また思いついたように書くこのブログ。最近は、何してたっけな~

仕事。稽古。読書。ストレッチ。
飲み。(笑)
たまに文章を書く。

うん、しばらくずっとあまりかわらない。周りの人みてると、うらやましく思えることも多いけど、まあ、こんな生活にけっこう満足している。今この瞬間がすでに完璧で、満ちたりているんだな~っていう感じを味わうのってけっこう幸せなことじゃないかなと思う。

今までいろいろなことやってきたけど、これからどうなるのかな~とふと思ったりする。
芸術家としての大志や野望もありつつ、彼女ほしいな、とか、旅行いきたいな、とか、お金ためよう、とか、っていう月並みな願望もありつつ、、日々過ごしている。
うん、たぶん叶うよ。夢って必ず叶うから。でも、手に入るタイミングはわからない。ある時にふと、あれ?もしかして、叶ってましたか?って感じ(笑)すべて与えられてきたんだな、って、いきていることが本当にありがたくて、文句や不満ばかりで、ごめんなさい~って、思う。この前祈りって映画のラストシーンを観ながら、そんなこと思った。

タイミング=timing
時は計り知れないものだよね。
忙しくて、時間がないとかあり得ないな~って最近はよく思う。
とにかく与えられたことを誠実に
こなそう。
自分の狭い世界観にとらわれず。

久しぶりに、ブログ書いてみる。小説の執筆以外なかなか書く時間がとれないでいたが、やっぱり電車の中しかないかなということで、ただいま電車で、iPhone使って書き込み中。あんまりアプリ使ってないけど、携帯よりも文字が打ち込みやすい点は助かっている。

小説は、原稿用紙30~40程度のスケッチが終わり、第一稿を書き上げようとしているところ。どうしても加筆も出て来て、欲張ってしまうが、とりあえずつなげてみるのが大事かも。今月中と思っていたが、来月二週目までに持ち越す。
哲学的な演劇、とは?というところから始まった哲学書乱読だったが、結局、ニーチェに落ち着いた。ハイデガーはまだ難しく、ヘーゲルは莫大だった。いや、ニーチェも十分難解で、莫大なんだが、なにしろ今まで一番読んでいる哲学者なので、親しみはあるというところ。ちくま文庫の権力への意志の上巻を読み上げた。なぜかパスカルのパンセのことをよく引用している点が気になったので、パンセもチラ見しながら、読んでいく。なぜかイギリス経験論も、知っておこうと思いたち、ヒュームも読み出す。正反対のようで、共通点もあるような気もする。結局、軸を決めてもいろいろ読むことになるが、今自分が何を追究しているかを自覚して、パースペクティブを明確にすることが大事だ。
肝心の哲学的な演劇ということについては、まだはっきりとした答えが出ない。哲学とは何か?という問いに答える必要があるが、哲学者の考えをヒントに自分なりの答えを出すのが目標。もちろん、ブレヒトの弁証法についての考えも十分参考になると思う。
先月から始めた仕事も悪戦苦闘だが、楽しんでいる。コンサルじゃないので、なかなか抜本的な改革ができないため、単純なデータ処理に終始してきていて、煮え切らないところもあるが、何より管理者の大変さというものを味わさせていただいて、いい体験をさせてもらっている。人を支配しようとする気持ちが自分にもあることをみとめ、それでも時として、従ってもらわなくてはいけないことを伝えなくてはいけない。とにかく人に自分の考えを伝えるためには、本気でなければダメだと思う。まだまだ甘いと痛感したが、周りのメンバーに助けられて、なんとかやっている。やっぱり、人の出会いは恵まれていると感じる。来月で、今回のプロジェクトは終了する予定だが、もっと深くメンバーと向かいあって、助けたい。そして、少しでも今回のプロジェクトから何かを得てもらえればと思う次第。

最近ようやく、一日少しづつ、新しく進歩しようとすることの大切さを実感してきた。
演劇だけじゃなくって、生活の中に見直せるものはたくさんある。考え方、心の持ちよう、習慣、交友関係、人のの接し方など。
日々おなじような人生なんてつまらないから工夫するしかない。

生活を立て直すために、先日、実家に戻ってきました。都市圏から若干離れるのですが、仕事で、都内に出るのはそんなに苦になりません。サラリーマンをやっていれば、安定した収入が入ってきて、ひとりぐらしも楽なのですが、昨年から今年にかけてしばらく満足に働けない期間があったし、一人暮らしすると、どうしても自堕落になってしまう性も手伝っての結果です。まあここまでくると、自分の性も笑うしかないのですが、逆にいうと、自分に選んだ道にまだまだ覚悟が足らず、自分が進む軸がしっかりしていなかったのかもしれません。実家は、ひとりぐらしに比べて、環境は雲泥の差です。どうあろうと支えてくれる両親に心から感謝をして、今まで以上に強い覚悟を決めて、やると決めたことをやるだけです。

中でも、この夏頑張りたいのは、執筆と読書です。執筆の方は、興味を持てる題材が見つからず、滞っていましたが、自分の今までの心の動きを書くだけでも、形になるのではないか?と思います。哲学、文学と出会った時の心のときめき、今の劇団の芝居を観たときの衝撃、サラリーマンをしながら、俳優のトレーニングをうけていたときの熱い気持ち。。。昔書いた日記には、自分の心の動きがかなり克明に描かれていて、我ながらあとから読んで、かなり面白い内容なのですが、日記から掘り起こした題材を、今の自分の目で見て、加工していけば、何かができるかも。世界は、自分が思っている以上に広く、世界を規定するのは、自分の精神活動次第だということ。夢、希望、自由というものも、おそらく、精神活動の内容いかんにかかわることだということを、書くことを通じて探究したいですね。最近読んでいるヘーゲルの精神哲学の本でも、精神と自然との関係が描かれていますが、精神が自然と矛盾して葛藤していく中で、精神が高次の存在に近づいていく過程が興味深いです。内容は平易とは言えないですが、思ったよりは読みやすく、のめりこんでしまいます。「精神現象学」における弁証論の研究も含めて、この夏のドイツ哲学探究はヘーゲルで終わってしまうかも。が、できればマルクスや社会学関連の書物にも手を出したいところ。

池袋の図書館で借りた「ロシア革命」の書籍は期待外れでした。事実の羅列だけで、教科書を読んでいるみたいでした。出来事の流れを知るのは重要ですが、文章から、ロマノフ王朝の専制王政とはどういうものだったのか、専制王政がもたらした様々な影響力、抑圧された民衆の反発心を読み取れる描写が少ない気がしたのは残念です。ブレヒトが書いた、パリ・コミューンがあった頃のフランスを描いた「コミューンの日々」をこの前読みましたが、革命的な出来事が起こった時の人間模様がよく書かれていました。ロシア革命当時の小説や戯曲も交えて、研究していくと、より面白いかもしれませんね。それにしても、ロシアの資料は、やはりあまり多くない。とりあえず読めるものは片っ端から読むか。

昨日、誕生日でした。朝からたくさんの人からお祝いのメッセージを頂き、仕事の仲間も、仕事の後、飲み屋で祝ってくれました。飲みすぎてしまったのは玉に傷ですが、ぼくも、俳優という仕事をはじめて、いろいろな世界を渡り歩くうちに、たくさんの友人ができたんだな、と思いました。友人からのメッセージで、人間としての僕についていきたいといってくれる人がいてうれしかった。自堕落になるのも、どうも自分は孤独だと思い込みすぎていたせいかもしれないなあとしみじみ思う。今までは、どうせ自分なんて理解してくれる人はいないと、はっきりいえばいじけていた。もちろん、100%分かり合える人はいないと思う。しかし、自分も自分のことがどれだけわかっているというのだろうか?もしかしたら、自分が意識していない自分の性質を他人は知っている、ということもありうるのではないか?飛躍しすぎかもしれないが、、普段周りにいる人から自分を知ることができる。日々、自分の中にある様々な精神を明確な理念を含む言葉にしていく作業が必要だと思う。言葉にすることで、精神の有限性を知ることができる。有限性を知ることで逆に精神の無限を知るのだという。ブレヒトの言った哲学的な演劇ということにもつながる作業だと思う。最終的には、作品や役の中にある精神性を、明確な言葉にし、自分自身の精神性とリンクさせることだ。今日はここまで。

夏は読書。

12月はブレヒト公演。ブレヒトの思想をどこまで自分のものにするかが鍵。
そうなると、やはり、ドイツの精神について考えなくてはならない。
ドイツの哲学書を読めるだけ読む。まずは、なぜかフィヒテに飛びつく。次は、誰に行こうか。まだ読んだことのないヘーゲルに行きたい気もするが、やっぱりニーチェかな、という気もする。やっぱり、ブレヒトの作品もたくさん読む。

ふとしたきっかけで、ロシア人に演劇を教わる人生を歩んでいるが、日露関係を考えることをライフワークにしようかな、と思ったりしている。
司馬遼太郎の坂の上の雲をひさびさに再読しているところだが、ストーリーがすっかり頭に入っているので、人間模様や、その他細部に目が行き届き、面白い。日露戦争の描写は、12月に公演するブレヒトの戯曲のヒントにもなる点が多い。
歴史とは何か、というE.H.カーの名著を読み出した。恥ずかしながら、この人がロシア史の研究家であることをはじめて知った。日露戦争からロシア革命あたりについて書かれているカーの著書を探してみようと思う。

夏は体づくり。
しなやかで、伸縮性に富み、軽快な動きができる身体を目指し、日々体操、ストレッチ、整体。

そして夏は恋愛笑
いまめっちゃ恋愛体質や

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レパートリー公演が終わった。といっても、僕の出演する予定だった公演日程が終了した、という意味で、劇団としては、今週末まで続く。
白痴に関しては、ムイシュキン公爵という大役をよくやり通したと思う。まだまだ納得できないことはたくさんあるけど、納得したらそこで終了。ムイシュキン公爵は、天才的な人間で、世界中の俳優がやりたがる役、と、よく監督に言われるが、そんな役と生きていけるだけでも、人生成功なんじゃないかと思えたりする。白痴やドストエフスキーのほかの作品も読みながら、ムイシュキン公爵のキャラクターをさらに浮き彫りにしていくのが課題。あるドストエフスキーの評論書で、真逆にも思える悪霊のスタブローギンとの類似性について、書かれていたが、今後研究予定。公爵のカリスマ性は、ただいい人だから、というのは、浅い気がする。
イワーノフは、ぜひ近いうちに、大きな劇場で、チャレンジしたいところ。
それで、またみんな成長できるのではないか。
個人的には、イワーノフというより、チェーホフ作品をやる上で、生活のディテールを舞台に持ち込む、ということを追求していきたい。チェーホフの作品だけでなく、顔の表情や習慣や行動など、人物の特徴を象徴する描写が細かく、しかも多く見受けられる。ロシア文学全体の特徴なのかもしれない。
普段の観察をさらに詳細かつ克明にしていくこと、チェーホフやその他ロシア文学の作家の視点を参考にすること。

新作、ブレヒトも待っているが。
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週末は、白痴の稽古、そして、本番。今回の稽古、本番を経て、初めてある程度納得がいくパフォーマンスがだせ、舞台にいることを楽しめた。いうまでもなく、僕の力は微々たるもので、監督、劇団の皆様、僕を日々支えてくれる人たちのおかげ。
謙虚な愛、はずかしさという監督からの言葉がキーワードとなった。役からずれそうになると、頭に必ずこの言葉が浮かんだ。謙虚さに終わりはない。他人に同情し、尊重しようとする。しかし、ときとして、そんな思いを失ったり、結果として、人を傷つけてしまう自分を恥ずかしく思う。しかし、自負心も捨てられない。僕の中にも常に存在するかっとう。この感覚を、今週はビビットにして、18日の本番に臨む。
あと、役の生活の正当化、衣装、小道具の使い方を再度検証。これも、重要な役づくり。



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昨日、イワーノフ本番。監督と韓国からのお客様、それに、個人的な知り合いが観客席にいて、緊張もあったが、とにかく、前回監督のアドバイスに従い、僕の中にある優しさの質を大事にして、後は相手と交流することを一生懸命やった。結果、今までになかった新しいものが創れた気がするし、やっていて疲れもなく、楽だった。技術的な課題をしっかり踏まえて先に進むことは、大切な課題だけど、僕の優しさという質を、毎日大切に育てて、芸術的な形象として成長させていくことが本当に大切である。まだまだ未知な部分もあるし、あいまいだけど、どこまで自分の優しさを信じて、はっきりとしたものにできるか。責任感というより、使命といっていい。
監督も昨日の芝居の出来には喜んでいた。ひさしぶりにほめられてうれしかった。僕たちはやっぱり交流が鍵だ。交流とは、相手から始め、感じ取り、入り込んで行く。交流の質は、どこまでも奥が深い。個人的にも、時間をとって、研究したいところ。あと、監督からは、感情の論理から体感することに移行するようにと指摘があった。簡単にいうと、似たような感情を見つけるだけでなく、実際に体感しようとすること。イメージトレーニングと身体の感度をあげることが必要だ。色々と試行錯誤してみたい。まだまだこのメンバーは、成長するし、一緒にやっていきたいと思う。
それにしても、監督の設定の発想には、いつも驚かされる。最終幕の結婚式という設定から次から次へと展開して、役の状況について非常に具体的に説明してくださった。台本に書いてあることに、様々な情報、知識を組み合わせていくことで、発想を広げていく能力が必要だ。演劇だけでなく、色々なことに視野を向けることが大切。結局は、日常生活が第一か。


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ブログを書こうと思い、iPhoneのアメーバアプリを立ち上げ、先に、しばらく会ってない友人や知り合いのブログを読む。偶然にも、いかにハッピーに毎日を過ごすか、というテーマで書いている人をふたり見つける。笑ってみたり、ダンスを踊ったり、歩きながら歌を歌ったり、人それぞれ違うけど、ハッピーでいようとすることは、単純なことだと思う。何がハッピーか?って考え始めると、わからなくなる人もいるかもしれないけど、そんなに難しいことではないと思う。ハッピーと思うことに素直に自分を傾ければいい。えーと、何を書こうとしたんだっけ、無理やり何かにつなげようとしている気がする。一回忘れて。
まあ、ハッピーでいたいって思う裏には、やっぱりハッピーじゃないなあってどこかで思っている自分がいるからかもしれない。悩んだり、心配することもやっぱり人間誰しもあるだろう。もうどうしようもないと思うこともあるだろう。僕は、そんな自分を笑ったりする。やわな自分が面白い。悩む自分も悪くないな、と思ったりする。そして、追い込まれた、今後どうなるんだ?というスリルを楽しもうとする。そんなことを心の中で繰り広げているうちに、予想だにもしない出来事が起こったりする。これが人生の面白いところだ。
いつの時代でも、幸福、ハッピーということは、人間のテーマだ。しかし、今の世の中、とりわけ現代の日本では、少々難しいと思う人も多いだろう。真面目に現実を捉えようとする人ならとりわけそうだろう。だから、もうどう考えても憂鬱なら憂鬱でいいのだと宣言してしまおう。憂鬱の中に、少し希望を抱えてみる。滑稽なミックスだけど、意外と悪くないな、と気づく。季節は春だ。薄靄の中にうっすらと見える太陽に微笑む。生暖かい優しい風と抱擁し、好きな人を思い浮かべたりする。ココロが動き出せば、自然と何かしたくなる。歌う。踊る。絵を書く。ものを作る。人と話す。
やっぱアートだな。前もこんなことを書いた気がするけど、美術館とかギャラリーに行かなくても、毎日の生活の中に素材があって、テーマが見出されて、あなたが生きることで何かが起こりうるんだ。それだけで素晴らしいじゃないか。自分だけの美しい人生を生きよう。
5月に、僕が所属する東京ノーヴイ・レパートリーシアター主催の、俳優向けのワークショップが開催されます。俳優向け、とうたっていますが、アーティスト、セラピストなど、心理系の仕事をしている人、お坊さんなど、多種多様な人たちが参加してきたイベントです。

思えば、僕が、俳優として舞台に立ったきっかけとなったのも、このマスタークラスでした。
詳しくは、ブログ↓
http://ameblo.jp/kotaroad/entry-11200646011.html

創造性を開きたい人、下北沢に集まれ!!

☆才能は限りなく開く!!☆
【ロシアの演劇理論「スタニスラフスキー・システム」研究家・
レオニード・アニシモフの俳優のためのマスタークラス】

今回のテーマ
「スタニスラフスキー・システムにおける『役と一体になる』とは!?」

『役と一体になる』、それは、役に与えられた設定の中で、本物の欲求や感情と共に『行動する』ということ。 スタニスラフスキーは、役と一体になるために、俳優は、欲求や感情が本物のものかどうか、判断する感覚を養う事が重要である、と、言っています。
今回のマスタークラスでは、この『真実感覚』をいかに養い、いかにして『役になる』かを、実践を通して学んで行きます。

□『真実感覚』が手に入るとこんなにいいことが!
・自分の役の行動に確信をもてるようになり、現場、舞台や稽古が楽しくなる!
・存在感のある俳優だね、っていわれるようになる!
・受ける前と心の持ちようが変わって、日常生活も楽しくなる!かも(笑)

講師プロフィール・過去のマスタークラス受講者の感想など、詳しくは
http://www.tokyo-novyi.com/japanese/master.html

【日程】
2012年5月1日、2日、7日、8日、14日、15日、21日、22日、28日、29日
全10回、18:30~22:00
※基本的に、月曜日と火曜日、5月2日のみ水曜日
※全日程の参加が難しい方は、ご相談ください。
※見学も受け付けています。一回5000円 要予約

【会場】東京ノーヴイ・レパートリーシアター
東京都世田谷区北沢2-13-6 第一マツヤビル3F(下北沢駅南口から徒歩80歩!)

【定員】20名 少人数なので、お早めに!!

【受講料】68000円

【お問い合わせ】
東京ノーヴイ・レパートリーシアター
TEL:03-5453-4945
HP:http:www.tokyo-novyi.com
E-mail:info@tokyo-novyi.com


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5月に開催される俳優のためのワークショップ・マスタークラスをいろいろな人に紹介するにあたって、スタニスラフスキーについて書いたノートを引っ張り出して、今回のワークショップのテーマのひとつである真実感覚ということについて、考えている。なにしろ真実感覚って人に言ったところで伝わらないし、自分自身でも少し具体的に考えてみたかった。
俳優が役になるためには、役の設定の中で本物の欲求や感情と共にあることだという。そのために、真実感覚が必要となるらしい。当然役の設定の理解が必要だ。役の設定に、想像上の虚構を結びつけることで理解が深まる。自分の体験を思い出しながら、設定と似たものを探していくわけだが、最近体験の結果にこだわりすぎている気がしてきた。体験のプロセス、つまり、ある出来事が起こった背景、出来事に関わる人の心情など、言ってしまえば、戯曲を分析するのと同じくらい熱心に掘り下げることが必要だ。また、他人の体験でも、共感できるなら使える気もする。そして、設定の理解が進んだら、行動の課題を見つける。最初は繊細に考えていく。ここがまだ甘いなと気づく。普段の生活も、無数の行動で出来上がっているが、なぜ自分がある行動に至ったか、もっと細かく意識に落としていきたいと思った。例えばなぜコーヒーを買ったのか?タバコをおいしく吸うためか、口がまずいため
か、眠気をさまそうとしたせいか?それらが複合しているのか?さらにいうと、その課題は、僕の精神にあるどんな性格が生むのか?複数の課題の中でもっとも本質的なものは何か?ある課題と別の課題の関連性など、繊細にしていく要素は多い。なにしろ、欲張りが災いしてか、いきなり大きな課題にたどり着きたくなるせいか、細かい行動の課題について考えることをおろそかにしがちになる。直観的に、設定を体感できるものは、それでもいいかもしれないが、やはり普段の生活から丁寧に考えるくせをつけるべきだなと痛感。さっき、性格が課題を生むという言い方をいたが、性格から導かれる観念と言った方が近いのかもしれない。役の性格を今まで以上に細かく分析することで、より説得力のある、正確な
行動を考えていく。うまい行動の言葉がなかなか見つからないというのは、俳優にとって永遠の課題だが、逆にいうと、僕の場合は、性格分析についてもっと努力すれば、楽になるかもと思う。観念→判断→課題→目的
うまい行動の言葉というのは、カラダに根付いた言葉だ。うん、僕の中では、だいぶ整理できてきた。

しかし、どうしても人に説明しようとすると、難しく、また長くなる。僕たちがやっている演劇は、潜在意識を動かしていきたいわけで、そのために意識的にいろいろな準備をすることになる。上に書いたことは、時間をかけて積み上げていくことだが、舞台にあがる前は、カラダの緊張を抜いたり、集中力を保つための仕掛け、やりかたは人それぞれだが、僕の場合は呼吸に集中したりする。スタニスラフスキーは心のお化粧、役の内的準備といい、必要な準備の要素の一つが完全に正しく、本質的に、完全によみがえれば、他の要素も呼び起こされるという。一つだけ完全であればいいと思うと少し気が楽になる。また、究極的には、相手役が一緒に舞台にたってくれているということをもっと活かせれば、もっと気が楽になる。
ただ、気をつけなくてはいけないのは、一つの間違った感覚が、全てを破壊するということ。気にしているようで意外と抜けるところだ。準備に一生懸命になっているということもあるが、間違っているということを認めるのは誰にとっても恐ろしいことだからだ。常に自分は間違っているかもしれないと頭の片隅において、行動する。だが、思い切ってやる。これが真の謙虚さというものだろう。
さて、どう伝えればいいだろう。
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