誰に迫られたわけでもないが、俳優としてこんな生活をしてます、みたいなことをたまには書きますね。僕のような若輩が語るのはどうかなあと思うところもあるが、ジャンルや俳優それぞれの考えによって、さまざまな俳優の道があるので、僕の語ることも一例だと思って読んでもらえればいい。ただ、なぜ今まであまり書かなかった俳優としての一面を書いてみようと思ったかといえば、特に、テレビとか映画に出ずに、舞台の道で生きている俳優は、何か世の中に誤解されている所が多い気がしたからだ。お金もないのに、飲んで遊んでいるだけ、と思っている人もいるだろう。もちろんそういう一面も、人によってはありうるが(笑)この前、仕事先の人に、劇団から給料はないって言ったら、え、趣味?って返されて、正直少しカチンときた。母には、たびたび、何をやっても儲からないと意味がない、といわれるのは茶飯事だし。仕事先の人や母のいうことに、一理あることはよくわかってますよ。銭の力がものをいう世界だからね。ただ、俳優は、舞台に立つことだけが仕事じゃなくって、そのために、日々いろいろなことをしていることを、心ある人には知ってほしいと思う。
今回は第一弾ですが、いきなりちょっと変なことかきますね。って、前置きしないと、誤解されそうだから。
昨年から、ほぼ毎朝、自己催眠のトレーニングをしている。最終的には、自分がありたい姿を潜在意識にすりこむわけだが、その姿が実現されるかは、置いておいて、自己催眠のプロセスが、いいトレーニングになっている。
自己催眠のプロセスでは、正当化する力、集中力、そして、想像力が鍛えられる。基本的に催眠は、信じやすい人で、平均以上の知性のある人がかかりやすいといわれる。正当化とは、本当に文字どおりなのだが、自分の行動を正当なものだと信じること。人生でも迷いがあると、何もできなくなるのと同じで、催眠も、所詮イメージの世界で嘘っぱち、こんなのバカバカしいと、疑いはじめるとやりたくなくなる。だから、嘘かもしれないけど、僕にとってはほんとうだ、と信じ込むことが大切になる。
正当化がうまくいったとして、次は、プロセスに集中する。リラックスできるよう、心の中で暗示をかけたり、いろいろなイメージ、ふわふわした雲とか、チーズが溶け出している様子とか、昔懐かしい思い出を描いたりする。しかし、どうしても、いろいろな雑念が出てきてしまうんですねえ。何食べようとか、お金どうしようとか、昨日あった女の子、かわいかったなあ、とか頭の中でぐるぐるしてくる。今朝もそうだった。昔のオレゴンのホームステイ先のことを思い出していたつもりが、気づいたら、昨日喫茶店でみかけた、とても素敵な女性たちに心が移っていた。何か久しぶりに、心が暖かくなったというか、花が咲いたというか、まあそういう感覚を思い出すためにたぶん役にたつので、無駄にはならないと思うことにする(笑)
俳優のトレーニングを始めた当初、こういう心理的なトレーニングをたくさんやった。先生からは、雑念が出た場合、その雑念があることを認めつつ、プロセスに集中しなさいと、教えられた。今でもその教えは、舞台の上で生きているなあ、と思う。その先生から離れて、しばらく心理トレーニングをおやすみしていたので、自己催眠を始めた当初は、集中力がだいぶ衰えていることを感じたが、今日は、以前トレーニングしているときにたまに感じていた、創造にとってよい状態を感じることができた。この感覚を思い出したことは大きい。しかし、時間がかかりすぎたのが課題。本番では、時間がとれない場合もあるから、なるべく早くいい状態を手にしたい。雑念を認めながら、集中しようと思うことも、とても大事なんだが、あせると難しくなることがある。そのため、想像の世界でもっと遊べれば早いな、と最近思う。一言でいうと、想像力ってやつですな。今まではめていた枠、記憶の引き出し、想像のイメージ、想像のプロセスを取り壊して広げている感じ。こういうときはこの記憶とこのイメージ、とか、こういう風に想像しなくちゃいけない、みたいな決めつけがあるように思う。
今まであまり触れなかった過去を思い出すことや、いつもと違うイメージや想像のプロセスをあえて試してみようとすることで、少しづつ何か変わるかな。どうしても本番では、いわゆる「鉄板」と思っているイメージを使いたくなるが、それをなるべく封印することにする。想像の世界を研究する、という意識を高めるのが、今の課題。
iPhoneからの投稿
今回は第一弾ですが、いきなりちょっと変なことかきますね。って、前置きしないと、誤解されそうだから。
昨年から、ほぼ毎朝、自己催眠のトレーニングをしている。最終的には、自分がありたい姿を潜在意識にすりこむわけだが、その姿が実現されるかは、置いておいて、自己催眠のプロセスが、いいトレーニングになっている。
自己催眠のプロセスでは、正当化する力、集中力、そして、想像力が鍛えられる。基本的に催眠は、信じやすい人で、平均以上の知性のある人がかかりやすいといわれる。正当化とは、本当に文字どおりなのだが、自分の行動を正当なものだと信じること。人生でも迷いがあると、何もできなくなるのと同じで、催眠も、所詮イメージの世界で嘘っぱち、こんなのバカバカしいと、疑いはじめるとやりたくなくなる。だから、嘘かもしれないけど、僕にとってはほんとうだ、と信じ込むことが大切になる。
正当化がうまくいったとして、次は、プロセスに集中する。リラックスできるよう、心の中で暗示をかけたり、いろいろなイメージ、ふわふわした雲とか、チーズが溶け出している様子とか、昔懐かしい思い出を描いたりする。しかし、どうしても、いろいろな雑念が出てきてしまうんですねえ。何食べようとか、お金どうしようとか、昨日あった女の子、かわいかったなあ、とか頭の中でぐるぐるしてくる。今朝もそうだった。昔のオレゴンのホームステイ先のことを思い出していたつもりが、気づいたら、昨日喫茶店でみかけた、とても素敵な女性たちに心が移っていた。何か久しぶりに、心が暖かくなったというか、花が咲いたというか、まあそういう感覚を思い出すためにたぶん役にたつので、無駄にはならないと思うことにする(笑)
俳優のトレーニングを始めた当初、こういう心理的なトレーニングをたくさんやった。先生からは、雑念が出た場合、その雑念があることを認めつつ、プロセスに集中しなさいと、教えられた。今でもその教えは、舞台の上で生きているなあ、と思う。その先生から離れて、しばらく心理トレーニングをおやすみしていたので、自己催眠を始めた当初は、集中力がだいぶ衰えていることを感じたが、今日は、以前トレーニングしているときにたまに感じていた、創造にとってよい状態を感じることができた。この感覚を思い出したことは大きい。しかし、時間がかかりすぎたのが課題。本番では、時間がとれない場合もあるから、なるべく早くいい状態を手にしたい。雑念を認めながら、集中しようと思うことも、とても大事なんだが、あせると難しくなることがある。そのため、想像の世界でもっと遊べれば早いな、と最近思う。一言でいうと、想像力ってやつですな。今まではめていた枠、記憶の引き出し、想像のイメージ、想像のプロセスを取り壊して広げている感じ。こういうときはこの記憶とこのイメージ、とか、こういう風に想像しなくちゃいけない、みたいな決めつけがあるように思う。
今まであまり触れなかった過去を思い出すことや、いつもと違うイメージや想像のプロセスをあえて試してみようとすることで、少しづつ何か変わるかな。どうしても本番では、いわゆる「鉄板」と思っているイメージを使いたくなるが、それをなるべく封印することにする。想像の世界を研究する、という意識を高めるのが、今の課題。
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