熊本阿蘇~火の国探訪記 -4ページ目

熊本阿蘇~火の国探訪記

「熊本」は、火の国でもあり、また霊(ひ)の国とも言われています。

熊本や阿蘇の歴史や伝承をひもときつつ、この土地の持つ魅力に迫っていきたいと思います。

「由来」は次のように続きます。

「宮居より西に当り、一つの真萱の池あり。此の前に住み
給う神、面、牛のごときゆえに牛神と申したてまつる。尊の現れ給う時、出でて応対ありし神なり。」

国龍命の住む吉野の池の西に、真萱の池があった。ここに「牛神」が住んでいた。国龍命が人体となって現れた時に、同様にして現れ、応対した神である。
・・・「由緒」では伝えない牛神がここに登場します。

「その時、尊に先づ粟を備え給うゆえに、牛頭に粟を備えこれを祭る。その時、牛に乗り、五穀の種を持ち来たり、蒔きて耕作したまうえに、これを作る神祭り奉るなり。」

牛神は、龍神と同じくらい古くからこの地に住んでいた土着の神であった。牛神は龍神に対し、粟をはじめ五穀の種など食料を提供した。その上、蒔きて耕作する方法まで伝授した。

この様子は、「牛神の国譲り」を示すものではないでしょうか?それにしても、食糧とその耕作技術まで提供するという、こんなに献身的な国譲りが、かくも平和に行われるものでしょうか?

いずれにせよ、この地には古くから「龍をトーテムとする部族」と「牛をトーテムとする部族」、このふたつの部族が存在していたことが想像できます。そして、どうやら神武天皇の誕生、もしくは東征の折に、牛の一族は、龍の一族の軍門に下り、国譲りをしたのではないでしょうか?

つづく



写真は、丸亀市にあるミノタウロス。丸亀市が姉妹都市であるスペインのサンセバステイアンから贈られたものだそうです。むっちゃリアルで迫力ありますね~。


「由緒」では、日子八井命は、神武天皇の第一皇子となっています。父である神武天皇の命を受けて、高千穂からこの
地にやってきて、池を干し宮居を定めた。そして、その際、池に住む蛇が襲ってきたので退治した、とされています。

しかし「由来」では、次のように全く違う内容になっているのです。

「そもそも、草部吉見大明神国龍命と申し奉るは、(略)宮居の池より出で給うなり。尊いわく。吾此の池に住む事久し。いま、神武天皇の産まれた給うを見て出でたりと宣ゆえ、吉見神と申し奉る。」

「其の元は、龍体にておわし、天神七代の終、イザナギ・イザナミこの国に生まれ給う終よりおはす大神なり。いま人体と出で現れ給うて、其○りゆえに国龍命と申し奉る。」

草部吉見大明神は別名、国龍命ともいう。イザナギ・イザナミが生まれる頃のずっと昔から龍体として吉野池に住んでいた。神武天皇誕生を「吉」と「見て」(吉見の由来)、人体となって草部の地に現れた。・・と、このように記されているのです。

「由緒」では神武天皇の息子ということになっているのに、「由来」では子供であるどころか、七代も前のイザナギ・イザナミの頃から存在している龍体なのです。国龍命という名前からして、何だかすごい感じがしますし、日本列島が龍の形に似ていることを思い出し、壮大な存在のような気がしてきます。

さらに、「由来」では「草部吉見大明神」=「国龍命」とされていますが、不思議なことに「日子八井命」の名前が出てきません。

草部吉見神社の主祭神は日子八井命ですから、「草部吉見大明神」=「国龍命」=「日子八井命」とされているのですが、もしかすると全てイクオールではないのかもしれません。

素人の想像に過ぎませんが、「日子八井命」が、この地に大昔から住んでいた「国龍神」のご加護を受けて、この地に宮居を定めた、という意味なのではないでしょうか?

或いは、「龍をトーテムとする部族」との合流、という可能性も考えられます。

なぜなら「由来」には、この後、上記の可能性を裏付けるかのような極めて興味深いことが記されているからです。

つづく


牛神社の近くには、草部吉見神社という立派な神社があります。草部と書いて、くさかべと読みます。


この神社は、社殿が鳥居より下 にあり、いわゆる「下り宮」と呼ばれる珍しい配置になっています。鵜戸神社(宮崎県日南市) 貫前神社(群馬県富岡市)とともに日本三大下り宮の一つとされています。


主祭神は日子八井命(ヒコヤイノミコト)です。この神様は、鬼八を退治したとされる健磐龍命(タケイワタツノミコト)の嫁神 阿蘇都媛命(アソツヒメノミコト)の父神です。さらには健磐龍命の父である神八井命(カムヤイノミコト)の兄でもあります。

整理すると、日子八井命は、健磐龍命にとって、義父であり叔父でもある訳ですね。

由緒によると、日子八井命は、神武天皇東征の時、日向高千穂より草部に入られ、今の草部吉見神社の所にあった池を干し宮居を定められた、とあります。お隣の高千穂から、この地にやってきた神、ということです。ということは、この地には元々住んでいた先住民、そしてその民を治めていた王がいた、と考えられます。

社殿の右手に、鳥居があり、少し下ると、吉野の池があります。

この池について由緒には次のようにあります。
「蛇住メリト云フ。大神、ソノ蛇を誅戮シテ武徳ヲ顕シ給ヒ・・」
この池に住んでいた大蛇が襲ってきたので、この大蛇を斬り、焼いた、とされています。

池のほとりに大蛇というより龍のような石像が佇んでいました。


ところで、草部吉見神社の歴史は「草部吉見神社由緒書」の内容に準じて伝えられているのですが、実はこの「由緒」とは別に「草部吉見大明神国龍神由来」という古文書が残されています。そして、この「由来」には「由緒」が伝えていない非常に興味深い内容が記されているのです。

猿田彦と言えば、角宮にも猿田彦の石碑がありました。



阿蘇神話では、健磐龍命が逃げる鬼八をついに
捕まえ、とどめを刺すかのように、角を折ります。その折られた角が埋められた場所が、「角宮」と言われています。



では、角宮に祀られている神様は?

高森町の観光サイトを見ると、「水神様が祀られています」としか書いていません。水神様?太陽神である天照大御神に対して、スサノオノミコトは「水神」とされています。水神様がスサノオノミコトだとすると、次のようになります。

鬼八を鎮める「角宮」:(水神様=スサノオノミコト):猿田彦がお守りしている

牛神を鎮める「牛神社」:(牛頭天王=スサノオノミコト):猿田彦がお守りしている

鬼八というのは、山を蹴破りながら逃げ回るくらい巨大な訳ですから、実在した者ではなく、何らかの存在をモチーフとして象徴的に描かれたキャラクターだと考えられます。上記の共通点から、鬼八は牛神を象徴する存在である、と仮定してみます。

では、この地において牛神とはいかなる存在だったのでしょうか?牛神の謎を解く鍵は、どうやら草部吉見神社にありそうです。

つづく

高森の山中にひっそりと佇む、その名も「牛神社」。

僕がこれまで訪れた神社の中で、ダント
ツの異彩を放つ神社でした。集落の外れの、誰も訪れないような寂しい場所に、まるで隠されるようにポツンとある神社なのです。神社に至る道も舗装されておらず、訪れた日は雨上がりだったのですっかりぬかるんでいました。木製の古い鳥居に、手書きで「牛神社」と書かれています。




鳥居をくぐると、今にも崩れそうな石段が数段あります。石段の上に社殿が見えます。



あたりはひっそりとしていて、境内にひとりで佇んでいると、何十年か、いや何百年何千年とタイムスリップしてしまったかのような不思議な気持ちになります。一言でいうと、寂びれた神社です。しかし、社殿に近づいてみると、寂びれた雰囲気とは裏腹にすごく立派な彫刻が施されているのです。


正面だけでなく、左右にも立派な彫刻があります。荒れ果てた感じのする雰囲気と、立派すぎる見事な彫刻のギャップに頭がくらくらしてきます。そして社殿の右手には、猿田彦大神と刻まれた石碑が立っていました。

境内に「由緒」などは掲示されていませんでした。高森町の観光サイトを見ると、牛神社に祀られているのは、牛頭天王とあります。すなわちスサノオノミコトです。
境内には猿田彦の石碑・・・。

アッ!猿田彦と言えば・・・!

つづく

 









先日、ペトログラフが刻まれた石を調べるため、清栄山頂に登りました。

「牛神」を表すペトログラフはアルファベットのAを逆さにしたような、Vと-を組み合わせた文字らしい。その情報だけを頼りに探してみたのですが、素人目には難しく、見つけることはできませんでした。

しかし、ひとつ収穫はありました。「牛神」が刻まれていると思われる石に、面白い現象を確認できたことです。


この石は磁気異常を示します。石のある地点までコンパスを近づけると、くるりと針が反転し、正しい方角とは正反対の方角を示すのです。石から遠ざけていくと元に戻ります。

鉄分を含む溶岩石などであれば、コンパスの針が多少動く、ということは考えられますが、このように正反対にくるりと反転する、という現象は珍しいのではないでしょうか?

スサノオノミコトの須佐は荒ぶ(すさぶ)でもあり、最初は高天原を荒らしまわった暴れん坊でした。しかし、八岐大蛇退治以降は和らぎの一面も有するようになります。コンパスの針が反転する様子は、まるで荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)の二面性を象徴するかのようでもあり、面白いなあ、と思いました。

コンパスの針が反転する様子を、約1分間の動画にまとめてみましたので、よろしかったらご覧ください。


http://www.youtube.com/watch?v=FeWggZ4m1M8&feature=youtu.be

先日、高森町清栄山頂に登ってみました。ここには、ペトログラフ(岩刻文字)が刻まれた石があ
ります。

このペトログラフは、古代シュメール文字で「牛神」を表しているそうです。

シュメールの牛神は「アルダ」です。文献によるとこの地域の人は牛のことを「ダ」と呼ぶらしい(そのうち地元の人に確認してみます)。それにしても、なぜ阿蘇外輪山の頂にシュメール文字が?

日本で牛神と言えば牛頭天王(ごずてんのう)。すなわち、スサノオノミコトです。

天王は「てんおう」ではなく「てんのう」と読みます。天王洲アイルの「てんのう」ですね。

「てんのう」のことを古代日本語でスメラミコトといいますが、このスメラはシュメールの転じたもの、という説もあります。ちなみに、シュメールに隣接するエラム王国の首都を「スサ」といったらしい・・・。シュメールの王?スサの王?

さらには、古代韓国では牛の角を持った神を「スサ」と呼んだらしい・・・。

清栄山頂の石に刻まれた「牛神」は、スサノオノミコトなのでしょうか?

アッ!鬼八(きはち)は、ひょっとして・・・!?

つづく

写真は埼玉県飯能市「竹寺」の牛頭天王。鬼のようにも見えますね。



「阿蘇の鬼八(きはち)~その3 角を折られた鬼」

鬼の角を折る。このことから連想されるのは、牛殺しマス大山が空手チョップで牛の角を折る光景です。(これ→マス大山

子供の頃は「大山倍達、凄すぎる!」と思っていましたが、今見ると単に牛がカワイソウです。健磐龍命も鬼八をこのようにして成敗したのでしょうか?

そもそも鬼は、艮→丑寅→牛と虎、という連想から、牛の角と虎皮の褌というスタイルが定着した訳ですから、鬼とは牛が神格化したもの、考えられないでしょうか?

鬼から角をとって「かみ」と読む。牛、角、神・・・。牛神?

アッ!牛神と言えば・・・!?

つづく









鬼の角が取れるとどうなるか?

写真の字は、鬼の角をとった状態を表す漢字です。常用漢字ではないようで、PCでは出てきませんが、かつて使用されていた字のようです。さて、この字は何と読むでしょうか?

「九鬼文書」という古文書があります。学会では偽書とされているようですが、九鬼家に古くから伝えられてきたもののようです。九鬼は、「くき」ではなく「くがみ」と読みます。そして、元々は角のないバージョンの字が使用されていたそうです。

つまり、角の取れた鬼は、「かみ」と読むのです。

つづく


阿蘇神話において、鬼八は健磐龍命(たけいわたつのみこと)の従者として登場します。健磐龍命は阿蘇山から弓を射るのを日課にし
ていました。健磐龍命の射放った矢を拾って帰るのが従者である鬼八の役目です。来る日も来る日も矢を拾いに行くことが嫌になってしまった鬼八は、ある時「やってられっか!」とばかりに、矢を蹴り返してしまいます。これに激怒した健磐龍命は鬼八を追いかけます。鬼八も山々の大岩を蹴破りながら逃げ回りますが、遂に捕まります。

健磐龍命は鬼八を捕まえた後、その角を折ってしまいます。

鬼八の角を埋めた所が、高森町別所にある「角宮」と伝えられています(写真)。

鬼の角を折る、とはどういうことでしょうか?


つづく