僕が、今のように、舞台に立つようになったきっかけは、3年ほど前、マスタークラスという、劇団の芸術監督のレオニード・アニシモフ氏のワークショップに出たことがきっかけだった。ロシア功労芸術家であるアニシモフ氏が、俳優1人1人に、事細かく、優しく(笑)指導してくださる場で、今考えても、ぜいたくなことだが、このワークショップへの参加が、僕の人生をガラリと変えた。
大学を卒業、会社員として暮らしていた僕は、世の中を変えたいという思いから、起業家にあこがれた。しかし、世の中に起こる様々な出来事、自分自身の体験を通じて、何が本当のことかわからなくなり、おかしくなった。
文学や哲学、そして、芸術を求めた。しかし、救いを求めすぎるがゆえに、世間的な、普通の感覚から離れて行く。人が信じられなくなり、親とも衝突、親友と呼べる友達も何人か僕から去って行った。心身ともに不安定な日々が続き、なんとか自分を変えたいという葛藤が続いた。
芸術を求め始めた頃、あるアーティストのイベントで今の劇団の俳優の先輩と出会い、数カ月後、公演を観に行くことになった。演劇は、学生以来、まったく観ていなかったが、ライブで、観る人の心に強烈に訴えかけるイメージがあり、その時の僕の心境や考えともフィットするものがあったが、実際、予想以上に衝撃的だった。心が震えるとはこういうことをいうんだな、と思った。それから、何度か公演を観たが、仕事が忙しくなり、しばらく演劇と離れた。しかし、一年半後、ある作家のイベントで、劇団の俳優の先輩と再会、これをきっかけとして、劇団の公演を観るために、週末は下北沢に通うようになり、その数カ月後、いま思うとなぜか、だが、先輩から俳優のトレーニングに参加しないかと誘いを受けて、月に何度か、感情開放やコミュニケーションのトレーニングを受けるようになった。
自分と徹底的に向き合い、徹底的に正直であることが、トレーニングの空間では許された。表現したいことはたまりにたまっていた。最初は、感情を出すということさえよくわからなかったが、だんだん表現できるようになり、さらに、自分と向き合うことで、徐々に自分で作っていた殻に気付き、破っていった。これは、先輩のところで、トレーニングをしなくなった今でも、無意識に続けており、貴重な精神活動の財産だ。
本当は、そのトレーニングを受け続けることで、十分だったのかもしれない。もともと作家には興味があったが、俳優をする気はなかった。しかし、今思うと、トレーニングを通じて知った自分を表現したい、皆に見てもらいたいという欲求にかられ始めたのかもしれない。前からマスタークラスの存在は、一緒にトレーニングしていた、先輩の女性からも聞いていて、受けると成長が早いと言われていた。トレーニングばかりではなく、実際に戯曲を稽古したいという気持ちもあった。インスピレーション、とは何か?というテーマにもひかれた。演劇の世界に深くのめり込み始めることで、会社での立場もあやうくなってきた。
先輩のトレーニングの先生からは、慎重に考えるよう、言われたが、結局、劇団のマスタークラスの担当の方の後押しもあり、参加することになった。
ワークショップでは、チェーホフ作品のかもめを題材にすることが決まっており、その中で、トレープレフを演じることにした。母親との葛藤、女性への届かない思いに共感したのかもしれない。当然、戯曲の分析など知らなかった。文章を読みながら、目に見えるようなイメージを膨らますことから始めた。そして、シーンにおける行動の課題や目的を考えながら、行動を決める。あとは相手役と交流する。それまでにトレーニングしてきたことが、大いに役立った。セリフはなかなか頭に入らなかったが、仕事の合間を縫い、戯曲と向かいあった。
最終日。四幕のニーナがトレープレフを訪ねてくるシーン。不思議なことが起こった。演じている自分と相手役が見えている感覚、とでもいえばいいのか。意識が身体から抜け出して、外から見ているような感覚といった方が近いのか。今まで1番つらかったことを思い出してくれ、と言われ、辛すぎた恋愛のことを思い出したら、涙が止まらなくなり、そのままセリフを話しただけだった。
このワークショップ終了後、劇団の第一スタジオに誘われることとなり、いろいろあって(はしょりすぎ??)、今に至る。
トレープレフの時のことは、アニシモフ氏にとっても、衝撃的だったのか、未だに話題に昇る。この前も、本番終了後、いろいろ演じた役について指摘をいただく中、「あの時、君の優しさという創造性が生まれた」みたいなことを言われた。僕もあの出来事の直後は、なぜあんなことが起きたのか、アニシモフ氏のエネルギーのなせる技か?などと考えたが、その結果をまた求めるのもどうかと思って、極力あの時のことは考えないようになり、実際にやり始めると、演劇を通じて、インスピレーションにたどり着くことの難しさを実感したせいか、インスピレーションについて考えることもあまりしなくなった。また、最近では、ぜいたくなことだが、舞台の中での小さなインスピレーションを喜べなくなっているのかもと思う。あの経験は、幸か不幸かよくわからないけど、こうやって、僕が俳優として舞台に立つきっかけとなったマスタークラスのことを振り返ると、やはり一つの原点なんだなと、思わずにいられない。そういう原点をたまには掘り下げることで、根が深くなるかなと思う。舞台の出番が一段落、しばらくインスピレーションということを生活の中から、演劇に結びつけて考えていきたい。インスピレーションといっても、いろいろな段階がある。まずは大げさなことでなく、ちょっとした中にあふれるインスピレーションを探そう。
大学を卒業、会社員として暮らしていた僕は、世の中を変えたいという思いから、起業家にあこがれた。しかし、世の中に起こる様々な出来事、自分自身の体験を通じて、何が本当のことかわからなくなり、おかしくなった。
文学や哲学、そして、芸術を求めた。しかし、救いを求めすぎるがゆえに、世間的な、普通の感覚から離れて行く。人が信じられなくなり、親とも衝突、親友と呼べる友達も何人か僕から去って行った。心身ともに不安定な日々が続き、なんとか自分を変えたいという葛藤が続いた。
芸術を求め始めた頃、あるアーティストのイベントで今の劇団の俳優の先輩と出会い、数カ月後、公演を観に行くことになった。演劇は、学生以来、まったく観ていなかったが、ライブで、観る人の心に強烈に訴えかけるイメージがあり、その時の僕の心境や考えともフィットするものがあったが、実際、予想以上に衝撃的だった。心が震えるとはこういうことをいうんだな、と思った。それから、何度か公演を観たが、仕事が忙しくなり、しばらく演劇と離れた。しかし、一年半後、ある作家のイベントで、劇団の俳優の先輩と再会、これをきっかけとして、劇団の公演を観るために、週末は下北沢に通うようになり、その数カ月後、いま思うとなぜか、だが、先輩から俳優のトレーニングに参加しないかと誘いを受けて、月に何度か、感情開放やコミュニケーションのトレーニングを受けるようになった。
自分と徹底的に向き合い、徹底的に正直であることが、トレーニングの空間では許された。表現したいことはたまりにたまっていた。最初は、感情を出すということさえよくわからなかったが、だんだん表現できるようになり、さらに、自分と向き合うことで、徐々に自分で作っていた殻に気付き、破っていった。これは、先輩のところで、トレーニングをしなくなった今でも、無意識に続けており、貴重な精神活動の財産だ。
本当は、そのトレーニングを受け続けることで、十分だったのかもしれない。もともと作家には興味があったが、俳優をする気はなかった。しかし、今思うと、トレーニングを通じて知った自分を表現したい、皆に見てもらいたいという欲求にかられ始めたのかもしれない。前からマスタークラスの存在は、一緒にトレーニングしていた、先輩の女性からも聞いていて、受けると成長が早いと言われていた。トレーニングばかりではなく、実際に戯曲を稽古したいという気持ちもあった。インスピレーション、とは何か?というテーマにもひかれた。演劇の世界に深くのめり込み始めることで、会社での立場もあやうくなってきた。
先輩のトレーニングの先生からは、慎重に考えるよう、言われたが、結局、劇団のマスタークラスの担当の方の後押しもあり、参加することになった。
ワークショップでは、チェーホフ作品のかもめを題材にすることが決まっており、その中で、トレープレフを演じることにした。母親との葛藤、女性への届かない思いに共感したのかもしれない。当然、戯曲の分析など知らなかった。文章を読みながら、目に見えるようなイメージを膨らますことから始めた。そして、シーンにおける行動の課題や目的を考えながら、行動を決める。あとは相手役と交流する。それまでにトレーニングしてきたことが、大いに役立った。セリフはなかなか頭に入らなかったが、仕事の合間を縫い、戯曲と向かいあった。
最終日。四幕のニーナがトレープレフを訪ねてくるシーン。不思議なことが起こった。演じている自分と相手役が見えている感覚、とでもいえばいいのか。意識が身体から抜け出して、外から見ているような感覚といった方が近いのか。今まで1番つらかったことを思い出してくれ、と言われ、辛すぎた恋愛のことを思い出したら、涙が止まらなくなり、そのままセリフを話しただけだった。
このワークショップ終了後、劇団の第一スタジオに誘われることとなり、いろいろあって(はしょりすぎ??)、今に至る。
トレープレフの時のことは、アニシモフ氏にとっても、衝撃的だったのか、未だに話題に昇る。この前も、本番終了後、いろいろ演じた役について指摘をいただく中、「あの時、君の優しさという創造性が生まれた」みたいなことを言われた。僕もあの出来事の直後は、なぜあんなことが起きたのか、アニシモフ氏のエネルギーのなせる技か?などと考えたが、その結果をまた求めるのもどうかと思って、極力あの時のことは考えないようになり、実際にやり始めると、演劇を通じて、インスピレーションにたどり着くことの難しさを実感したせいか、インスピレーションについて考えることもあまりしなくなった。また、最近では、ぜいたくなことだが、舞台の中での小さなインスピレーションを喜べなくなっているのかもと思う。あの経験は、幸か不幸かよくわからないけど、こうやって、僕が俳優として舞台に立つきっかけとなったマスタークラスのことを振り返ると、やはり一つの原点なんだなと、思わずにいられない。そういう原点をたまには掘り下げることで、根が深くなるかなと思う。舞台の出番が一段落、しばらくインスピレーションということを生活の中から、演劇に結びつけて考えていきたい。インスピレーションといっても、いろいろな段階がある。まずは大げさなことでなく、ちょっとした中にあふれるインスピレーションを探そう。