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熊本阿蘇~火の国探訪記

「熊本」は、火の国でもあり、また霊(ひ)の国とも言われています。

熊本や阿蘇の歴史や伝承をひもときつつ、この土地の持つ魅力に迫っていきたいと思います。

阿蘇神社の北宮とされる国造神社には、鯰を祀った宮があります。

太古の時代の阿蘇は、雨水の排出口がなく、外輪山に囲まれた一帯はカルデラ湖でした。神話では、阿蘇開拓の神「健磐龍命」が立野の火口瀬を蹴破り、水を流し、干拓した、とされています。

その際、立野の火口瀬をふさぐ形で大鯰が出現します。
「お前が居ては人々が住めない」健磐龍命がそう言うと、鯰は頭をたれて去って行きました。その大鯰を祀ったのが、国造神社の鯰宮です。大鯰が流れ着いたとされているのが、嘉島町鯰です。

今日は、仕事で鯰の近くまで行ったので、ついでに写真を撮ってきました。


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鯰の交差点のすぐ近くに「三社宮鯰三神社」があり立ち寄ってみました。境内に案内は無く、御祭神、由緒などは何も分かりませんでした。境内に小さな社があり、中を覗くと何だかわからない謎めいたものが祀られていました。



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鬼八神話では、牛の一族と龍の一族が登場しました。鯰は、牛や龍よりもさらに古い阿蘇土着の一族ではないでしょうか?

概ね、次のような関係ではないかと思います。
牛(渡来の海の民)。龍(高千穂方面からやってきた強大な力をもつ山の民)。鯰(最も古い阿蘇土着の湖の民)。
阿蘇は噴火によってできた外輪山に囲まれ、おわんのような形状をなしています。


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現在は、立野火口瀬(カルデラの縁の一部が切れた谷)から、水が外へ排出されるようになっていますが、太古の昔は、外輪山の中は大きな湖(カルデラ湖)でした。

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阿蘇谷に湖沼が広がっていた時代、海の民でも山の民でもない、湖の民とでも言うべき人々の暮らしがあったようです。

実際、阿蘇の山の中から、弥生時代の舟の一部と思われる木片が発見されているのです。山上の土中から、舟が掘り出されるとは!発見した人は、ノアの方舟を見つけたかのように驚いたに違いありません。
連日、暑い日が続いているので、ちょっとだけ涼しげな話題を。

阿蘇にある田子山(たんごやま)には、「波乗り観音」が刻まれた巨石があります。

なぜ、海から遠く離れた阿蘇山中の巨石に、海を思わせる「波乗り観音」が刻まれているのでしょうか?

実は、これ以外にも阿蘇には海を思わせる習俗がたくさん残されています。

※写真は巨石に刻まれた「波乗り観音」。相当古い時代のもののようです。ぱっと見、分かりにくいので、黒い線でなぞってみました。


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宮崎県高千穂の荒立神社に行ってきました。


主祭神は、

猿田彦命(さるたひこのみこと)と天鈿女命(あめのうずめのみこと) です。




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約10年前。大手住宅会社に勤める友人との会話。遊びに行く約束をしている日の前日。

「明日は、予定通り大丈夫でしょうね?」
「はい。今のところ・・・。遺跡さえ出なければ」
「遺跡?」
「はい。遺跡が出たらアウトなんです」

住宅を建てる前、地質とか地盤の調査が行われます。詳しくは知りませんが、多少、土地を掘り起こすのでしょう。その時に、遺跡が出ると、調査が入ります。そのため、工事がストップしてしまうらしいのです。重要な遺跡だと判断されると、建設工事そのものがキャンセルされてしまう場合もあるそうです。

長年の営業努力の末、やっと辿りついた契約。一戸建て住宅の場合、単価も〇千万円と大変なものです。遺跡が出たら、契約が吹き飛んでしまうかもしれない訳です。そこで彼らは「どうか、遺跡が出ませんように」と祈るのだそうです。

一戸建てでも単価は大きいですが、これが大規模な住宅地や工業用地といった規模になると、動くキャッシュも桁違いです。

掘り返した土の中に、チラリと土器のかけらや鉄器が見えたとしても「今のは、見なかったことにしよう」とさりげなく埋め戻す。

そうしたことが起こったとしても不思議ではありません。いわゆる「大人の事情」というやつは、それ以外にも、まあいろいろとあることでしょう。

大津町の場合、300点もの鉄器が出た弥生遺跡があり、その近くに多々良という地名があり、製鉄遺跡も発見されているのであれば、輸入品ではなくこの地で鉄が作られていた、と考える方がむしろ自然です。しかし、大津町は鉄に関して、特にアピールすることはしません。理由は、いろいろあるかもしれませんが、「古代製鉄の里」として町をアピールし公園などを作るよりも、工業用地や住宅地を造成し、企業や多くの人を集めた方が、間違いなく税収は増える、ということも考えられます。

ロマンと経済。これらが天秤にかけられると、多くの場合ロマンが敗北します。その結果、古代を探る手がかりは失われていくわけですが、少ない手掛かりをたぐりよせて謎を究明していくのも、またロマンなのかもしれません。

いずれにせよ、今、伝えられている歴史というものが必ずしも正しいとは限らない訳です。

定説に異論を唱えると、すぐに「トンデモ系」に位置付けられますが、まあそれはそれとして、歴史を再検証することには、意義があると思う次第です。



熊日新聞社発行の資料によると、45年程前、僕が住む大津町にある西弥護免遺跡(弥生時代の集落跡)から約300点の鉄器が出土した、とあります。300点!鉄器!?弥生遺跡から!?

これが全部輸入品だとすると、逆にすごくないですか?よほどの権力者ですよ。でも、それなら大津町の歴史に名が残っていてもいいはずですが、そんな話は聞いたこともありません。

住所を見ると僕の家のすぐ近所です。そんな遺跡があるとは、つゆ知らず。鉄器が300点も出た遺跡なら大切に保護されているに違いない。聞いたことないけど、とりあえず行けば分かるだろうと思い、現地を訪れてみました。すると・・・、

住宅地の入り口に一本の棒っくいが立っていました。

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・・・これだけかい!?

仕方ないので、大津町歴史文化伝承館に行ってみました。出土した鉄器の展示があるかもしれません。

「西弥護免遺跡から出土したものの展示はありますか?」
「はい。ありますよ。どうぞ、こちらです。」

そこには、2~3点の壺のような土器が飾ってありました。

「あの、鉄器はないのでしょうか?」
「鉄器ですか?展示にはないですね。」
「でも、西弥護免遺跡からはたくさんの鉄器が出たんでしょう?」
「あ~・・・鉄は錆びますからね。保存状態が悪くて残ってないのではないでしょうか?」
「ひとつも残されてないのですか?」
「いや~、もしかすると、県の資料館などに保管されているかもしれませんが、とりあえず大津町では持っていませんね。」

「弥生集落から300点もの鉄器ですよ!事の重大さが分かっているのですか?」とは言わずに、そのまますごすごと帰ってきました。

帰って地図を見ていると、遺跡の近くに「多々良」という地名があるではありませんか!なんてこった!


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早速、行ってみました。集落をしばらく徘徊していると、地区の人が集まる公民館がありました。

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入口辺りに何か棒っくいが立っています。近寄ってみると・・・。


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また、これだけかい!?





でも、ちゃっかり「古代たたら製鉄の里」とか書いてるし。

どうも、古代史というのは軽んじられている気がする訳です。

ロマンなのに・・・。

つづく

僕はある時期、恐らく5~6年にわたって炊飯ジャーを持ちませんでした。

その間、米を食べなかったか?というとそうではなくて、ちゃんと毎日食べていました。

ガスコンロの上に羽釜を置いて、炊飯していたのです。その方がおいしいと思ったからです。

その後、保温などの利便性を考えて、炊飯ジャー!ラスタファライを導入しましたが、なければないで、さほど不便は感じていませんでした。

で、何が言いたいのかというと「弥生時代に製鉄はなかったのか?」という話です。

日本の製鉄は5~6世紀に始まったのであり、弥生時代に製鉄はなかった、というのが定説となっています。

「弥生時代の確実な製鉄遺跡が発見されていない」というのがその理由です。

そのため、それ以前の時代に発見された鉄は、「輸入品である」とされています。

しかし!我々が未だ知り得ていない製鉄法があった可能性もあるわけです。

炊飯ジャーを持っていないからと言って、米を食べていない、とは限らない。 他の方法でも炊けるのだから。という持論を胸に、僕は大津町歴史文化伝承館を訪れたのでした。
阿蘇山上の火口に一人の修験者が立ち、一心に般若心経を唱え、念じた。すると、火口から鷹が飛び出した。「こんな小鳥が神霊池の主ではあるまい」と顔を振ると、俗人、僧侶、小さな龍と、次々に変身しながら現れ、そしてこれらをかき消すようにして十一面観音菩薩の荘厳な姿が浮かび上がり、さらには山が鳴動し、火口の神霊池が騒ぎ立ち、九頭八面の巨大な龍が口から火炎を吐きながら出現した。
「彦山流記~木練上人霊験奇譚 1213年 より」

(感想)
ジェームズ・ブラウンのように、ハイテンションで単調なフレーズ(ゲラッパ!)の繰り返しを行うとトランス状態に入りやすい訳です。木練上人の場合も、一心に般若心経を繰り返し念ずることで変性意識状態にあったかもしれません。このような状態にあらずとも、人間の脳は普段から「見たいものを見たいように」見ている訳です。ストロンボリ噴火と火山雷の光景を目の当たりにした人が、「龍を見た」と認識したとしても不思議はありますまい。だって龍にそっくりだもの。龍は幻影であり実在しない、と言いたいのではありません。個人的には、龍は変幻自在であり、様々な自然現象に姿を借り出現する、というニュアンスで捉えています。その方が、楽しいですからね(笑)。

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↑は、「フォトレポート阿蘇」より、ストロンボリ噴火と火山雷の様子です。右上は火映現象(御神火)。大変、神々しい光ですね。


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↑ これは、阿蘇ではないのですが、2011年に撮影された、霧島連山の新燃岳(しんもえだけ)の火山雷です。まさしく龍ですね。ナショナルジオグラフィックより。




ところで、「鷹と龍」は、阿蘇によく登場するキーワードです。龍は、阿蘇大明神(健磐龍命)の化身とされていますし、草部吉見大明神国龍命は、そもそも龍体であったとされています。また、阿蘇神社や幣立神宮の神紋は「違い鷹の羽」です。etc

タイガー&ドラゴンならぬ、「ホーク&ドラゴン 鷹と龍」
天高く昇って行く飛翔感があり、かっこいいです。


阿蘇には多くの古墳が残されています。とはいえ、現存しているものより、失われてしまったものの方がはるかに多いであろうことは容易に察せられます。「かつてあった」という記録だけが残され、現在では住宅地になっていたり、樹木に覆われ山に還っていたり・・・。
失われてしまった古墳のひとつに「手野古墳」があります。手野とは国造神社がある辺りです。これに関する記録で興味深い箇所があります。

「手野古器」~弘化元年(1844年)、手野村の庄屋山部兵助が「古城」と呼ばれる裏山に隠居を構えるために開墾していたところ横穴古墳が発見された。

「此の穴より種々の古器を得たり。骸骨もあり。しかれど朽ちてたしかならず。されど足とおぼしき骨、今の人の足より三寸余も長かりしと云う・・・」

この後、太刀、短刀、やじり、くつわ、水晶、玉などの副葬品を紹介しているのですが、興味深いのは「足とおぼしき骨、今の人の足より三寸余も長かりしと云う」の部分です。

足のどの部分の骨か?ちゃんと書いて欲しかった訳です。足裏だったら大変なことです。足のサイズが10cm大きければ、アンドレ・ザ・ジャイアント並みの巨人の可能性がでてくるからです。でも、まあ多分、footではなくlegのことでしょうね。古墳発見当時の日本人は150~160cmくらいだったらしいので、160~170cmくらいの身長でも大きく見えたことでしょう。

渡来人の可能性もなきにしもあらずですが、恐らく日本人でしょう。というのも、「古墳時代の日本人は身長が高かった」という研究データーがあるからです。

ウィキペディアには「身長を決定する要因」の箇所に次のような記述があります。

「日本においては、第二次世界大戦後の国民の栄養状態改善(肉食の普及)によって青少年の身長が大幅に伸びたと言われるが、実際はそのような単純なものではない。歴史を遡ると、成人男子の場合、縄文時代には156cmから160cmであったが、古墳時代には165cmほどになり、以降は鎌倉時代、室町時代と経るにしたがって次第に低くなり、江戸時代には157cmと、歴史時代では最も低くなり、以後増加に転じて、明治以降は急速に高くなった。これらは栄養の良否だけでは説明が付かない。」

歴史上、最も平均身長が低い時代に、最も身長が高い時代の人の骨が発見された、ということのようです。それにしても古墳時代、なぜ日本人は急に平均身長が高くなったのか?謎は深まるばかりです。


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水の不思議、火(か)水(み)の働きということで思い出したのですが、草部吉見神社には神宝として「火の玉・水の玉」が伝えられていたと言われています。さらには、幣立神宮、国造神社にも同じくこの両珠が伝えられていたといいます。「草部吉見神社由緒書」には、次のように記されています。

「宝物類アリ。一、火の玉・水の玉」「物質ハ石ニシテ、各一個宛アリテ、大神の御撫物ト称ス。大イサ一顆ハ五分計り一顆ハ六分計リナリ。」

ひとつぶ五分~六分というと、1.5cmくらいですから、かなり小さいですね。そして、この後こう続きます。

「マコトニ遺憾ニ堪エザルハ、本社唯一ノ宝物タルニ顆ノ玉ノ盗難ニカカリテ現存セザル事ナリ。」明治に入ってかららしいのですが、どうやら泥棒に盗まれたようです。一体、今どこにあるのでしょう?

草部吉見神社由来書には、現在社殿が建っている辺りはかつて池であり、大蛇が住んでいた。国龍神は、この玉を使って池を干し、これを退治した、とあります。

このことから、「火の玉・水の玉」は、古事記に登場する潮満玉(しおみつたま)・潮干珠(しおふるたま)のことではないか?と言われています。(※ホオリ(山幸彦)が海の神様ワタツミから授かったされる満干両珠)

また、中国の史書「隋書倭国伝」ですが、「阿蘇山有り。其の石、故なくして火起こり・・・云々」の後、実はこう続いています。「如意宝珠有り。其の色青く、大いさ鶏卵の如く、夜は即ち光有り。云う魚の眼精なり」

夜光る不思議な青い玉があったと記されているのです。鶏卵大となると、大きさが異なりますが、いずれにせよ阿蘇には不思議な玉の伝説が残されているわけです。

誰ね?明治の頃、石ば盗んだ人は?今すぐ返さんね!喝!

写真は、本文と関係ないのですが宮崎の鵜戸神宮にあるとされる「潮満珠(しおみつたま)」「潮涸珠(しおふるたま)」です。


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