噂を流す人は、身近にいる

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写真は、ハーラウの中で行っているラウハラのクラス。やっていることは非常に専門的で、

その辺でやっているようなラウハラのワークショップとは違う。

とはいえ、特別にお金をもらうわけではなく、あくまでレッスンの一環。

問い合わせで、ラウハラのクラスはありますか?と問い合わせを受けますが、

やっていることは専門的でも、それだけのクラスはありません。

だって、数回やれば理論が分かるから、あとは自分で努力すればいい。

毎週レッスン代をもらうものではない。

練習に付き合って、それでお金をもらう、

大して教えないのに、授業料をもらうというのは、Ponoではない。正しいとは思わない。

 

今日は、このごろ私に降りかかっている問題。

噂とか陰口とか、ってことについてです。

 

自分自身の生活が楽しくない人ほど、人がやっていることを批評したがる。

「ねえねえ、知ってる?」のような。

だいたい、この種の話し方は、幸せな話ではない。人を卑下したり、人の不幸話を言うことで、自分の株を上げようとする。

もしくは、株をあげようとしなくても、自分と同類のところまで人を引きずりおろそうとする。

「人の不幸は蜜の味」と揶揄されるのは、こういうことなのだろう。

 

そんな人ほど、
自分の出来なさを、他人のせいにする。

とにかくめんどくさがる。

将来的な目標を持たない。

暇でもないが、忙しくもない。

必死さがなく、なんとかなる、と思っている。

努力を惜しみ、人にあやかろうとする。

裕福ではないが、困窮もしていないから、生活にはあまり困らない。

高いものに対する皮肉。そいつが居なければ私が1番になれる、という観念。

 

そのくせ、自分は一番ができるこになると、軽く自慢が入る。

 

類は友を呼ぶわけで、

同じような考えを持っている人は、同じような価値観、同じような生活観をもっているから、

そういう人たちはそれでグループを形成する。

その仲間意識はとても強い。

こんなことは、子供の社会だと、容易にいじめに発展しやすい。

 

事の真意を捉えようとしないで、噂話を作り上げ、それを風評化させていく。

 

少し、話がそれるが、

気象情報、天気予報を見ていると、東京で雪が降るから警戒するように、とか、

群馬で雪が降る、とか、青森で豪雪、とか、

というような情報が紹介される。

何十年に1度の寒波とか。

 

初めて聞く人にとっては、とても不安感を煽る。

でも、じゃあ、東京のどこで雪降るの?

新潟のどこで雪が積もってるの?

って、よくよく聞いてみると、

 

東京の八王子

新潟の津南

青森県の酸ヶ湯

群馬県の草津

 

それって、その都道府県を象徴している場所なのか???

そもそも、豪雪地帯。スキー場で雪が降ることしか、積雪のニュースにならないなんて、

本当にくだらない。

はずれではないが、情報は正しいとは言えない。

単に、情報が操作される。

 

情報の信憑性を把握するためには必ず両面から見てから、判断すべき。

流されてしまって、YESと答える前に、NOの面からも見るべき。

たとえ、知り合いであっても、友達であっても、

まずは、その人の性格を踏まえてから。

それが、「またこいつ、ふかした話してる」とか「話、盛ってる」、というのは良くある。

 

ひとの気持を考えていないと思われる人、というより、

それに気づいていない人こそ、治らない。

 

ちょっと、あちこちからチヤホヤされると、なんだか勘違いする人。

そういう人こそ、自分のことを陰で噂されていることに気づかない

 

ウクレレの伴奏について

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フラをやっている人にとっては、それがカヒコであっても、アウアナであっても、伴奏は必要で、仮に伴奏がないものは、自分でリズムを刻む。カヒコの場合は、イリイリや、カラアウ、プーニウ、イプヘケもたまに。

要は、フラのための伴奏はあくまで伴奏であって、メインではない。歌も同じ。
フラの目的のための、バックバンドであれば、強烈に歌い上げる必要がない。

私のクムが、生前、ナタリーアイの歌い方を、スクリーマー!(叫び屋)と言っていて、あまり好んではいなかったが、実際そう思っている人は、日本にも、ハワイにも多い。
アーティストとして歌だけ聴いているのであれば、メインになれる。
ただ、それにフラが入ると歌が邪魔する場合がある。
メリーモナークを見ていればよくわかるが、オラナのハラウのアウアナには必ずナタリーが歌うのだが、まぁ、家族だから当たり前なんですが、そのフラを見ていると、なんとなく違和感がある。

フラがメインなのだから、ただ、歌えればいいということではない。

なんとなく歌が上手いから、と言っても、ハワイ語が読めないからカタカナでロビを書いて、'Okina もKahakoもめちゃくちゃで、ハワイアンを歌っている人が日本人では殆どかもしれませんが、ソロでハワイアンをやるなら、それでも、誰にも迷惑がかからないから、アリだとしても、
フラが入ると、フラダンサーにめちゃくちゃ迷惑が掛かる。フラで伝えている言葉とと、歌の発音がマッチしないわけだ。

エイミーハーナイアリイのライブを何度か見ているが、エイミーも、完全にソロアーチストだよね。
メリーモナークの伴奏役としてはあまり呼ばれていないのか、呼ばないのか。

とはいえ、クアナトーレスはよく呼ばれている。

ギターも、クラシックギターもあれば、フォークギター、エレキギター、
弾き方も、全てが弾き語りではない。
ボサノバ、タンゴ、カントリー、何でもありだ。

まあ、歌を歌って1人で満足しても、選ぶのはフラ側だから。
一巡すれば、そのうち選ばれなくなる。

アーチストの批判をしているのではない。
私は、ナタリーの曲は好きだし。
だから、ナタリーアイは車の中でも聴きたいけど、フラだったらナタリーの生歌では踊りたくない。
それが、いくらトラディショナルな曲でもね。

うちのクムと見解が似てしまうのは、師弟関係だから仕方ないか。



教えたことをすぐ忘れるのは、ゆとりのせい

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昔習ったことはずっと覚えているけれど、つい最近習ったことはすぐ忘れちゃう。
ずっと反復して続けたことは覚えているけれど、1回ちょこっとやったぐらいでは、2-3日経つとすぐ忘れる。
ワークショップで2日間で6曲とか7曲を教わってもそれは決して良い教え方ではないし、良い習い方でもない。
かといって、時間がない中で詰め込んで、教わるしか方法がないとしたら、問題は教わったあとの、復習をどれだけ自分でできるか、ということになる。
今年に入ってからウクレレを教わりたい人が自分のウクレレを持ってくる。
教わりたい、と思うから教えてあげて、ビデオも撮らせてあげる。
が、練習してこない。

まあ、毎日忙しいのだろうね。

私も忙しいけどね。

私の父から、また、母から、色々なことを教わって今に至るが、
父の晩年、ある程度余命がわかった時、一緒に過ごすことができる時間が、わずかだと知りながらも、父の教えをすべて理解できず、また、習得もできなかった。
人生の大先輩であり、唯一無二の理解者からの、知識の習得の機会はもうない。
質問をしたところで、もう何も答えてくれない。

習う側の都合よりも、教える側の都合が優先されるわけだから、どんなことがあっても相手のペースに合わせないといけない。

教えて貰える、ということはお金では測ることは出来ないし買えないことだ。

私のクムに、ものすごく怒られたけど、少しでも近づこうと、必死に勉強した。猛烈について行こうと頑張った。
とはいえ、もう質問しても、天国だから、何も答えてくれない。
他のクムが教えてくれないことを沢山教えてくれたのに、私自身のフラに対するの知識の低さよって、とても勿体ない時間を浪費してしまった。
もっともっと学びたかった。

手本は1回しかやってくれない。もちろんビデオなんか撮って良いはずもない。
そもそも、クムに何度も同じことをやってもらうなんて、そんなの無理。

とにかくよく見ろ。

クムがよく言っていたこと。
でも、これは、今の私のハウマナにも言っていることだが、全くダメだ。
中には自分でハーラウや、サークルを持っていて、収入を得ている人もいるが、何かを得て帰ろうという気構えはあるのだろうか?
果たして真剣なんだろうか?

人が説明してるのに、隣とおしゃべり。教えたことすら、復習もしてこないで、仲間と会うのが1週間ぶりで、会話もはずむ。全く楽しそうだ。菓子食ったり。
その間、私の時間は勿体ない。

習ってないから出来ない、と言う人だけで解決方法を考えない人は、1年経っても同じことを言うのだろう。

まあ、私とは時代も覚悟も違う。

年代的にゆとり世代のように若くなくても、生活にゆとりがあるから、別にフラが多少出来なくても、生活に困るわけじゃないし、クラスの中で怒られても、大人数の中の1人の自分だから、大して自分のこととして思わない。

必死さ、は、ないね。

所詮、習い事。
フラに対する気持ちはそれぞれ。ほとんどがお楽しみのために来ているからね。
厳しくすれば、やめちゃう。
だから、辞めないように、少し楽しくやらないと、と思う自分にも腹が立つ。

その考えとは真逆に、この頃、真剣に怒る自分のことを、自分で許せなくなる。
そんなに怒るなんて、おかしいから、少し穏やかになれ、ということだ。

そう。時間の浪費は、私が考えることではないのだ。教わる方が、時間が勿体ないと思わなければ、それでいいのかもしれない。
適当にやればいいのか。
それが、時代であり、現代的な考え、なのだろう。
でもそれは、指導者としての責任を放棄することになる。

時間を無駄にしたなぁ、とか、それを損だったと理解した時には、既に自分の先生は、自分の傍にはいない。

現代的に考えたら、
先生が居なくなったら、次の先生を探して、お金払って習えばいいや、って、思うのだろう。

私はクム チャールズ・カウプが亡くなってから、長年、自分が師事したいクムを探したし、たくさんのクムフラに直接会って、話をしたり、お願いしたりした。
断られたり、逆に断ったり。
結局、特定のクムフラに師事することを諦めた。今後もない。
なぜなら、チャールズ・カウプ以上の、良き理解者で、厳しくて、頑固で、優しくて、いい加減な、こんな強烈なクムフラは、見つからないから。

大阪でフラ集中クラスをスタートします。

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大阪クラスの日程が決まりましたのでお知らせします。

 

2019年3月10日(日曜日)午前9時から午後6時(18時)まで
大阪駅近郊

4月は決まり次第ご連絡いたしますが、

4月28日(日曜日)は、午前中だけレッスンを行います。
 

体験レッスンをご希望の方は、2時間のみ、無料でお受けできます。

ご興味のある方は、ご連絡ください。
kalaokumukahi@gmail.com

 

なお、集中レッスンは、札幌クラス、福岡クラスでも、生徒募集しています。指導者の先生(自称、他称)、サークル主宰者でも、参加を受け付けます。

ちゃんと学びたい人は、体験レッスンにお越しください。いろいろ相談しましょう。

 

メリーモナークのビデオを見ながら

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新潟のハーラウのスタジオにあるビデオを引っ張り出してみた。

私が持っている一番古いビデオで、1987年でした。

 

ビデオを見ていると、そこには、全く色褪せることのない、フラがあって、(以下敬称略)

ダレルルペヌイ、パレカマトス、ニナマックスウェル、レイフォンセカ、オブライアンエセル。
 

そこは、ハワイ島ヒロ

イーデス・カナカオレ・スタジアム。

みんな現役で、そこにいる。

 

ナタリーアイがミスアロハフラになった時も、リアルにここにいるし、

まだ、マークホオマルがまだ、AHAになる前のパフォーマンスも。

 


お宝映像からの写真ですが、ナタリーアイの、超カワイイ写真!

 

 

その後ろには、よく見るカムエラの横断幕。

 

現トレーシーロペスのミスアロハフラも。 

 

しばらく、毎日見ていられそうです。

 

フラは色褪せない。

 

そうそう、フラの生徒を募集しています。

学びたい人は是非お問い合わせください。

大阪クラス、参加希望者が増えており、開講出来そうです。
札幌、福岡も、継続レッスン中!
東京は、にぎやかにやっています。しっかり学びたい人は、怖いもの見たさで、遊びに来てください。
http://www.kalaokumukahi.com/

kalaokumukahi@gmail.com

 

フラの学校と、フラの授業

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フラ、は、ハワイ語では、踊り、踊ること、を表すのですが、フラハーラウ(Hula Hãlau=フラの学校)では、学校という意味合いから考えれば、何でも教えなければいけないし、生徒は何でも学ばなければいけないということになる。
フラに関すること、ハワイに関すること、踊る上で必要と思われることはできるだけ学んで欲しいものです。

私の場合、クラスによっては授業の内容が色々と異なります。このクラスではアウアナをやっているけれども、このクラスは、レイメイキング、このクラスは楽器を作ったり、という感じ。

1年週1回レッスンをして52週から53週、その程度のレッスン内容では、1年間では、到底終わらない内容ですが、せめて習った内容ぐらいは理解をして、次の世代に伝えていく準備をしてもらいたいと思っています。

写真はラウハラ編みの準備中。

ハワイにちょっとぐらいで留学したところでフラがすぐうまくなるわけでもなし、英語も喋れず、TOEICもせいぜい500点が限度ぐらいの人、ハワイ語もわからないで、ただ、何となくフラが大好きで、留学ビザもないのに、ビザなしで観光目的で3ヶ月ならハワイに滞在できるからということをいいことに、自称プチ留学みたいな、ことをお金をかけて、3ヶ月過ごすぐらいなら、信頼できるクムフラを日本の中で探し、真剣に1年間、できれば5年以上、国内で体系的に学ぶこと。今できることをしっかりと学んだ方が良いでしょう。

クムフラとコミュニケーションが取れるように、英語だけでいいから、最低でもTOEIC800点持ってないとね。

名前だけではなく、ちゃんと教えてくれるクムフラに、出会えるならいいけどね。日本でもハワイでも。
ハワイに行くのは賛成ですよ。ただ、中にはそれをえばったように、自慢する人もたくさんいますよね。若干面倒だよね。そうやって表面的に見栄を張り、自己満足に命を掛けるのは、他人に迷惑をかけないようにお願いしたい。

残念ながら、あなたよりも英語がペラペラで、フラが上手な、ハワイ在住の日本人はたくさんいますから。


好き嫌い

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仕事の社会では、全て好きな人ばかりと、心地の良い空間や、良い時間を過ごせているとは言いにくい。

利害関係が伴うからこそ、多少、目をつむるって、ぐっとこらえながら、裏では舌を出していればよいかもしれません。

 

仕事から離れ、自分の時間を過ごしている時ぐらいは、自分の仲間、自分の空間、自分の時間、自分のタイミング、を、楽しく、過ごしたいものです。

 

だから、そんな時に、自分にとって、とても気になることがされている、ということがわかると、一気に気持ちが崩れる。

動悸、眩暈、一気に気分が悪くなる。

ものすごく、ストレスを感じる瞬間です。

 

好きなことをするために、時間を無駄に過ごす必要はなく、

見たくもない情報、会いたくない人、行きたくない場所、これらは、ないほうがいい。

 

もし、その原因を自分自身が作っているとしたら、まずは、完全に火消しする。

火のないところに煙は立たぬ。

完全に火消しをすればよい。少しでも素振りを見せてはダメ。

 

っということを再確認。

 

自分が快適に過ごすためには、雑音を遮断し、自分のスペースを確保する。

たとえ、他人が裏で何を言おうと、何をしようと、私に届かなければ、私は快適です。

 

 

 

 

 

自分を比べる

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 新しい年になり、今年1年がどういう1年であるかということを、考える時期です。
私の生徒たちが、今年の目標を書いて、私に送ってくるのでとても頼もしく思っています。

去年の自分と、今年の自分との違いが、年を終えた時に、明らかに違う自分であれば、それは成長したことになる。
今まで出来なかったことが出来るようになると、嬉しいもの。毎日の忙しい生活の中からその時間を捻出し、課題を増やしていけたことに充実感を感じる人は多い。
よくあるのが、今年は英語が喋れるようにとか。
ハワイに1年に1回ぐらいは行きたい、とか。

夢なのか、目標なのかよくわからなくなることを掲げてしまうと、現実的では無いため途中で諦めてしまう。
そんなことは、言わない方がいいでしょう。

私はフラの教室をやっていますから、生徒達がこの1年間でどれだけ成長するかということを考えて、そのためにどのようにしていくかを考えるわけですが、
人それぞれ目標や目的が違うし、要望もそれぞれ。グループレッスンとなると、個別の課題に、完全に向き合いにくいときもあるが、そこを克服することこそが、指導者として必要な指導力だとかんがえている。

ちなみに、成長は、プラスの成長だけとは限らない。今まで出来ていたことが出来なくなった、ということは沢山ある。

1年も経つと、自分の興味も、自分を取り巻く社会、友達も大きく変わる。

将来、どんな自分になりたいか?と、小学生に聞いたところで、その通りの自分になっていることは稀だ。

最初から決め打ちして技を仕掛けて、その通りに行くことは難しい。例えば、今年の予算案を決めても、第一、予算案通りにお金が入るとは限らず、また、自分の興味も1年間それが継続するとは限らない。

となると、自分が持つ目的を、どのように考えたらいいか。行き当たりばったりで、思いついたことばかりやっていたら良いのか?それは忙しくなるだけで中途半端になるだけか?となる。

興味が持続せず、変わっていくのは、毎日の生活が変化するので、当たり前だから。

ということは、1年間の目標を立て、その通りに進んでいくことはとても大変だから、じゃあ、どう考えたらいいか。

続けていれば、必ず出来るようになる。

ということを考える。

そこから、
期日を決める、
どの程度の頻度でやるか、

を考える。

そして、1週間ごと、1ヶ月ごとに、自分と自分を比較し、どうだったかを評価する。

そして、大切なのは、
飽きたら、やめる。

やめたら、自分の中で、空きスペースが出来るから、新しいことが吸収できる。

今まで大切にしてきたことであっても、それが今の自分の生き方に邪魔をしていたり、重荷になっているのであれば、断捨離する。

それが、生きている、ということだ。