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ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

英語の“勉強”が非常に苦手だ。
中学高校時代、どうやって勉強したらいいのかわからなかった。

テスト前は、ただひたすら単語の暗記。
プラス熟語。

でも単語を覚えたところで、文章全体が読めるようになるわけではないし
先生がどんな風に訳していたかなんていちいち覚えていない。

そしてもちろん、付け焼刃で覚えようとした単語なんて
ほとんど頭には入ってこなかった。

だから私は今でも、日本語以外のことばの“単語”を覚えるのが苦手。
覚えようとしても全然入ってこない。

まぁそれ以前に、もう“覚えよう”とする気も起こらないのだけれど。


唱えて唱えて 書いて書いて

で、それを一体いつ使うの?
どうやって使うの??


テストのためだけに一夜漬けした英単語は、
24時間も私の脳内には定着しなかった。



そんな私にとって、とても重要なキーとなった英単語がある。

 『latitude』

 『緯度』 だ。

オーストラリア滞在中、私は各地を旅してまわった。
メルボルンを基点に、最初に訪れたのはタスマニア島。
州都ホバートには、ホストマザーの親戚夫妻が住んでいた。

当時、帰国と同時に結婚が決まっていた私。
生まれも育ちも東京っ子の私だが、結婚後に暮らすのは北海道。

自分のことを話す中、タスマニアだからこそ相手に伝えたいことがあった。


 「ホバートと札幌は同じ緯度なの!」


そう。
北半球にある札幌は、赤道を基点にひっくり返すとちょうど
南半球にあるホバートと同じ緯度にあたるのだ。

それを知ったとき、私はワクワクした。

 これを伝えたい!


そこで私は『緯度』という単語を調べた。

 『latitude』

 『latitude』 か~!!


たった一度調べただけで、
その単語はすんなり私の中に入ってきた。

「今まで苦労した英単語の暗記は一体なんだったの?」 というくらい。

そしてもちろん、私は喜び勇んでステイ先の2人に伝えた。


 「ホバートと札幌は同じ緯度なの!」


すると彼らは、それはそれは驚いた表情で言った。


 「『latitude』なんていう難しい単語、よく知ってたね!」


でも、考えてみてほしい。

当時、私は26歳。
日本語で考えれば、『緯度』なんていう単語は知っていて当たり前。
知らない方が恥ずかしいくらいだ。

“英単語”として“勉強”する中で“暗記”しようとしたのなら
おそらく絶対私は覚えなかった。
覚え…られなかった。

でも、私は「ホバートと札幌は同じ緯度」ということを伝えたくて
その単語をGETしていたから。

その時、『latitude』は私にとって、“机上の英単語”ではなく
“生きたことば”になっていたのだ。


あの時私は、本当の意味でわかった気がした。


ことばは、“覚える”ものではない。

使ってはじめて自分のものになる。

生きた生活の中にあってはじめて、ことばも生きる。



勉強が悪いとは言わない。
すべてが無駄とは思わない。

もちろん勉強するより、赤ちゃんのように自然習得した方が
よりナチュラルで苦しさもないとは確信している。

でもすべてを自然習得することにこだわる必要もないとは思っている。
日常生活だけでは出会わない単語だってあるしね。

自然習得とは、就学前の子どもたちのようにことばの根幹を築くもの。

そしてその上で、私たちも“国語”を勉強するから。
だからわからなければ調べればいい。

でも、同じ『調べる』にしても、そこに体験があるかどうかの違いは大きい。


だから私は、“ことば”と触れる以上は
“生きたことばの中”にいたいと思っている。


その方が楽しいもん。
苦しさもないしね!

ことばが“苦しいもの”になってしまうって…
こんなに悲しいことはないものね。
自分が望まない結果になっても
後悔が生まれるときと生まれないときがある。

後悔するのはどんなときか。

それは自分の意志で決めて動かなかったとき。


これも昨日に引き続き、親に言われて育ったなぁ…と思い出される言葉。


『人のせいにしない』

『自分のことは自分で決めなさい』



どうしたらいいかわからないとき
どっちがいいかわからないとき
人は他人の意見を聞きたくなる。

でもそこにはいくつかの『逃げ』と『責任転嫁』が存在する可能性がある。


自分で決めないまま、それがうまくいかなかったとき
こんなセリフを口にしたことはないだろうか?

「だって○○がそう言ったから~」

例えば自分の意志ではなく親に言われて何かをやって(決めて)
うまくいかなかったら
「だってお母さんが言ったから~」

子どもの頃、その言葉を口にすると私は決まって母に叱られた。

「人のせいにしないの!」


誰かのせいにすれば、うまくいかなかったときの逃げになる。
言い訳になる。

でも参考と、責任転嫁は違う。

迷って迷って、結局自分の気持ちよりも誰かのアドバイスを優先したとき
これは生まれる。


大きくなるに従って、
母は私の決断が母の言葉に左右されそうになっているのを悟ると
決まってこう言った。

「お母さんが決めることじゃないわよ。 ひろが自分で決めなさい」

子どもの頃、この言葉で私は何度となく途方に暮れた。


今思えば、あれは『怖さ』の存在だ。

自分で決めて、もし失敗したらどうしよう。
誰のせいにもできない。
すべてを引き受ける覚悟もない。

だから、無意識に親に決めさせようとするのだ。

親が言うことなら大丈夫。
間違わない。
失敗しても自分のせいじゃない。

意識的にではなくても、無意識下でこう思っていた可能性はある。



今になって、これがいかに何も生み出さないものなのかを痛感してる。

『自分で選んで 自分で決めて 自分で動く』

こう生きるかどうかで、人生は劇的に変わる。

そこに後悔は存在しない。
変わりに存在しているのは『自主性』。

そしてそこには、失敗も存在しない。
あるのは、「これじゃなかった」というひとつの結果だ。

自分で決めて動いているから、後悔なく完了できる。
完了できるから、次に進める。


母が子どもの私に伝えてくれていた言葉。

 『人のせいにしない』
 『自分のことは自分で決めなさい』

人として生きていく上でも
自分のビジネスをする上でも
お客さまに対してセッションする上でも
この上なく大切な言葉たち。


親が子どもに伝える言葉の、本当の奥深さや真意は
その子が大人になったときに気づくのかもしれない。

何十年もかかる。

何十年もかかるけど

心の奥底に伝わってしまえば、
それは大人になったその子を支える宝物になる。
小さい頃から親が口をすっぱくして言う言葉には
子ども時代に自分が受け取っていたよりずっと
深く大切なものが込められていると気づく。

人としてどうか…
人として大切なことは…

基本はそれ。

当たり前のことなのだけれど
『何と奥が深いことを母は伝え続けてくれていたのだろう!』
と思ったのは、自分がビジネスをはじめ本格的にコーチングを学んだ頃。


例えばこれ。

『人の悪口を言わない』


当たり前?
そう、当たり前のこと。

子どもの頃、私の母はこう言っていた。


 「悪口は必ず自分に返ってくる」

 「どんなに隠そうとしても、必ず相手の耳に入る」

 「自分が言ったら、人にも言われる」

 「みんな嫌な気持ちにしかならないよ」


本当に、まったくその通り。
それでも我慢できない子どもの頃の私は
言ってしまっては後悔し、自分のダメさ加減にうんざりしたものだった。

大人になっていい加減そういう世界から遠ざかれたかなと思いきや
いい年してそういう話ばかりをする人が残念ながら皆無ではないことを知って
がっかりしたことも何度もある。

そのたびに、わが身を省みる機会を得たのだと思っているけれど。


あなたは言わない?
では悪口のつもりはなくても、これだったらどうか。


 「○○さんてさぁ…」

 「△△さんがあなたのこと、こう言ってたよ」

 「□□さんて~~~なんだって!」


言ってない?
愚痴だったり、うわさ話だったり。

これ、言われてみたらどう思うだろう?


○○さんや□□さんの立場だったら、すごく嫌な気持ちになる。
そしてその話を聞かされた人は、こう思う。

「この人、私のことも他のところでそんな風に話してるんじゃないかな?」

そこで生まれるのは、伝えてきた相手に対する不信感。
そして○○さんや□□さんに対する色眼鏡。


さらに△△さんに関しては、その真偽がわからなくても
何となく不信感を持ってしまうだろう。

そしてもちろん、それを伝えてきた相手に対しても。

「どうしてわざわざ、そんなこと私に伝えるの?」

すごく嫌な気持ちになる。

そこで生まれるのは△△さんに対する不信感のみならず
やはり伝えてきた相手に対する不信感。

結果、△△さんへの警戒心が生まれ
伝えてきた相手にも心を開かなくなる。



もしそれが会社などの組織内で蔓延したら…

社員同士が不信感でしか繋がっていない会社の未来は暗い。


これを 『ゴシップ』 と言う。


世界の一流経営者達は、このゴシップを本格的に学ぶらしい。

ゴシップが生まれない組織づくり
ゴシップが生まれたときの対応の仕方


『ビジネス』とか『ゴシップ』とか言うと
すごく難しい世界に聞こえるかもしれない。

けれど、その基本にあるのは、親が子どもに伝えている
人として大切な、あのひとことだ。


『人の悪口を言っちゃダメよ』


生きる上で
人と関わる上で
大切なことはみんな、子どもの頃に親に伝えられている。

わかりやすい言葉で。

そして大人になった今、自分たちの立ち位置は
『人の悪口を言わない』を実行し伝える側。


『人の悪口を言っちゃダメよ』


成功するビジネスパーソンを支えるコトバ。

コミュニケーションの基本はいつも、子どもだ。
2013年6月9日。
札幌の街が一丸となって盛り上がるYOSAKOI ソーラン祭の最終日。
実は同じ日に、少し離れた場所では北大祭が開催されている。

北大は、都心部の大学ではなかなか見るチャンスのない、
そこが独立したひとつの街のような、大きなキャンパス。

その北大祭、私は各国からの留学生が出店する露店目当てで訪れる。

現地の人たちが作った現地の料理。
それを食べる楽しみはもちろんだけど、それよりもっと楽しみなのが
現地の言葉で少しでも会話をすること。

「こんにちは」「ありがとう」を言えるだけでも、何だかとっても嬉しくなる。

会話したさに、お腹いっぱいなのに無理に買って食べ続けたのは昨年の話。
さすがに今年は自重したけれど…^^;



さてその北大祭。
今年はオモシロ日本語を発見して楽しんだ。

北大で学んでいる留学生は、必ずしも日本語が堪能なわけではない。
中には勉強や研究はすべて英語でやっているという学生もいる。

そんな彼らが出店するテントには、来る人に伝わりやすいように
日本語で書かれたメニューやら説明やら写真やらが掲げられている。
そこにはほほえましい日本語の数々が。

たとえばこれ。
ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間-20130609北大祭03
『小麦粉』が『むぎこ』に。
気持ちはわかる!『こ』がひとつ足りなかったけど!
辞書で調べたのかな?


次はこれ。
ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間-20130609北大祭06

『たまねぎ』が『たまにぎ』に。
確かにね、文字から入らなかったら『たまにぎ』に聞こえるのかもしれない。

そういえば私がオーストラリアにいたとき、ホストシスターが
元総理の中曽根さんのことを『なかそに』と言っていた。

『ね』と『に』、
あちらの人には同じ音に聞こえるのかな?

ちなみに『レントル』も、日本人なら『レンティル』って書きますね。


これと同じ、音から入った(そう聞こえた)からそう書いたのね~
という例がこれ。
ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間-20130609北大祭04
『チキン』が『チッキン』に。
確かに!小さい『ツ』の存在を知っているのなら
chickenの場合、入れたくなるのかも!


これも同じような例。

ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間-20130609北大祭01
『う』が多い!
でも「ようこそ~!」という日本人の言葉を聞いて書いたのなら
気持ちはわかるわかる!

そしてこの文そのものもなんてキュート!
『カレーへようこそう…』

日本人なら絶対書かないこの表記。
でも『どうぞカレーを食べて。大歓迎よv』
という気持ちがとても伝わってくる。

難しいことをごちゃごちゃ書いたり言ったりするよりも
シンプルに子どものように伝えたほうが
スッと入ってくるという典型!


そしてこれ。
ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間-20130609北大祭02
日本人ならきっと『ボルシチ』って書くところ。
ついでにメジャーなものじゃないけれど
『サワードウ』も、知ってる人なら『サワドー』と書く。

外来語として日本語変換されたからこその言葉。
もとの音をそのまま書くなら違ってくるということだ。

これは『マクドナルド』は日本語で、英語圏の人には通じないというのと似ている!
『マクダーナルッ』って言わないとわからないよ~って。


10年前の私なら「違う」「間違ってる」という方に意識がいっていたかもしれない。
でも今はこれがすごくおもしろい!

こんな小さな紙の中にたくさんの世界が詰まってる^^

オーストラリアで新年を迎える頃。
私はある家族のニューイヤーイブパーティーに交ぜてもらっていた。

お邪魔した家のダンナ様がガレージを製作中。
パーティはそこで開かれた。

「ひろ、せっかくだからここに日本語で書いて!」
と、あるテーブルを指さし油性マジックを渡される。

「何を?」と問う私に、彼はひとこと。

『Do Your Best!』


 ああ、Do Your Best ね。

 うん、了解。


と思ったところでふと気づいた。


 Do Your Best って、日本語で何て言うの??


オーストラリアにいるとよく聞くこの言葉。
ナチュラルに何の違和感もなく「OK~!」と受け取っていたけれど
それは向こうの感覚だった。


 日本語で、何??


困る私。

あまりに困り果てている私を見かねた彼は
「じゃあ『A happy new year でいいよ』」 と。

私はしぶしぶ…思い浮かばなかった自分をものすごく残念に思いつつ
本当にしぶしぶ、『明けましておめでとう』 と書いた。

ああ…情けない。


その後、ふとした時に気づいた。

Do Your Best って、『ベストをつくせ!』じゃん!!

さらにもっと、海外の人が喜ぶ日本語を書くのなら、複雑な(?)漢字を交えて

『最善を尽くせ!』


 なによもう…

 どうして浮かばなかったのよ、私…


そうは思っても、考えてみれば日本語ではあまりこのフレーズを使わない。
カタイ場で、「最善を尽くして…(何たらかんたら)」という人はいるけれど
オーストラリアの日常で普通に使われている「Do Your Best!」とは
ちょっと、コトバに対する感覚が違う。

その時の私は、向こうの感覚になっていたということだ。

だから私にとって
Do Your Best は、あくまでも Do Your Best だったというわけ。

私、友達に「Do Your Best!」とは言えても
「最善を尽くすのよ~!」とは言えないもんなぁ…
エリトリアって知ってますか?

アフリカの、エチオピアに隣接する小さな国。
私はSさんと出会うまで、その国の存在を知らなかった。

JICA研修員の方々のホームステイやホームビジットを受け入れていると
知らない国名とよく出会う。

世界は広く、いかに自分の世界や知識が狭いかを
その度に痛感している。

SさんはナイジェリアのDさんを通して知り合った。
彼女も英語が堪能。

でも実は、エリトリアでは英語は話されていないという。
母国語はひとつのローカルな言語。
ナイジェリアのように多言語が混在しているわけではないらしい。

つまり、国内での生活において、英語は必要ない。
日本と同じ。

では何故、彼女は英語があんなにも堪能なのか。
彼女に聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

「英語の番組がたくさんあるからじゃないかな」

 あれ?

「日本に来たら、英語の番組がCNNひとつしかなかった。
 そこが違うと思うわよ」

 なんかこのセリフ、どこかで聞いたことがある。

 そうだ、この間会ったスウェーデン大使が、まったく同じことを言っていた!

そう。
スウェーデンもエリトリアも、他国と陸続きとはいえ
基本的にはひとつの母国語が話されている国だ。

でも彼らのほとんどは英語が堪能。
その理由を問うと、示し合わせたように同じ答えが返ってきたということだ。

もしかしたら、理由はそれだけではないかもしれない。

でも、言語を専門研究している人ではなく
一般のレベルで、英語を習得したことに対する見解は同じだった。


 英語の番組放送


根付いてないよね、日本には。

音声切り替えができるとか、有料テレビ番組まで入れれば
CNN1本ということはないけれど。

日常的に自分の身の回りで英語の波を自然に耳にする機会があるかどうか――
彼らはそれを言っているのだと思う。

確かに、韓流ドラマが好きで見続けていたら
韓国語がわかるようになっていたという人は少なくない。

それと似たような感じ。


コトバは楽しんだモン勝ち。
そして、その溢れる音の中にいたモン勝ち。

答えはいつだって、いたってシンプル。


“溢れるほどの英語番組の放送が自然と存在する社会”


そうなったら、日本人の英語観に革命が起こるかもしれない。
ナイジェリアからやってきたDさんは、とてもよく話す女性だった。

止まらない 止まらない。
ずーーーーーーーーっと話している。

「ちょっとあのペースだと、さすがに俺ついていけなかった…」
とは夫談。
そうでしょうね。無理しなくていいよ^^;


彼女は「日本は美しい素敵な国だ」と言ってくれていた。

でもおそらく、英語の通じない国でストレスを感じていたのだろう。
会話の成立する私と出会ったことで一気に爆発したようだった。

そんな彼女の目に映る日本を聞くにつれて
私は日本という国内で起きている『街や社会』と『個人』の
言語に対する温度差や心の開き方の違いを強く感じていった。

ここ数年、外国人旅行者を呼び込もう、対応しようということで
各地に英語をはじめ中国語や韓国語などで表記されたサインや
パンフレットを目にするようになった。

家電量販店に行けば、上記の言語にプラスして
スペイン語、フランス語、ロシア語他、多数の言語でアナウンスが流れている。

これはおそらく、気持ちよく買い物していただくためと
トラブルを防ぐためという両方の側面を持った対応だろうと思う。


でもそれが、彼女を余計に戸惑わせたようだった。


「英語で書いてあるから聞いたのに!全然通じない!!」


…確かに。


店として、社会としては対応しようとしている。
英語は特に、日本社会が「対応しなきゃマズイ!」と強く思っている。

でも実際にそこにいて、海外からやってきた人達と触れ合うのは
張り紙でもアナウンスでもなく、そこにいる『人』。

でも多くの日本人は英語に苦手意識を持っている。
英語を話せる人は、まだまだスペシャル扱いなことが多い。


「コミュニケーションできない!!」


それが彼女のストレスとなっていたのだろう。


私だってそうだけれど、日本国内でごく普通~に暮らしていたら
自分から積極的に関わろうとしない限り、日常では英語を必要とはしない。

職種によっては必要なものもあるけれど
全社会人が英語を話せないとまわせない社会なわけではない。

だからこそ、の問題が起こっているのだと思った。


 街も社会も多言語に対応しようとしている。

 でも実際そこで生きて暮らしている人たちはそうではないという事実。

 それが、今の日本という国だと。


彼女の嘆きは、裏を返せば日本の悲鳴のようにも思えた。
先日、ナイジェリアからDさん(女性)が我家にやってきた。

ナイジェリアからのゲストは2人目。
前回はCさん(男性)、昨年の雪祭り直前のことだった。

「寒くない?」とたずねる私たちに
「大丈夫!コート着てるから」とニコニコ。

雪像を造っている現場をのぞいて我家へ足を踏み入れ
コートを脱いだCさんは半袖1枚だった…。

いくらなんでも寒いでしょ!(笑)

夫のフリース、大活躍。
そんな楽しい彼だった。



さて、Dさんに「以前Cさんという方がいらしたのよ」
という話をしたらおもしろい反応が返ってきた。

「ああ!Cという名前なら彼は○○地域の人ね。イボ語を話したでしょ!」

 えっ?!

 名前を聞くだけで、どこのエリアの人かわかるんだ!!

どうやらナイジェリアはひとつの国の中でも
北・東・西という地域によって、話す言語が全然違うらしい。
彼女は母国語は(確か)ヨルバ語。

それらの言語はまったく違っていて、お互いの意思疎通はできないと言う彼女。
だから英語が共通語として存在しているという。

 そうなんだ~

 だから英語が堪能なのね

そう思う一方で、私は何とも不思議な思いを抱いていた。

アフリカは多言語国家が乱立している地域。
無数の部族が異なる言語を話している。

だからこそ、飛び交う言語の中で育つうちに多言語を身につけるし
話せないと意思疎通ができない。
ゆえに10数ヶ国語、数10ヶ国語…と話す人たちが実際に存在している。

なのに彼女は言う。

「英語がないとコミュニケーションできない」

何だろう、この真逆の言葉は。
とてもとても、不思議だった。


確かに英語が共通語として存在していれば便利だ。
“多くの人が話す共通語”があることで、話せる相手は格段に増える。
話す相手が増えれば世界は広がる。

確かにその通り。

でも日本のような単言語国家ならともかく
ナイジェリアのような多言語国家で
自分の母語となる各言語の他は英語しか話さない、話せないというのは
とてももったいないように感じた。

多言語国家の柔軟性はどこへいってしまったのだろう?


そういえば…思い出した。
昨年出会ったインドネシアのDさん(女性)も同じようなことを言っていた。

「インドネシアはたくさんの現地の言葉があるの。
 それはお互いわからないから、共通語はインドネシア語よ」

ナイジェリアのDさんの言う各地の言語も
インドネシアのDさんの言う各地の言語も
日本人のイメージしやすい『方言』とは異なる。

一番近い例をイメージするなら、『沖縄のことば』かな?

でも沖縄は物理的に距離の離れた島。
国内どころか他国とも隣接しているナイジェリアとは違う。
(インドネシアは数千の島から成っているから、
 そこに要因があるのかもしれないけれど私はわからない)



『お互いわからない』

それは国民性なのか地域性なのか、はたまた時代なのか…

何とも残念! もったいない!!

ナイジェリア国内で、言語的に何が起こっているのか。
もっと知りたいv
方言が苦手なまんま大人時代を過ごして10数年。

 あれ?

 怖くない…

そう思ったのは、30を過ぎてからのことだった。



その頃私は北海道で暮らすようになって7年ほど経っていた。

多言語というものを知り
方言好きの人たちを知り
自分の言語観が知らず知らずのうちに変わっていたのだと思う。

そしてセラピストやコーチという仕事をしていく中で
人は人、自分は自分、いろいろな土地がありいろいろな人がいるということを
頭ではなく、心と体で理解し、そう思えるようになっていた。


そんなとき、大阪で講座を開講することになった。


仕事で大阪に行けるのはとっても嬉しい!

本当に、素直に嬉しかったしワクワクしていた。
でも一方で、ドキドキしている自分もいた。

 大阪弁に囲まれるのはまだ怖いかもしれない…

 またあんな思いをしたらどうしよう…


そしていざ、降り立った大阪の地。
出会った人たちはとても親切でフレンドリーだった!

私はもう嬉しくて嬉しくて。
その土地の文化や言語に興味津々の私は受講生のみなさんに質問しまくった。

大阪での講座開講といっても、そこに集まってくださったのは
大阪のみならず、京都・奈良・滋賀・和歌山・兵庫など関西各地の方々。

当たり前だけど、ひとくくりに関西といっても
その土地その土地で言語も文化も食も異なる。

その話を聞かせていただくのが、嬉しくて楽しくて仕方がなかった。


「私、もっとみなさんコテコテの関西弁を話されるのかと思ってました」


そう問いかけた私に対して、返ってきたのはこんな答え。


「話しませんよ~。普段はこんなものです」

「先生がイメージされてるのってきっと、
 テレビなんかに出ているコッテコテの関西弁でしょ?あれはね~…」

「私たちも地元の友達と話すならもうちょっとコテコテになるけれど
 そこまでは…。それにこういう場ではこんなもんですよ」


そうなんだ~!!


もちろん、イントネーションは微妙に違う。
標準語とも違うし北海道の人たちとも違う、関西の波。

でもその関西風のイントネーションが
「ああ私、大阪にいるな~」と
私をうっとり心地よくさせてくれていた。



何故私は方言が――特に大阪弁が――怖くなくなったのか。

理由はひとつじゃない。

大人になったからというのもあるだろうし
相手からの敵意を感じなかったからというのもあるだろうし
講師という立場だったからというのもあるだろう。

でもきっと一番は、私自身が方言も標準語も日本語も外国語も
全部ひっくるめて人間が話すコトバだということをナチュラルに受け入れて、
相手と相手の周りにある言語や文化に興味を持ったからなのではないかな。

こちらがオープンマインドで相手に向き合えば
相手も必ず返してくれる。

考えてみれば当たり前のこと。

でも、狭い世界しか見ていなかったときは
そこに至ることはできなかった。

自分の内側にある世界を見て
外を見たときにギャップを感じて苦しんで
他人と自分の『違いと共通点』の両方を体験して

はじめて

本当の意味で相手を受け入れられるようになる気がする。

だから今、私は方言に興味津々。
全国各地の文化、食、人、考え方、そしてもちろん言葉に興味津々。

あちこちに行きたい。

あちこちで出会いたい。

あちこちでお話したい。


これを読んでくださっている、全国各地で暮らす方々とお会いできたら
本当に嬉しい!
オーストラリア滞在中、街に慣れるためにと
最初のうちは語学学校に通った。

街に慣れるし友達もできるかな?
学生時代と違って英語の“勉強”も楽しめるかな?

なんて思っていたのだけれど、やっぱりダメだった。
どうも私は“言語を勉強して学ぶ”というのが苦手なようだ。

日本の英会話スクールでネイティブ講師の方々と話すのは
とても楽しかったのにな~。

やっぱり私は、言語に関しての“外側からのお勉強”には拒否反応が出るらしい。

だって全然、自分の中に入ってこないし
頭で必死に理解するだけで
日常の生きた会話力が劇的に上がるわけではなかったから。



さて、その語学学校のあるクラスに名古屋出身の男性がいた。
彼はそのクラスの中心的存在。
その場にあまり馴染めなかった私は、彼の言動にドキドキしていた。

そのクラスにはもちろんあちこちの国から生徒が来ている。
でも、日本人率は高かった。

あるとき、彼が言った。

「東京の奴らはさぁ、自分達が標準語を話してるって言うけど
 話してねーよ!
 標準語っていうのはNHKのアナウンサーが話してる言葉を言うんだよ。
 レストランに行って『スパゲッティ?』なんて疑問形で言うなっつの。
 あんなの標準語じゃねぇ!」

いやいやいや…

確かに当時、語尾を上げて疑問形のように話す若者が話題(問題)になっていた。
自分の意志で注文するのに、何故疑問形なのか。

そりゃそうだ。

でもそんな話し方、多くの東京人はしない。
メディアで話題になっていたのは、
主に当時の女子高生の間で流行っていた話し方。

それを彼は、東京の人間すべてがああいう話し方をしているのだと思ったのだろう。


 いえいえ、私たちは標準語を話しています。

 NHKのアナウンサーと同じです。

 語尾を上げて常に疑問形で話す子たちの話し方は
 私だって違和感を覚えます。


私は心の中でそう叫んでいた。

でもその時の彼は“標準語”を話すという“東京の人間”に対して
明らかな敵意を表していた。


 怖い…

 とても怖くて言えない…

 伝えたら、10倍くらいになって返ってきそう…


こうしてまた、私の『方言が怖い病』に拍車がかかってしまったのだった。

   >『方言が怖くない!』へ続く