方言が苦手なまんま大人時代を過ごして10数年。
あれ?
怖くない…
そう思ったのは、30を過ぎてからのことだった。
その頃私は北海道で暮らすようになって7年ほど経っていた。
多言語というものを知り
方言好きの人たちを知り
自分の言語観が知らず知らずのうちに変わっていたのだと思う。
そしてセラピストやコーチという仕事をしていく中で
人は人、自分は自分、いろいろな土地がありいろいろな人がいるということを
頭ではなく、心と体で理解し、そう思えるようになっていた。
そんなとき、大阪で講座を開講することになった。
仕事で大阪に行けるのはとっても嬉しい!
本当に、素直に嬉しかったしワクワクしていた。
でも一方で、ドキドキしている自分もいた。
大阪弁に囲まれるのはまだ怖いかもしれない…
またあんな思いをしたらどうしよう…
そしていざ、降り立った大阪の地。
出会った人たちはとても親切でフレンドリーだった!
私はもう嬉しくて嬉しくて。
その土地の文化や言語に興味津々の私は受講生のみなさんに質問しまくった。
大阪での講座開講といっても、そこに集まってくださったのは
大阪のみならず、京都・奈良・滋賀・和歌山・兵庫など関西各地の方々。
当たり前だけど、ひとくくりに関西といっても
その土地その土地で言語も文化も食も異なる。
その話を聞かせていただくのが、嬉しくて楽しくて仕方がなかった。
「私、もっとみなさんコテコテの関西弁を話されるのかと思ってました」
そう問いかけた私に対して、返ってきたのはこんな答え。
「話しませんよ~。普段はこんなものです」
「先生がイメージされてるのってきっと、
テレビなんかに出ているコッテコテの関西弁でしょ?あれはね~…」
「私たちも地元の友達と話すならもうちょっとコテコテになるけれど
そこまでは…。それにこういう場ではこんなもんですよ」
そうなんだ~!!
もちろん、イントネーションは微妙に違う。
標準語とも違うし北海道の人たちとも違う、関西の波。
でもその関西風のイントネーションが
「ああ私、大阪にいるな~」と
私をうっとり心地よくさせてくれていた。
何故私は方言が――特に大阪弁が――怖くなくなったのか。
理由はひとつじゃない。
大人になったからというのもあるだろうし
相手からの敵意を感じなかったからというのもあるだろうし
講師という立場だったからというのもあるだろう。
でもきっと一番は、私自身が方言も標準語も日本語も外国語も
全部ひっくるめて人間が話すコトバだということをナチュラルに受け入れて、
相手と相手の周りにある言語や文化に興味を持ったからなのではないかな。
こちらがオープンマインドで相手に向き合えば
相手も必ず返してくれる。
考えてみれば当たり前のこと。
でも、狭い世界しか見ていなかったときは
そこに至ることはできなかった。
自分の内側にある世界を見て
外を見たときにギャップを感じて苦しんで
他人と自分の『違いと共通点』の両方を体験して
はじめて
本当の意味で相手を受け入れられるようになる気がする。
だから今、私は方言に興味津々。
全国各地の文化、食、人、考え方、そしてもちろん言葉に興味津々。
あちこちに行きたい。
あちこちで出会いたい。
あちこちでお話したい。
これを読んでくださっている、全国各地で暮らす方々とお会いできたら
本当に嬉しい!