ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間 -8ページ目

ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

『言語』に関する『訳』の“便利さ”と“恐ろしさ”とは何か。


メキシコ人の朝は遅い。
というか、すべてが遅い。

「時間通りにいくことはほとんどない」と、聞いてはいたけれど
ここまでかっ!?という感じ。

でもたまに、きちんと動くこともあるから
ひとことでは言い切れないのが難しいところ。

それにしても、我がステイ先の家族は起きてこなかった。
まぁわかってはいたことなので、私もリビングで絵日記を書いて朝の時間をそれなりに過ごしていた。

「Hola! Buenos días.」
S君が起きてくる。
そういえば彼、挨拶だけはスペイン語だった。

家族が起きてくるとき、大抵私は絵日記の真っ最中。
こんな感じ。
メキシコ日記
基本的には日本語で書いているけれど、固有名詞や覚えた言葉などはスペイン語で書きたい。
でも私は、辞書も指さしも何も持ってはいなかった。

だから必然的に家族に質問することになるわけだけれど、ここで『訳』に対する戸惑いが発生することになる。

先に言わせていただくと、これは日記に限らず、日常の多くの場面で同じことが起こった。


たとえば私が、相手の言った内容を理解できなかったとき。
たとえば私が、そのスペイン語単語を知らなかったとき。

決まって彼らはその言葉や言い回しに対応する英語か、または知っていれば日本語の単語で説明してくれた。

もちろん彼らは親切心。
時には「うちの息子、よく日本語を知ってるでしょう!」なんてママが嬉しそうに笑っていた。

気持ちはありがたい。

でも残念ながら、これをされるとその一瞬は「へ~…」と思えても、次の瞬間にはその言葉は私の中から抜けていってしまうのだ。

それはさながら単語の暗記のような感覚。
体験を通して、子どものように「ああ!これが○○かぁ!」という感覚には到底及ばないというわけだ。

言葉というものは、感覚的に自分の中に落とし込めたら、一発で自分の中に定着する。
でも「Buenos días=おはよう」のように、表裏一体の二元論的に教えられてしまうと、私の中では「日本語に置き換える」という作業を行わなくてはならなくなる。

これは言葉と向き合う上では非常にシンドイ。
試験勉強のために必死に単語を暗記するのとたいして変わらないのだから。


もし相手が同じ母国語を話す子どもだったら…
たとえば自分の子どもに「○○って何?」と聞かれたらどう答えるだろうか?

おそらく私たちは
言い回しを変えてみたり、
ジェスチャーをしたり、
例を出してみたりと、
あの手この手を使って相手に“そのこと”を伝えようとする。

そこに『訳』は存在しない。

事実、メキシコでもそのように私に対応してくれる人たちはいた。
(というかステイ先の家族以外は、みんなそうだった)

そのように対応された場合。
おもしろいことに、私の理解度やわかったときの喜び、通じた感はグンと跳ね上がる。
ワクワクして顔がにやける。

「なるほどー!!!」と思えるから、強烈な感覚と共にその体験は私の中にストンと落ち、残り続ける。
言葉すら、向こう側から寄ってきてくれるような感覚。

でも訳されてしまうと、その時点で「こっち側と向こう側」という、二元論的対立の関係が生じてしまう。



この時私は、多言語という概念を提唱したある男性が話していたという言葉を思い出していた。

「『apple』の裏は『りんご』じゃないよ。
 『apple』は『apple』でしかないし、『りんご』は『りんご』だ」

この言葉は奥が深い。
様々な意味に受け取れるし、ここから読み解けるものもひとつとは限らない。

でも

『訳』の“便利さ”と“恐ろしさ”を体感したとき
私はこの言葉の意味をひとつ、掴んだ気がした。
メキシコホームステイ先のS君は日本語に興味津々。
それは素直に嬉しい。

ただ…
彼は驚くほど極端だった。

スペイン語を話す彼は、私がホームステイしている1週間弱の間、ほとんど英語で話しかけてきた。
私はスペイン語を話しているのだけれど、それはもう、感嘆してしまうほど徹底的に。
頑なほどに貫く彼。

あれは親切心だったのか…
今でもわからないけれど、残念ながら私は全然楽しくなかった。

だって私はスペイン語ネイティブの家庭の中で、生のスペイン語に触れて自分の言葉を育てたくてメキシコまでホームステイに行ったのだもの。


そして彼は、欠かさず手に持っているものがあった。
以前出会った日本人にもらったという、日本人用の“指さしスペイン語”。

この本をひとときも手放すことはなく、常に携帯している彼。
ことあるごとに、その本を開いてはこれは何と言うのかと質問してきた。

そう。
あいている時間はすべて日本語単語の質問。
ごく普通の会話は一切ない。

まるで私は、辞書にでもなったような気分だった。
個人版西日辞典。


さらにこんなこともあった。
車の中で始まった、突然の会話。
街中を走っているときのことだった。


 「Light houseって日本語で何て言うの?」

 「Light house?何それ?」

 「これ」

そう言って絵を書き出す彼。

 「ああ…『灯台』だよ」


 何故、突然、灯台?


いきなりの質問に戸惑う私。
でも彼はおかまいなしに続けていく。


 「じゃあこれは?」

 「…それは『波』」

 「『ナミ』…じゃあこれは?」

 「え…?だから『波』」

 「違う、違う。これ!」

 「え…、あー…それは『しぶき』」


 だからどうしていきなりその話題っ?!


もはや私の戸惑いはピークだった。

私たちが走っていたのは街中だ。
その日の目的地も、海ではない。
いきなり彼の頭の中はどこへ旅立ってしまったのか…。

本当に、私は辞書になった気分だった。

 うーん…
 私はここに、一体何をしに来たのだろうか?


会話が成立しない。
私たちの間にある言葉のほとんどは、『訳』というものでしかなかった。

うーん…これは…

このとき私は、『言語』に関する『訳』の便利さと恐ろしさを身をもって知ることになった。



②へつづく
メキシコでのホームステイ先には60代のパパ&ママと、30歳のS君がいた。

ママ一度、S君は二度ほど日本でホームステイをしたことがあるらしい。
そんなわけで、パパも含めて3人とも日本語には興味津々。

ただ興味の持ち方や質問の仕方、ひいては『言葉』というものの捉え方が
私とはだいぶ異なることが1週間弱のステイ中に見えてきた。


メキシコの公用語はスペイン語だ。
だから私も、ステイ中は基本的にスペイン語で話をしていた。

カタコトであろうとめちゃくちゃであろうとも、
持てる限りの言葉を駆使して伝えていくのは楽しい。

ホームステイ前に日本から電話したとき、ママに聞かれた。
「スペイン語は話せるの?英語はどう?」

「スペイン語は少しだけ。勉強したことはないの。
 英語は話せるよ」

「OK!」

とはいえ、このやりとりはスペイン語。
『話せる』って何だろう?

そして実際にメキシコに行ってみれば、私はよほどのことがない限り
スペイン語で返していた。

「ひろ、スペイン語話せるじゃない!」
そう言ってくれるママ。

けれど…

けれど何故だか、ママはしばしば英語で話しかけてきた。
基準は明確ではないけれど、おそらく
「スペイン語だとこれは難しいだろうな」
と彼女が判断した内容のとき。

でも彼女は英語ネイティブではないから、
スペイン語で言われるよりかえってわかりにくいのだ。


 スペイン語で言ってくれた方がわかるんだけどなぁ…


おまけに彼女は日本語にも興味がある。
それ故、ところどころに彼女が使ってみたい日本語が無理矢理混ざるのだ。

正直、わかりづらい^^;

英語もスペイン語も、私にとっては母国語ではない。
母国語ではない言葉を話すときというのは、結構相手の語学力につられるものだ。

相手が堪能に話してくれれば、その勢いで同じように話せるけれど
相手がたどたどしく話してくると、こちらの言葉もたどたどしくなる。

これは、第二外国語に限らない。
相手が母国語話者であったとしても、そうだ。

それはそのまま、コミュニケーション能力にもつながっているのかもしれない。

壊れた文法は悪ではない。
けれど日常がスペイン語の中でいきなりあやふやな英語を使われると
こちらも同様に英語で返さなければならないような気がする上に
カタコト具合がつられる。

結果、自分の言葉が混乱するというわけだ。



 “この子はスペイン語が話せない”

そう扱われているのがすごく伝わってきた。

「スペイン語、話せるのね!」と彼女は驚いていたのだけれど。
私はすべてスペイン語で返しているのだけれど。

ああ…『話せる』って何だろう?

何故なのか考えているうちに、ひとつの答えにたどり着いた。


ママとS君が日本でステイしていたとき
彼らはその3週間をほとんど英語とスペイン語、
そしていくつかの日本語の単語で乗り切ってきたのだ。
「ありがとう」とか「すみません」とか。

つまり彼らは、私がスペイン語を話していたように
日本語を話していたわけではなかった。

その自らの基準を私に当てはめて接してきていたというわけだ。

『話せない前提』のホームステイ。
ああ…『話せる』って何だろう?


それがわかった時、なるほど…と思うのと同時に少し、がっかりした。

 私、最初から最後まで
 ほとんどずっとスペイン語で乗り切ったんだけどな…

 トラブルに見舞われて帰国できなくなった最後の数日は
 通訳までしたんだけどな…

人間は、自分の感覚の中からモノを見、判断する。
どこの国の人でも同じ。

そんな学びと気づきが、私にもたらされた。
姪っ子が自分の足の裏をしげしげと眺めていた。
2歳だったか3歳の頃だったか…。

 「Kちゃん、何してるの?」

問いかけた私の父(つまりKにとっては祖父)に、彼女は答えた。

 「ちょっと調べてるの」


 ぶふっ!!


私は思わず吹き出した。
すごくかわいい。
そして同時に驚く。

私と同様に驚いたらしい父は、間髪入れずにKに問いかける。

 「Kちゃん、『調べる』なんていう言葉、知ってるの??」


ここで、おもしろいことが起こった。

Kが無反応なのだ。

あれ…?と、戸惑う父。
気が済んだのか、次の遊びを見つけて走り出したK。

私は彼らを観察しながら、ひとつの答えにたどり着いた。


おそらくKは、なんとなく足の裏に違和感を感じて“調べて”いた。
Kにとっては、あの一連の流れ全体
(足の裏に違和感を感じる
 →何だろうと思って見てみる
 →答えは出なくても、納得いくまでよく観察する)
が「調べている」ということなのだ。

でも彼女は、『調べる』という言葉の意味を考えたことなんてない。
生まれてからそれまでの2~3年の体験を通して
あの一連の流れを現す言葉として一番しっくりくるものが
Kにとっては「調べてる」だった。
だからそれを使ったまで。

それは図らずもとても適切なものだったわけだけれど。

私たちは母国語を身につけていく時、
こんな風にいつの間にか自然に使えるようになっている。

Kはもちろん、「調べている」が「調べる」という言葉の変化形だなんていうことは知らない。
というか、考えたこともない。

だから父に
「『調べる』なんていう言葉を知っているの?」と問われたとき
Kは自分が何を聞かれているのかがわからなかったのだろう。

わからない言葉は自分の中に入ってこない。

結果、父の問いかけはKの体を通り抜けていってしまった。

Kはただ「調べてた」だけであって
「調べる」という言葉の意味を改めて考えて使っていたわけではない。

でもおそらく、彼女は今後も使い間違えることはないと思う。


子どもの口から飛び出す言葉は、しばしば核となる真理をついている。

そこに気づくと、ワクワクする。
大人である自分の言葉の世界も広がっていく。

あと1ヶ月でKは5歳。
今、あの時の父と同じ問いかけを彼女にしたら、彼女から答えは帰ってくるのかな?
オーストラリアの友人に、日本の都市伝説のような話をしたことがある。

牛肉100%を謳っている某ファーストフードチェーンの肉が実は食用ミ○ズだという話。
これは今から10数年前、私のまわりでまことしやかにささやかれ、
たびたび耳にしていた話だった。

だからって本気で信じていたわけではない。
でもそう言われる何かがあるのでは?という猜疑心を持っていたことも確かだった。

「オーストラリアではそういうの聞かないの?
 日本では、これって結構有名な話だよ」

 "This is a famous story in Japan."

そう言ったとき、彼女が言った。

「それは『story』?それとも『Truth』?」

その一言で、私は目から鱗が落ちた。

 「story」って、あくまで「物語」なんだ…!

日本で使われている『話』という言葉の感覚とは別のもの。

当時、私はそういう風には認識していなかった。
それが事実であろうとなかろうと、日本では「有名な話だよ」と聞かされた時点で
「そうなんだ…」で終わってしまうことが多々ある。

「えー…何それ…」と思い、自分が信じる信じないは別として
この “『話』という言葉そのもの” が表しているものが
架空のものなのか事実なのかとは考えもしないのだ。

上記の例は極端かもしれないけれど、日本ではたびたびこの表現を耳にする。

 「みんなが知ってる話だよ」
 「けっこう有名な話だよ」

でもその「有名な話」も、本当にそれが事実だとは限らないのだ。
もしかしたら誰かの作り話かもしれないし、
事実を曲げて語られた話が事実のように語られているだけなのかもしれない。

でもそれを確かめる前に、日本ではそれが「有名な話」として
尾ひれをつけて広まっていく。

こんな話をしていた時、イタリア在住の友人が
『日本では事実と意見が区別されずに使われているって言うよね』
と話してくれた。
それはとても納得のコトバ。

そしてその後に続いた彼女の言葉が印象的だった。

 『イタリア語だと、事実と事実ではないことは文法的に完全に区別されてるよ』

おもしろい。

これってちょっと、
 「みんなそう言ってる」
 「みんなそう思ってる」
という、自分に責任を持たずに逃げられる要素を含んだ便利な言葉と質が似ている気がする。
今日はメキシコでの体験話。

旅立つ前、私はまわりの人からこんな風に聞かされていた。

 「メキシコはすごくいいよ~!」

 「あの国は、他とちょっと違うよ」

 「あそこは人生で1回は行った方がいいよ」

 「価値観が変わるよ!」


ふーん…

正直、私は多少の疑問を感じながら首を傾げていた。
だが一方で、「そこまで言うのなら…」と、多少の期待を持っていたのも否めない。

価値観というものは、その枠組みの存在を知り
常に自分の価値観の枠と向き合って自分の内面や、
自分を取り巻く世界と向き合う作業をしている人間にとっては
変化していくのが当たり前のものだ。

私自身、セラピスト兼コーチという職業柄、
そして大病を患ったという経験から
常にそれらと向き合い続けている。

それでも。

あまりにもまわりで囁かれる“メキシコへの期待”。

まるで刷り込みのように、それは私の耳から内部へと浸透してきた。
それならもしかして、今までとはまた違った何かを掴むことができるのか。

わずかな期待。
そして旅立ち、1週間弱のホームステイ。

飛行機のキャンセルというトラブルで
帰国が5日(帰宅は6日)遅れて、旅は終わった。

さて、メキシコは何かが違ったのか。

結果から言えば、


 そこには、私と同じ人間がいた。


それは確認だった。


別に衝撃も、ひっくり返るような価値観の変化も
「日本をはじめ他の国と全然違う」という感覚も
そういう意味では、何もなかった。

あったのは、

 1億2000万人の日本人が全員違うように、
 ひとことでメキシコ人といってもいろいろな人がいるね。

 日本では起こる率の少ないトラブルとその対応の姿勢も
 (メキシコに限らず)海外だと当たり前に起こるものね。

 困っている私達をあういう風に助けてくれる人がいるってありがたい^^

 この人と話すの、すごく楽しい!

 この人とは会話が成立しないなぁ…

という、人と人がいる所に起こる普通の感覚だった。


もちろん、全体的に見て
 日本人よりメキシコ人の方が時間にルーズな人が多い とか
 自分に非があってもあやまらない人が多い とか
 ハグして親愛の情を伝えるとか
お国柄によって多少の違いはある。

でも、何かがひっくり返るほどの体験ではなかった。

だって時間のことにしろ、あやまらないことにしろ、ハグにしろ
それはメキシコ限定のことではないから。

それは例えばオーストラリアだって、同じなのだ。


多少のお国柄の違いはある。
“日本と比べれば違う”ということは、確かにある。

でも、メキシコが特別なわけではやっぱりなかった。
世界には、そういう国はたくさんあるのだ。

そこで私はひとつの結論に辿り着いた。


 「メキシコは他と違う」と言っていた人たちは、
 おそらくメキシコで、その「違う!!」という体験を最初にしたのだ。


メキシコという体験要素が、彼らに伝えたもの。
彼らがメキシコというキーワードから学んだもの。

それは、おそらくもっと深くて広い。
おそらく本当に重要なのは『メキシコ』ではないのだ。

本質的に大切なことは、その先…その奥にある。

そこを見るかどうか、そこに気づくかどうかだ。


気づけばそれは、『特別な体験』ではなく
『自分を成長させる体験のひとつ』になる。

そしてその気づきは、日常の中でも得られるものなのだ。

その感覚を磨いてさえいれば、海外に行かなくても。

もちろん、海の外へと出るからこそ
気づけることやみることのできるものだって
たくさんあるんだけどねv
前回、“ポルトガル語を聞いていると頭がぐるぐるして酔っ払ったような感覚になる”
という記事を書いた。
(『ポルトガル語で酔っ払う 』参照)

数日後、
「ポルトガル語で酔っ払うっていうの、なんかわかる!!」
帰宅するなり夫が興奮した面持ちで報告してくれた。

「ホント?」
「うん、何でだろうね?」

私だけじゃなかったあの感覚。
ということは。

この時、私はひとつの可能性に行き当たった。

おそらく、“聞き取れて”いるのだ。
スペイン語をベースとして、ポルトガル語の細かいコトバの粒子たちを。

その言語の、その言語らしいリズムを波とすれば
そこに含まれるひとつひとつの単語は粒。

すべてではないけれど、スペイン語の単語リズムがタンタンタンだとすれば
ポルトガル語のそれはタターンタターンタターンだ。

最後にぐるんと巻かれる、絶壁にぶつかって弾ける波飛沫のような感じ。

うーん…なんて抽象的。
こんな表現で伝わるかな?

ちなみにイタリア語も、スペイン語の「アル アル」という音に比べると
「アーレ~ アーレ~」なのだけれど、
ポルトガル語のように酔っ払うかというと、とりあえず私は酔いはしない。
またちょっと違った感覚なのだ。

ああ…ますますワケのわからない表現になってしまったような気がする…


とにかく、ポルトガル語で酔っ払うのは、スペイン語が基準として自分の中にあって
それが変化して蠢くからではないかと思うのだ。

そしてそれが、全体的な音の塊のような波としてではなく
もう少し細かく聞き取れるようになったときにこの現象が起こるような。

そんな気がする。

少なくとも、私の中で起こっている感覚としては、そんな感じ。



ちなみに世界を見ると、スペイン語が話されている国は多い。
だがひとことでスペイン語といっても、国によってそのスペイン語は少しずつ異なる。
スペインのスペイン語とメキシコのスペイン語は違うし、
同じラテンアメリカの国であっても、やっぱり国によって
単語の意味が変わったり表現が異なったりする。

それはポルトガル語も同様。
ポルトガルで話されているポルトガル語と、ブラジルのポルトガル語は微妙に違う。

言葉は生きている。
だからその地域、文化、歴史などの背景によって
変化していくのは当然といえば当然なのだけれど
それだけではなく、ちょっとおもしろいことに気がついた。

実は私が酔っ払うのは、ブラジルのポルトガル語。
そしてベースになっているのはメキシコのスペイン語だ。

私にとっては(今のところ)、スペインのスペイン語よりも
メキシコのスペイン語の方が自分に馴染んで聞きやすい。

スペインのスペイン語を聞いているときでさえ
メキシコのスペイン語の音がベースになって支えてくれている感じ。

これはおそらく、音として触れたスペイン語の量と時間が
スペインのものよりメキシコのものの方が多かったからだと思うのだけれど。

そしてポルトガル語も。
ポルトガルのポルトガル語を聞いていたときは
「単語はスペイン語っぽいけど、波はイタリア語っぽいな~」
という程度の感想だった。
酔っ払ったりはしなかった。

なのにブラジルのポルトガル語を聞いた途端、あの有様。


つまり


メキシコのスペイン語とブラジルのポルトガル語が繋がっていて
スペインのスペイン語とポルトガルのポルトガル語が繋がっている!
ということなのではないだろうか。

近い地域のコトバは、お互いに影響し合っているということ。
これがたとえ、スペイン語同士、ポルトガル語同士ではなかったとしても。

伝わるかな?

ここで言語学者さんなんかに登場されてしまうと困るのだけれど。
だって私が言いたいのは、言語学的な分類上どうのこうのとか、
そういうことではないから。


コトバは体で感じるものだ。
耳も口も、その一部にすぎない。

体でコトバそのものとコミュニケーションしたとき
起こるこの現象が、なんとも言えずおもしろい。

ホント、魅力的!
いつも聞いているCDがある。

英語を始め、同じお話をスペイン語、フランス語、中国語、
韓国語、ロシア語、ドイツ語…などたくさんの多言語で。
『多言語』ではなく『たくさんの多言語』で、というのがポイントだ。

コトバを○○語、△△語とわけずに多言語で触れるようになると
人間のコトバの全体が見えてくる。

違いも見えれば、思わぬところに共通点があることも発見できるのだが
これは単に「単語が似てる」とか「リズムが似ている」というだけではなく
文化の広がりの歴史や人間のルーツにまで関係してくるから興味が尽きない。

この“いつも聞いているCD”だが、
最初に私が聞き始めたのは日本語を含めた7カ国語だった。

その頃、すでに私に“外国語アレルギー”のようなものはなく
どちらかというと
「いっぺんにたくさんのコトバが習得できちゃうなんてラッキー」
という感覚だった。

一生懸命勉強したのに、初めてネイティブの英語に触れたとき
「何を言っているのかわからない」「英語を聞くのが苦痛」
という感覚を抱く日本人は多い。

でも当時の私はすでにその感覚は過去のものとなっており
「CDを聞いても何語かわからなくて苦痛」という感覚はなく
「何を言っているのかはわからなくても、何語かの区別ならほとんどつくなぁ」
という状態だった。

そんな私だったが、それまでに学んだことのある言語といえば英語。
もちろん日本語は母語だから、苦もなく話せるわけだけれど
それ以外の言語に関しては完璧ゼロだった。

だが、当初から私は妙にスペイン語が聞きやすかった。

「スペイン語は日本語と母音が同じだから日本人には聞きやすいのよ。
 だからじゃないの?」
なんて言われることもあったが、それだけじゃないのは確実だ。
だってそれなら、すべての日本人が私と同じ感覚にならなければおかしいでしょ?

他にも同時に英語、韓国語、中国語、フランス語、ロシア語なども聞いていたのだけれど
自分の中に入ってくる感覚は言語によって異なる。
自分の中に落ちる速度も、クリアさも、意味を掴む感覚も。

とにかく私はスペイン語が聞きやすい。
そして真似しやすい。

そんな感覚を持ちながら、多言語に触れ続けたある日。
同じストーリーのドイツ語版を入手した。

聞いてみると、とても不思議な感覚が私の中に沸き起こった。

ドイツ語だけ、『新参者』なのだ。
私にとって。
『よそ者』というか、それまで触れていた日本語以外の6カ国語を
私はとても身近な存在に感じている自分がいることに気がついた。

だがもちろんそこでドイツ語を仲間はずれにすることもなく(笑)、
私はその後もマイペースに多言語に触れ続けた。

そしてそのうち、私はまた自分の感覚の変化に気づく。

それは “ドイツ語がこっち側に寄ってきた” 感覚だった。
それは何とも愛おしい感覚。
「よく来たね~。もう仲間だね」という感覚だ。

そしてその後もコトバは増え続けたのだが
不思議なことに、それ以降新たにやってきた新参者の言語たちは
ドイツ語ほどの違和感を私にもたらすことはなかった。

もちろん、初めて耳にするときに“慣れない感覚”というものはある。
だがそれも、コトバが増えるに従って『よそ者』感覚はなくなり
『新参者がこっち側に寄ってくる』という感覚に費やす日数も
ほんのわずかなものとなっていった。



そんなある日、イタリア語版を入手した。

初めて耳にしたとのとき。
衝撃だった。

 なにこれ?!

 ものすごく聞き取れる!

 とても初めて聞いているものとは思えないんだけど!!

そのくらい、ストーリーがどう展開されている場面で、何を言っているのかがわかったのだ。
気持ち悪いくらいに。

これは明らかに、自分の中にスペイン語のベースがあったからこそ感じられた感覚だった。

おもしろい。
ものすごくおもしろい。

スペイン語とイタリア語はよく似ている。
陸続きのヨーロッパ。
その中でももともとラテン語系ということで、共通項は多い。
ネイティブ同士、会話も可能だ。

とは言え、私はスペイン語のネイティブスピーカーでもなければ
勉強をしたこともない。
当然文法なんて知らないし、単語や構文の暗記も読解もしたことはない。

私の中にあったのは、スペイン語の音と、
それを真似しているうちに気づいたものたちだけだ。

それでもわかる。
スペイン語じゃなくて、イタリア語がわかる!

これはきっと、スペイン語一言語だけを文法から入って勉強していたら
絶対に得られない感覚なんだろうな、とその時思った。



そして時が経ち、メキシコから帰国した私の手元に
今度はポルトガル語のCDが届いた。

さて。
何が起こったかというと…


 ぜ ん ぶ わ か る !!


スペイン語でわかっているところはすべて。

それはまるで、酔っ払ったスペイン語のようだった。

ポルトガル語はスペイン語やイタリア語に似ている。
背景は前述した通りだ。

が、よく聞いてみると、このポルトガル語は
ちょうどスペイン語とイタリア語の中間に位置している。
(※ 言語学的にどうか…という話は脇に置いておいていただきたい。
  今しているのはそういう話ではないので)

コトバをバラバラにするとスペイン語と似ているけれど
全体のリズムというか波は、イタリア語に近いのだ。

そして奇妙なことが起こった。


ポルトガル語が聞こえてくると、私の頭の中がグルグルまわるのだ
まるで酔っ払ってしまったスペイン語の波に攫われたように。
私自身が、ポルトガル語の波に酔わされる。
気持ち悪くなるくらいに。


こんな感覚が、他の人にも起こるものなのかはわからない。
でも私は、ひっくり返りそうになるほど、ポルトガル語に酔わされた。

我家において、このポルトガル語は『新参者』だ。
今後、いつまで私が彼に酔わされるのかはわからない。
しばらく続くのかもしれないし、2~3日で慣れるのかもしれない。

すごくおもしろい。

けど

酔っ払うのは気持ち悪いので、できれば早く慣れてくれると嬉しい。
人間は思い込みの上に成り立っている。

それは常識だったり
育ってきた環境によって育まれた価値観だったり
偏った情報による思い込みだったり、いろいろだ。

思い込みは、悪ではない。

でも、しばしば人間の成長を止める要素となる。



それは例えば、これ。
 『勉強しないと外国語を話せるようにはならない』

じゃあどうして私たちは日本語を話せるようになったのか。
小学校に入学して国語の授業を受けるようになる前から、
私たちは日本語を話してたよね??

“だって日本人だもん”

そうね。
しかも両親が日本人であれば尚更、日本語環境で育ってきたんだものね。
それ以外の環境がなければ、音を耳にする機会も話す機会もないもんね。

日本は、日本語というひとつの言語しか話されていない上に
島国というある意味とても特殊な環境の国だ。

でもそれはそれとして、
本当に、勉強しないと話せるようにならないのだろうか。
そもそも言葉の勉強って何だろう?

文法?
単語の暗記?
構文??

少なくとも私は、そのような“勉強”を積み重ねても
外国語を話せるようにはならないということを知っている。



それから例えば、これ。
 『10代のうちに海外に行かないと、頭が固くなるから語学は身につかない』
 『その国に長く住まないと、その言語は話せるようにならない』

これらの“思い込み”は、かつて私も抱いていたものだ。
でも私は幸い、違う現実を見るチャンスがあった。

たとえば20代以降にそれまで縁のなかった国に渡って
勉強もせずに普通に会話ができるようになった何人ももの人たちとの出会い。

中国語なんて全然知らないのに中国を放浪し、
通訳までできるようになってしまった彼とか
 (『目からウロコ、中国放浪で…?!』参照 )
「ロシアを旅してたから全部耳コピなんですよ~」と言いながら
ロシア語をペラペラ話す彼とか。

逆に、移住した先の国に長く住んでいても、
あまりその国の言語が堪能ではない人も多く見てきた。



私は勉強がいらないとは思っていない。

でも、その勉強方法の根底にあるものが本質的に自然であり
本当に人間に適した形なのか…ということには大いに関心がある。

そしてそのヒントは、やっぱり
“自分がどうやって日本語を話せるようになったのか”
だと思うのだ。



その実験を、私はメキシコでしてきた。


メキシコの公用語はスペイン語だ。

私はそのスペイン語を 勉強せずに音に触れ真似をする
という実験活動をしていた。
(この実験、スペイン語だけではなく多言語で行っているのだけれど)

音に触れ、真似をし…を繰り返していると
不思議なことにだんだん意味がわかってくる。

ある日突然、
 「あれ?あの場面で言っているコトバとあの場面のものは同じだ!」 とか
 「もしかしてこれってこういう意味?!」 とか
 「スペイン語の単語は知らないけど、英語と似てるからこういう意味かも!」 とか
 「何だろう、この言い回し。気になる…って、あ!もしかして!!」 とか…

何とも感覚的で申し訳ないけれど、自分の中での気づきがどんどん起こるのだ。

そして誰かに知識として教えられたものや暗記したものではなく、
自分で気づいて自分の中に落とし込んだものは決して忘れない。


そんなことを繰り返してメキシコへ旅立った。


さて、どうだったのか。

結論から言うと、何も困らなかった。

まず、多くの日本人が海外に渡ったときに最初に感じる、
耳に入ってくる言語への戸惑いがない。
まったく! 見事に皆無。

次に、「全部知ってる~!」という感覚。

そして、自分が気づいたものは、すべて使って話せるということ。


それはまるで確認だった。
そのくらい、私にとっては、すべてが普通に起きていることだった。


とはいっても、「わかる」という感覚は人によって異なる。

なのでここで、私がどのくらいわかったのか、という話をしてみよう。


 メキシコ・シティの中心地近くに、オペラやバレエを上演する劇場がある。
 その劇場は、外観がイタリア様式の建物だそうだ。
 その建物の建設中に、革命が起こった。
 そこで劇場の建設は一時中断された。

 メキシコ・シティは標高2000mの地点にあり、
 今も年に1~3cmくらいのペースで沈んでいる。 
 そんな土地に建物を建てているわけだ。

 革命が終わり、劇場の建設が再開された。
 担当建築士が変わり、イタリア様式の外観に対し、
 内部はメキシコ様式の仕様となった。

 メキシコにおいて大切にされているもの。
 それは太陽と水だ。

 なので建物の内部に入り、階段を上がって上部を見上げると
 太陽を司るように大きな丸い天窓がついている。
 ここから太陽の光を取り入れるのだ。
 そしてこの部分は、屋根にも太陽を象徴とするオレンジと黄色の塗料が塗られている。

 そしてまた、中心階段の左右には、噴水をモチーフとした照明が配されている。
 ここからも、メキシコ人が水を大切にしていることが伺える。

 外観を見てみると、まず屋根の上に4人の女性像があることに気づく。
 彼女達は音楽の女神だ。

 その下には春夏秋冬をモチーフとしたレリーフが掲げられ
 中央には一体の女性像。
 彼女はバランスを象徴している。


他にもいろいろあるのだが、このような話を現地のボランティア通訳さんが
話して聞かせてくれた。
もちろんスペイン語で。

そして私は、これがすべてわかったのだ。

加えて言うなら、それを「こういうことを言ってるよね?」と
現地に5ヶ月ほど留学しているという高校生に確認しながら
同行していた日本人の仲間たちに通訳することができた。

これは我ながら、「ちょっとすごいんじゃない…?」
と思うような体験だった。


「わかる」という感覚は人によって異なる。

なのでこの話は、「私ってこんなにわかってスゴイでしょ」ということではなく
「このくらいのことがわかったよ」という具体的な例として受け取っていただければ嬉しい。



「スペイン語を勉強したことがありますか?」
この質問に対する答えは NO。

でもスペイン語に触れたことがあるかといえばYESだ。
耳から入り、子どものように真似っこし、自分で気づいたものは多々あった。

そして知識として、「スペイン語は主語によって動詞の活用が変化する」
ということは知っていた。


ここで私が言いたいのは、自分が思い込んでいる常識が
本当かどうかはわからないよ、ということ。

 『勉強しないと外国語を話せるようにはならない』
  → いえいえ。私は勉強せずにメキシコに行って
    普通に現地の人たちと会話してきたよ。

 『10代のうちに海外に行かないと、頭が固くなるから語学は身につかない』
  → 私がこの実験活動と出会ったのは33歳のとき。
    そして3年半ちょっとやってみての今回だよ。

 『その国に長く住まないと、その言語は話せるようにならない』
  → 今回のメキシコ滞在は10日くらいよ。



人間は思い込みの上に成立している。
そしてそれが常識として自分の枠を創っている。

でもその常識も、最初を見れば
どこかの時代の誰かが(または育ってくる中で思い込んだ過去の自分が)
創り上げたものにすぎない。

だからもし、その常識の根底にあるものが揺らいでしまえば
その上に築いたものはすべて、覆ってしまう。

これは悪いことではない。

そして何も、言葉に限ったことでもないのだ。

世間の常識も、社会のルールも、時代の価値観も
もちろん自分自身の価値観も、自分の能力も
他者への自己アピール方法も、コミュニケーションも…

すべては思い込みの上に成り立っている。

思い込みは悪ではない。

ただ、思い込んでいるものがはずれたとき
自分の価値観が揺らぎ、はずれたとき
人は新たな世界を見ることができる。
世界は広がり、深くなる。
そして新たな自分と出会うことができるのだ。

さらに言うと、ある価値観のはずれた先に見た世界もやはり、
その時点での自分の価値観で見ている世界だ。

どこまで見続けていくことができるのか。

終わらないね、きっと。
先日、ある通訳者の方の講演を聴く機会があった。

目的は、プロの通訳さんがどのように母国語以外のことばを学び
身につけているか…という実践的な話を聞くこと。

それはそれで、ふんふん…と思うところがあったのだけれど
私にとってはそれよりも、もっと衝撃的なことがあった。


通訳のプロと言えば、ある意味言葉のプロ、そして「人に伝える」プロだ。
と、少なくとも私は思っている。

ところがその講演会、残念ながらその通訳者さんの語るものが
全然“伝わって”こないのだ。

別に書いてあるものを読み上げているわけではない。
でもただ淡々と言葉を並べているような、
記載されている文章をただ読み上げているような、
音声が上滑りしていく奇妙な感じ。

早口だから?

いや、違う。
早口であっても、「伝える」話し方はできる。

では内容が?

いや、これも違う。
すべてが自分の求めている内容ではなくとも、それは聞き手側の問題だ。
おそらく、ああいう話を聞きたい人もいる。
…きっと。


では何か。


 彼女は『伝える』という立場に立って、語っていなかったのだ。


それはその後、彼女がほんの少し行ってくれた同時通訳のデモンストレーションで明らかになった。

同時通訳は経験もスキルも必要。
さらにそこに緊張もプラスされる。
素人の私から見たって大変な作業だというのは想像に難くない。

それでも、人と人を繋ぐために言葉を用いる立場としては
ただ言葉を置き換えればいいということではない。

たとえば英語から日本語に。
たとえば日本語から英語に。

でも、日本語になっているからといって日本人がすべて理解できるかというと
決してそうではない。

そもそもそれで問題がないのなら、このご時世、
こんなに声高にコミュニケーションなどと叫ばれてはいないのだ。

『コミュニケーション』とひとことで言っても、その深さを感じ、痛感し、
さらに自分のものにしていくレベルは人それぞれ。
みんながみんな、同じ立ち位置で感じられているわけではない。

ただ…、どんな人でも経験があるだろう。

 この人、どんなに言っても通じないな…

 そんな言い方されても全然わからないんだけどな…

同じ母国語の話者であっても、「通じない体験」をしたことは
多かれ少なかれみなさんお持ちなのではないだろうか。


「言ったんだけどな…」 でも伝わらなかった。


それは、時には聞き手の問題であることもあるが、
すべてがそうとは限らない。
話し手側の問題であることも多々ある。

その場合、話し手は“相手に伝わるように”話していないのだ。

そう。
今回もそうだった。

同時通訳をした彼女は、「言葉を置き換えて」いた。

だから私には、何を言っているのか全然わからなかった。
これだったら英語をそのまま聞かせてほしいな…
そう思ってしまった。


この“言葉を置き換える”作業。

彼女の講演は、すべてにおいてそんな感じだった。
だから伝わってこなかったのだ。

彼女は言っていた。
 「人と人が出会っても、通訳者がいなかったら話すことはできない。
  だからその出会いに意味はない」

と。


 え?

 えーーーーーっ?!


これは私にとって、非常にショッキングなコトバだった。
私が大切にしているものと、まさに真逆のセリフだったから。

もちろん、政治なりビジネスなりの世界で通訳者は必要不可欠だ。
それはわかる。もちろんだ。

でも、「通訳者がいない=その出会いに意味はない」と言い切ってしまうのか…

世の中にはいろいろな人がいる。
立場が変われば、コトバも変わる。

だから、私が見ている世界と彼女が見ている世界は
おそらく違うのだろう。

でも、何だかとても悲しかった。

そしてその時、私はひとつのことを確認した。


 通訳とは、伝える仕事なのではなく、言葉を置き換える仕事なのだ。


本当に?

本当は、そんな風には思いたくないのだけれど。



が、この話はここで終わらない。

その翌日、世界一の会議通訳者と称される方の流儀を拝見した。
前日とは真逆の、衝撃が走った。

彼女は、『伝える』ことに対し、徹底的にプロだったのだ。

彼女は一度も、「言葉を置き換えて」はいなかった。
「訳して」もいなかった。
(もちろん、『訳』という単語は使っているのだけれど。)

彼女は、自分が通訳した先にいる人たちに「伝わるように話して」いた。
「伝えて」いたのだ。

すごく嬉しかった。

そしてそれが、言葉を扱うプロとしてのあり方であり
人と向き合うということであり
世界に認められている人の生き方なのだと思った。


幸いにも、真逆のものを見ることができた2日間。
これはすごい財産だ。

そういえば私も、今の仕事に就く際に真逆の人たちとの出会いがあった。


 「こんな風になれるんだ!」 「こんな風にはなりたくないわ」

 「こうされたら嬉しいんだな~♪」 「こうされたらこんなに嫌なものなのね」


その経験があるから、今、自分の芯が確立している。

ありがたい。


私は通訳者ではないけれど
言葉を扱うプロとして、伝えるプロとして
大事にしようと思った、2つのプロの世界だった。