熊本阿蘇~火の国探訪記 -3ページ目

熊本阿蘇~火の国探訪記

「熊本」は、火の国でもあり、また霊(ひ)の国とも言われています。

熊本や阿蘇の歴史や伝承をひもときつつ、この土地の持つ魅力に迫っていきたいと思います。

水の不思議で思い出しましたが、以前、太田先生から頂いた手紙に次のようなことが書かれており、大変興味深く読んだのでした。

「・・・もっと判らないのが水です。本当に測りにくい物質で、表面張力を測った事があります。空気と触れている処、水の真ん中、器壁と触れている処、測定器と触れている処、全部異なっているわけで、つくづく住吉神社の神様、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)とは面白い表現だと思いました。・・・」

科学的な実験の最中に、住吉三神へと思い及ぶとは・・・。
さすが太田先生であります。
阿蘇は火の山でもあり、水送りの山でもあります。

阿蘇山に豊富に蓄えられた水は、熊本のみならず、近隣の県へも流れ込み、人々の生活を潤しています。

ところで、水は液体にも固体にも気体にもなる不思議な物質です。

子供の頃、0℃で氷(固体)、100℃で水蒸気(気体)と学校で当たり前のように教わりましたが、よく考えるとたいそう不思議な訳です。

ある時は雲であり、川であり、海であり、またある時は、人や動物の血であり汗であり、木が吸い上げる樹液であり、雨や雪でもある。姿を変え、形を変え、自然界を縦横無尽に駆け巡る。

こうした水の変化は温度、つまり火(日)とのコラボレーションです。神秘的な火(日)と水の働き。これこそが火(か)水(み)の働き。懸けまくも畏き神のなせるわざなり。

今日は、阿蘇山中岳火口にて、火口祈願祭が行われたようです。仕事で行けませんでしたが・・。写真は阿蘇山上神社。火口のすぐ近くですのでコンクリート製です。
$熊本阿蘇~火の国探訪記


阿蘇火口付近を歩くと、たくさんの外国人観光客とすれ違います。現在、アソ・クレーターは世界的に有名ですが、実は古代の昔から、既に中国には知られていたようです。7世紀初頭に書かれたという中国の史書「隋書倭国伝」の中に、次のような記事があります。

「阿蘇山有り。其の石、故なくして火起こり天に接する者、俗以て異と為し、因って祷祭を行う」

固有名詞として日本の山の名前が海外の文献に登場するのは「阿蘇山」が最初だそうです。




$熊本阿蘇~火の国探訪記
園芸店には、〇〇ナーサリーという店名が多いですよね。

ナーサリーというのは保育園、託児所といった意味ですから、小さな子供達が集まっているイメージで、なんだか、カワイイですね。

田植えが終わったばかりの田んぼでは、稲たちもまだちびっこです。

写真は夕陽が照らす阿蘇の田んぼ。母なる太陽が、カワイイちびっこ稲さんたちを優しく見守っているようでした。

$熊本阿蘇~火の国探訪記
阿蘇市一の宮町の中通古墳群。田んぼの中に、前方後円墳が2基、円墳が10基。合計12基の古墳があります。

5~6世紀に造営された古墳がそのまま残っていて、その脇をトラクターが通り過ぎていくという光景。

なんか、すごくないですか?

古墳を横目に、農作業するのってどんな気分でしょうね。


$熊本阿蘇~火の国探訪記
光線の加減でしょうが、とてもきれいな色の光が写りました。

小学校の頃の、理科の実験を思い出します。

日光は色もなく透明なのに、プリズムに通すと七色のきれいな光が現れました。

見えないのに、何もないようなのに、そんな中に美しい光が潜んでいたとは!

少年だった僕は、妖精か何かを見たかのように驚いたものでした。



≪ 星とたんぽぽ ≫ 詩=『金子みすず』 

         青いお空のそこふかく
         海の小石のそのように
         夜がくるまでしずんでる
         昼のお星はめにみえぬ
         
     見えぬけれどもあるんだよ
     見えぬものでもあるんだよ

         ちってすがれたたんぽぽの
         かわらのすきにだァまって
         春のくるまでかくれてる
         つよいその根はめにみえぬ
    
       見えぬけれどもあるんだよ
       見えぬものでもあるんだよ



$熊本阿蘇~火の国探訪記
鬼八が健磐龍命に追われて逃げる際に、岩を蹴破り、できたとされる風穴~その2

ここは、とても気持ち良い風が通ります。通り抜ける風が、全身を祓い浄めてくれているかのような、とても清々しい気分になります。鳥居から社殿までは長い石段。社殿からも足場の悪い急な山道を登ります。ちょっとした運動を経て、風穴に到着するので、尚更風が心地よいのかもしれません。いつまでも佇んでいたい、と思わせる本当に気持ちの良い場所です。


鬼八が健磐龍命に追われて逃げる際に、岩を蹴破り、できたとされる風穴。

風穴の中には、釈迦如来の石像、観音像及び十六羅漢計十八体の石仏がまつられています。

角宮から約20分程、山道を登って行ったところにあります。



梅雨の晴れ間はほんとうにありがたいですね。
勿論、雨も感謝すべきものではありますが、「陽の光」はやっぱり嬉しいです。




「由来」では、実に平和的に国譲りがなされたように記されていますが、本当は
熾烈な抗争が繰り広げられたのではないでしょうか?


つまり鬼八神話は、「牛の一族」VS「龍の一族」の抗争の歴史を「昔話」として表現したものではないか?と個人的に考えています。

牛の角からくる連想、また「まつろわぬ者」という意味も兼ねて、「牛の一族」を鬼と表現し、後年何者かによって創作されたストーリーであるように思います。

阿蘇の歴史から抹消されてしまったかのような「牛神」の存在。そして、忘れ去られたかのように山の中にひっそりと佇む「牛神社」。「牛神」が、阿蘇の歴史の表舞台に登場することは今後もないことでしょう。しかし、かつて尊崇を得た「牛神」の存在を、形を変えたとしても語り継ぎたい。そうした「牛の一族」の末裔たちの思いが、鬼八神話を作り出したのかもしれません。


写真は、阿蘇の赤牛