ヒロです。

イプヘケをつくっています。

イプヘケ作成中のヒロ氏とひょうたんの器

前回の記事では、私がどのようなフラを伝えたいのかを書きました。

ハワイ語を知り、メレの意味や背景を理解し、その意味を身体で表現すること。

曲数を増やすことよりも、ベーシックと身体の使い方を正確に身につけること。

そして、教える側も学ぶことをやめないこと。

それが、私がハワイで学び、日本で伝えてきたフラです。


しかし、その考えを大切にしていれば、自然に生徒が集まるのかといえば、現実はそうではありません。

生徒募集をしても、人が集まらない

生徒募集を呼びかけても、なかなか人は集まりません。

無料体験に来て、入会しても、入会した順番に、また一人と辞めていく。

もちろん、辞める理由は人それぞれです。

仕事や家庭の事情もあれば、場所や時間が合わないこともあります。それは十分に分かっています。

それでも退会が続くと、

「あなたがフラに求めているものは、私のハーラウにはありません」

そう言われているように感じることがあります。

それは、やはり残念なことです。


もっと気軽に踊りたい。

難しいことは考えず、楽しい時間を過ごしたい。

ハワイ語や歴史、身体の細かな使い方よりも、たくさんの曲を覚えて、衣装を着て舞台に立ちたい。

そのようなフラを求める人もいるでしょう。

何を求めてフラを始めるのかは、その人の自由です。楽しく踊ることを否定するつもりもありません。

ただ、私が伝えたいものとは少し違います。

私がやらなくても、フラはどこかで続いていく

私がフラを教えなくても、誰かがどこかで教えています。

そこでは、多くの人が楽しそうに踊っています。

フラが広く親しまれ、たくさんの人に楽しまれている。そのこと自体は、決して悪いことではありません。

けれど、その姿を見ながら、複雑な気持ちになることもあります。

私が長い時間をかけて学んできたこと。

ハワイ語やメレの背景を調べ、ベーシックと身体の使い方を細かく伝え、一つの曲に時間をかけて向き合うこと。

それは、いまフラを習いたい人たちが本当に求めているものなのだろうか。

そこまで深く学びたい人は、もう多くないのだろうか。

そう考えることがあります。

しかし、人が集まらないからといって、教える内容を変え、曲だけを次々に教えることは、私にはできません。

それをすれば、生徒が増えるかもしれません。

けれど、それは、私が学び、受け継いできたフラとは違うものになってしまいます。

舞台に立つ生徒たちのために

コンペティションについても、思うことがないわけではありません。

けれど、ここで審査や結果について、強く何かを言いたいわけではありません。

私が一番大切にしたいのは、舞台に立つ生徒たちが重ねてきた努力です。

生徒たちは時間をつくり、何度も練習し、身体を整え、一つのメレと向き合って舞台に立ちます。

指導者である私に対する評価と、生徒たちの頑張りは別のものです。

だからこそ、誰の生徒であるかではなく、その日、舞台で何を表現したのかを見てほしい。

ただ、それだけです。

結果がどうであっても、足りなかったものがあれば、私自身が学び直し、生徒たちともう一度練習します。

賞を取ることだけが、フラの価値ではありません。

そこへ向かう過程で、何を学び、どのように成長したのか。

私は、その積み重ねを大切にしたいと思っています。

それでも、私は変えない

一生懸命取り組んでも、必ずしも目に見える結果につながるとは限らない。

そうした現実に直面すると、私が続けていることに意味があるのかと考えることもあります。

もっと簡単に教えればよいのか。

もっと楽しいことだけを前に出せばよいのか。

けれど、私はそのためにフラを学んできたわけではありません。

言葉を知る。

意味を知る。

その土地と歴史を知る。

正しいベーシックを身につけ、メレの意味を身体で表現する。

そして、自分が学んだものを、できるだけ正確に次の人へ渡す。

たとえ多くの人には選ばれなくても、私はそこを変えたくありません。

大勢でなくてもよい。

ただ楽しく踊ることだけでは満足できず、フラをもう一度きちんと学びたいと思っている人。

ハワイ語やメレの背景を知り、自分の踊りを根本から見直したいと思っている人。

そんな人と出会い、一緒に学び続けたいと思っています。

理解されるまでには、時間がかかるかもしれません。

それでも私は、自分が受け継いだフラを、自分の都合で別のものに変えることはしません。

それが、教える立場にいる私の責任だと思っているからです。


そんなことをわかってくれる人を探しています。


ヒロ

ヒロです。
大阪、名古屋の集中レッスンが終わり、次回はたぶん10月かな?



フラを長く続けているのに、新しい曲を習うたびに、また最初から振り付けを覚えなければならない。

以前に習った曲も、しばらく踊らないと忘れてしまう。

「最近、振りが覚えられなくなった」
「昔より記憶力が落ちたのかな」

そんな話を、レッスンの中でもよく耳にします。

 

私自身も、年齢とともに記憶力が良くなっているとは、とても思えません(笑)。

でも私は、それを単純に「記憶力」の問題だとは考えていません。

そもそも、フラのモーションを覚えるということは、振り付けを「記憶する」ことなのでしょうか。

 

私は違うと思っています。

フラには、まず言葉がある

私のレッスンでは、モーションを覚える前に、まず言葉を理解することを大切にしています。

ハワイ語を読み、その言葉の意味を知る。

そして、歌詞全体を読んで、そのメレが何を伝えようとしているのかを考える。

そこには土地があり、風や雨があり、花があり、人がいます。

誰かへの愛情や敬意があり、その時代の出来事や、その土地に生きた人たちの記憶が込められていることもあります。

作者は、なぜこの言葉を選んだのか。

何を見て、何を感じて、このメレを書いたのか。

誰に、何を伝えたかったのか。

そこを理解していくことが、フラを踊るための大切な入口だと私は考えています。

言葉があって、動きが生まれる

フラでは、言葉が先にあります。

その言葉が伝えているものを身体で表現しようとしたときに、モーションが生まれます。

つまり、

モーションを見て意味を覚えるのではなく、言葉の意味を理解した結果として身体が動く。

この順番が、とても大切です。

振り付けだけを覚えようとすると、

「次は右だったかな」
「手は上だったかな」
「この次は何だったかな」

と、踊りながら頭の中に保存した「振り付け」を探すことになります。

これでは、フラが記憶力のテストになってしまいます。

でも、言葉を理解していれば違います。

いま何を歌っているのか。

誰のことを歌っているのか。

どんな景色なのか。

その言葉に、どんな思いが込められているのか。

そこに戻ることができれば、たとえモーションを忘れてしまっても、もう一度その動きを考えることができます。

だから私は、生徒にたくさんの曲の振り付けを覚えてもらうことを、レッスンの一番の目的にはしていません。

その前に、やらなければならないこと

曲をたくさん覚えることよりも、まずやらなければならないことがあります。

それは、一つひとつのベーシックを正確に理解し、自分の身体で正確に表現できるようにすることです。

歩幅はどうなっているのか。

重心はどこにあるのか。

膝や骨盤はどう動いているのか。

上半身と下半身は、どのようにつながっているのか。

腕はどこから動き、手はどのような軌道を通るのか。

基本が曖昧なまま10曲、20曲と振り付けを増やしても、曖昧な動きを繰り返すことになってしまいます。

それなら私は、一つのベーシック、一つの言葉、一つのモーションに、きちんと時間を使いたいと思っています。

私のレッスンは、もしかすると少し時間がかかるかもしれません。

でも、ただ「こう動いてください」と教えるのではなく、

なぜ、そう動くのか。

そこまで理解してもらうことを大切にしています。

教える側も、学び続けなければならない

そして、これは生徒だけの話ではありません。

教える側こそ、学び続けなければならないと私は思っています。

ハワイ語の歌を教えるのであれば、その言葉を理解しようとする。

その土地について調べる。

歌が生まれた背景を調べる。

分からないことがあれば、辞書や資料を調べ、それでも分からなければ自分の先生に尋ねる。

私自身、今でも分からないことはたくさんあります。

だから、今でも学んでいます。

文化を学ぶということは、たぶん終わりのないことです。

だからこそ、分からないものを「分かったこと」にしないこと。

これは、教える立場にいる人間として、とても大切なことだと思っています。

言葉の意味を十分に考えないまま、モーションだけが人から人へ伝わっていけば、最初は小さかった解釈の違いが、いつの間にか大きな違いになってしまうこともあります。

フラがこれだけ多くの人に踊られるようになった今だからこそ、私はそこを丁寧に扱いたいと思っています。

言葉を知り、意味を知り、その意味を身体で表現する

私が伝えたいフラは、とてもシンプルです。

言葉を知る。

意味を知る。

その背景を考える。

そして、その意味を表現できる身体をつくる。

その積み重ねです。

何曲踊れるかではなく、一つのメレとどれだけ向き合えたか。

そして、

「先生がこう振り付けたから、このモーションをする」

だけではなく、

「この言葉だから、この動きなんだ」

と、自分の中でつながる瞬間を増やしてほしいと思っています。

そうなれば、振り付けを一つ忘れたことを、それほど怖がる必要はありません。

歌を聴けば言葉が浮かび、言葉から情景が浮かび、その情景から身体が動く。

私は、そんなフラを伝えていきたいと思っています。

 

普段のレッスンでも、こうした考え方を大切にしながら、ハワイ語、メレの意味、ベーシック、身体の使い方を一つずつ学んでいます。

 

今週火曜日はリモートレッスン、金曜日、土曜日は対面レッスンがあります。もちろん集中レッスンも。
 

フラを初めてみたい方はもちろん、これまで何年もフラを続けてきたけれど、

「振り付けを覚えるだけではなく、もう一度きちんとフラを学んでみたい」

と感じている方も、無料で体験していただけます。

 

私がブログに書いていることは、文章だけでは伝えきれないこともたくさんあります。

もし今日の記事を読んで、少しでも「こういうフラを学んでみたい」と感じていただけたなら、一度レッスンにいらしてみてください。

一緒に、言葉からフラを考えてみましょう。

ヒロ

こんにちは、ヒロせきねです。

 

最近、フラのレッスンや音楽に向き合っている中で、ふと「なぜ私たちは踊るのか、なぜ音を奏でるのか」という原点に立ち返ることがあります。

 

メリーモナークで現地の空気に触れた時も感じましたが、フラは単なる振り付けの再現ではありません。その背景にある歴史、文化、そしてその曲に込められた想いと、踊り手である私たちがどれだけ深く対話できるかが重要です。

 

経験者の方々から「もっと音を深く捉えたい」「踊りに深みを出したい」という相談をいただく際、私はいつも「自分の身体と、今流れている音がどう響き合っているか」を意識するように伝えています。だから、Hulaを通じて、「音を踊る」喜びを、ぜひ直接皆さんと分かち合いたいと考えています。

今週末、名古屋と大阪で集中体験レッスンがあります。

体験のかたは、無料です。

フラとオリを、心から楽しみながら学びましょう。

【8月23日(日)集中体験レッスン開催のお知らせ】

フラとオリの基礎から応用まで、深く学びたい方のための集中レッスンです。体験レッスン無料ですので、初めての方も、さらなるステップアップを目指す方も、どうぞお気軽にご参加ください。

 

■ 名古屋会場

  • 日時: 8月23日(日曜日) 9:00〜12:30

  • 場所: dance studio 結緋

  • 住所: 名古屋市中区千代田3-28-44

■ 大阪会場

  • 日時: 8月23日(日曜日) 14:30〜18:00

  • 場所: スタジオ エインブロード

  • 住所: 大阪府大阪市東淀川区東中島2-10-16

【お申し込み・お問い合わせ】 Kalāokumukahi(クムフラ:ヒロせきね)

踊ることは、自分自身、そして目の前の世界との対話です。 当日は、皆さんの成長の「伸びしろ」を引き出し、充実した時間を共に過ごせることを楽しみにしています。

それでは、会場でお会いしましょう。

 

ヒロせきね


ヒロせきね

Aloha. ヒロせきねです。

以前、病院での臨床業務に区切りをつけるとお伝えしていましたが、結局状況が変わり、病院でのお手伝いは結局8月末まで続けることになりました。とはいえ、もう終わり。

現在は、その業務と並行しながら、個人のプライベートセラピストとしての活動を行っています。スケジュールに多少の変更はありましたが、日々のやるべき仕事や向き合うべき課題は変わりません。

もし体の不具合があるかた、トレーニングについて聞きたいことがあるかた、介護について、など、お気軽にご連絡ください。

多少の空きがあります。

kalaokumukahi@gmail.com

 

最近、高校生の指導にあたっています。 若い世代と向き合っている中で、ふとこんなことを考えました。

皆さんは、ご自身の「伸びしろ」についてどう考えているでしょうか。

 

フラでも音楽でも、あるいは他の技術でも同じですが、 「練習さえすれば上手くなる」のでしょうか。 それとも、「時間がたてば自然と上手くなる」のでしょうか。

 

ただ無目的に時間を費やしたり、やみくもに体を動かしたりするだけでは、本質的な成長には繋がりにくいものです。

理学療法士としての視点から見ても、身体の理にかなった動かし方や、楽曲の構造を深く理解し、そこにどれだけ意識を向けて練習できるかが鍵になります。

 

時間が経過するのを待つのではなく、

思考停止で回数をこなすだけでもなく、

正しい方向へ向かって自分を磨き続けること。

 

それが「伸びしろ」を確かな実力へと変えていく唯一の道だと考えています。

 

引き続き、Hālau Ka Lā o Kumukahiの生徒たちへの指導においても、Hiliuの音楽制作においても、この地に足のついた実践を淡々と続けていきます。
 

写真は、今作っているイプヘケ。

メルカリや、SNSで売っている、出所不明のイプヘケを買った人から、「買わなきゃよかった」の連絡が多く来ます。

メルカリやヤフオクでは、要らないから、売っているんですよ。

私のイプヘケは、メルカリで売られていることはないです。たまに、イプ(イプヘケオレ)は売られているようですね。

心を込めて作っているもの。その気持ちが音になって、皆さんの心に響きますように。

イプヘケ製作中のひょうたん

 

ハーラウでは生徒を募集中です。ぜひご連絡ください。無理強いはしません。

 

 

ヒロです。

 

今日は少し重たいです。ルール、ポリティカル、真実について。


スポーツには、ルールがある。
反則をすればカードが出され、レッドカードを受けた選手は退場する。その選手が有名であろうと無名であろうと、本来は平等であるはずだ。だからこそ、人々は競技を信じることができる。

 

ところが先日のワールドカップ。

レッドカードを受けた某国スター選手の出場停止処分をめぐり、大国のトップが国際サッカー連盟に働きかけたと報じられた。結果、処分が覆る可能性が生まれたという。

判定の間違いは正されるべきだ。しかし、ここで考えるべきは別の問題である。 

「小さな国の無名の選手であっても、同じようにトップが電話をかけ、それが通るだろうか?」

ルールで決まるはずのことが、権力によって動く。その瞬間、競技は純粋な競争ではなくなる。

そこに残るのは、「誰が正しかったか」ではない。

「誰が、より大きな力を持っていたか」である。

世論は自然に生まれるとは限らない

私たちは「世論」を、多くの人々が自由に考えた末に生まれるものだと思いがちだ。しかし、本当にそうだろうか。

世論は、意外なほど簡単に曲げられる。

 

大きな声で繰り返し語られたこと。

有名な人物が支持したこと。

メディアで何度も取り上げられたこと。

 

そうしたものを目にするうちに、私たちはそれを「社会全体の意見」だと思い始める。

しかし、それは最初から多くの人がそう考えていたわけではないかもしれない。

一部の者が持つ力は、ときに銃のように強い。実際に撃たなくても、その存在だけで反対意見を持つ人を黙らせることができる。 

「反対すれば、仕事を失うかもしれない。仲間から外されるかもしれない」 

そう思わせるだけで人は自分の意見を飲み込み、その沈黙を見て、さらに多くの人が「みんなが賛成している」と思い込む。

 

日本を見ていても同じだ。政策の中身よりも「誰が発言したか」「どの組織に属しているか」が重視され、現場で困っている小さな声はかき消されていく。 だが、政治力によって決まったことと、真実は同じではない。多数に見えることと、正しいことも同じではない。

 

それが「政治力」「ポリティカル」というものなのだから。

 

芸術、フラ、音楽の世界にある「ポリティカル(政治力)」

人が集まり、組織がつくられ、利益が動く場所には、必ず政治が生まれる。 会社、学校、そして芸術やスポーツ、フラの世界にも、音楽の世界にも、それは確実に存在する。

 

表向きには実力だけが評価されているように見えても、実際には人間関係、師弟関係、団体同士のつながり、金銭、知名度、組織の都合など、多くのものが複雑に絡み合っている。その構造を無視して「これが正しい評価だ」言い切ることはできない。

 

近年、日本でフラのコンペティションが増えている。 舞台が増え、挑戦の目標ができることは素晴らしい。

しかしその一方で、参加者が集まらずに淘汰されていく大会も出てきている。

審査への信頼を失い、参加者が離れているから。

 

フラの世界は広いようで狭い。審査員と出場者、あるいはその指導者が、何らかの師弟関係や仕事上のつながりを持っているケースは珍しくない。 自分の教え子が出場していれば、応援したくなるのが人間の自然な感情だが、そこには明らかな「利益相反」の可能性がある。

教え子が受賞すれば指導者の権威が上がり、ビジネスも回っていくからだ。

 

問題なのは、審査員個人が不正をしているかどうかではない。不公平が起こり得る構造がありながら、それを「個人の良心」だけに任せている制度そのものの脆弱さにある。だからこそ、利害関係の開示や採点の開示といった透明性が不可欠なのだ。

賞が、芸術の真実を決めるわけではない

そして同じ構造は、音楽の世界にも全く同じように存在する。 私は全米グラミー賞の会員の一人として、由緒ある音楽賞のあり方を見ていて、強い疑問を抱かざるを得ない出来事がしょっちゅうある。

 

音楽賞とは、優れた作品を称え、文化を次世代へ繋ぐ華やかな舞台であるはずだ。しかし、人間が評価する非公開の審査には、必ず人間関係や組織票、知名度や業界のつながりといった「政治力」が入り込む。

長くその世界にいる人、

多くの仲間を持つ人、

組織の中心に近い人の作品が、自然と有利になる。

 

いつの間にか「優れた作品」と「業界内で選ばれやすい作品」が混同されていく。そして、その輪の外にいる者の作品は、そもそも十分に聴かれることさえなく弾かれる。

しかし、賞に選ばれなかった作品に価値がないわけでは決してない。審査結果が示すのは、その年、その制度、その人間関係の中で「その作品が選ばれた」という政治的な事実に過ぎず、音楽そのものの絶対的な価値ではないのだ。

本物は、結果の外側に残る

フラのコンペティションで決められるのは、「その大会の、その日の順位」だけだ。 

音楽賞で決められるのは、「その制度の中で選ばれた」という事実だけだ。

 

本当にメレ(歌)を深く理解し、文化に誠実に向き合っていたか。 ハワイ語の母音や子音を丁寧に発音し、言葉の意味を理解したうえで歌っているか。 編曲や演奏、録音のすべてに時間と心を注ぎ、その音楽が生まれた土地と歴史に深い敬意を払っているか。

それは、点数表やノミネートの有無では決して測れない。名前を隠し、先入観を捨てて、音だけを聴き、踊りを見れば自ずと分かることだ。文化をただの装飾として利用しているのか、それとも魂を込めて表現しているのかは、音の中にはっきりと残る。

 

政治力は、結果を変えることができる。レッドカードを消し、審査結果を動かし、特定の誰かに賞を与えることはできる。しかし、本物ではないものを、本物に変えることは絶対にできない。

 

本当に良いフラは、点数表の外側でも伝わる。 

本当に良い音楽は、賞やノミネートがなくても人の心に深く残る。 

 

私が紡ぐ音楽も、フラも、時間がたっても決して価値を失わないと確信している。

 

最後に残るのは、誰が勝ったかではない。誰に賞が与えられたかでもない。 その舞台に、どれだけ真実があったか。

その努力の中に、どれだけ誠実さがあったか。 

 

そして、何が「本物」だったかである。

 

所詮、ポリティカルを掌握できない「負け犬の遠吠え」だとしても、

いずれ、ほころびが、風評のごとく、分かる日が来るから。

 

今日はお墓参りの日。

少し気持ちを落ち着けて。。。

墓地とお墓参りのための赤い車

 

 

 

​みなさん、こんにちは。ヒロです。


これまで身体の使い方を専門的に学び、また、フラという文化の背景にある言葉や歴史、土地の記憶を追い求め続けてきましたが、少し思うことを書かせていただきます。


​フラの裾野が広がり、多くの人が舞台に立つ喜びを知るようになったことは、本当に素晴らしいことです。


けれどその一方で、大切な部分を置き去りにしてはいないだろうか、と考えることがあります。



フラの美しさが「動きが揃っているか、メイクが綺麗か、可愛いか、衣装が素敵か」という基準で語られる場面をよく目にします。


もちろん、仲間と呼吸を合わせ、稽古を重ねた末に生まれる一体感はフラの大きな魅力のひとつです。


​ですが、順序が逆になってはいないでしょうか。


​「みんなと同じように動くこと」


「きれいに見せること」


​これらが目的になってしまうと、どれほど形が整った舞台であっても、そこにあるべき「文化としての息づかい」が伝わりにくくなってしまう気がするのです。



​私にとって、揃うことは目的ではなく、結果です。


​曲の意味を知り、歌われている場所を知り、そこに生きた人々の想いに耳を澄ます。


言葉の一つひとつを自分の身体でどう表現するのかを深く考え、仲間と共に踊り込んだ先で、自然と動きが揃っていく――。本来、フラとはそうした積み重ねの中にあるものではないでしょうか。



​フラには歌があり、言葉があり、土地があり、歴史があります。


「素敵だな」「かっこいいな」という憧れからフラを始めるのは、とても自然なことです。しかし、その先の「問い」を持ち続けられるかどうかが、踊りを単なる動作から、文化への敬意へと変えていくのだと私は信じています。


​流行は移ろいますが、文化は流行のためにあるのではありません。


フラとは、己を目立たせるものではなく、歴史と文化に自分の身体を差し出すこと。


​「何を学び、誰から受け取り、それを次の世代へどう手渡すのか」


​私はこれからも、華やかな表層だけに満足せず、言葉と向き合い、土地の記憶に耳を澄ます人々と共に歩んでいきたいと思っています。


​……少し硬いお話になってしまいましたね。


プーイリ作り。フラ文化の継承。

黙々とプーイリ作りを頑張っています。地味でしんどい作業ですが、これもまた大切な学びの時間です。


​ヒロ



​#フラ #フラダンス #フラ文化 #Hula #身体の使い方 #身体表現 #文化継承 #ハワイ文化 #プーイリ


 

 

アロハ。ヒロです。

最近、よく考えることがあります。

「カヒコをやりたい」という人は、昔より少なくなっているのだろうか。

現場にいる感覚としては、
“減った”というより、

最初から
「カヒコを学びたいです」
という人が少なくなった、

という感じかもしれません。

今、多くの人がフラに出会う入口は、

SNS
YouTube
ショッピングモールのイベント
観光ステージ

です。

そこで見かけるフラのほとんどは、アウアナ。

柔らかい音楽、華やかな衣装、笑顔。
多くの人がイメージする「フラ」は、やはりアウアナなのだと思います。

「フラをやってみたい」
と思う人は多い。

でも、
「カヒコをやりたい」
という人は、最初からはそれほど多くありません。

でも、それは悪いことではないと思っています。

アウアナには、アウアナの魅力があります。
音楽としての心地よさ。
見やすさ。
華やかさ。
入口としての親しみやすさ。

実際、ハワイでも日本でも、
アウアナを多く踊るハーラウは人気があります。

イベントでも、観客が盛り上がるのはアウアナだったりします。

メリーモナークでも、
グループアウアナを楽しみにしている観客は多いそうです。

一方、カヒコは少し違います。

土地。
神話。
Oli。
プロトコル。
リズム。
声。

この趣きがアウアナより少し強いですね。

背景を知れば知るほど深くなる世界です。

だから、短い動画では伝わりにくい。

なので、カヒコはSNS時代には、少し不利なのかもしれません。

カヒコは、すぐに「楽しい!」と感じるものではない場合もあります。

特に、カウアイ島やニイハウ島の古いスタイルは、
文化的には非常に重要ですが、
一般の観客から見ると、地味に感じることもあるでしょう。

一方で、オアフ島やハワイ島の比較的新しいスタイルは、
舞台として華やかで、見ていて楽しい。

どちらが正しい、という話ではありません。

文化としてのフラと、
舞台芸術としてのフラ。

そのバランスは、本当に難しい。

知識があれば良いわけでもない。
深く知っていても、それが舞台で伝わるとは限らない。

逆に、華やかで魅力的なアウアナにも、しっかりした基礎や理解が必要です。

でも最近、少し感じることがあります。

本当にカヒコを学びたい人は、
むしろ“ちゃんとしたもの”を探している。

動画だけでは分からない。
見よう見まねでは届かない。

カヒコは派手ではありません。

でも、長く続けるほど、
じわじわ身体の中に残っていく。

そして不思議なことに、
カヒコを深く学んだ人のアウアナは、やっぱり違って見える。

私は、アウアナかカヒコか、
どちらかだけを選ぶ必要はないと思っています。

大切なのは、

「何を踊るか」より、
「なぜ踊るのか」。

フラは、生きている文化だからです。

 

先日の愛知県田原市のプライベートライブの写真です。

 

フラダンサーたちの集合写真

 

 

それから、6月26日金曜日、広尾プラザで行われる「広尾ハワイアンデイズ。10周年」に参加します。Hiliuでは15時45分ごろから16時30分ごろまで2Fメインステージ(OTOYA-ステージ)で、Hiliuほぼ全員集合します。バレエは植野瑚子さんも参加します。観覧無料。ですので是非!

広尾ハワイアンデイズ

 

5月29日から始まった ALOHA TOKYO 2026 も、いよいよ明日が最終日となりました。

今回も、「パウスカートショップ&ヒロせきね」ブースで、多くの皆さまとお会いすることができました。

ブースに立っていると、本当にたくさんの方から

「いつもSNSを見ています」
「フラを習ってみたいと思っていました」
「ウリウリを作ってみたかったんです」
「新しいドレス、楽しみにしていました」

「ヒリウ応援しています」

「ワークショップやってください」

「一緒に写真を」

などなど、
そんな温かい言葉をかけていただきました。
改めて、人と人とのご縁によって支えられていることを実感しています。

と、そこに、朝一でクム・マークホオマルの奥様のマイレさんからメッセージがあり

「今日恵比寿に行くけど、いる?息子のチャールズ踊るよ」

ってメッセージが来たので、

「ブースで、ウリウリ作ってるよーって」っ話をして、

ホオマル一家でブースに登場。

 

で、作ってあげて1本プレゼント。

ALOHA TOKYO 2026:フラ関係者の集合写真

息子のチャールズ、もはや背が高くなりすぎ!!!

今回は、ウリウリのワークショップがメイン。

ALOHA TOKYO 2026パウスカートショップにてウリウリを持つ人々

持ってきたものは、ウルベヒヤーン、ʻUluwehi Hawaiiの新作アイテムなどをお持ちしていますが、

フラスケッチコレクションのTシャツは完売。

他の物販も欠品だらけとなってしまいました。

明日も開催していますが、是非お越しいただきたいです。

「こんなドレスが欲しかった」
「サイズ展開が嬉しい」
「フラのレッスンにも普段着にも使えそう」

と、多くのご意見をいただき、とても励みになっています。

会場を歩いていると、ステージから流れてくる音楽、フラを楽しむ人たちの笑顔、久しぶりに再会する仲間たちの姿。
まさに東京の真ん中に現れた小さなハワイです。

私自身、ハワイに暮らしていた頃を思い出しながら、この空気を楽しんでいます。

そして何より、こうしてイベントに参加できることを当たり前と思わず、一つひとつの機会を大切にしていきたいと改めて感じています。
もしまだお越しになっていない方がいらっしゃいましたら、ぜひ明日、恵比寿ガーデンプレイスへお立ち寄りください。
ブース No.48 にてお待ちしております。

フラをされている方も、ハワイが好きな方も、これから始めてみたい方も大歓迎です。

明日は、ラウハラ編みワークショップ行います

皆さまとお会いできることを楽しみにしています。

ALOHA TOKYO 2026 最終日。

たくさんのアロハに包まれた一日になりますように。

Mahalo nui loa.

Hiro Sekine
Kalāokumukahi / Hiliu / ʻUluwehi Hawaii / パウスカートショップ
 

少しずつ暖かくなり、ハワイイベントの季節が近づいてきました。


ハワイイベント出店者とイプヘケ


フラ楽器イプ・イプヘケと参加者

先日の茅ヶ崎アロハマーケットもたくさんの皆さんがご参加くださいました。
ありがとうございます。

ご無沙汰していた皆さんとも、10年以上ぶりに、お会いできて、とてもうれしかったです。

 

昔、ビックアイランド観光局のお仕事で、ご一緒した、安田さん。

BSの「ハワイに恋して」のお仕事で、ご一緒した、大田ディレクターさん。
本当に感動の再開で。うれしかったです!


ハワイイベント出店者、楽器と文化に触れる


ハワイイベントで笑顔の二人

今年の5月後半も、イベント参加やワークショップを予定しています。

まずは、
JST名古屋ハワイフェスティバル
出店日は、5月23日(土)・24日(日)名古屋・エディオン久屋広場です。
今回、私としては初出店になります。

イプ・イプヘケ関連を中心に、楽器やハワイ文化に関する内容を持っていく予定です。

フラを踊るだけではなく、楽器を知る
自分で触れる
音を感じる
作りを理解する

とても大切だと感じています。

イプやイプヘケは、単なる“道具”ではなく、ハワイの文化や精神性とも深く繋がっているもの。
実際に見たり、触れたりしながら、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。


そして、
アロハトーキョー
5月29日(金)〜31日(日)
東京・恵比寿ガーデンプレイスにて開催されます。
こちらでは、The Garden Room ブースナンバー「48」
で参加予定です。


東京では、ウリウリのワークショップを予定しています。


“作ることで見えてくること” が本当に多いということ。
完成品を使うだけでは分からない、

バランス、素材感、音の違い。


そういう細かな部分に触れることで、
踊りや表現も少しずつ変わっていく気がしています。


フラは踊りだけではなく、
楽器、
オリ、
レイ、
ハワイ語、
自然観など、
すべてが繋がっている文化。

そういう部分も含めて、少しずつ伝えていけたらと思っています。
会場で見かけましたら、ぜひお気軽に声をかけてください🌺


ワークショップ参加のお申し込みは、パウスカートショップまで。


Mahalo

ヒロせきね

 

5月末日をもちまして、半年間携わった病院勤務という形での医療提供に一区切りをつける決断をし、病院側へお伝えいたしました。引き止められることはありませんでしたが、それもまた、互いの進むべき方向が異なるという一つの答えであったと受け止めています。当初より半年間やってみて変わらなければ辞めると伝えていたので、結果、満了ということです。

週に一度という限られた関わりではありましたが、この半年間、現場の意識や在り方について、自分なりに向き合い、取り組んできました。しかし、現在の体制や環境の中では、私がこれ以上関わることのできる余地には限りがあると感じるようになりました。

今回の決断については、病院側にとっても私にとっても、それぞれにとってより適した形であったと受け止めています。
求められる役割やリハビリテーションの在り方について、方向性の違いがあったことも一つの理由です。

私自身は、知識や経験を積み重ねながら、一人ひとりの患者さんに深く向き合う医療を大切にしたいと考えています。
限られた時間の中で、本気で向き合うべき対象は、あくまで「患者さんの病気や障害」そのものです。

これまでの経験を通して、改めて確信していることがあります。
技術や向き合う姿勢は、一朝一夕で身につくものではなく、日々の積み重ねの中で磨かれていくものだということです。

私自身はこれまで、理学療法士としての臨床に加え、ケアマネージャーとしての経験、介護現場での実践、家族との別れ、そしてハワイ島でのロミロミの学びと実践、セラピスト育成、専門学校での指導、筑波大学での修士・博士課程での研究など、さまざまな経験を積み重ねてきました。
また、訪問リハビリでの現場経験や、難治性リハビリ、口腔リハビリ、ボイストレーニング指導、知的障害者スポーツの指導、さらにはエアロビクスやスキー、フラの指導、パワーリフティングでの競技経験など、領域を横断しながら、また自らも手術経験、「「身体」と「生」に向き合ってきました。

こうした経験の一つひとつが、現在の自分の引き出しとなり、多角的なチャンネルを患者さんに合わせることにより、それが、しっかりと向き合うための基盤となっています。

6月からは、再び個人契約のセラピストとした中心とした活動に戻ります。
保険診療という枠組みでは対応が難しい部分にも向き合いながら、「本当に良くなりたい」と願う方々のために、自分の持てる技術と時間を尽くしていきたいと思っています。

ありがたいことに、すでにご予約もいただいており、必要としてくださる方がいる限り、その信頼にしっかりと応えていきたいと考えています。今までのクライアントの皆さんも待っていてくれており、ありがたいことです。

 

 

理学療法士、マスク着用、病院勤務
もし、現在の治療の中でお悩みの方がいらっしゃいましたら、ご紹介を通じてお気軽にご相談ください。

なお、これまでと同様に、基本的にはご紹介の方のみの対応とさせていただいております。何卒ご理解いただけますと幸いです。

これからも、自分にできることを一つひとつ大切にしながら、歩んでまいります。
今後ともよろしくお願いいたします。