Chajinの 徒然フォトブログ -18ページ目

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

瀬戸内の新居浜の隣、三島川之江港近くの川之江ジャンクションから
山越えで高知へ、まず桂浜へ立ち寄りました。

高知は二度目、若い頃、地元の放送局にいて、家業の商売が忙しくなり、
4年ほどで退社しましたが、D 仲間の先輩、同期の3人が、高知のお別れ
ドライブ旅行に誘ってくれた懐かしい思い出です。
もちろん瀬戸内の橋ができる前、フェリーでの渡航でした。

桂浜

旧制高知高校のが生徒さんが詠んだ歌の碑が造られています。
 
 「この浜よする大涛は カリフォルニヤの 岸を打つ」

 




有名なのは浜を見下ろす小山の上に造られた坂本竜馬像。
高知県の青年有志が募金活動を行い,当時の金額にして2万5千円を集め建立。
昭和3年5月27日に除幕式が行われました。
像の高さは5.3m,台座を含めた総高は13.5m。



天保6年(1836生まれ、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(のちの海援隊)を結成、
薩長同盟の成立に協力するなど、倒幕および明治維新に関与した。
大政奉還成立後の慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都河原町の近江屋において
暗殺された。




この後高知城へ。

城外より。









初代藩主、山内一豊像。

  騎馬像としては日本一の大きさ。


戦国時代には、山内一豊が掛川城主として10年間在城しました。
働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、
城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。
高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。



度々の記載で恐縮ですが、私の実家、土岐家の大桑城の城下町の大桑では
400年も経た子供の頃でも、「土岐の殿様」と土岐頼芸を敬っておりましたし、
本家にある系図のトップは山内一豊と子供の頃から祖父や父から聞かされて
いました。いつかこの系図を見たいと思っていましたが、本家も途絶え、願いは
叶いませんでした。
山内一豊は尾張国黒田生まれ(現在の愛知県一宮市木曽川町)とされています。



慶長6年(1601)山内一豊 土佐国に入国、 築城着工にかかり、慶長8年( 1603)
初代藩主山内一豊が入城。

享保12年(1727)、 城下町の大火で追手門を残し天守はじめほとんどの建物を
焼失する。
寛延2年(1749)、 天守が完成、現在の天守はこの時のもの。




夫に馬を買わせるために大金を差し出した話や、笠の緒文などの様々な逸話で知られ、良妻賢母の見本とされる 見性院(本名千代)像。
郡上八幡を訪れると、千代はこの地の出身と伝わります。




伊藤博文、大隈重信と並ぶ「憲政の三巨人」の一人、板垣退助は天保8年〈1837)、高知城下
中島町の生まれ。
岐阜公園の中にも銅像があり、岐阜で暴漢に襲われた時に発せられた
「板垣死すとも自由は死せず」の言葉は有名。










山内家の家紋、「三ツ柏」。






最上階












目の前、下屋敷後の高知県庁。




黒鉄門。
上部には武者が隠れ、石落しも行われる。



石垣から天守へ登るのを防ぐ。 石落しも。








かねてから訪れたかった残存12城の宇和島城、外から見たのみの高知城を
ゆっくり楽しむことができました。残すは弘前城ですが・・無理かも。

少し陽が傾いて来ましたが、この後、鳴門、淡路、明石を通って走り、10時頃の
帰宅になりました。



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今治から宇和島へ夕方着、ホテルで宿泊、朝、部屋の窓から宇和島城が
目の前でしたが、一望できる宇和島運動公園を紹介頂き訪れてみました。

宇和島城は、ほぼ宇和島市街地の中央、高さ73mの丘陵にあります。
残存12城の一つ、天守は国の重要文化財。

慶長元~6年(1596~1601)の藤堂高虎創建時には大半が海に面する地形を
活かしていました。
その後、慶長20年(1615)に伊達政宗の長男秀宗が宇和郡10万石を拝領して
宇和島城へ入城、ここに宇和島伊達家が誕生します。
2代宗利が寛文6年(1666)に3階の天守に改修(殆ど新造とも伝わる)。

明治を迎えるまで9代にわたり伊達家の居城でしたが、昭和9年(1934)に天守が
国重要文化財、昭和12年(1937)に丘陵全体が国史跡の指定を受けます。
そして、昭和24年(1949)に天守も含めて丘陵全体を宇和島市に譲渡されました。



北側登城口から天守まで、およそ600mの登山になります。


長門丸と呼ばれる石垣、高虎の重心の名前。




藤兵衛丸。高虎の創建時そのままの石垣と伝わる。




建物は弘化2年(1845)、三の丸に造られた武器庫を昭和41年に移築、城山郷土館の
名称で内部を公開。




本丸





 
二の丸。 天守の建つ本丸の前の最終防衛施設。





天守









各種破風(はふ)や懸魚(けぎょ)など御殿建築の意匠が各所に見られ、格式を重んじた
造りとなっている。












最上階。




西方の宇和島湾。



北方は山が遮る街並。



城内、中井コッフ(本名謙吉)の歌碑。
松山の正岡子規、宇和島の中井コッフと日本歌壇にならび称された。
     (明治14年~昭和37年(1881~1962)医師、歌人)

「夕山ニ 鳴きのこるたる鳥の声 一つひゞきて静なるか母」






この後高知へ向かいます。

地図で見ると土佐湾沿い、四万十を通るルートと思っていましたら、ナビは
再び松山へ戻り、新居浜、四国を横断して高知へ向かうルート。
四万十川の美しい流れも見たかったのですが時間の早い高速道を選びました。

山手のサービスエリアから松山市街地。
紹介地図では松山城が見えるとの記載がありましたが分かりませんでした。
10年ほど前、テナント店のあったヤナゲン百貨店の役員研修旅行で
松山城はゆっくり楽しみましたので今回はパス。






この後、高知桂浜,坂本龍馬像を訪ねてから高知城へ。


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正月営業の代わり、連休を取ってかねてから訪れたかった残存12城の
宇和島城、外から望んだのみの高知城を訪れたくて尾道から瀬戸内海の
美しさを楽しみながら四国へ向かいました。

入り口の尾道。 千光寺、ロープウエイから眺める尾道水道の美しさ、
文学のこみち、猫の細道など人気の観光地です。





尾道大橋。橋の左下を走る山陽本線の電車がかすかに見えました。








恥ずかしながら「玉の浦」がこの地とは知らず。




岩山の上に建つ、大同元年(806)開基の千光寺。




山の上から景色を楽しんだのみで先へ進みました。


西瀬戸自動車道(しまなみ海道)は昭和48年に他の2橋と共に着工される
予定でしたが石油ショック、工事の難易度もありか完成は平成16年、およそ60km、
31年を経て完成しました。



因島と生口島に架かる大橋。

因島と言えば15年以上前、内臓脂肪を取り、ダイエットに効くと言われ、
その頃は日立造船が作った「因島杜仲茶」が日本中からのネット注文で
爆発的に売れたことがありました。
一度は訪れてみたい地でしたが、今ではその気配はありませんでした。

 





来島(くるしま)海峡大橋。

四国と大島をつなぐ橋です。今治-馬島-武志島-大島を結ぶ3つのつり橋が直線で
つながる3連つり橋、総延長4.1km。







四国へ渡り、まず築城の名手、藤堂高虎の今治城へ。
瀬戸内交通を制する目的で造られた今張城、のちに今治と改称。
その前に宇和島城を築いたが、6年を費やして完成した慶長13年(1608)、
5ケ月後に伊勢の津へ転封を命じられ、その後伊賀上野城などを築いた。

明治初年に取り壊され、石垣や堀の一部が残り昭和54年(1979)再建。








五層の天守閣も復元。











内部は全て撮影禁止。遠くに来島海峡大橋を望む。









堀は海と繋がつて海の魚を見ることができる。






古城を楽しんできた私にとって失礼ながら新しすぎて趣に乏しい。
子供の頃名古屋城を家族で訪れ、エレベータで登ってデパートみたいと
言ったらしいのを思い出しました。


この後、宇和島へ。

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名古屋城本丸の東約3kmの地にある徳川園は、尾張徳川家二代藩主光友が
元禄8年(1695)に自らの隠居所として大曾根屋敷を造営したことを起源と
しています。明治22年(1889)には徳川家の邸宅になり、昭和6年には
名古屋市が寄付を受け、翌年「徳川園」として一般公開しましたが、大戦の
空襲によりほとんどの建物や樹林を消失、平成13年から再整備を行い、
16年に開園しました。

正月過ぎ、寒牡丹が満開とのニュースがありました。
牡丹と言えば初夏に楽しめる華やかな花として知られますが、寒の冬枯れのなか
艶やかな美しさを見せてくれます。
10年ほど前まで12月頃、市内に住まれ茶道を楽しみ、店のお客様でも
ある方(男性)が、毎年自作の寒牡丹を届けて下さいましたが、亡くなられて
寂しい思いをしていました。それ以来徳川園の寒牡丹観賞は2度目になります。

「寒牡丹」は春に咲く品種を冬に咲かせているので、寒さに弱く、大変手間も
かかり、わらぼっちなどで覆われています。ただ、わらぼっちは装飾的な
意味合いもあるようです。








 
 





















梅の花もチラホラ。


龍泉湖(りゅうせんこ)
海に見立てた回遊式庭園。地下水を水源にしています。
















茶室前の庭には蹲(つくばい)、正月前に青竹に変えられます。





「瑞龍亭」、茶室に入ったりお茶を頂くことはできず外から眺めるだけです。
青竹花入れに結び柳の正月飾り。



大曾根の滝。




黒門。明治33年に完成した尾張徳川家の邸宅の遺構で、大空襲による
消失を免れています。






徳川美術館。 名古屋徳川家の遺品などが陳列されています。(撮影禁止)






園内のレストランで名古屋名物きしめんの昼食。




店で扱う寒牡丹画一行軸、「待春」。
   奈良芳徳禅寺 柳生紹尚師 画賛。 
 


初代徳川義直(1601~1650)の廟所のある定光寺。


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歳末、正月、店を営業させて頂き多忙な日々を過ごし、年末に訪れた京都訪問の
ブログアップも遅くなりました。

地元の方々とお話しておりますと、京都へ来られるなら11月紅葉シーズン終わって
静かな12月に入ってからがお勧めと言われます。
以前にも記したと思いますが、2,30年前、名古屋のお昼のラジオワイド番組で
京都に生まれ育ったばんばひろふみ(バンバン、奥様は平山みき)がたびたび
京都へ来るな!と言っていました。今年の紅葉シーズンにはインバウンドもあって
オーバーツーリズム、バスは1時間待ちで学校へ通えないなどニュースになりました。


まずは、いつものように東山山頂から京都市内を一望。
岐阜の金華山頂の岐阜城から濃尾平野を360度望むのが一番の感動を受けますが、
180度ですが大阪から比叡山まで京都の盆地を見渡すのも楽しいものです。

少しガスっていますが、中央が京都タワーや京都駅。




中央の太い賀茂川、大原などを上流とする高野川と合流して鴨川と名前を変えるそうです。



北は比叡山。






今回は臨済宗妙心寺派本山、妙心寺を訪れました。

兄が実家の両親の永代供養を行ってくれたご縁のある寺院です。その際には
兄妹が同行しました。

全国の3,300ヶ寺の大本山、10万坪の中に36ヶ寺の塔頭があります。



山門



仏殿



通年公開の塔頭は4寺院のみ。

山門横の退蔵院へお邪魔しました。






 


重要文化財、方丈(本堂)から望む枯山水庭園。 室町期の画家、狩野元信(もとのぶ)
の作庭。画家の作庭は極く珍しいと言われる。

江戸期には宮本武蔵もここに居して修行に励んだと伝わる。

 








方丈に伝わる日本最古の水墨画、国宝「瓢鮎(ひょうねん)」(レプリカ)。





法堂

天井には必見と言われる、8年の歳月を費やして描かれた狩野探幽の筆による
雲龍図があります。(写真撮影不可)





方丈には全国の3,300寺の名札が掲げられています。
探しました。 中央に実家の寺「南泉寺」。

山県市の大桑には天文16(1547)年まで大桑城が存在し、土岐頼芸やその兄である土岐頼武とその子である土岐頼純の居城でした。大桑城の「南の第」と呼ばれた土岐氏の邸宅跡に建てられた寺院
仁岫宗寿(じんしゅうそうじゅ)とその弟子の快川紹喜を開山とするお寺として知られています。
快川は「心頭滅却すれば火もまた涼し」で知られますが、美濃の生まれとの説もあり、
岐阜長良の織田信長・信忠 廟所である崇福寺にも仁岫と共にその名が残されています。







岐阜がお気に召して毎月のように車で来られ、私共の抹茶アイス・グリーンソフトも
召し上がっって下さる京都の女性のお客様のお勧めの穴場は哲学の道の桜の美しさと
銀閣寺近くのうどん屋さんの「おめん」、永観堂禅林寺でした。

今回はじめて訪れてみました。観光シーズンのお昼時間には1時間待ちとか。
シーズンオフで車も停められ、すぐに入店できました。3時頃、他は外国の観光客ばかり。









次は永観堂。





阿弥陀堂(本堂)の「みかえり阿弥陀」が有名です。 写真には写せませんが
首を左にかしげ、ふり向いておられます。








名高いのは「臥竜廊」。
山の斜面に沿って巧みに木を組み合わせて造られた廊下。
起伏が激しく龍の体の中を歩いているような気分を味わえると言われる。











唐門
天皇の使いが出入りする勅使門。釈迦堂との間に盛り砂があり、勅使はこの砂を
踏んで身を清めてから中へ進んだと伝わる。





中腹の多宝塔。
登ってみましたが狭くて塔の全景は望めず。



多宝塔から京都の街並みを望むことができました。







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