今日はメキシコでの体験話。
旅立つ前、私はまわりの人からこんな風に聞かされていた。
「メキシコはすごくいいよ~!」
「あの国は、他とちょっと違うよ」
「あそこは人生で1回は行った方がいいよ」
「価値観が変わるよ!」
ふーん…
正直、私は多少の疑問を感じながら首を傾げていた。
だが一方で、「そこまで言うのなら…」と、多少の期待を持っていたのも否めない。
価値観というものは、その枠組みの存在を知り
常に自分の価値観の枠と向き合って自分の内面や、
自分を取り巻く世界と向き合う作業をしている人間にとっては
変化していくのが当たり前のものだ。
私自身、セラピスト兼コーチという職業柄、
そして大病を患ったという経験から
常にそれらと向き合い続けている。
それでも。
あまりにもまわりで囁かれる“メキシコへの期待”。
まるで刷り込みのように、それは私の耳から内部へと浸透してきた。
それならもしかして、今までとはまた違った何かを掴むことができるのか。
わずかな期待。
そして旅立ち、1週間弱のホームステイ。
飛行機のキャンセルというトラブルで
帰国が5日(帰宅は6日)遅れて、旅は終わった。
さて、メキシコは何かが違ったのか。
結果から言えば、
そこには、私と同じ人間がいた。
それは確認だった。
別に衝撃も、ひっくり返るような価値観の変化も
「日本をはじめ他の国と全然違う」という感覚も
そういう意味では、何もなかった。
あったのは、
1億2000万人の日本人が全員違うように、
ひとことでメキシコ人といってもいろいろな人がいるね。
日本では起こる率の少ないトラブルとその対応の姿勢も
(メキシコに限らず)海外だと当たり前に起こるものね。
困っている私達をあういう風に助けてくれる人がいるってありがたい^^
この人と話すの、すごく楽しい!
この人とは会話が成立しないなぁ…
という、人と人がいる所に起こる普通の感覚だった。
もちろん、全体的に見て
日本人よりメキシコ人の方が時間にルーズな人が多い とか
自分に非があってもあやまらない人が多い とか
ハグして親愛の情を伝えるとか
お国柄によって多少の違いはある。
でも、何かがひっくり返るほどの体験ではなかった。
だって時間のことにしろ、あやまらないことにしろ、ハグにしろ
それはメキシコ限定のことではないから。
それは例えばオーストラリアだって、同じなのだ。
多少のお国柄の違いはある。
“日本と比べれば違う”ということは、確かにある。
でも、メキシコが特別なわけではやっぱりなかった。
世界には、そういう国はたくさんあるのだ。
そこで私はひとつの結論に辿り着いた。
「メキシコは他と違う」と言っていた人たちは、
おそらくメキシコで、その「違う!!」という体験を最初にしたのだ。
メキシコという体験要素が、彼らに伝えたもの。
彼らがメキシコというキーワードから学んだもの。
それは、おそらくもっと深くて広い。
おそらく本当に重要なのは『メキシコ』ではないのだ。
本質的に大切なことは、その先…その奥にある。
そこを見るかどうか、そこに気づくかどうかだ。
気づけばそれは、『特別な体験』ではなく
『自分を成長させる体験のひとつ』になる。
そしてその気づきは、日常の中でも得られるものなのだ。
その感覚を磨いてさえいれば、海外に行かなくても。
もちろん、海の外へと出るからこそ
気づけることやみることのできるものだって
たくさんあるんだけどねv