自分が望まない結果になっても
後悔が生まれるときと生まれないときがある。
後悔するのはどんなときか。
それは自分の意志で決めて動かなかったとき。
これも昨日に引き続き、親に言われて育ったなぁ…と思い出される言葉。
『人のせいにしない』
『自分のことは自分で決めなさい』
どうしたらいいかわからないとき
どっちがいいかわからないとき
人は他人の意見を聞きたくなる。
でもそこにはいくつかの『逃げ』と『責任転嫁』が存在する可能性がある。
自分で決めないまま、それがうまくいかなかったとき
こんなセリフを口にしたことはないだろうか?
「だって○○がそう言ったから~」
例えば自分の意志ではなく親に言われて何かをやって(決めて)
うまくいかなかったら
「だってお母さんが言ったから~」
子どもの頃、その言葉を口にすると私は決まって母に叱られた。
「人のせいにしないの!」
誰かのせいにすれば、うまくいかなかったときの逃げになる。
言い訳になる。
でも参考と、責任転嫁は違う。
迷って迷って、結局自分の気持ちよりも誰かのアドバイスを優先したとき
これは生まれる。
大きくなるに従って、
母は私の決断が母の言葉に左右されそうになっているのを悟ると
決まってこう言った。
「お母さんが決めることじゃないわよ。 ひろが自分で決めなさい」
子どもの頃、この言葉で私は何度となく途方に暮れた。
今思えば、あれは『怖さ』の存在だ。
自分で決めて、もし失敗したらどうしよう。
誰のせいにもできない。
すべてを引き受ける覚悟もない。
だから、無意識に親に決めさせようとするのだ。
親が言うことなら大丈夫。
間違わない。
失敗しても自分のせいじゃない。
意識的にではなくても、無意識下でこう思っていた可能性はある。
今になって、これがいかに何も生み出さないものなのかを痛感してる。
『自分で選んで 自分で決めて 自分で動く』
こう生きるかどうかで、人生は劇的に変わる。
そこに後悔は存在しない。
変わりに存在しているのは『自主性』。
そしてそこには、失敗も存在しない。
あるのは、「これじゃなかった」というひとつの結果だ。
自分で決めて動いているから、後悔なく完了できる。
完了できるから、次に進める。
母が子どもの私に伝えてくれていた言葉。
『人のせいにしない』
『自分のことは自分で決めなさい』
人として生きていく上でも
自分のビジネスをする上でも
お客さまに対してセッションする上でも
この上なく大切な言葉たち。
親が子どもに伝える言葉の、本当の奥深さや真意は
その子が大人になったときに気づくのかもしれない。
何十年もかかる。
何十年もかかるけど
心の奥底に伝わってしまえば、
それは大人になったその子を支える宝物になる。