今、私の中では方言がブーム。
…というと、少し語弊があるような気がするけれど
との土地の言葉というものに興味がある。
それは4年前に『多言語』というものを知って
「人間は誰でも何ヶ国語でも話せるようになる」という、
今までの私の思い込みとは180度違った現実を見たからかもしれない。
実はそれまで、私は『方言』というものが苦手だった。
何故苦手だったのかをお話する前に、
今日は『方言と標準語』という考え方(?)を知ったときのお話。
小学校3年生だったかその前後だったかな…
国語の教科書に『方言と標準語』というタイトルの文章が出てきた。
それはそのタイトル通り、日本の中に存在する
『方言』と『標準語』について書かれたものだった。
東京で生まれ育っていた私は、基本標準語。
方言は話さない。
たまに聞かれるのだけれど、
『はひふへほ』が『さしすせと』となると言われている、いわゆる下町言葉と
標準語と定義づけられている言葉は異なる。
ちなみに私は父方の祖母とは同居だったし
母方の祖父母も同じ市内に住んでいた。
なので“田舎”というものもなく、子ども時代に
“地方に言って地元の言葉に触れる”という経験もなかった。
だからこそか、その教科書に書いてあることは
子どもの私には衝撃的だった。
ある女性が東京から○○県(←忘れちゃった)に引っ越したときのこと。
職場の先輩に「これ、ほかしといて」と言われた。
でも彼女は「ほかす」なんていう言葉を聞いたことがない。
「保管」のことかと思って、棚にしまっておいた。
後日、それを見つけた先輩に「何でほかしてないの?」と聞かれ
初めて「ほかす」が「捨てる」だとわかった。
こんな話が載っていた。
衝撃だった。
どうして?
どうして違う日本語があるの?
同じ日本なのに!!
小学生の私にとって、世界は今よりもっと狭い。
“いろいろな土地がある”
“いろいろな言葉がある”
“土地によって食べ物が違う”
“場所によって気候が違う”
“いろいろな人がいる”
そんなこと、わかっていなかった。
同じ日本なのに、通じないなんて不便!!
標準語があるなら、みんなそれを話せばいいのに。
それなら通じるんでしょ?
子ども心に、そう思っていた。
これが、私が『方言と標準語』というものの存在を意識した、初めてのこと。
私にとっての方言とは
身の回りにはない、遠い世界のことだった。
>『方言が苦手②』へ続く