無銭乗車が許された涙 | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

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ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

旅先で、お金がなくても移動できるのはどういうときか…

あ、正確に言うと
“お金を支払わなくても”移動できるときとは?

ヒッチハイク?
知り合いに車を出してもらう?

それももちろんアリ!

ではそれが公共交通機関の場合は?
例えば長距離バス、とか。



初めての海外一人旅はイギリス。
ロンドンでホームステイをした後、私はイギリス北部、
スコットランド近くのシュールズベリーという地に向けて旅だった。

移動はバス。

英語もろくに話せず、海外一人旅なんて全然慣れていない私は
距離感なんか全然わかっていなかった。

このホームステイとファームステイを申し込んだエージェントからは
「この日、ここからバスに乗ってください」
という旨のみ、伝えられていた。

ご存知の方も多いと思うが、ロンドンはダブルデッカーという
二階建てバスが有名だ。
ロンドン市内は地下鉄もバスも充実している。

2週間の滞在で、なんとなくロンドンの感覚を掴みつつあった私は
その日も、何の迷いもなく指定されたバス停に向かった。

が。

指定されていたのは長距離バス。

行き着いた先はバス停ではなく、大きなバスターミナルだった。

まぁ考えてみれば当たり前のことだったのだけれど、
その時の私は、自分がどれほどの距離を移動しなければならないのか
皆目検討がついていなかった。


 わ… バスがいっぱい…
 どれに乗ればいいのかわからない…


時間はギリギリ。

だって、早く着きすぎてバス停で大きなスーツケースを持って
ぼんやり立って待つだなんて、嫌だったんだもの。

慌てて近くの人にシュールズベリー行きのバスを聞いて
何とか駆け込もうとした。


その時。


「チケットは?」


運転手に問われた。


 は?

 チケット?

 ここで支払うんじゃないの??


ロンドンの市バスをイメージしていた私は、当然前もってチケットなんて用意していない。
エージェントを通しての手配だったから尚更。
それは前もって説明があって然るべき内容だったからだ。
(ちなみに後日、それに関しては正式にエージェントから謝罪があった。)


「え…持ってない…」

「チケット持ってないと乗れないよ」

「え?え…?えっと、どこで買えるの?」

「向こうのチケット売り場だけど、もう出発するよ」


 えーーーっ!!

 困るーーー!

 困るのーーっ!

 今日、向こうに移動できないととってもとっても困るのよぅ!!


どうしよう、どうしよう。

私は大パニック。

涙ながらに訴えた。


 お願い、ちょっと待ってて。


祈るような気持ちで。

すると運転手さんが言った。


「まぁとにかく乗りな」


呆れたのか同情してくれたのか、とにかく私は乗車を許された。
市バスと同じ感覚でいたなんて、我ながらわかっていないにもほどがある。

とにかくシュールズベリーまでの足を確保し、
ホッとした気持ちやら不安な気持ちやらエージェントの不手際への不満やら
チケットは一体いくらなんだろうということやら
いろいろな気持ちを抱えたまま、バスに揺られること数時間。

何とか無事にシュールズベリーの地へ辿り着くことができた。


降りるとき、私はもちろんお礼と共に運転手さんに問いかけた。

「チケット代はいくら?」

すると彼は笑いながら答えてくれた。

「ああ、いらないよ!」


びっくりした。


本当に、びっくりした。


こんなことが、あるんだ…


あの時、バスターミナルで泣いた私は本当に本当に困っていた。
その私の気持ちをスッとすくい取ってくれた運転手さん。

とってもありがたかった。


イギリス人は、基本的に個人主義。
他人に対しても、日ごろは“我関せず”なところが多い。

ロンドンの街を歩いていたときも、そんな印象があった。

でも本当に困っている人のことは敏感に見つける。
そしてその人にスッと手をさしのべる。

とても自然に。

驚くほど、自然に。


それは、重いスーツケースを運んでいた私に対しても起こった。
階段にさしかかった瞬間に、声をかけられるのだ。

すごい。

そして数段のぼり終わると、「じゃあ、気をつけてね」とスッと去っていく。


この感覚は、日本で味わったことのないものだった。


イギリス人は基本的に“我関せず”。
でも困っている人には当たり前に手をさしのべる。

『イギリス人はジェントルマン』
と言われる所以を見た気がした。