入居0時間前
退院した足で施設へとやって来た母。
駐車場に降り立ち、建物を一緒に見ながら、ここが借りたアパートだよ。と私。道中何度も話して聞かせていたのに、母はケロリと忘れていて『へぇ〜!アパート借りたの?』と、何回目かの新鮮な驚きを見せてくれた。
建物へ入る際、もしかすると何かしらの抵抗が出るかな?と心配していたけれど、何事も無く、自らスタスタと歩いてくれた。
入居するフロアで、職員さんに挨拶を済ませると、私は早々に母を部屋の中へと案内した。頑張ってセッティングした部屋を見てもらいたかったから。そして、あわよくばこの部屋(施設)を気に入って欲しかった。そうする事で、少しでも自分の選択を正当化したかった。
しかし母はどこ吹く風。部屋には興味を示さず、他の入居者さんがいるリビングやダイニングをウロウロし始めた。職員さんが母をフォローして下さっている間に、私は病院からの引き継ぎや、施設提携クリニックとの契約手続きにとりかかった。
母の入居に合わせて、契約に来てくださっていた提携クリニックの職員さんより説明を受け、今後の診察とお薬処方をお願いすることに決める。母には専門医による定期的な診察とお薬処方が必要な持病があるので、それについては今までの主治医に後日確認する事にして、契約と支払い口座の手続きを一気に済ませた。
契約が終わる頃、ちょうどドクターと看護師さんが到着。母の様子を確認して頂き、問題無いでしょう、とのお言葉。(もしここでドクターが問題アリと言ったら、土壇場で入居がダメになる可能性もあるんだろうか?)退院した病院から渡された書類や薬などを確認してもらい、引き継ぎも完了する。
これらのやり取りをしている間、母は何度も私のところへやって来ては『何してるの?もう帰るわよ』と訴えかけて来た。私がアパートを借りる手続きしてるんだよ、もうちょっと待ってて。と説明すると、眉間にシワを寄せてブツブツ何かを言いながら、またフロア内をウロウロと歩き回った。
ちょうど3時のおやつ時間で、入居者の皆さんはダイニングテーブルにきちんと座って静かに待っているのに、母1人だけ落ち着きがない。入居初日とは言え、この先大丈夫だろうか?と心配が募る。
母はずっと帰りたくてウロウロしているのだろう。それもそのはず、認知症状があるとはいえ、ショートステイ→入院→退院→グループホームと移りながら、その間一度も自宅には戻れていないのだから。
すべての手続きが終わり、職員さんが母に話しかけてくれているタイミングを見計らい、私は他の職員さんに挨拶して、逃げるように施設を出た。あえて母に声をかけなかった。きっと一緒に帰りたがるだろうから。何より、母に顔向けが出来なかったから。
こうやって母を置き触りにする度に、いつも私なりに罪悪感を抱えてきた。自分の行動を正当化するつもりは無いけれど、つらいし、悲しいし、身体中が痛くなる。それでもそういった痛みを自分の中で順応させながら日々を過ごしていくしかなかった。
でもこの日、施設からの帰り道に気が付いた。私は確実に、罪悪感の痛みに耐性が出来ている。少しずつ、少しずつ、痛みに鈍くなって来ている。と。
その証拠に、今回、私は泣かなかった。