「宝物類アリ。一、火の玉・水の玉」「物質ハ石ニシテ、各一個宛アリテ、大神の御撫物ト称ス。大イサ一顆ハ五分計り一顆ハ六分計リナリ。」
ひとつぶ五分~六分というと、1.5cmくらいですから、かなり小さいですね。そして、この後こう続きます。
「マコトニ遺憾ニ堪エザルハ、本社唯一ノ宝物タルニ顆ノ玉ノ盗難ニカカリテ現存セザル事ナリ。」明治に入ってかららしいのですが、どうやら泥棒に盗まれたようです。一体、今どこにあるのでしょう?
草部吉見神社由来書には、現在社殿が建っている辺りはかつて池であり、大蛇が住んでいた。国龍神は、この玉を使って池を干し、これを退治した、とあります。
このことから、「火の玉・水の玉」は、古事記に登場する潮満玉(しおみつたま)・潮干珠(しおふるたま)のことではないか?と言われています。(※ホオリ(山幸彦)が海の神様ワタツミから授かったされる満干両珠)
また、中国の史書「隋書倭国伝」ですが、「阿蘇山有り。其の石、故なくして火起こり・・・云々」の後、実はこう続いています。「如意宝珠有り。其の色青く、大いさ鶏卵の如く、夜は即ち光有り。云う魚の眼精なり」
夜光る不思議な青い玉があったと記されているのです。鶏卵大となると、大きさが異なりますが、いずれにせよ阿蘇には不思議な玉の伝説が残されているわけです。
誰ね?明治の頃、石ば盗んだ人は?今すぐ返さんね!喝!
写真は、本文と関係ないのですが宮崎の鵜戸神宮にあるとされる「潮満珠(しおみつたま)」「潮涸珠(しおふるたま)」です。
![$熊本阿蘇~火の国探訪記](https://stat.ameba.jp/user_images/20130619/08/kzosw/70/7a/j/t02200156_0480034012580832524.jpg?caw=800)