こらっ、人の話を聞きなさい
年末から目が回るような日々が続き、気がつけばこんなに日が飛んでしまっていた。
いくらなんでも空きすぎである。
忙しいにも程がある。
普段の生活で、ついつい、「ああ、これもブログネタになる」とか「あれもブログに使える」とかメモだけしておいて、気がついたら、メモは山のように増えた。
「いつになったら更新してくれるん?」と言う嬉しい催促もこれ以上無視すると友人関係に亀裂が入りそうな雰囲気だ。
さて、この忙しい間に何をしていたかと言われると、学校、学校、そして学校である。
学校のことでかなりひっくり返っていた。
3つの学校を駆け回りばたばたとしていた。
イギリスの学校というところは、一言で表現しろと言われたら、とにかく、"Discipline"「規律」という言葉がぴったりである。
イギリスではビクトリア時代に建てられた学校が多いが、ちょうどその時代の1870年に5歳から13歳までの子供は学校へ行くことが義務付けられた。
その頃の先生というのは本当に厳しく、"cane"と呼ばれる硬い木で出来たようなムチを持ち、容赦なく罰していた。
やんちゃな子供たちはムチで打たれるというのも日常茶飯事であった。
近代になってムチで打つことや暴力は法により廃止されたが、先生が子供たちに甘くなったかというと、全くそんなことはない。
まず、イギリスの先生で、授業中の私語を許す人はいない。
雑談をする=人の話を聞いていない こういう構図が成り立ち、4歳であっても15歳であっても、かなり厳しい叱り方をする。
いろんな先生の授業を見たが、大半叱られているのはまずそこだ。
"Please listen!"「聞きなさい」
というセリフの容赦のないこと。
頭があっち向いたりこっち向いたりしていても、かなり厳しい。
"Eye contact!"「目をこっちに向けなさい」
静かにしているだけでもいけない。
とにかく話を聞かなくちゃいけない。
そして話を聞かないことは、もう犯罪者の一歩手前のような悪いことという厳しい言い方だ。
ムチでこそ叩かないが、そのぴしゃりとした言い方はまさに「しつけ」という感じだ。
日本みたいに優しく「静かにしなさいね」なんて程度ではない。
授業をしていて、たった一人が「こそこそっ」と何か言う程度でも、
"Tom!" 「トム!」
と間髪を入れずに注意が入る。
もっときつい言い方もいっぱいあって、
"Sit here until I say you can go" 「いいというまでここに座ってなさい」
だとか、
"I:m fed up with you, Jim!"「もうたくさんよっ、ジム!」
という具合だ。
初めてこちらの授業風景を見たときは、「きつー」「こわー」「きびしー」と思ったものだ。
学校=勉強するところ
この基本的な概念がしっかりしている。
日本だって戦後はかなり厳しかったようだが、今は学校というところがややサービス業のようになっている気がしないでもない。
子供を叱る先生のほうが少ない気がする。
だいたい日本の子供は叱られ下手だ。
すぐに傷つく。
自分の子供が叱られたら怒る親までいるらしい。
そして子供たちが授業を聞かないのは、先生の授業がおもしろくないからだとか、先生を教育するところに力を入れてるようだが、実際学校は生徒を教育する場なのだよね。
日本の授業風景はアットホームで優しい先生とか面白い先生が人気で、それが美徳だったりする。
ちょっとくらい隣のお友だちとたった一言話をしたくらいで、「びしっ」と叱られはしない。
イギリスではそんな調子で毎日しつけられているものだから、教室のみんなの授業態度たるものや、感動するくらいみんなそろって、視線を合わせ、耳を傾け、話を聞いている。
そして先生が何か質問をしたら、答えがわかってもすぐに発してはいけないのがルールである。
必ず手だけを挙げて、当てられるまで話してはいけない。
別にそれが何歳でも同じ対応である。
そう思うと叱るという行為は日本ではあまりいいイメージではないが、これが子供らのしつけになり、そして未来を作るのであろうとも思われる。
マナーが悪ければ叱る。
態度が悪ければ叱る。
授業にならなければ叱る。
未来のため(?)に私もどんどん叱ることを決意するが、目下の悩みはどうやって眉間にしわを寄せずに叱ることができるかってことだ。(汗
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いくらなんでも空きすぎである。
忙しいにも程がある。
普段の生活で、ついつい、「ああ、これもブログネタになる」とか「あれもブログに使える」とかメモだけしておいて、気がついたら、メモは山のように増えた。
「いつになったら更新してくれるん?」と言う嬉しい催促もこれ以上無視すると友人関係に亀裂が入りそうな雰囲気だ。
さて、この忙しい間に何をしていたかと言われると、学校、学校、そして学校である。
学校のことでかなりひっくり返っていた。
3つの学校を駆け回りばたばたとしていた。
イギリスの学校というところは、一言で表現しろと言われたら、とにかく、"Discipline"「規律」という言葉がぴったりである。
イギリスではビクトリア時代に建てられた学校が多いが、ちょうどその時代の1870年に5歳から13歳までの子供は学校へ行くことが義務付けられた。
その頃の先生というのは本当に厳しく、"cane"と呼ばれる硬い木で出来たようなムチを持ち、容赦なく罰していた。
やんちゃな子供たちはムチで打たれるというのも日常茶飯事であった。
近代になってムチで打つことや暴力は法により廃止されたが、先生が子供たちに甘くなったかというと、全くそんなことはない。
まず、イギリスの先生で、授業中の私語を許す人はいない。
雑談をする=人の話を聞いていない こういう構図が成り立ち、4歳であっても15歳であっても、かなり厳しい叱り方をする。
いろんな先生の授業を見たが、大半叱られているのはまずそこだ。
"Please listen!"「聞きなさい」
というセリフの容赦のないこと。
頭があっち向いたりこっち向いたりしていても、かなり厳しい。
"Eye contact!"「目をこっちに向けなさい」
静かにしているだけでもいけない。
とにかく話を聞かなくちゃいけない。
そして話を聞かないことは、もう犯罪者の一歩手前のような悪いことという厳しい言い方だ。
ムチでこそ叩かないが、そのぴしゃりとした言い方はまさに「しつけ」という感じだ。
日本みたいに優しく「静かにしなさいね」なんて程度ではない。
授業をしていて、たった一人が「こそこそっ」と何か言う程度でも、
"Tom!" 「トム!」
と間髪を入れずに注意が入る。
もっときつい言い方もいっぱいあって、
"Sit here until I say you can go" 「いいというまでここに座ってなさい」
だとか、
"I:m fed up with you, Jim!"「もうたくさんよっ、ジム!」
という具合だ。
初めてこちらの授業風景を見たときは、「きつー」「こわー」「きびしー」と思ったものだ。
学校=勉強するところ
この基本的な概念がしっかりしている。
日本だって戦後はかなり厳しかったようだが、今は学校というところがややサービス業のようになっている気がしないでもない。
子供を叱る先生のほうが少ない気がする。
だいたい日本の子供は叱られ下手だ。
すぐに傷つく。
自分の子供が叱られたら怒る親までいるらしい。
そして子供たちが授業を聞かないのは、先生の授業がおもしろくないからだとか、先生を教育するところに力を入れてるようだが、実際学校は生徒を教育する場なのだよね。
日本の授業風景はアットホームで優しい先生とか面白い先生が人気で、それが美徳だったりする。
ちょっとくらい隣のお友だちとたった一言話をしたくらいで、「びしっ」と叱られはしない。
イギリスではそんな調子で毎日しつけられているものだから、教室のみんなの授業態度たるものや、感動するくらいみんなそろって、視線を合わせ、耳を傾け、話を聞いている。
そして先生が何か質問をしたら、答えがわかってもすぐに発してはいけないのがルールである。
必ず手だけを挙げて、当てられるまで話してはいけない。
別にそれが何歳でも同じ対応である。
そう思うと叱るという行為は日本ではあまりいいイメージではないが、これが子供らのしつけになり、そして未来を作るのであろうとも思われる。
マナーが悪ければ叱る。
態度が悪ければ叱る。
授業にならなければ叱る。
未来のため(?)に私もどんどん叱ることを決意するが、目下の悩みはどうやって眉間にしわを寄せずに叱ることができるかってことだ。(汗
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