四国名城巡り その2   令和6年1月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

今治から宇和島へ夕方着、ホテルで宿泊、朝、部屋の窓から宇和島城が
目の前でしたが、一望できる宇和島運動公園を紹介頂き訪れてみました。

宇和島城は、ほぼ宇和島市街地の中央、高さ73mの丘陵にあります。
残存12城の一つ、天守は国の重要文化財。

慶長元~6年(1596~1601)の藤堂高虎創建時には大半が海に面する地形を
活かしていました。
その後、慶長20年(1615)に伊達政宗の長男秀宗が宇和郡10万石を拝領して
宇和島城へ入城、ここに宇和島伊達家が誕生します。
2代宗利が寛文6年(1666)に3階の天守に改修(殆ど新造とも伝わる)。

明治を迎えるまで9代にわたり伊達家の居城でしたが、昭和9年(1934)に天守が
国重要文化財、昭和12年(1937)に丘陵全体が国史跡の指定を受けます。
そして、昭和24年(1949)に天守も含めて丘陵全体を宇和島市に譲渡されました。



北側登城口から天守まで、およそ600mの登山になります。


長門丸と呼ばれる石垣、高虎の重心の名前。




藤兵衛丸。高虎の創建時そのままの石垣と伝わる。




建物は弘化2年(1845)、三の丸に造られた武器庫を昭和41年に移築、城山郷土館の
名称で内部を公開。




本丸





 
二の丸。 天守の建つ本丸の前の最終防衛施設。





天守









各種破風(はふ)や懸魚(けぎょ)など御殿建築の意匠が各所に見られ、格式を重んじた
造りとなっている。












最上階。




西方の宇和島湾。



北方は山が遮る街並。



城内、中井コッフ(本名謙吉)の歌碑。
松山の正岡子規、宇和島の中井コッフと日本歌壇にならび称された。
     (明治14年~昭和37年(1881~1962)医師、歌人)

「夕山ニ 鳴きのこるたる鳥の声 一つひゞきて静なるか母」






この後高知へ向かいます。

地図で見ると土佐湾沿い、四万十を通るルートと思っていましたら、ナビは
再び松山へ戻り、新居浜、四国を横断して高知へ向かうルート。
四万十川の美しい流れも見たかったのですが時間の早い高速道を選びました。

山手のサービスエリアから松山市街地。
紹介地図では松山城が見えるとの記載がありましたが分かりませんでした。
10年ほど前、テナント店のあったヤナゲン百貨店の役員研修旅行で
松山城はゆっくり楽しみましたので今回はパス。






この後、高知桂浜,坂本龍馬像を訪ねてから高知城へ。


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