全日本フラ選手権が終わりました。
結果は、入賞できませんでした。
この全日本の大会、この数年を見ていると——
ハワイの日本校、ハワイのクムが監修しているハーラウがほとんど。
そして、ジャッジと深い関係を持つハーラウや、
ジャッジとつながりのあるクムフラのハーラウも多くあります。
その中で、私たちのように独立して活動している日本のハーラウは、ほんのわずか。
順位の全てはジャッジ次第、というコンペティションの定石は、この大会だけの話ではないけどね。
結局は、「いまハワイのクムフラとどのくらい強い関係を持っているのか」
——それが評価を大きく左右するのかもしれません。当然、忖度はあることです。
結果として、勝てると思うから出場してくる。それが最初からわかっているのかな。
入賞は5位までですが、ハワイのハーラウと関係のあるハーラウが、ぴったり5つ。
そして、その5つがすべて入賞していました。
逆に言えば、現時点で独立して頑張っているハーラウは、すべて落選していました。
これもジャッジの考え次第。
1人のジャッジは、審査の根拠であるコメントが、単語3つだけ。
残念ではありますが、仕方ないことです。
ジャッジが全てですので。
私たちのような少人数のハーラウが、この中でどう見られるのか。
毎年、考えさせられます。
ジャッジにも好みがあるのは当然のこと。日本のハーラウが、選ばれることは、ハワイの日本校を超える順位がないから、かなり厳しく、まあ無理ですね。
このコンペでは。
ちなみに、他のコンペティションでも、公平性をうたっていたとしても、入賞しているのは、ジャッジが監修するハーラウであり、全ての賞を総なめにしていている結果を散見します。
理由はまあいろいろあると思いますが、参加者全員にチャンスがないコンペティションに出たいとは思わないから、参加者が少なくなり、
コンペティション自体が成り立たなくなる。
だから、参加者を集めようとして、主催側はジャッジを頼りにして、ジャッジの生徒達をコンペティションに達させようとする。
その結果、息がかかるところが、入賞せざるを得ない、悪循環だと思います。
何もわからない人が、その結果をSNSで見たら、すごいねーと思うかもしれませんが、実際に会場に見て、その人達のフラを見たら、
このジャッジは正しいのか?
なんで?
と、
会場がざわめきますよね。
私は、控室にいましたので、分かりませんが、
今回は、何度かざわめいたでしょうか?
コンペティションを見に来ている観客の目は肥えていて、
衣装みたり、レイを見たり、踊りの善し悪しを、チェックしていて、プログラムに書き込んでいます。
ある程度の予想をつけていますから、予想通りとならなかったら、その理由を考えると思います。
なんでそうなるのかな?と。
私も観客だったら、そうします。
順位発表の際、場内は、歓喜と共に、ざわめきもあり、
何とも騒然とする、微妙な雰囲気を感じたことはありませんか?
これはハワイでも起こることだけど。
ハワイで行われているコンペティション、日本人がソロで出て、とてもうまくて、これは入賞するだろうと思ったけど、
結局入賞しなかった、という風景を何度も何度も見たことがあります。
ちなみに、私のハーラウでは、メリーモナークの観戦の時は、ハウマナ全員にジャッジングを宿題にしています。
予想と結果が相違すると、どうしてそうなるのかな?と、考えてしまう。
その解説がないので、疑問は残ったまま。
フラをまだまだ深く学んでないから?だとすれば、まだまだ、勉強が足りないこと。
長年、真摯に向き合い、教えを受けてきても、まだまだ足りない。
ハワイ人の血に入れ替えないとダメなのかも。
私の分からないところが、ハワイ人には分かる、ということですね。きっと。
どれだけ頑張ればいいのか、でも少しずつは前進していて、より本物に近づいているはず。
まだ偽物なんだよね。まだまだ足りない。
真に取り組んでいるのに、その子の将来まで目を摘んでしまう可能性もあるのに、それでも結局、そんなことはお構いなし。
目を摘まれたくなければ、ハーラウを移動せよ、というメッセージなのかもなと思いました。
もっと本物から学べということか。
とはいえ、若干の疑念がどうしても残る。
私は、私のクムが伝えてくれた通り、何も変えることなく再現してコンペティションに望んだわけで、
独創的なことをしていない。
クムのクムのクムからの知恵を踏襲しているにもかかわらず、コリオグラフィーで6点、7点が付く。
そうなると、はて、何がおかしいのか?
分からない。
今年、マウイのコンペティションで、クプナで1位を頂いた時ですが、対戦相手はマウイのクムがお世話をしているハーラウでした。
ジャッジペーパーを見た時、2名のジャッジの点数は高得点でしたが、もう1名のジャッジの点数はびっくりするくらい低く、恐らく、落とすつもりだったのかな、と思いました。きっと私たちが勝つより、マウイのクムのハーラウの方が喜ばしい結果だったからかもしれません。
私たちが勝ってしまったのは誤算かも。
審判は絶対的なので。
フラを「食べ物」にたとえるなら——
ジャッジが“味噌ラーメン”好きな人ばかりなら、“醤油派”の味は、なかなか評価されないかもしれません。
大人数で踊るハーラウは、ボリュームがあり、見た目にも派手で、「すごい!」と感じやすい。
もしそれを好むジャッジが多いなら、小さなハーラウは、最初から勝負になりません。
日本のハーラウをやめて、
ハワイのクムのハーラウに所属しただけで入賞できてしまう——
そんな話もよく聞くし、目の当たりにすることです。自分自身の成長を妨げることにもつながると思うのですが、そうした選択をする人が多いのも現実ですし、ハワイでもあることです。
これは、私が頑張る、頑張らない、の如何ではない問題だと思う。
それに、ハワイ人だから偉い、ということはありません。
逆に、日本人だからダメ、ということもない。
今のハワイ人の3割以上は日系の血筋を引いているのに、
日本は大好きなのに、内面では日本人を嫌うハワイ人もいるし。 そんな姿勢には、どうしても違和感を覚えます。
でもこれは、モンゴルの力士や、海外出身の力士を応援する一方で、アンチに思っている日本人もいることも、周知の事実だから。
フラの系統は、大切にすべきものです。
他のハーラウに何を言われても、それは「系統が違う」というだけのこと。
私はクムから教わったことを、そのまま次の世代へつないでいるだけです。それが、私にとっての使命であり、フラへの敬意でもあります。
後述しますが、レイメイキングは私が伝えてもらったやり方を、私の生徒に伝え、それが日常的に生徒達全員が出来るようになっていて、その生徒達が持っているハーラウやサークルの生徒達がそのやり方でレイを作れるようになっている。
伝統や文化の伝播とはこういうことであって、それが私の目の前で起こっていることです。
ジャッジにとって「どのようなフラが好まれるのか」よりも、
私は「どんな想いで踊っているのか」を大切にしたい。
フラの本質は、流行や点数では測れない。
でも、正直に言えば、評価は受けたい。
生徒たちが積み重ねてきた努力に、少しでもご褒美をあげてほしい。
何ヶ月もかけて作り上げた、生徒たちの時間と心を、
誰かに「美しかった」と感じてもらいたい。
それが、次へ進む力になるからです。
以前、ジャッジペーパーに「もっと人数を出せ」と書かれたことがありました。
私たちは、今の人数で精一杯出場しているのに。
「人数が多ければ評価されるのか?」
そう思いましたが、やっぱりそうなのかもしれません。
それが加点になるなら、それも“今のコンペティションのフラ”なのだろう、と感じます。
生徒たちは、全員が自分のレイを作り、
衣装のアイディアもすべて自分たちで考えます。
一切外注しません。
コンペの数日前から、夜通しレイを編むこともあります。
でも、それを特別なこととは思っていません。
「いつでも、準備をしておくこと」——
それが、ハーラウの姿勢であり、私たちの日常だからです。
私の得意な楽器づくりも、
ただ作るだけではなく、「構造を理解し、どう改良できるか」を考える。
そうした積み重ねが、文化をつなぐ力になると信じています。
今回も、生徒たちは本当によく頑張りました。
ハーラウも少しずつ、前に進んでいるし、総合力では、間違いなく強くなっている。
今回の、結果は悔しいけれど、
ステージの上で見せた堂々とした姿は、本当に美しかった。
“フラはつなぐもの”——その想いは、しっかり伝えられたと思います。
一方で、
競う世界の中で生きている以上、
評価を受けたい気持ちは確かにあります。
その矛盾を抱えながらも、
私たちは「本物のフラ」を信じて、
これからも自分たちらしく、丁寧に歩いていきます。
次のステージに向けて、また一歩。
変わらない想いを胸に。
私たちは、進みます。