私は方言が苦手だった。
もう、ずいぶん長い間―――。
何故苦手だったのかというと、
おそらく子ども時代、身の回りに存在していなかったから。
私は言葉遣いにとても敏感な子どもだった。
(そのまんま今も、ものすごく敏感なのだけれども^^;)
だからか、間違った言葉使いや言い回しがとても気になっていた。
たとえば「雰囲気」を「ふいんき」という人。
「『ふいんき』じゃないよ、『ふんいき』だよ。
漢字を見ればわかるのに」
とか
「○○みたいに」を「○○みたく」と言ったり
「違って」を「違くて」と言ったりするのは変!!
とかね。
他にもいろいろ、とにかくすごく敏感な子どもだった。
おかげで作文を添削し合う授業は完璧で、先生に驚かれた
という自慢話にも苦笑い話にもなるエピソードを持っている…のは余談ね^^
そんな私の中学高校時代、普段は(私にとっての)普通の話し方なのに
時々おかしな言い回しをする友人が現れた。
「○○がいたよ」を「○○がいてたよ」と言う彼女。
『いてた』?
何それ?
今思えば、彼女のお母さんは関西の人だったらしいから
お母さんからもらった言葉だったのだと思う。
でも当時の私はそんな言葉、知らない。
だから 「この子、時々変な言い方するな~」 と思っていた。
自分の基準から外れると「変なの~」と思うのは
人間誰でもあることだと思うけれど
コトバに関してはおそらく、同世代の子たちより私はきっとずっと敏感だった。
ちなみに今は、関西の方々が「いてる」と表現されることは分かっている。
昨年久しぶりに会った彼女は現在大阪在住。
関西弁に磨きがかかり、『いてる』も健在だった。
またもうひとり。
「5000円」のイントネーションが(私にとって)おかしい子がいた。
文字にすると何と表現したらいいのかわからないけれど
彼女は一時期広島県辺りにいたらしい。
瀬戸内の辺りにお住まいの方々と東京の人の言う
「100円」や「5000円」のイントネーションが異なるという事実を
私は今でこそ知っているけれど、当時は違った。
変!!
あきらかにみんなと違うのに何故直さないんだろう?
気づかないんだろうか…?
なんて、失礼ながら思っていた。
その後何年かして、私は広島出身の女性と出会った。
日本語教師養成講座を受講していた彼女は
「『100円』の言い方を直される~!」
と笑っていた。
まだ『人によって違う』や『地域によって違う』という認識が薄かった
私の中学高校時代。
標準語ではないイントネーションや言い回しはすべて
私にとっては「変なの~!」というものだったというお話。
>『方言が苦手③』へ続く