方言が苦手…というより、怖いと思うようになったのは
大学に入ってから。
社会に出た後も、たびたびその怖さに怖気づいた。
方言が怖い?
え?
…と思われる方もいらっしゃるだろう。
正確に言うと、方言を話す人からの攻撃がこわかった。
もちろん全員が…というわけではないけれど、大学入学以降
私はたびたび関西出身の人たちに標準語を批判された。
「東京弁てさぁ…」
お高くとまっているように聞こえたり
“標準語”という言い方が気に入らなかったり
理由はさまざまだったらしい。
でもとにかく、敵意いっぱいで「東京弁てさぁ…」と言ってくる。
(もしかしたら相手は敵意のつまりではなかったのかもしれないけれど
言われる側の私にはそう感じたということね。)
そこでまず思うのが
“東京弁じゃなくて標準語なんですけど” ということ。
…なかなかそうは言えない雰囲気なんだけれどもね^^;
私も私の地元の友人たちが話している言葉も“東京弁”ではない。
あくまで“標準語”と言われるものだ。
だからといって
「私たちが“標準”だ!お前達はおかしい」
なんてことを言っているわけではもちろんない。
ただ私たちが話している言葉は、世間一般では“標準語”と呼ばれている。
それだけのことで、これは私が決めたわけではない。
でも西の一部の人たちは、どうもその言い方が気に入らないらしかった。
とくに関西圏の人たちは、東京にいても決して自分の言葉を崩そうとしない。
少なくとも、あの時代の同年代には多かった。
でもそんな敵意を、いきなり私個人に向けられても、困る。
だからすごく戸惑ったし、その敵意は怖かった。
(何度も言うけれど、すべての人がそうだったわけではないのよ!)
逆に、私に聞こえてくる方言はどうだったのかというと、
その語調によっては、それが普通なのかけなされているのか
よくわからないことがたまにあった。
キツく聞こえたりね。
でもそれはもちろん、いつもではない。
大抵は、敵意を込めて標準語をけなされたときだった。
大阪弁も京都弁も、普段話すぶんには「へ~」という感じ。
その子らしさも感じるし、その土地の言葉なんだな~って。
そんな経験が私の中にどんどん蓄積されていってしまったある日
大阪から来た小学生の団体を引率する機会があった。
彼らが聞いてくる。
「なぁ、東京弁って変なんやろ?」
「え?普通だよ?」
「『普通だよ』だって~!『普通やで』って言うんやで~!!」
相手は子ども…とはいえ、集団で来られると怖い。
10数人の大阪っ子に囲まれて言われるそのセリフ。
私はかなり怖気づいた。
怖い。
大阪、怖い。
大阪弁、怖い。
その恐怖は、すっかり私の中に根付いてしまった。
いられない。
360度方言の中になんて、とてもいられない。
シンドイ…
その後さらに何年も経って、私は夫と大阪を訪れた。
当たり前だけど、まわり中大阪弁。
電車の中は怖くて怖くて仕方がなかった。
いろいろなことがあって、今はもう怖くない。
でも、10代後半から10年ほどの間
方言に対するそんな恐怖が、私の中に存在していた。
>『方言が苦手④~方言が怖い 2』へ続く
私は方言が苦手だった。
もう、ずいぶん長い間―――。
何故苦手だったのかというと、
おそらく子ども時代、身の回りに存在していなかったから。
私は言葉遣いにとても敏感な子どもだった。
(そのまんま今も、ものすごく敏感なのだけれども^^;)
だからか、間違った言葉使いや言い回しがとても気になっていた。
たとえば「雰囲気」を「ふいんき」という人。
「『ふいんき』じゃないよ、『ふんいき』だよ。
漢字を見ればわかるのに」
とか
「○○みたいに」を「○○みたく」と言ったり
「違って」を「違くて」と言ったりするのは変!!
とかね。
他にもいろいろ、とにかくすごく敏感な子どもだった。
おかげで作文を添削し合う授業は完璧で、先生に驚かれた
という自慢話にも苦笑い話にもなるエピソードを持っている…のは余談ね^^
そんな私の中学高校時代、普段は(私にとっての)普通の話し方なのに
時々おかしな言い回しをする友人が現れた。
「○○がいたよ」を「○○がいてたよ」と言う彼女。
『いてた』?
何それ?
今思えば、彼女のお母さんは関西の人だったらしいから
お母さんからもらった言葉だったのだと思う。
でも当時の私はそんな言葉、知らない。
だから 「この子、時々変な言い方するな~」 と思っていた。
自分の基準から外れると「変なの~」と思うのは
人間誰でもあることだと思うけれど
コトバに関してはおそらく、同世代の子たちより私はきっとずっと敏感だった。
ちなみに今は、関西の方々が「いてる」と表現されることは分かっている。
昨年久しぶりに会った彼女は現在大阪在住。
関西弁に磨きがかかり、『いてる』も健在だった。
またもうひとり。
「5000円」のイントネーションが(私にとって)おかしい子がいた。
文字にすると何と表現したらいいのかわからないけれど
彼女は一時期広島県辺りにいたらしい。
瀬戸内の辺りにお住まいの方々と東京の人の言う
「100円」や「5000円」のイントネーションが異なるという事実を
私は今でこそ知っているけれど、当時は違った。
変!!
あきらかにみんなと違うのに何故直さないんだろう?
気づかないんだろうか…?
なんて、失礼ながら思っていた。
その後何年かして、私は広島出身の女性と出会った。
日本語教師養成講座を受講していた彼女は
「『100円』の言い方を直される~!」
と笑っていた。
まだ『人によって違う』や『地域によって違う』という認識が薄かった
私の中学高校時代。
標準語ではないイントネーションや言い回しはすべて
私にとっては「変なの~!」というものだったというお話。
>『方言が苦手③』へ続く
もう、ずいぶん長い間―――。
何故苦手だったのかというと、
おそらく子ども時代、身の回りに存在していなかったから。
私は言葉遣いにとても敏感な子どもだった。
(そのまんま今も、ものすごく敏感なのだけれども^^;)
だからか、間違った言葉使いや言い回しがとても気になっていた。
たとえば「雰囲気」を「ふいんき」という人。
「『ふいんき』じゃないよ、『ふんいき』だよ。
漢字を見ればわかるのに」
とか
「○○みたいに」を「○○みたく」と言ったり
「違って」を「違くて」と言ったりするのは変!!
とかね。
他にもいろいろ、とにかくすごく敏感な子どもだった。
おかげで作文を添削し合う授業は完璧で、先生に驚かれた
という自慢話にも苦笑い話にもなるエピソードを持っている…のは余談ね^^
そんな私の中学高校時代、普段は(私にとっての)普通の話し方なのに
時々おかしな言い回しをする友人が現れた。
「○○がいたよ」を「○○がいてたよ」と言う彼女。
『いてた』?
何それ?
今思えば、彼女のお母さんは関西の人だったらしいから
お母さんからもらった言葉だったのだと思う。
でも当時の私はそんな言葉、知らない。
だから 「この子、時々変な言い方するな~」 と思っていた。
自分の基準から外れると「変なの~」と思うのは
人間誰でもあることだと思うけれど
コトバに関してはおそらく、同世代の子たちより私はきっとずっと敏感だった。
ちなみに今は、関西の方々が「いてる」と表現されることは分かっている。
昨年久しぶりに会った彼女は現在大阪在住。
関西弁に磨きがかかり、『いてる』も健在だった。
またもうひとり。
「5000円」のイントネーションが(私にとって)おかしい子がいた。
文字にすると何と表現したらいいのかわからないけれど
彼女は一時期広島県辺りにいたらしい。
瀬戸内の辺りにお住まいの方々と東京の人の言う
「100円」や「5000円」のイントネーションが異なるという事実を
私は今でこそ知っているけれど、当時は違った。
変!!
あきらかにみんなと違うのに何故直さないんだろう?
気づかないんだろうか…?
なんて、失礼ながら思っていた。
その後何年かして、私は広島出身の女性と出会った。
日本語教師養成講座を受講していた彼女は
「『100円』の言い方を直される~!」
と笑っていた。
まだ『人によって違う』や『地域によって違う』という認識が薄かった
私の中学高校時代。
標準語ではないイントネーションや言い回しはすべて
私にとっては「変なの~!」というものだったというお話。
>『方言が苦手③』へ続く
今、私の中では方言がブーム。
…というと、少し語弊があるような気がするけれど
との土地の言葉というものに興味がある。
それは4年前に『多言語』というものを知って
「人間は誰でも何ヶ国語でも話せるようになる」という、
今までの私の思い込みとは180度違った現実を見たからかもしれない。
実はそれまで、私は『方言』というものが苦手だった。
何故苦手だったのかをお話する前に、
今日は『方言と標準語』という考え方(?)を知ったときのお話。
小学校3年生だったかその前後だったかな…
国語の教科書に『方言と標準語』というタイトルの文章が出てきた。
それはそのタイトル通り、日本の中に存在する
『方言』と『標準語』について書かれたものだった。
東京で生まれ育っていた私は、基本標準語。
方言は話さない。
たまに聞かれるのだけれど、
『はひふへほ』が『さしすせと』となると言われている、いわゆる下町言葉と
標準語と定義づけられている言葉は異なる。
ちなみに私は父方の祖母とは同居だったし
母方の祖父母も同じ市内に住んでいた。
なので“田舎”というものもなく、子ども時代に
“地方に言って地元の言葉に触れる”という経験もなかった。
だからこそか、その教科書に書いてあることは
子どもの私には衝撃的だった。
ある女性が東京から○○県(←忘れちゃった)に引っ越したときのこと。
職場の先輩に「これ、ほかしといて」と言われた。
でも彼女は「ほかす」なんていう言葉を聞いたことがない。
「保管」のことかと思って、棚にしまっておいた。
後日、それを見つけた先輩に「何でほかしてないの?」と聞かれ
初めて「ほかす」が「捨てる」だとわかった。
こんな話が載っていた。
衝撃だった。
どうして?
どうして違う日本語があるの?
同じ日本なのに!!
小学生の私にとって、世界は今よりもっと狭い。
“いろいろな土地がある”
“いろいろな言葉がある”
“土地によって食べ物が違う”
“場所によって気候が違う”
“いろいろな人がいる”
そんなこと、わかっていなかった。
同じ日本なのに、通じないなんて不便!!
標準語があるなら、みんなそれを話せばいいのに。
それなら通じるんでしょ?
子ども心に、そう思っていた。
これが、私が『方言と標準語』というものの存在を意識した、初めてのこと。
私にとっての方言とは
身の回りにはない、遠い世界のことだった。
>『方言が苦手②』へ続く
…というと、少し語弊があるような気がするけれど
との土地の言葉というものに興味がある。
それは4年前に『多言語』というものを知って
「人間は誰でも何ヶ国語でも話せるようになる」という、
今までの私の思い込みとは180度違った現実を見たからかもしれない。
実はそれまで、私は『方言』というものが苦手だった。
何故苦手だったのかをお話する前に、
今日は『方言と標準語』という考え方(?)を知ったときのお話。
小学校3年生だったかその前後だったかな…
国語の教科書に『方言と標準語』というタイトルの文章が出てきた。
それはそのタイトル通り、日本の中に存在する
『方言』と『標準語』について書かれたものだった。
東京で生まれ育っていた私は、基本標準語。
方言は話さない。
たまに聞かれるのだけれど、
『はひふへほ』が『さしすせと』となると言われている、いわゆる下町言葉と
標準語と定義づけられている言葉は異なる。
ちなみに私は父方の祖母とは同居だったし
母方の祖父母も同じ市内に住んでいた。
なので“田舎”というものもなく、子ども時代に
“地方に言って地元の言葉に触れる”という経験もなかった。
だからこそか、その教科書に書いてあることは
子どもの私には衝撃的だった。
ある女性が東京から○○県(←忘れちゃった)に引っ越したときのこと。
職場の先輩に「これ、ほかしといて」と言われた。
でも彼女は「ほかす」なんていう言葉を聞いたことがない。
「保管」のことかと思って、棚にしまっておいた。
後日、それを見つけた先輩に「何でほかしてないの?」と聞かれ
初めて「ほかす」が「捨てる」だとわかった。
こんな話が載っていた。
衝撃だった。
どうして?
どうして違う日本語があるの?
同じ日本なのに!!
小学生の私にとって、世界は今よりもっと狭い。
“いろいろな土地がある”
“いろいろな言葉がある”
“土地によって食べ物が違う”
“場所によって気候が違う”
“いろいろな人がいる”
そんなこと、わかっていなかった。
同じ日本なのに、通じないなんて不便!!
標準語があるなら、みんなそれを話せばいいのに。
それなら通じるんでしょ?
子ども心に、そう思っていた。
これが、私が『方言と標準語』というものの存在を意識した、初めてのこと。
私にとっての方言とは
身の回りにはない、遠い世界のことだった。
>『方言が苦手②』へ続く
北海道に来て10年経っても
北海道ならではの表現や方言はなかなか使えるようにならない。
でも逆に、影響を受けやすかったものもある。
イントネーションだ。
北海道には「自分は標準語を話している」と思っている人が結構多い。
でも東京で生まれ育った私からするとちょっと違う。
例えば
「昨日○○に行ったんだ――」が東京なら
「昨日○○に行ったんだ
」が北海道。
語尾が上がる。
うーん…声に出せば一発で伝わるのだけれど…
書いて伝えるのはなかなかハードルが高い。
伝わっているかしら?
こういうイントネーションは、比較的早い段階で私の中に浸透した。
そしてこれを無意識に口にしたとき
遊びに来ていた友人(以前札幌営業担当経験アリ)に
言われたのが、このセリフ。
「おーーーっ!!ネイティブ北海道だ!」
何だかとってもおかしかった!
…そしてちょっと、嬉しかった(笑)
北海道ならではの表現や方言はなかなか使えるようにならない。
でも逆に、影響を受けやすかったものもある。
イントネーションだ。
北海道には「自分は標準語を話している」と思っている人が結構多い。
でも東京で生まれ育った私からするとちょっと違う。
例えば
「昨日○○に行ったんだ――」が東京なら
「昨日○○に行ったんだ

語尾が上がる。
うーん…声に出せば一発で伝わるのだけれど…
書いて伝えるのはなかなかハードルが高い。
伝わっているかしら?
こういうイントネーションは、比較的早い段階で私の中に浸透した。
そしてこれを無意識に口にしたとき
遊びに来ていた友人(以前札幌営業担当経験アリ)に
言われたのが、このセリフ。
「おーーーっ!!ネイティブ北海道だ!」
何だかとってもおかしかった!
…そしてちょっと、嬉しかった(笑)
北海道に来てもうすぐ10年。
でも北海道ならではの言葉を自在に使えるようには
なかなかならない。
何でだろう?
考えてみて、導き出された答えは2つ。
① すでに他の言葉で表現できているから
② その感覚を持っていないから
どちらも思い当たることがある。
まず①について。
これはカンタン。
例えば『雪かき』のことを北海道では『雪なげ』と言う。
「雪なげしてたらさ~」とか「雪なげしなくっちゃ」とか。
でも東京出身の私は「雪かきしなきゃ」で表現できてしまう。
長くこちらに住んでいると、相手に合わせて無意識に
『雪なげ』という言葉を使うこともあるけれど、
基本『雪かき』で対応可能。
こういうパターンが①の場合。
では②は?
そう、これがけっこう大きいと思う!
例えば『あづましくない』という言葉。
標準語で言うとこんな感じだよという説明はしてもらったので
“理解”はできた。(はず!)
でも私の中に、その感覚は存在しない。
標準語で言うと、『あづましくない』は『落ち着かない』みたいな感じらしい。
でも北海道人にとってはやはり微妙に違うらしい。
何というか…感覚が。
つまり北海道の人にとって、『あづましくない』は
やっぱり『あづましくない』以外の何者でもない、というわけ。
同様に『めんこい』もある。
まだ北海道に来て間もない頃、私は稚内に住んでいた。
私にとって『めんこい』というのは、
どちらかというと年配の方が使うイメージ。
でも稚内では、同年代の女の子が普通に使っていた。
「あの子、めんこちゃんだよね~」
なんていう風に。
「『めんこい』って『かわいい』ってことでしょ?」
と問いかけた私に対して
「いや~…『めんこい』は『めんこい』なんだよね~。
『かわいい』とはちょっと違う」
と言われて戸惑ったのを覚えている。
これがパターン②。
これはどうも、その感覚を持って育たないとなかなか使えない。
使っている人の言葉を聞いて「ああ、ソレ知ってる!!」とか思ってしまうくらい
“自分の言葉ではない日本語”というわけ。
そして地元の人にとっても
『あづましくない』は『あづましくない』だし
『めんこい』は『めんこい』だ。
他の何者でもなく。
その環境で生まれた言葉を訳すのは難しい。
よく「ドイツ語の○○に相当する日本語がない」とか
「韓国語の△△を表現できる日本語がない」とか聞くけれど
それと一緒。
やっぱり、その環境で生まれた言葉を訳すのは難しい…ということね。
でも北海道ならではの言葉を自在に使えるようには
なかなかならない。
何でだろう?
考えてみて、導き出された答えは2つ。
① すでに他の言葉で表現できているから
② その感覚を持っていないから
どちらも思い当たることがある。
まず①について。
これはカンタン。
例えば『雪かき』のことを北海道では『雪なげ』と言う。
「雪なげしてたらさ~」とか「雪なげしなくっちゃ」とか。
でも東京出身の私は「雪かきしなきゃ」で表現できてしまう。
長くこちらに住んでいると、相手に合わせて無意識に
『雪なげ』という言葉を使うこともあるけれど、
基本『雪かき』で対応可能。
こういうパターンが①の場合。
では②は?
そう、これがけっこう大きいと思う!
例えば『あづましくない』という言葉。
標準語で言うとこんな感じだよという説明はしてもらったので
“理解”はできた。(はず!)
でも私の中に、その感覚は存在しない。
標準語で言うと、『あづましくない』は『落ち着かない』みたいな感じらしい。
でも北海道人にとってはやはり微妙に違うらしい。
何というか…感覚が。
つまり北海道の人にとって、『あづましくない』は
やっぱり『あづましくない』以外の何者でもない、というわけ。
同様に『めんこい』もある。
まだ北海道に来て間もない頃、私は稚内に住んでいた。
私にとって『めんこい』というのは、
どちらかというと年配の方が使うイメージ。
でも稚内では、同年代の女の子が普通に使っていた。
「あの子、めんこちゃんだよね~」
なんていう風に。
「『めんこい』って『かわいい』ってことでしょ?」
と問いかけた私に対して
「いや~…『めんこい』は『めんこい』なんだよね~。
『かわいい』とはちょっと違う」
と言われて戸惑ったのを覚えている。
これがパターン②。
これはどうも、その感覚を持って育たないとなかなか使えない。
使っている人の言葉を聞いて「ああ、ソレ知ってる!!」とか思ってしまうくらい
“自分の言葉ではない日本語”というわけ。
そして地元の人にとっても
『あづましくない』は『あづましくない』だし
『めんこい』は『めんこい』だ。
他の何者でもなく。
その環境で生まれた言葉を訳すのは難しい。
よく「ドイツ語の○○に相当する日本語がない」とか
「韓国語の△△を表現できる日本語がない」とか聞くけれど
それと一緒。
やっぱり、その環境で生まれた言葉を訳すのは難しい…ということね。
シドニーのお寿司屋さんには、前出の彼の他にも
現地で生まれ育っている日本人の女の子がいた。
彼女のところもやはり両親は日本人。
でも彼女の第一言語は英語。
私は作る側、彼女は売り場側にいたので
ほとんど話すチャンスがなかったのだけれど
ひとつ、おもしろい話を聞いた。
そのお寿司屋さんの店長の奥さんの話によると
その女の子のご両親は英語が上手だという。
おそらく、日常的には何も困ることがないくらい。
でも彼女は一刀両断に言ってのけた。
「カタイんですよね~!」
なるほど。
英語ネイティブの彼女からしてみれば
彼女のご両親の“勉強した英語”はどこか不自然。
どこかカタイということだ。
なるほど。
これは、日本人はまったく使わない教科書的な日本語や
不必要なところで妙に「ですます調」を織り交ぜられるような日本語で
話されたときに感じるようなものかなと予想してみた。
おもしろい。
日本で生まれ育つと、基本的にまわりにあるのは日本語のみ。
親も自分も日本人で、そこでのみ暮らしているのであれば
「親の日本語がカタイ!(日本人の日本語らしくない!)」
なんていう感覚は永遠に持つことはない。
10年後、メキシコからやってきた男の子にこの話をしてみた。
彼のお母さんは日本人。
お父さんはメキシコ人(ただし、お父さんの両親は日本人)。
彼の母国語は当然スペイン語。
ちなみに心もメキシカーノ!
すると彼は心底彼女に同意していた。
「そうなんです!僕のお母さんのスペイン語もカタイです!」
なるほどね~。
現地で生まれ育っている日本人の女の子がいた。
彼女のところもやはり両親は日本人。
でも彼女の第一言語は英語。
私は作る側、彼女は売り場側にいたので
ほとんど話すチャンスがなかったのだけれど
ひとつ、おもしろい話を聞いた。
そのお寿司屋さんの店長の奥さんの話によると
その女の子のご両親は英語が上手だという。
おそらく、日常的には何も困ることがないくらい。
でも彼女は一刀両断に言ってのけた。
「カタイんですよね~!」
なるほど。
英語ネイティブの彼女からしてみれば
彼女のご両親の“勉強した英語”はどこか不自然。
どこかカタイということだ。
なるほど。
これは、日本人はまったく使わない教科書的な日本語や
不必要なところで妙に「ですます調」を織り交ぜられるような日本語で
話されたときに感じるようなものかなと予想してみた。
おもしろい。
日本で生まれ育つと、基本的にまわりにあるのは日本語のみ。
親も自分も日本人で、そこでのみ暮らしているのであれば
「親の日本語がカタイ!(日本人の日本語らしくない!)」
なんていう感覚は永遠に持つことはない。
10年後、メキシコからやってきた男の子にこの話をしてみた。
彼のお母さんは日本人。
お父さんはメキシコ人(ただし、お父さんの両親は日本人)。
彼の母国語は当然スペイン語。
ちなみに心もメキシカーノ!
すると彼は心底彼女に同意していた。
「そうなんです!僕のお母さんのスペイン語もカタイです!」
なるほどね~。
オーストラリアでの日々。
私はなるべく、日本人とは過ごさずにいたかった。
ホームステイをしたり ファームステイをしたり
ボランティアをしたり 旅をしたり。
そんな日々の中、貯金が底をついてきた私は
シドニーのお寿司屋さんでアルバイトをすることになった。
ワーキングホリデーはその国で働いてもいいよ、というビザだ。
でもだからといってすべてが希望通りにいくわけではない。
もし現地の会社で働きたいのなら
当然経験も、かなりのレベルの英語力も必須。
しかもワーホリの場合、(当時は)1ヶ所に最長3ヶ月という制約があった。
そんなわけで働き始めたお寿司屋さん。
私は作る側の人。
ちなみに時給は当時のレートでだいたい650円くらい。
ひ~~~っ(>_<)
でも、ないよりマシ。
この後の旅の、貴重な資金源だもの。
オーストラリア人の友人宅にステイさせてもらっているとはいえ
お寿司屋さんでは日本語ばかりになってしまう。
そんなわけで自分の英語に関して少し心配だった私。
でもここでは、今までとはまた一味違った出会いが待っていた。
そこには、両親は日本人だがシドニーで生まれ育ったという
高校2年生の男の子がいた。
彼は普通に、オーストラリアの子と同じように現地の学校に通っていた。
しばらく話していると、彼が聞いてきた。
「僕の日本語、どうですか?」
さて。
どうだったでしょう?
彼の日本語は、“日本語が上手な人の日本語”だった。
つまり、イントネーションや言い回しなど、すべてが
“日本語を母国語とする人の日本語ではなかった”ということ。
見た目はもちろん日本人。
私との会話ももちろん日本語。
でも彼にとっての母語は英語だった。
彼のご両親にとって日本語は気楽な母語だし
彼の中からも日本語が消えてしまわないように
家では日本語を話していたのだと思う。
でもあくまでも、彼の第一言語は英語だった。
だから、上手だけど…上手なんだけど…
彼の日本語は、日本人の日本語ではなかったというわけ。
彼がこのお寿司屋さんで働く理由―――
それは、日本語の勉強のためだったというわけ。
世界を見れば、彼のような人はたくさんいる。
でも日本しか知らないときは、決して知ることのなかった
『人間の言葉と環境』の話。
私が通っていた中学・高校には帰国子女が多かったけれど
それでさえ、彼らはやっぱり『日本語を母語とする日本人』だった。
社会に出れば、彼のような人はバイリンガルとして活躍できる。
もしかして環境によってはマルチリンガルとして。
その立場にはその立場なりの苦労もあるだろう。
でも
私はちょっぴりうらやましかった。
私はなるべく、日本人とは過ごさずにいたかった。
ホームステイをしたり ファームステイをしたり
ボランティアをしたり 旅をしたり。
そんな日々の中、貯金が底をついてきた私は
シドニーのお寿司屋さんでアルバイトをすることになった。
ワーキングホリデーはその国で働いてもいいよ、というビザだ。
でもだからといってすべてが希望通りにいくわけではない。
もし現地の会社で働きたいのなら
当然経験も、かなりのレベルの英語力も必須。
しかもワーホリの場合、(当時は)1ヶ所に最長3ヶ月という制約があった。
そんなわけで働き始めたお寿司屋さん。
私は作る側の人。
ちなみに時給は当時のレートでだいたい650円くらい。
ひ~~~っ(>_<)
でも、ないよりマシ。
この後の旅の、貴重な資金源だもの。
オーストラリア人の友人宅にステイさせてもらっているとはいえ
お寿司屋さんでは日本語ばかりになってしまう。
そんなわけで自分の英語に関して少し心配だった私。
でもここでは、今までとはまた一味違った出会いが待っていた。
そこには、両親は日本人だがシドニーで生まれ育ったという
高校2年生の男の子がいた。
彼は普通に、オーストラリアの子と同じように現地の学校に通っていた。
しばらく話していると、彼が聞いてきた。
「僕の日本語、どうですか?」
さて。
どうだったでしょう?
彼の日本語は、“日本語が上手な人の日本語”だった。
つまり、イントネーションや言い回しなど、すべてが
“日本語を母国語とする人の日本語ではなかった”ということ。
見た目はもちろん日本人。
私との会話ももちろん日本語。
でも彼にとっての母語は英語だった。
彼のご両親にとって日本語は気楽な母語だし
彼の中からも日本語が消えてしまわないように
家では日本語を話していたのだと思う。
でもあくまでも、彼の第一言語は英語だった。
だから、上手だけど…上手なんだけど…
彼の日本語は、日本人の日本語ではなかったというわけ。
彼がこのお寿司屋さんで働く理由―――
それは、日本語の勉強のためだったというわけ。
世界を見れば、彼のような人はたくさんいる。
でも日本しか知らないときは、決して知ることのなかった
『人間の言葉と環境』の話。
私が通っていた中学・高校には帰国子女が多かったけれど
それでさえ、彼らはやっぱり『日本語を母語とする日本人』だった。
社会に出れば、彼のような人はバイリンガルとして活躍できる。
もしかして環境によってはマルチリンガルとして。
その立場にはその立場なりの苦労もあるだろう。
でも
私はちょっぴりうらやましかった。
10年ほど前、ワーキングホリデーで渡豪。
9ヵ月半ほどオーストラリアで過ごしていた。
住居形態は基本、ホームステイ。
“ネイティブと過ごしたかったから”と“英語の中にいたかったから”
というのが大きな理由だったけれど、さすが移民の国!
ネイティブオーストラリアンの家庭と出会うことの方が稀だった(笑)
もちろん共通言語は英語だけれど。
おかげで
レバノンから移住してきた両親とオーストラリアで育った子どもたち、とか
南アフリカから移住してきた親とオーストラリアで育った子ども、とか
オーストラリア人の奥さんとペルーから移住してきただんなさんの家庭、とか
いろいろな人たちと過ごすことができた。
そして、いろいろな言語訛りの英語と触れ合うことができた。
日本だと、よく『イギリス英語』『アメリカ英語』なんて言われる。
そして『オーストラリアの英語は訛っている』と。
確かに、イギリスやアメリカの英語を基準にすればそう言えるのかもしれない。
「a boy」は「エイ ボーイ」だし、「Good day!」は「グダーイ!」だしね。
でもまぁ、それはそれ。
訛りと言われようが何だろうが、彼らの言葉だ。
移民がたくさんということは、そんなネイティブの訛りよりももっと
『○○語ちっくに訛っている英語』が溢れているということ。
例えばカンタンに言うと、日本人の英語が――特に発音や話し方が――
“日本語っぽい英語”だということ。
イメージできるかしら?
おかげで英語が第一言語ではない人たちと英語で話すときの耳が育っていた…
と気づいたのは、帰国後5年ほど経ってからだった。
オーストラリアの場合、家族の中でもそれが起こる。
親が移民で子どもがオーストラリアで育っている場合。
(このパターンは実に多いのだけれど)
この場合、子どもの英語は完全にオージーの英語だ。
親が英語で苦労していても、子どもはそれが第一言語。
でも親と話すときは親の母国語。
…なんていうことは日常に溢れている。
私がおもしろいなぁと思ったのは、私のホストシスターKが言ったひとこと。
ちなみに彼女の親(私のホストマザー)は南アフリカからの移民。
南アフリカも英語圏なので、彼女の母国語は英語だ。
南アフリカの英語。
これは私にとって、とてもキレイに聞こえる聞きやすいものだった。
そしてホストシスターはオーストラリアで育っている。
でもそんなにオーストラリア訛りは強くない。
どうしてかな?
親がサウスアフリカンだからかな?
そう思ったけれど、どうやら違う。
他にも、生粋のオージーだけど
私にとって聞き取りやすいキレイな英語を話す兄妹を私は知っていたから。
彼らの英語にも、きついオージー訛りは全然ない。
でも彼らのお父さんの訛りはすごくて、私とは全然会話が成立しなかった。
何だろう?
環境かな??
さて、そのホストファミリーの親戚に、
ご主人がイギリス系の方という夫婦がいらした。
彼らのことを話していたとき、Kが言った。
「彼の英語って変だよね。そう思わない?」
へーーーっ!!
もちろん、私はそう思わなかった!
たぶんあれは、彼女が英語ネイティブだからこそ感じること。
話し方、発音、音の響き…
私が北海道に来て、標準語を話していると思っている北海道人の
北海道ならではのイントネーションに感じる感覚と同じようなもの。
おもしろいな~
『オーストラリアの英語は訛っている』
その言葉は、オーストラリアを外から見た人から出る言葉だ。
中にいれば、それが彼らの言葉。
それが標準。
だから“イギリス訛り”の英語が『変』となる。
おもしろい!
訛りだらけ。
すべてが訛っている。
すべてが訛っているということはもう、「訛りって何?」という話だ。
言われてみれば日本語だってそうよね。
今の標準語は、「これを標準語にしましょう」ってあとから決めたものだもの。
おもしろい!
9ヵ月半ほどオーストラリアで過ごしていた。
住居形態は基本、ホームステイ。
“ネイティブと過ごしたかったから”と“英語の中にいたかったから”
というのが大きな理由だったけれど、さすが移民の国!
ネイティブオーストラリアンの家庭と出会うことの方が稀だった(笑)
もちろん共通言語は英語だけれど。
おかげで
レバノンから移住してきた両親とオーストラリアで育った子どもたち、とか
南アフリカから移住してきた親とオーストラリアで育った子ども、とか
オーストラリア人の奥さんとペルーから移住してきただんなさんの家庭、とか
いろいろな人たちと過ごすことができた。
そして、いろいろな言語訛りの英語と触れ合うことができた。
日本だと、よく『イギリス英語』『アメリカ英語』なんて言われる。
そして『オーストラリアの英語は訛っている』と。
確かに、イギリスやアメリカの英語を基準にすればそう言えるのかもしれない。
「a boy」は「エイ ボーイ」だし、「Good day!」は「グダーイ!」だしね。
でもまぁ、それはそれ。
訛りと言われようが何だろうが、彼らの言葉だ。
移民がたくさんということは、そんなネイティブの訛りよりももっと
『○○語ちっくに訛っている英語』が溢れているということ。
例えばカンタンに言うと、日本人の英語が――特に発音や話し方が――
“日本語っぽい英語”だということ。
イメージできるかしら?
おかげで英語が第一言語ではない人たちと英語で話すときの耳が育っていた…
と気づいたのは、帰国後5年ほど経ってからだった。
オーストラリアの場合、家族の中でもそれが起こる。
親が移民で子どもがオーストラリアで育っている場合。
(このパターンは実に多いのだけれど)
この場合、子どもの英語は完全にオージーの英語だ。
親が英語で苦労していても、子どもはそれが第一言語。
でも親と話すときは親の母国語。
…なんていうことは日常に溢れている。
私がおもしろいなぁと思ったのは、私のホストシスターKが言ったひとこと。
ちなみに彼女の親(私のホストマザー)は南アフリカからの移民。
南アフリカも英語圏なので、彼女の母国語は英語だ。
南アフリカの英語。
これは私にとって、とてもキレイに聞こえる聞きやすいものだった。
そしてホストシスターはオーストラリアで育っている。
でもそんなにオーストラリア訛りは強くない。
どうしてかな?
親がサウスアフリカンだからかな?
そう思ったけれど、どうやら違う。
他にも、生粋のオージーだけど
私にとって聞き取りやすいキレイな英語を話す兄妹を私は知っていたから。
彼らの英語にも、きついオージー訛りは全然ない。
でも彼らのお父さんの訛りはすごくて、私とは全然会話が成立しなかった。
何だろう?
環境かな??
さて、そのホストファミリーの親戚に、
ご主人がイギリス系の方という夫婦がいらした。
彼らのことを話していたとき、Kが言った。
「彼の英語って変だよね。そう思わない?」
へーーーっ!!
もちろん、私はそう思わなかった!
たぶんあれは、彼女が英語ネイティブだからこそ感じること。
話し方、発音、音の響き…
私が北海道に来て、標準語を話していると思っている北海道人の
北海道ならではのイントネーションに感じる感覚と同じようなもの。
おもしろいな~
『オーストラリアの英語は訛っている』
その言葉は、オーストラリアを外から見た人から出る言葉だ。
中にいれば、それが彼らの言葉。
それが標準。
だから“イギリス訛り”の英語が『変』となる。
おもしろい!
訛りだらけ。
すべてが訛っている。
すべてが訛っているということはもう、「訛りって何?」という話だ。
言われてみれば日本語だってそうよね。
今の標準語は、「これを標準語にしましょう」ってあとから決めたものだもの。
おもしろい!
旅先で、お金がなくても移動できるのはどういうときか…
あ、正確に言うと
“お金を支払わなくても”移動できるときとは?
ヒッチハイク?
知り合いに車を出してもらう?
それももちろんアリ!
ではそれが公共交通機関の場合は?
例えば長距離バス、とか。
初めての海外一人旅はイギリス。
ロンドンでホームステイをした後、私はイギリス北部、
スコットランド近くのシュールズベリーという地に向けて旅だった。
移動はバス。
英語もろくに話せず、海外一人旅なんて全然慣れていない私は
距離感なんか全然わかっていなかった。
このホームステイとファームステイを申し込んだエージェントからは
「この日、ここからバスに乗ってください」
という旨のみ、伝えられていた。
ご存知の方も多いと思うが、ロンドンはダブルデッカーという
二階建てバスが有名だ。
ロンドン市内は地下鉄もバスも充実している。
2週間の滞在で、なんとなくロンドンの感覚を掴みつつあった私は
その日も、何の迷いもなく指定されたバス停に向かった。
が。
指定されていたのは長距離バス。
行き着いた先はバス停ではなく、大きなバスターミナルだった。
まぁ考えてみれば当たり前のことだったのだけれど、
その時の私は、自分がどれほどの距離を移動しなければならないのか
皆目検討がついていなかった。
わ… バスがいっぱい…
どれに乗ればいいのかわからない…
時間はギリギリ。
だって、早く着きすぎてバス停で大きなスーツケースを持って
ぼんやり立って待つだなんて、嫌だったんだもの。
慌てて近くの人にシュールズベリー行きのバスを聞いて
何とか駆け込もうとした。
その時。
「チケットは?」
運転手に問われた。
は?
チケット?
ここで支払うんじゃないの??
ロンドンの市バスをイメージしていた私は、当然前もってチケットなんて用意していない。
エージェントを通しての手配だったから尚更。
それは前もって説明があって然るべき内容だったからだ。
(ちなみに後日、それに関しては正式にエージェントから謝罪があった。)
「え…持ってない…」
「チケット持ってないと乗れないよ」
「え?え…?えっと、どこで買えるの?」
「向こうのチケット売り場だけど、もう出発するよ」
えーーーっ!!
困るーーー!
困るのーーっ!
今日、向こうに移動できないととってもとっても困るのよぅ!!
どうしよう、どうしよう。
私は大パニック。
涙ながらに訴えた。
お願い、ちょっと待ってて。
祈るような気持ちで。
すると運転手さんが言った。
「まぁとにかく乗りな」
呆れたのか同情してくれたのか、とにかく私は乗車を許された。
市バスと同じ感覚でいたなんて、我ながらわかっていないにもほどがある。
とにかくシュールズベリーまでの足を確保し、
ホッとした気持ちやら不安な気持ちやらエージェントの不手際への不満やら
チケットは一体いくらなんだろうということやら
いろいろな気持ちを抱えたまま、バスに揺られること数時間。
何とか無事にシュールズベリーの地へ辿り着くことができた。
降りるとき、私はもちろんお礼と共に運転手さんに問いかけた。
「チケット代はいくら?」
すると彼は笑いながら答えてくれた。
「ああ、いらないよ!」
びっくりした。
本当に、びっくりした。
こんなことが、あるんだ…
あの時、バスターミナルで泣いた私は本当に本当に困っていた。
その私の気持ちをスッとすくい取ってくれた運転手さん。
とってもありがたかった。
イギリス人は、基本的に個人主義。
他人に対しても、日ごろは“我関せず”なところが多い。
ロンドンの街を歩いていたときも、そんな印象があった。
でも本当に困っている人のことは敏感に見つける。
そしてその人にスッと手をさしのべる。
とても自然に。
驚くほど、自然に。
それは、重いスーツケースを運んでいた私に対しても起こった。
階段にさしかかった瞬間に、声をかけられるのだ。
すごい。
そして数段のぼり終わると、「じゃあ、気をつけてね」とスッと去っていく。
この感覚は、日本で味わったことのないものだった。
イギリス人は基本的に“我関せず”。
でも困っている人には当たり前に手をさしのべる。
『イギリス人はジェントルマン』
と言われる所以を見た気がした。
あ、正確に言うと
“お金を支払わなくても”移動できるときとは?
ヒッチハイク?
知り合いに車を出してもらう?
それももちろんアリ!
ではそれが公共交通機関の場合は?
例えば長距離バス、とか。
初めての海外一人旅はイギリス。
ロンドンでホームステイをした後、私はイギリス北部、
スコットランド近くのシュールズベリーという地に向けて旅だった。
移動はバス。
英語もろくに話せず、海外一人旅なんて全然慣れていない私は
距離感なんか全然わかっていなかった。
このホームステイとファームステイを申し込んだエージェントからは
「この日、ここからバスに乗ってください」
という旨のみ、伝えられていた。
ご存知の方も多いと思うが、ロンドンはダブルデッカーという
二階建てバスが有名だ。
ロンドン市内は地下鉄もバスも充実している。
2週間の滞在で、なんとなくロンドンの感覚を掴みつつあった私は
その日も、何の迷いもなく指定されたバス停に向かった。
が。
指定されていたのは長距離バス。
行き着いた先はバス停ではなく、大きなバスターミナルだった。
まぁ考えてみれば当たり前のことだったのだけれど、
その時の私は、自分がどれほどの距離を移動しなければならないのか
皆目検討がついていなかった。
わ… バスがいっぱい…
どれに乗ればいいのかわからない…
時間はギリギリ。
だって、早く着きすぎてバス停で大きなスーツケースを持って
ぼんやり立って待つだなんて、嫌だったんだもの。
慌てて近くの人にシュールズベリー行きのバスを聞いて
何とか駆け込もうとした。
その時。
「チケットは?」
運転手に問われた。
は?
チケット?
ここで支払うんじゃないの??
ロンドンの市バスをイメージしていた私は、当然前もってチケットなんて用意していない。
エージェントを通しての手配だったから尚更。
それは前もって説明があって然るべき内容だったからだ。
(ちなみに後日、それに関しては正式にエージェントから謝罪があった。)
「え…持ってない…」
「チケット持ってないと乗れないよ」
「え?え…?えっと、どこで買えるの?」
「向こうのチケット売り場だけど、もう出発するよ」
えーーーっ!!
困るーーー!
困るのーーっ!
今日、向こうに移動できないととってもとっても困るのよぅ!!
どうしよう、どうしよう。
私は大パニック。
涙ながらに訴えた。
お願い、ちょっと待ってて。
祈るような気持ちで。
すると運転手さんが言った。
「まぁとにかく乗りな」
呆れたのか同情してくれたのか、とにかく私は乗車を許された。
市バスと同じ感覚でいたなんて、我ながらわかっていないにもほどがある。
とにかくシュールズベリーまでの足を確保し、
ホッとした気持ちやら不安な気持ちやらエージェントの不手際への不満やら
チケットは一体いくらなんだろうということやら
いろいろな気持ちを抱えたまま、バスに揺られること数時間。
何とか無事にシュールズベリーの地へ辿り着くことができた。
降りるとき、私はもちろんお礼と共に運転手さんに問いかけた。
「チケット代はいくら?」
すると彼は笑いながら答えてくれた。
「ああ、いらないよ!」
びっくりした。
本当に、びっくりした。
こんなことが、あるんだ…
あの時、バスターミナルで泣いた私は本当に本当に困っていた。
その私の気持ちをスッとすくい取ってくれた運転手さん。
とってもありがたかった。
イギリス人は、基本的に個人主義。
他人に対しても、日ごろは“我関せず”なところが多い。
ロンドンの街を歩いていたときも、そんな印象があった。
でも本当に困っている人のことは敏感に見つける。
そしてその人にスッと手をさしのべる。
とても自然に。
驚くほど、自然に。
それは、重いスーツケースを運んでいた私に対しても起こった。
階段にさしかかった瞬間に、声をかけられるのだ。
すごい。
そして数段のぼり終わると、「じゃあ、気をつけてね」とスッと去っていく。
この感覚は、日本で味わったことのないものだった。
イギリス人は基本的に“我関せず”。
でも困っている人には当たり前に手をさしのべる。
『イギリス人はジェントルマン』
と言われる所以を見た気がした。
初めての海外一人旅は12年前。
行き先はイギリスとイタリアだった。
イギリスではロンドンでホームステイをした後
シュールズベリーでファームステイ。
当時の私は英語がまったく話せず、
tooとveryとsoの違いもわからなかった。
よくもまぁ、あんなに思い切った決断ができたものだと思う。
でもとにかく自分の世界の狭さに「このままじゃダメだ!」と思っていた。
モノを知らなさすぎる!
こんな自分がクリエイティブな仕事なんてできない!!
そう強く思っていた。
といっても、当時の私はぽーーーんと1人で海外に行けるような人間ではなく
行くことを決断したときは、友人に「え?そんな子だったっけ??」と驚かれた。
でもまぁ、行けばなんとかなる。
イギリスで3週間過ごした後、私はイタリアへ渡った。
英語はあやふやながらも、何となく耳も慣れ、
度胸だけはついていた。
ある日、ミラノのジェラート屋さんに入った。
必死に注文する私に、店員さんがひとこと。
「に?」
え?
『に』?
『に』って何??!
聞いたことのない音にパニック。
そんな英単語あったっけ?
え?イタリア訛り?
それともイタリア語??
カンタンな英語なら何とかなるけど、イタリア語はわからないよ~!!
「わからない!イタリア語はわからないの!」
必死に伝える私。
どうしよう、どうしよう…
ジェラートひとつ、まともに買えない…
すると店員さんが、Vサインのように指を2本出して再度言った。
「に?」
え…
え?!
『に』!?
『に』って、『2』ーーーっ?!!
衝撃だった。
に…日本語だったのかーーーっ!!
店員のおねえさんは、親切にも日本語で言ってくれていたのだ。
『2』…つまり、ダブルにするかって聞いてくれていたというわけだ。
わからなかった…
全っ然、わからなかった…
日本語でアイスの二段重ねのことを『に』とは言わない。
私たちは普通『ダブル』と表現している。
ネイティブジャパニーズとしては、決して使わない言い回しだ。
しかも私はイタリアの地で、まさか日本語で伝えようとしてくれる人がいるとは
夢にも思っていなかった。
この地には、イタリア語と英語しか存在しないと思い込んでいた。
まさかの日本語。
まさかの『に』。
気づいたとき、その親切心に感動したのは事実。
でもきっと、イタリア語で『Due』と言ってもらった方が
よっぽど理解できただろうな~(笑)
なんて、思ったりもしちゃう私なのだった…。
行き先はイギリスとイタリアだった。
イギリスではロンドンでホームステイをした後
シュールズベリーでファームステイ。
当時の私は英語がまったく話せず、
tooとveryとsoの違いもわからなかった。
よくもまぁ、あんなに思い切った決断ができたものだと思う。
でもとにかく自分の世界の狭さに「このままじゃダメだ!」と思っていた。
モノを知らなさすぎる!
こんな自分がクリエイティブな仕事なんてできない!!
そう強く思っていた。
といっても、当時の私はぽーーーんと1人で海外に行けるような人間ではなく
行くことを決断したときは、友人に「え?そんな子だったっけ??」と驚かれた。
でもまぁ、行けばなんとかなる。
イギリスで3週間過ごした後、私はイタリアへ渡った。
英語はあやふやながらも、何となく耳も慣れ、
度胸だけはついていた。
ある日、ミラノのジェラート屋さんに入った。
必死に注文する私に、店員さんがひとこと。
「に?」
え?
『に』?
『に』って何??!
聞いたことのない音にパニック。
そんな英単語あったっけ?
え?イタリア訛り?
それともイタリア語??
カンタンな英語なら何とかなるけど、イタリア語はわからないよ~!!
「わからない!イタリア語はわからないの!」
必死に伝える私。
どうしよう、どうしよう…
ジェラートひとつ、まともに買えない…
すると店員さんが、Vサインのように指を2本出して再度言った。
「に?」
え…
え?!
『に』!?
『に』って、『2』ーーーっ?!!
衝撃だった。
に…日本語だったのかーーーっ!!
店員のおねえさんは、親切にも日本語で言ってくれていたのだ。
『2』…つまり、ダブルにするかって聞いてくれていたというわけだ。
わからなかった…
全っ然、わからなかった…
日本語でアイスの二段重ねのことを『に』とは言わない。
私たちは普通『ダブル』と表現している。
ネイティブジャパニーズとしては、決して使わない言い回しだ。
しかも私はイタリアの地で、まさか日本語で伝えようとしてくれる人がいるとは
夢にも思っていなかった。
この地には、イタリア語と英語しか存在しないと思い込んでいた。
まさかの日本語。
まさかの『に』。
気づいたとき、その親切心に感動したのは事実。
でもきっと、イタリア語で『Due』と言ってもらった方が
よっぽど理解できただろうな~(笑)
なんて、思ったりもしちゃう私なのだった…。