「阿蘇 巨人伝説?」 | 熊本阿蘇~火の国探訪記

熊本阿蘇~火の国探訪記

「熊本」は、火の国でもあり、また霊(ひ)の国とも言われています。

熊本や阿蘇の歴史や伝承をひもときつつ、この土地の持つ魅力に迫っていきたいと思います。

阿蘇には多くの古墳が残されています。とはいえ、現存しているものより、失われてしまったものの方がはるかに多いであろうことは容易に察せられます。「かつてあった」という記録だけが残され、現在では住宅地になっていたり、樹木に覆われ山に還っていたり・・・。
失われてしまった古墳のひとつに「手野古墳」があります。手野とは国造神社がある辺りです。これに関する記録で興味深い箇所があります。

「手野古器」~弘化元年(1844年)、手野村の庄屋山部兵助が「古城」と呼ばれる裏山に隠居を構えるために開墾していたところ横穴古墳が発見された。

「此の穴より種々の古器を得たり。骸骨もあり。しかれど朽ちてたしかならず。されど足とおぼしき骨、今の人の足より三寸余も長かりしと云う・・・」

この後、太刀、短刀、やじり、くつわ、水晶、玉などの副葬品を紹介しているのですが、興味深いのは「足とおぼしき骨、今の人の足より三寸余も長かりしと云う」の部分です。

足のどの部分の骨か?ちゃんと書いて欲しかった訳です。足裏だったら大変なことです。足のサイズが10cm大きければ、アンドレ・ザ・ジャイアント並みの巨人の可能性がでてくるからです。でも、まあ多分、footではなくlegのことでしょうね。古墳発見当時の日本人は150~160cmくらいだったらしいので、160~170cmくらいの身長でも大きく見えたことでしょう。

渡来人の可能性もなきにしもあらずですが、恐らく日本人でしょう。というのも、「古墳時代の日本人は身長が高かった」という研究データーがあるからです。

ウィキペディアには「身長を決定する要因」の箇所に次のような記述があります。

「日本においては、第二次世界大戦後の国民の栄養状態改善(肉食の普及)によって青少年の身長が大幅に伸びたと言われるが、実際はそのような単純なものではない。歴史を遡ると、成人男子の場合、縄文時代には156cmから160cmであったが、古墳時代には165cmほどになり、以降は鎌倉時代、室町時代と経るにしたがって次第に低くなり、江戸時代には157cmと、歴史時代では最も低くなり、以後増加に転じて、明治以降は急速に高くなった。これらは栄養の良否だけでは説明が付かない。」

歴史上、最も平均身長が低い時代に、最も身長が高い時代の人の骨が発見された、ということのようです。それにしても古墳時代、なぜ日本人は急に平均身長が高くなったのか?謎は深まるばかりです。


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