風に細かいかというと、
1時限目 08:30 - 09:17
2時限目 09:21 - 10:08
休 憩 10:12 - 10:32
3時限目 10:36 - 11:23
(以下省略)
こんな風に分刻みの時刻表なのである。
9時17分までって、この細かさは何?
しかも教室移動は4分とかこれもまた中途半端だ。
日本の電車の時刻表並に細かい。
これが日本だと、きれいに
1時限目 08:30 - 09:20
2時限目 09:30 - 10:20
こんな風に10分刻みのところがほとんどだと思う。
それより細かくても、5分刻みだ。
ちなみに1時限目のことを英語で、"first period"と言い、休み時間や休憩時間のことを"break"と言う。
こんな風に細かいので、ベルの音も、まるでアラームのように、「ビー」と3秒ほど鳴るだけの短いものであった。
日本のように「キーンコーン、カーンコーン」といつまでも鳴らしていると、きっと次の授業が始まってしまうのであろう。
アメリカもイギリスもそうだが、授業と授業の間は日本とちがって、生徒が動く。
日本じゃ先生が動く。
ということで、終了のベルがなるやいなや、廊下は移動する生徒でごった返す。
いち早くロッカーへ行き、教科書を取りかえ、次の教室へ行く。
これがまた遠くて、かっきり4分という感じだ。
そして遅刻にはかなり厳しい。
電車の時刻に厳しい日本より、厳しかったように思われる。
遅刻のことを、アメリカでは"tardy"(ターディ)と言い、各学校によって、差はあるものの、スピード違反のチケットを切られるかのように、カウントされていく。
3回で警告、4回で反省室行き、というふうにかなり厳しい罰則が待っている。
反省室では勉強がわんさかと待っているんだが、
"I will never be late for class again"
「もう二度と遅刻はしません」
なんていう文章を35回書かされるとかいうのはよくある。
先生にも個人差はあったが、私の英語の先生Mr. Brown「ブラウン先生」は生徒からめちゃくちゃ恐れられる厳しい先生であった。
彼のドアのところには、ドクロの絵が貼ってあり、ベルが鳴る前はドアのところで怖い顔をして待っている。
そしてベルが鳴り終わるやいなや、冷たくドアを閉め、がちゃりと鍵を閉めてしまうのだ。
彼の教室へ行くときは、私も駆け足であった。
さて、これがイギリスの高校だとどうなるか。
イギリスはさすがに5分刻みにしてあるところが多い。
ところが日本とちがうのが、
1時間目 09:15 - 09:50
2時間目 09:50 - 10:30
こんな風に、1時間目終了と2時間目始まりが、同じ時間というところがかなり多い。
移動しなくちゃいけないのに、移動時間なしなのか?
これは細かいのか、おおざっぱなのか、私もいまだによくわからない。
たまに移動時間を5分くらいとってある場合もあるが、大半の時間割はこんな感じである。
ということで、まとめると、トイレの近い人は、アメリカやイギリスの高校はあきらめよう。(汗)
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ジェイミーのフード革命
イギリス人はお料理はできないが、お料理番組は大好きである。
素人が作れそうにないグルメ料理よりは、普段食べるような食事を作るという簡単な料理番組が多い。
さて、お料理界で今一番有名と言えば、まちがいなく"Jamie Oliver"(ジェイミー・オリヴァー)であろう。
彼は1975年生まれのエセックス育ちで、あどけない青年という感じだ。
学校時代は先天性の失読症の問題があり、何の資格も持たないまま早々に学校を離れ、お料理学校に16歳で通い始める。
1996年ロンドンでシェフとして働いているところへ、彼のスターとしての天性を見抜いたテレビ局のプロデューサーにスカウトされる。
そこから98年、99年と、収録された"The Naked Chef"という番組が大ヒット。
"Naked"と言っても裸で料理をするわけではなく、素材のありのままの(裸の)姿を引き出すというような意味であるらしい。
彼が今までのシェフとちがうところは、彼のお料理は普通のシェフより思い切りのよい料理をするところである。
おおざっぱにも見えるのだが、和食の繊細なきめ細かい作業に比べると、彼のやり方は、だぁーーっと切って、さささっと火を通し、じゃじゃじゃ~んと並べるといったような、荒いようで、手際がいいというところにある。
アイデアもあり、一人暮らしの男性用やパーティ用まで、彼の手にかかると、スピーディにおもしろいものができる。
見ていて確かに気持ちがいい。
もちろん彼のチャーミングな人のいい性格も視聴者にはウケたのだろうが、なんといっても、料理のできないイギリス人にぴったりな手間隙かけない料理も多かった。
さらに次の番組"Oliver's Twist"では50カ国で放映され、彼は一気にスターへかけあがる。
急にのしあがった人としては、着飾ったり威張ったりするところもない人であった。
彼の一番の業績は、イギリスの学校の食事のレベルがいかに低いかというものを世間に知ってもらい、その向上を図ったということである。
"Feed me better"「もっといいもの食わせろ」キャンペーンを掲げて、2005年から収録された"Jamie's School Dinners"「ジェイミーの給食」という番組は、4シリーズ放送され、大反響を呼んだ。
いかにイギリスの子供がろくなものを食べていないか、栄養のあるものを食べることが大切かというのを、番組でとりあげたわけだが、思っているより簡単にはいかなかった。
まず、彼が最初に当たった問題は学校給食に使われる予算である。
これは一人当たり74円という少ないもので、簡単にオーバーしてしまう。
次に加工食品やお菓子に慣れている子供たちが、彼の作った栄養ある食事を食べないという問題。
絶対に食べないとボイコットした子供までいたくらいだ。
さらに、仕事が増えることをいやがって"dinner ladies"「給食のおばさん」も辞めると言い出す。
そんないくつもの壁をも信念を持って推し進めた。
この番組の影響で、一般人からも署名が寄せられ、結果としてブレア首相に英政府で給食を改善させると約束させるまでにいたる。
その後、学校では不健康だと思われるいくつかのメニューは禁止され、現在でも、「健康に食べようキャンペーン」は続いている。
スナックはポテトチップスから、フルーツへ。
飲み物はジュースから水へ。といった具合に。
きっとこれからの道のりも長いと思うが、たった29歳の若者が今まで誰もやらなかったイギリスの食事の革命をしたという事実は、歴史に残るであろう。
しかし、、、感心してる場合ではない。
私の食事も革命しないと・・・・(汗)
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イギリスの弁当、ふたをあけたら・・・
料理というと悪名高きイギリス。
しょっちゅう聞かれるのが、
「イギリス料理って本当にまずいの?」
決しておいしいの?とは聞いてくれない。
なにしろ文化の発達とともに食文化が唯一発達しなかった国だと思われる。
おいしくするには、おいしく作ればいいのであって、それからすると、一般家庭で料理にかける時間がとにかく少ない。
これが一番の原因だと思われる。
材料で言うと、たまねぎ・にんじん・じゃがいもをはじめ、ブロッコリにインゲン、レタス、いろいろな野菜は当然揃っている。
お肉も豊富に揃う。
果物も安くて最近は旬でなくても出回る。
このことから、イギリスにいるからまずいというより、材料をいちから切って作る人が欠乏している。
こういう感じであろう。
だから当然作る人のおうちへいけば、かなりおいしい。
しかし哀しいかなそんな家は5%未満。
学校では給食とお弁当をどちらにするか個人で選べるところが大半だが、まず給食は冷凍食品が多い。
いわゆる、「レンジでちん」「オーブンでちん」のものが多く、さらにお弁当となると、一般的な中身は、サンドイッチ、ポテトチップス、チョコレートバーという感じだ。
ちなみに給食のことを"school dinner"
お弁当のことを"packed lunch"あるいは、"sandwiches"という。
「レンジでちん」に近いスラングで"nuke"と言う言葉をよく聞く。
"Can you nuke a cup of milk please?"
「ミルクをちんしてくれる?」
と言う風に。
ただし日本語の「レンジでちん」に比べると"nuke"を使う年齢層は、若干若い。
食事に戻るが、日本と特に違うのが、お菓子と食事の境界線で、日本ではお菓子の類に入るポテトチップスやチョコレートバーなんてのもこちらでは、堂々たる昼食である。
日本は1億総中流と言われたほど平均して格差がない国で、これは食事でわかる。
お金持ちもちょっと生活の苦しい人も基本的に同じものを食べている。
イギリスは階級社会と呼ばれるだけあって、明らかに食べるものが、裕福度によってちがう。
だから栄養のあるしっかりしたものを食べるのは、裕福な人に多い。
ひどい子供のお弁当で、チョコレートバー5本入っているだけというのもあった。
おいおいおい。
確かに子供は喜んではいた。
そして周りの子供もうらやましそうに見てはいた。
しかし、明らかに間違っていると感ぜずにはいられない。
そういう状態である。
しかしながら2004年に斬新なシェフ"Jamie Olive"(ジェイミー・オリヴァー)が英国の食事の質をあげようというキャンペーンを掲げ、2005年に"Channel 4"で学校の給食を向上させるという試みのテレビ番組を4シリーズにわたり放映し大反響を呼ぶ。
このシリーズについての詳細は明日書くことにする。
私が愛読するアメリカに住むキャリアウーマンの日記で、彼女がイギリス訪問の際に英国の利点 をいくつか書いていた。
その中にお料理関係がいくつかあった。
・食事がまずくて高いのでやせる。
・レストランのデザートがまたまずいのでやせる。
・お料理が下手でも肩身の狭い思いをしなくていい。
考え方を変えれば利点?。(汗)
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「成金」をどう表現するか
悪口なんてとりあえずは、言うものではない。
けれど会話の中では、時々避けられなかったり、的を射た表現をしたいときもある。
そんなときの出番が外来語だ。
以前の日記 で、そういうときに外来語を使うと、なんとなく辛らつさがごまかされたようになって、やんわり人をけなせる(?)というようなことを書いたが、今日もそのシリーズ。
「成金」を英語でなんていうか?
私ならこれは英語を使わずに、わざわざフランス語を使う。
もちろん英語圏の人もよく知っている言葉である。
"nouveau riche"(ヌーヴォー リーシュ)
と言う。
英語に直訳すると、"new riches" となり、まさに日本語でいう「成金」のことである。
「成金」と言う言葉を辞書で引くと、
「わずかの時日のうちに金持ちになること。また、その人。」
と書いてあるが、英語圏で使う"nouveau riche"(ヌーヴォー リーシュ)は、急に金持ちになっただけでなく、さらに社会的には受け入れられていない、あるいはマナーがないという意味も付随してくる。
いわゆる、「急激に金持ちになった、行儀の悪い人」という意味で、決してほめ言葉ではない。
むしろ「成金」より意味も強く、かなりさげずんだ言い方である。
ということで、喧嘩になりたくない相手には面と向かっていう言葉ではない。
ちなみにいつものごとく辞書ではなんと載っているか調べてみた。
"an upstart"(アンアップスタート)
"a parvenu"(アパーヴェニュー)
"an overnight millionare"(アンオーヴァーナイトミリオネア)
この3つが載っていた。
だけど、私ならこの3つとも「成金」という意味では使わない。
1つ目の"an upstart"は「急にパワーや富を手に入れた人」という意味もあるにはあるが、どちらかというと「偉そうな人、自信家、生意気な態度」という意味で使うほうが一般的だ。
2つ目の"a parvenu"はこれもフランス語で、意味は"nouveau riche"とほぼ同じだが、10人中1人もこの言葉の意味がわかる人がいないと思われる。
フランス語がめちゃくちゃぺらぺらか、よっぽど学のある人でないとイギリスでは通じないと思われる。
ということで全く使えない言葉ではある。
3つ目の"an overnight millionare"も、意味としては「一夜のうちに大金を手にした人」だが、私なら「成金」という意味よりは、「一攫千金」という意味で使うことが多い。
「"nouveau riche"だね」と言われれば、むっとくるけれど、
「"an overnight millionare"だね」と言われればそれほどでもない。
ということで、やっぱり「成金」を一番うまく言い表しているのは、
"nouveau riche"(ヌーヴォー リーシュ)
だと思う。
私は決して"nouveau riche"と呼ばれることはないと思う。
マナーがあるからだと胸を張って言いたいが、多分これを読む私の友人は声をそろえて、
「単にお金がないだけだろう」
という気はする。(汗)
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いったい何色?
亡くなられた通訳者の米原万里さんが、色のことについ執筆されていた記事 があった。
日本語から英語に通訳する上で、「あおい」と言われたら、"green"「緑」なのか、"blue"なのか、どちらをさしているのか迷うということであった。
彼女はロシア語の説明も含めて、民族ごとに色の区切りがちがうようだと執筆している。
そういわれると日本人のひとつの色の名前が含む色の種類の範囲が英語に比べてかなり広い。
黒っぽかったら「くろい」と言い、赤っぽかったら、「あかい」と言い、白っぽかったら「しろい」と言う。
英語もわざと含ませて言うこともあるが、たいていの場合、
"black"(ブラック)に茶色は含まれないし、
"red"(レッド)にオレンジ色は含まれないし、
"white"(ホワイト)にクリーム色は含まれない。
極めつけが、「あおい」で、英語の"blue"(ブルー)には間違っても、緑は含まれない。
この日本人の「あおい」という範囲がまた広く、緑をことごとく「あお」の中に入れる。
「草木があおあおと茂っている」だとか、
信号は「あか・あお・き」だとか、いずれにしても実際は「青」ではない。
真偽はわからないが、日本の「あお」がこんな多種の色にわたって使われる理由を、私の理科の先生はこう説明してくれた。
「昔、日本の色の三原色というものが、『白・黒・青』だったので、その名残で何でもその三色で表す表現が多い」
と、こういうことらしい。
英語で物の色を尋ねるときは簡単に
"What colour is your dog?"
「あなたの犬は何色ですか?」
こんな風に使う。
ちなみに信号の色は英語では、
"green, red, yellow(amber)"「緑、赤、黄(琥珀色)」である。
イギリスの自動車免許筆記試験では、黄信号は"amber"(アンバー)と表現されている。
ちょっとオレンジがかった黄色という意味だが、植物の名前から来ている。
こんなに細かく色分けた表現をするのに、色覚異常者は意外に多い。
男性に多いらしく、日本で20人に1人、米国で14人に1人、オーストラリアで13人に1人、イギリスで12人に1人くらいの割合で、緑から赤が識別できないらしい。
これはAB型の血液型の人口より割合が多いそうで、その多さに驚く。
だけど、ルビーをおねだりしたら、間違ってエメラルド買ってくれたなんてことになっても、私は文句は言わないと思う。
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ありがとうございます。
喜ばれないおみやげ
欧米にお土産をもっていくとき、日本的なものを買う人が多いが、理解してもらえなかったり、喜ばれなかったりするものもある。
もちろん、扇子に、お箸、和風の柄の置物や、敷物など、喜ばれるものもたくさんある。
昔、イギリスでイギリス人と日本人の結婚式に呼ばれて、日本人の家族側がイギリス人の家族側に、おみやげをたくさん持ってきた。
上記に書いたような日本的なもののオンパレードで、イギリス人側も感心して、
"They are beautiful."「きれいだわ」
"They are very unusual"「めずらしいわ」
だとか言っていた。
その中に、先端にかわいい着物を着た人形が付いた「耳かき」があった。
それが何かわからないイギリス人は当然、「これは何?」と聞く。
私も説明するのもいやだが、ほかに説明する人もいないので、みんな私のほうを向いている。
"It's an ear pick for cleaning your ears"
「耳掃除するものです」
こう言うと、100人中99人のイギリス人のリアクションは、
"Ugh....."「おぇー」
こんな感じである。
もともと乾性の耳あかが多い日本人に比べて、ほとんどの欧米人の耳あかは湿性でねばねばしている。
飴耳(あめみみ)とも呼ばれて、日本人にもたまにいるが、耳の掃除をするには、"ear bud"(イヤーバッドゥ)「綿棒」を使う。
中から出てくるものは、黄色や褐色のねばねばの"ear wax"「耳あか」なのである。
ということで日本の耳あかのイメージより、汚いものというイメージが強い。
それをほじくりだすための道具と聞いて、おののくのである。
わかりやすい例でいうと、そうだなぁ。
耳かきのような棒を渡されて、「これは鼻くそをほじくる道具です」と言われた感じであろうか。
そんなものを贈っても、理解に苦しまれるのが関の山である。
ある日、日本の友人から、先端がおもしろい形の耳かきを数本送られてきた。
うちへ訪ねてきた、友人がそれを見つけて、「これは何?」
答えに困った私は、とっさに、
"Ah....that's a stick for stirring drinks."
「えっと。。それはドリンクをかき混ぜるものよ」
やっぱり日本人は何でも小さく作るのね、と言われた。(汗)
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目から何が出てるの?
昨日友人と話していたときの会話から。
「めやに」って英語で何て言うの?
これが彼女の質問であった。
まぁ日常で使う言葉なので、普通に目やにを英語で何て言うか知りたかっただけなんだそうだが、彼女は周りのイギリス人にいろいろ聞いたそうだ。
もちろん英語で聞くので、きっと苦労して説明したのだと思われる。
ところが彼女によると聞く人、聞く人によって答えがちがうというのだ。
彼女の経験によると、辞書で引いてそこに載ってるとおりの単語だと、失敗するケースが多いので人に聞いたのに、みんな答えが違う。
こういうことらしい。
なるほどねぇ。
彼女は3人くらいに聞いて、3人が答えた回答が以下の3つだったらしい。
1.conjunctivitis(コンジャンクトゥヴァイタス)
2.crust(クラスト)
3.sleep(スリープ)
1番の"conjunctivitis"(コンジャンクトゥヴァイタス)は結膜炎のことで、いったいどうやってそこへたどりついたのか、私にもわからない。
目やにがよく出る病気でもあるので、たくさん目から出るとかなんとか説明しているうちに、病気の名前になったんだろうな。
2番の"crust"(クラスト)これはパンの耳という単語でもあるが、硬い皮質を表す単語で、体に使うときは目やにも含むが、かさぶただとかにも使う。
だから、この単語を使うときは、"crust in my eyes"と言う風に、「目」だということを明らかにしておかないといけない。
そして3番のスリープ。
寝て起きたら目やにがたまってた。なんて軽く言いたいときは私はこれを使う。
"I rubbed the sleep from my eyes"
「目やにをこすった」
こういう表現で簡単に使える。
念のためにGooの和英辞書で「めやに」を引いてみた。
"eye mucus"(アイ ミューカス)と書かれていた。
この"mucus"(ミューカス)というのは体から出る粘液のことで、どちらかというとどろっとしたイメージ。
鼻汁だとか、痰だとか、ああいった類も"mucus"(ミューカス)ではある。
でも目やにって乾燥している場合が多いので、"eye mucus"(アイ ミューカス)なんていうと、どろどろのものが出てきているイメージだ。
決して美しいイメージはない。
"eye mucus"(アイ ミューカス)が出てるの。
目からいったい何が出てきてるんだよ。
こんな感じではある。
黄色っぽい、黄緑っぽい、膿っぽいものが出ている姿をついつい想像してしまう。
朝起きて、"eye mucus"が出ていたら、私なら人に言う前に医者に行く。
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脱いでくれる?
日本人は欧米で生活していても、家の中で靴を脱ぐ人が多い。
日本人には当たり前で、読んでいる人もみんな、「そりゃ当然だろう」という人が多いと思う。
"When in Rome, do as the Romans do"
「郷に入れば郷に従え」
ということわざがあるけれど、ある程度、地域の慣習を取り入れながら生活をしても、自分の生まれ育った慣習というのは本当になかなか抜けないものである。
さて、問題は欧米人を家に呼ぶときである。
自分の友人なり、修理屋さんなり、人を家に入れることもある。
そのとき、どういう風に相手に頼むか。
"Could you take your shoes off, please?"
「靴を脱いでいただけますか。」
"We don't wear shoes in the house."
「うちは家の中で靴ははかないんです。」
と、こんな表現になる。
丁寧な言い方でもある。
だけど、実は私はこのセリフとても言いにくい。
なぜ言いにくいかというと、欧米で靴を客に脱がせる習慣もないからだ。
わかりやすい例えでいうと、日本で客が来たときに、
「靴下を脱いでいただけますか、うちでは靴下は脱ぐんです。」
これくらい、少し突っ込んだ感じで変なのである。
もちろん家で靴を脱いでいる欧米人もたくさんいる。
そして、日本の文化を知っている人もたくさんいる。
そしてこちらから尋ねなくても、自ら脱いでくれる人もたくさんいる。
さらに頼んで断られたことはない。
だけどまだまだ大半の欧米人は家の中で靴を履いて生活をしている。
そして靴を脱げという言葉に面食らう人も少なくはない。
私たちが靴下を脱げと言われると面食らうように。
だからこう言った、相手の文化内で、自分の文化を相手に促す表現は、ひじょうに難しいと感じてしまう。
ちなみに修理やさんなどで、仕事の内容によっては、安全のために特別な靴を履いていて、脱げない場合もある。
家の中で靴を脱いでくれていた友人が、帰るときに靴を履き、忘れ物を思い出して、家の中に戻るとき、10人中9人は脱がない。
こんな風に徹底も無理なのである。
しかし、日本人と言うのは本当にきれい好きで、これだけは譲れないと、欧米へ来ても徹底している人もいるにはいる。
必ずお客様に玄関で脱がせ、
「脱がない人はうちへは入れません。」
なんて強い人も結構いる。
こうなるともう英語力じゃないと思う。
自分の家は自分が法律なのだ。
ああ、私の家は法律が甘いと思う今日この頃。
家事も徹底できないのは民主的すぎるのかしら。。。(汗)