フラの先生という仕事を長年やっています。
私の考える先生とは
生徒と共に時間を過ごし、話をしながら、
その人に私の持っている知識を分かるまで教えること、
指導する、線路を引いてあげて導いてあげること
を、生業(なりわい)にしています。
どちらが欠けても、先生にはならない。
時間を一緒に過ごして、楽しませてくれるなら、ホストや、友達でいいし、
知識だけ知りたいなら、YouTubeでいい。
オンデマンドという言葉で、単に知りたいことだけ知りたいのなら、GoogleやYouTubeで調べればいいよね。
いまは動画が充実しているから、それ見て知識を頭に入れればいい。
そう考えると、私の考える先生は、あまりいないかも。
よくインスタで見かけるフラダンス教室のほとんどは、なんかハワイのハーラウとは違うかな?と思うけど、でも人が集まっているみたいだから、それはいいことでしょう。長年、教育学、体力科学の世界で、指導法、コーチングを実践してきた立場では、生徒に対してのアプローチそのものが違うので比べようがないからね。
そもそものスタンスが違う。
そんなこと言ったところで、もう、先生なんかいらない時代なのかもね。
ただ、先生が必要な場面は沢山ある。
色んな都合で、学校に行けない人、ハーラウに行けなくなる人は、少なからず、そこの先生の関係性に問題がある。
先生は教えればいい、ということではない。
もし、指導内容があってないなら、その先生が持っている知識や経験から、他の内容や、他の指導方法を考えて、導くべきで、弱者に対して、時間を共有できる人こそが、先生だと思うし、そういう先生になりたいものです。
楽しいことだけ提供し、お金を頂くホスト的なことは、私にはできないので、フラは楽しいから、フラやりましょう。というアプローチは私には、ない。
フラこそ神聖で、責任感を強く持ち、伝えていくプロセスなのだから。
キラキラした写真もいらない。
特にかざる言葉もない。
大切なのは、
ありのままの自然と、ありのままの美しいさ。
心の優しさ。人の温かさ。
人をうやまう気持ち。
そして、責任感。
こんなことが分かってくれる人が、いてくれたらいいなと思っています。