松山と言えば松山城と道後温泉。
松山城を訪れた後、道後温泉、道後館にチェックインのあと歩いて5分ほどの
道後温泉本館へ。
歴史ある木造三階建ての本館の建物、漱石の 坊ちゃんの文中に記載のある
道後温泉本館。明治27年に完成し100年を経た平成6年に重要文化財に
指定された。
私の学生時代、社会に出た20代に漱石の小説、随筆を読破して、まず一度は訪れて
見たかった伊予松山。
3,000年を超える歴史を持つと言われ、日本最古の道後温泉。
最近では『千と千尋の神隠し』の題材になったと言われる。
一羽の白鷺が岩間から噴出する温泉を見つけ足を浸したところ傷が癒やされ
元気に飛び去ったという伝説に由来する道後温泉。(岐阜の下呂温泉も同じストーリー)
三階楼の屋上にある振鷺閣(しんろかく)は赤いギヤマンのをはめた障子戸で、
時刻を告げる時太鼓として開館を告げる朝6時に6回、正午に12回、夕方6時に6回、
打ち鳴らされ、温泉情緒を醸し出すほか、「日本の音風景100選」に選ばれている。
聖徳太子が法興6年(596)に伊予の温泉を訪れた記録が残るほか、源氏物語にも
「伊予の湯桁」として記載があるそう。伊予の湯桁とは数の多いことの例えという。
一階神の湯、男湯2室、女湯1室は料金400円で普通の銭湯である。
2階には休憩室があり、浴衣と赤いタオルが貸し出され、お茶とお菓子のサービスが
ある。(1,200円) 霊の湯に入ることができる。 20人も入れば一杯で、洗い場も
5席ほどしかなく狭いが高級感はある。
更に3階は個室があるリッチなコースで1,500円。
私たちは2階休憩室。
裏側から見た道後本館。
皇室のみ訪れることができる又新殿(ゆうしんでん)、皇室専用浴室がある。
大正天皇が一度、昭和天皇が二度訪れられたという。
内部を見学させて頂けたが撮影禁止。
皇室専用の門。
漱石が松山中学の英語教師として松山を訪れたのは正岡子規が病気療養のため
ふるさとのこの地へ戻っていた明治28年。 子規とは50日あまり同居し、虚子などとしばしば
木の香りも新しいこの温泉へ通う。
一年ほどで熊本中学へ転勤。「坊ちゃん」をホトトギスに発表したのは明治39年である。
子供の頃養子に出され、ロンドン留学中を含めノイローゼや胃潰瘍に悩み、大正5年
49才で死去。波瀾万丈の一生を送った。
この時代に誰にでも知られ、読まれる現代文調の小説を書けたこと自体が傑出した才能で
あると私は思う。
この後数年かけて一部を休みながら耐震補強工事にはいる予定という。
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