話せるって何だろう? | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

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ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

メキシコでのホームステイ先には60代のパパ&ママと、30歳のS君がいた。

ママ一度、S君は二度ほど日本でホームステイをしたことがあるらしい。
そんなわけで、パパも含めて3人とも日本語には興味津々。

ただ興味の持ち方や質問の仕方、ひいては『言葉』というものの捉え方が
私とはだいぶ異なることが1週間弱のステイ中に見えてきた。


メキシコの公用語はスペイン語だ。
だから私も、ステイ中は基本的にスペイン語で話をしていた。

カタコトであろうとめちゃくちゃであろうとも、
持てる限りの言葉を駆使して伝えていくのは楽しい。

ホームステイ前に日本から電話したとき、ママに聞かれた。
「スペイン語は話せるの?英語はどう?」

「スペイン語は少しだけ。勉強したことはないの。
 英語は話せるよ」

「OK!」

とはいえ、このやりとりはスペイン語。
『話せる』って何だろう?

そして実際にメキシコに行ってみれば、私はよほどのことがない限り
スペイン語で返していた。

「ひろ、スペイン語話せるじゃない!」
そう言ってくれるママ。

けれど…

けれど何故だか、ママはしばしば英語で話しかけてきた。
基準は明確ではないけれど、おそらく
「スペイン語だとこれは難しいだろうな」
と彼女が判断した内容のとき。

でも彼女は英語ネイティブではないから、
スペイン語で言われるよりかえってわかりにくいのだ。


 スペイン語で言ってくれた方がわかるんだけどなぁ…


おまけに彼女は日本語にも興味がある。
それ故、ところどころに彼女が使ってみたい日本語が無理矢理混ざるのだ。

正直、わかりづらい^^;

英語もスペイン語も、私にとっては母国語ではない。
母国語ではない言葉を話すときというのは、結構相手の語学力につられるものだ。

相手が堪能に話してくれれば、その勢いで同じように話せるけれど
相手がたどたどしく話してくると、こちらの言葉もたどたどしくなる。

これは、第二外国語に限らない。
相手が母国語話者であったとしても、そうだ。

それはそのまま、コミュニケーション能力にもつながっているのかもしれない。

壊れた文法は悪ではない。
けれど日常がスペイン語の中でいきなりあやふやな英語を使われると
こちらも同様に英語で返さなければならないような気がする上に
カタコト具合がつられる。

結果、自分の言葉が混乱するというわけだ。



 “この子はスペイン語が話せない”

そう扱われているのがすごく伝わってきた。

「スペイン語、話せるのね!」と彼女は驚いていたのだけれど。
私はすべてスペイン語で返しているのだけれど。

ああ…『話せる』って何だろう?

何故なのか考えているうちに、ひとつの答えにたどり着いた。


ママとS君が日本でステイしていたとき
彼らはその3週間をほとんど英語とスペイン語、
そしていくつかの日本語の単語で乗り切ってきたのだ。
「ありがとう」とか「すみません」とか。

つまり彼らは、私がスペイン語を話していたように
日本語を話していたわけではなかった。

その自らの基準を私に当てはめて接してきていたというわけだ。

『話せない前提』のホームステイ。
ああ…『話せる』って何だろう?


それがわかった時、なるほど…と思うのと同時に少し、がっかりした。

 私、最初から最後まで
 ほとんどずっとスペイン語で乗り切ったんだけどな…

 トラブルに見舞われて帰国できなくなった最後の数日は
 通訳までしたんだけどな…

人間は、自分の感覚の中からモノを見、判断する。
どこの国の人でも同じ。

そんな学びと気づきが、私にもたらされた。