ポルトガル語で酔う理由 | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

前回、“ポルトガル語を聞いていると頭がぐるぐるして酔っ払ったような感覚になる”
という記事を書いた。
(『ポルトガル語で酔っ払う 』参照)

数日後、
「ポルトガル語で酔っ払うっていうの、なんかわかる!!」
帰宅するなり夫が興奮した面持ちで報告してくれた。

「ホント?」
「うん、何でだろうね?」

私だけじゃなかったあの感覚。
ということは。

この時、私はひとつの可能性に行き当たった。

おそらく、“聞き取れて”いるのだ。
スペイン語をベースとして、ポルトガル語の細かいコトバの粒子たちを。

その言語の、その言語らしいリズムを波とすれば
そこに含まれるひとつひとつの単語は粒。

すべてではないけれど、スペイン語の単語リズムがタンタンタンだとすれば
ポルトガル語のそれはタターンタターンタターンだ。

最後にぐるんと巻かれる、絶壁にぶつかって弾ける波飛沫のような感じ。

うーん…なんて抽象的。
こんな表現で伝わるかな?

ちなみにイタリア語も、スペイン語の「アル アル」という音に比べると
「アーレ~ アーレ~」なのだけれど、
ポルトガル語のように酔っ払うかというと、とりあえず私は酔いはしない。
またちょっと違った感覚なのだ。

ああ…ますますワケのわからない表現になってしまったような気がする…


とにかく、ポルトガル語で酔っ払うのは、スペイン語が基準として自分の中にあって
それが変化して蠢くからではないかと思うのだ。

そしてそれが、全体的な音の塊のような波としてではなく
もう少し細かく聞き取れるようになったときにこの現象が起こるような。

そんな気がする。

少なくとも、私の中で起こっている感覚としては、そんな感じ。



ちなみに世界を見ると、スペイン語が話されている国は多い。
だがひとことでスペイン語といっても、国によってそのスペイン語は少しずつ異なる。
スペインのスペイン語とメキシコのスペイン語は違うし、
同じラテンアメリカの国であっても、やっぱり国によって
単語の意味が変わったり表現が異なったりする。

それはポルトガル語も同様。
ポルトガルで話されているポルトガル語と、ブラジルのポルトガル語は微妙に違う。

言葉は生きている。
だからその地域、文化、歴史などの背景によって
変化していくのは当然といえば当然なのだけれど
それだけではなく、ちょっとおもしろいことに気がついた。

実は私が酔っ払うのは、ブラジルのポルトガル語。
そしてベースになっているのはメキシコのスペイン語だ。

私にとっては(今のところ)、スペインのスペイン語よりも
メキシコのスペイン語の方が自分に馴染んで聞きやすい。

スペインのスペイン語を聞いているときでさえ
メキシコのスペイン語の音がベースになって支えてくれている感じ。

これはおそらく、音として触れたスペイン語の量と時間が
スペインのものよりメキシコのものの方が多かったからだと思うのだけれど。

そしてポルトガル語も。
ポルトガルのポルトガル語を聞いていたときは
「単語はスペイン語っぽいけど、波はイタリア語っぽいな~」
という程度の感想だった。
酔っ払ったりはしなかった。

なのにブラジルのポルトガル語を聞いた途端、あの有様。


つまり


メキシコのスペイン語とブラジルのポルトガル語が繋がっていて
スペインのスペイン語とポルトガルのポルトガル語が繋がっている!
ということなのではないだろうか。

近い地域のコトバは、お互いに影響し合っているということ。
これがたとえ、スペイン語同士、ポルトガル語同士ではなかったとしても。

伝わるかな?

ここで言語学者さんなんかに登場されてしまうと困るのだけれど。
だって私が言いたいのは、言語学的な分類上どうのこうのとか、
そういうことではないから。


コトバは体で感じるものだ。
耳も口も、その一部にすぎない。

体でコトバそのものとコミュニケーションしたとき
起こるこの現象が、なんとも言えずおもしろい。

ホント、魅力的!