5月に開催される俳優のためのワークショップ・マスタークラスをいろいろな人に紹介するにあたって、スタニスラフスキーについて書いたノートを引っ張り出して、今回のワークショップのテーマのひとつである真実感覚ということについて、考えている。なにしろ真実感覚って人に言ったところで伝わらないし、自分自身でも少し具体的に考えてみたかった。
俳優が役になるためには、役の設定の中で本物の欲求や感情と共にあることだという。そのために、真実感覚が必要となるらしい。当然役の設定の理解が必要だ。役の設定に、想像上の虚構を結びつけることで理解が深まる。自分の体験を思い出しながら、設定と似たものを探していくわけだが、最近体験の結果にこだわりすぎている気がしてきた。体験のプロセス、つまり、ある出来事が起こった背景、出来事に関わる人の心情など、言ってしまえば、戯曲を分析するのと同じくらい熱心に掘り下げることが必要だ。また、他人の体験でも、共感できるなら使える気もする。そして、設定の理解が進んだら、行動の課題を見つける。最初は繊細に考えていく。ここがまだ甘いなと気づく。普段の生活も、無数の行動で出来上がっているが、なぜ自分がある行動に至ったか、もっと細かく意識に落としていきたいと思った。例えばなぜコーヒーを買ったのか?タバコをおいしく吸うためか、口がまずいため
か、眠気をさまそうとしたせいか?それらが複合しているのか?さらにいうと、その課題は、僕の精神にあるどんな性格が生むのか?複数の課題の中でもっとも本質的なものは何か?ある課題と別の課題の関連性など、繊細にしていく要素は多い。なにしろ、欲張りが災いしてか、いきなり大きな課題にたどり着きたくなるせいか、細かい行動の課題について考えることをおろそかにしがちになる。直観的に、設定を体感できるものは、それでもいいかもしれないが、やはり普段の生活から丁寧に考えるくせをつけるべきだなと痛感。さっき、性格が課題を生むという言い方をいたが、性格から導かれる観念と言った方が近いのかもしれない。役の性格を今まで以上に細かく分析することで、より説得力のある、正確な
行動を考えていく。うまい行動の言葉がなかなか見つからないというのは、俳優にとって永遠の課題だが、逆にいうと、僕の場合は、性格分析についてもっと努力すれば、楽になるかもと思う。観念→判断→課題→目的
うまい行動の言葉というのは、カラダに根付いた言葉だ。うん、僕の中では、だいぶ整理できてきた。
しかし、どうしても人に説明しようとすると、難しく、また長くなる。僕たちがやっている演劇は、潜在意識を動かしていきたいわけで、そのために意識的にいろいろな準備をすることになる。上に書いたことは、時間をかけて積み上げていくことだが、舞台にあがる前は、カラダの緊張を抜いたり、集中力を保つための仕掛け、やりかたは人それぞれだが、僕の場合は呼吸に集中したりする。スタニスラフスキーは心のお化粧、役の内的準備といい、必要な準備の要素の一つが完全に正しく、本質的に、完全によみがえれば、他の要素も呼び起こされるという。一つだけ完全であればいいと思うと少し気が楽になる。また、究極的には、相手役が一緒に舞台にたってくれているということをもっと活かせれば、もっと気が楽になる。
ただ、気をつけなくてはいけないのは、一つの間違った感覚が、全てを破壊するということ。気にしているようで意外と抜けるところだ。準備に一生懸命になっているということもあるが、間違っているということを認めるのは誰にとっても恐ろしいことだからだ。常に自分は間違っているかもしれないと頭の片隅において、行動する。だが、思い切ってやる。これが真の謙虚さというものだろう。
さて、どう伝えればいいだろう。
iPhoneからの投稿
俳優が役になるためには、役の設定の中で本物の欲求や感情と共にあることだという。そのために、真実感覚が必要となるらしい。当然役の設定の理解が必要だ。役の設定に、想像上の虚構を結びつけることで理解が深まる。自分の体験を思い出しながら、設定と似たものを探していくわけだが、最近体験の結果にこだわりすぎている気がしてきた。体験のプロセス、つまり、ある出来事が起こった背景、出来事に関わる人の心情など、言ってしまえば、戯曲を分析するのと同じくらい熱心に掘り下げることが必要だ。また、他人の体験でも、共感できるなら使える気もする。そして、設定の理解が進んだら、行動の課題を見つける。最初は繊細に考えていく。ここがまだ甘いなと気づく。普段の生活も、無数の行動で出来上がっているが、なぜ自分がある行動に至ったか、もっと細かく意識に落としていきたいと思った。例えばなぜコーヒーを買ったのか?タバコをおいしく吸うためか、口がまずいため
か、眠気をさまそうとしたせいか?それらが複合しているのか?さらにいうと、その課題は、僕の精神にあるどんな性格が生むのか?複数の課題の中でもっとも本質的なものは何か?ある課題と別の課題の関連性など、繊細にしていく要素は多い。なにしろ、欲張りが災いしてか、いきなり大きな課題にたどり着きたくなるせいか、細かい行動の課題について考えることをおろそかにしがちになる。直観的に、設定を体感できるものは、それでもいいかもしれないが、やはり普段の生活から丁寧に考えるくせをつけるべきだなと痛感。さっき、性格が課題を生むという言い方をいたが、性格から導かれる観念と言った方が近いのかもしれない。役の性格を今まで以上に細かく分析することで、より説得力のある、正確な
行動を考えていく。うまい行動の言葉がなかなか見つからないというのは、俳優にとって永遠の課題だが、逆にいうと、僕の場合は、性格分析についてもっと努力すれば、楽になるかもと思う。観念→判断→課題→目的
うまい行動の言葉というのは、カラダに根付いた言葉だ。うん、僕の中では、だいぶ整理できてきた。
しかし、どうしても人に説明しようとすると、難しく、また長くなる。僕たちがやっている演劇は、潜在意識を動かしていきたいわけで、そのために意識的にいろいろな準備をすることになる。上に書いたことは、時間をかけて積み上げていくことだが、舞台にあがる前は、カラダの緊張を抜いたり、集中力を保つための仕掛け、やりかたは人それぞれだが、僕の場合は呼吸に集中したりする。スタニスラフスキーは心のお化粧、役の内的準備といい、必要な準備の要素の一つが完全に正しく、本質的に、完全によみがえれば、他の要素も呼び起こされるという。一つだけ完全であればいいと思うと少し気が楽になる。また、究極的には、相手役が一緒に舞台にたってくれているということをもっと活かせれば、もっと気が楽になる。
ただ、気をつけなくてはいけないのは、一つの間違った感覚が、全てを破壊するということ。気にしているようで意外と抜けるところだ。準備に一生懸命になっているということもあるが、間違っているということを認めるのは誰にとっても恐ろしいことだからだ。常に自分は間違っているかもしれないと頭の片隅において、行動する。だが、思い切ってやる。これが真の謙虚さというものだろう。
さて、どう伝えればいいだろう。
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